第20話 英雄の墓標

 しばらくそうして寝ていると、遠い青空とスヴェンの間に、金の髪が流れ落ちた。王子の首から下がった竜笛が、ふらふら揺れている。


「お疲れ」

「……王子」


 疲れているが、王子がそこにいるというのに、いつまでも寝転んでいるわけにはいかなかった。悲鳴をあげる手足を酷使して、体を起こす。


「座ったままでいい。なんなら寝たままでも。さすがのスヴェンでも、キツかったみたいじゃないか」

「はは……。今回は、さすがに死を覚悟しましたよ」


 こればかりは本気で、肩を落とす。もう一度同じことをしろと言われても、恐らく無理だろう。次は死ぬ。


「王子、随分戻りが早かったですね。おかげで助かりました」

「ぽちが頑張ってくれたんだ。お礼ならぽちに言ってくれ」


 王子がぽちの毛を撫でる。気持ちいいのか何なのか、猫が喉を鳴らすように、ぽちは、ぎちぎちと不快な音を立てた。


「それにしても、まさか竜退治の英雄譚を、この目で見る日が来るとは、思わなかったな」

「英雄譚って……そんないいものですか、これが。それに退治はしていません」

「他人から聞いたら十分英雄譚だろう。単独で、王都をドラゴンの魔の手から救うなんて、お伽噺でもなかなか聞かない」


 そう言われても、あまり実感はなかった。


「そんなことより、今日非番なんですけど、労災おります?」

「おりるわけないじゃん。プライベートなのに」

「……ですよね」


 まあ分かっていた。だが、今のスヴェンは重症だ。しばらくは入院だろう。その間の給与が支払われず、入院費に治療費……結構な痛手だ。思わずため息が出る。するとそれを見た王子が、なんと救いの手を差し伸べてくる。


「無理やり、労災ねじ込んであげようか」

「ほんとですか!」

「うん。構わないよ。治療費と入院中の給与はどうにかしてあげられる」

「どうやるんです?」


 王子は簡単だよ、といって花が咲いたような笑顔を浮かべた。


「この英雄譚を広めるのさ」

「……?」


 意味がわからず眉をひそめるスヴェンに、王子は笑う。対照的に、スヴェンの顔は曇っていった。この笑顔は……嫌な予感がする。


「スヴェンは讃えられるだろう。王都を守った英雄として。もちろん僕もそれを讃え、お前の治療費諸々くらいは負担する」


 ただし今回の騒動で、スヴェンは幾らかの罪を犯した。


「例えば、器物損壊。街の木を燃やしたよね。それから無断で検問を通り過ぎた。あの雑魚たちは……まあ正当防衛としても、絶滅危惧種のフラムドラゴンを傷つけたことについては、弁明の余地もないね」

「……なんで器物損壊とか検問とか、知ってるんですか?」


 まさか盗聴器でも付いているのかと、少々不安になる。スヴェンに気付かれずに盗聴器を仕掛けるなど、並みの腕ではできないだろうが、残念なことに王子は並みの腕ではない。

 王子は、スヴェンの問いかけには一切答えずに続けた。


「まあ情状酌量もあるだろうし……諸々考えて……報奨金は出るけど、しばらくの間は牢屋暮らしってとこかな。やったね、黒字だ!」

「……前科者は勘弁してください」


 王子の護衛隊長が前科者とか、洒落にならない。というか多分解雇される。


「そう? まあ英雄本人がそう言うなら、今回のことは極秘に済ましても構わないが。

 こちらとしても、指定区域のフラムドラゴンの子供を盗まれるなんて大失態、他所に知られたら困ることになるしね。環境管理課の責任者には、文句を言っておかなきゃな」


 王子はぽちを呼んだ。すぐそばで木の蜜をなめていたぽちが、どすどすと足音を立ててこちらに近づく。


「せめて、病院にくらいは連れて行ってあげるよ。いつものところでいい?」

「ええ、すみません」

「貸し一つだから」


 そもそもてめえが持ち込んだトラブルだろうが。喉まで出かかった言葉を、しかしスヴェンは飲み込んだ。王子と口喧嘩をするだけの元気もない。頭がクラクラする。ちょっと本気で寝たい。

 王子の手を借りて、スヴェンはぽちの背に乗った。真っ白い毛が思いの外心地いい。


「飛んで、ぽち」


 ぽちが鳴いた。スヴェンの体が強烈な重力を感じて、白い大地に押し付けられる。空気が冷たくなった。


「あ、そうそう。ついでだから伝言。クリスがね、お前が管理していた機密書類、なくしちゃったって。珍しく慌てていて面白かったよ」


 気圧が変わったからか、頭痛がひどくなった。






 

 こうして竜退治の英雄譚は、歴史の影に葬られることとなった。

 これは余談だが、今期のスヴェンのボーナスは、例年に比べて少し……いや、かなり多めに入っていた。贈賄だ。


 金で全てを解決できると思うな、とクレームを入れようかとも思った。思ったが……スヴェン一人が騒いだところで、上層部に影響を与えられるとも思えないし、そんなことしたら、せっかくのボーナスが減額されるのは目に見えていたので、スヴェンは後ろ暗い金を、黙って受け取ることにした。


 その夜、なんだか無性にやるせなくなったので、貰ったばかりのボーナスを使って、やたら高い酒を買った。どのくらい飲んだかは覚えていないのだが、翌朝になって部屋を見回すと、空になった酒瓶が、英雄の墓標のように暗がりに佇んでいるのを見つけた。


 せめて高い酒の味くらいは記憶しておきたかったと、少しだけ後悔した。

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