復讐戦

 事が起きたのは突然だった。

 屋敷中を高笑いが響き渡った。いや、笑い声には聞こえなかった。それは下品な歓喜の声。数十年振りに聞く女の声だった。  


 俺は全てを察し、焦る気持ちを静めようと尽くす。

 何度も何度もこの瞬間のシミュレーションをし続けてきた。


 ――落ち着け、落ち着け、落ち着けぇッ!


 急ぎ女の部屋へ向かわなければならない。だが、今は命令を受け清掃中。自らの意思で動くことは出来ない。


 女の魔法は、俺の見たもの感じたもの――つまり脳の認識を媒介に、女の命令に従うようになっている。簡単に言えば、俺の頭を勝手に拝借し、その頭を使って意識とは別に体を動かす。つまり、頭を乗っ取り操るのだ。


 ならば、女の部屋を掃除しなければならない、そんな認識を頭に植え付ければ、命令を遂行したまま――命令に逆らわずに目的地へ向かえるのではないか?


 二階の部屋を掃除しなければならないと。

 あの、ゴミだらけで、死体だらけで、汚ならしいあの部屋を、綺麗にしなければならないと。今すぐに、雑巾にバケツを携えて行かないと。


 ――よっし! 動いたッ!


 埃っぽい階段を駆け上がり、異臭漂う扉を発見する。ああ、なんて掃除のしがいがあるだろうか!


 バンッ


 勢いよく扉を開くと、威勢良く掃き掃除を始める。埃だらけではないか。汚い部屋だ。掃除せねば。綺麗にせねば。


「ひぇっへへへへ。なんだお主、壊れたのか? まぁそんなことどうでもいい」


 しわくちゃの顔を更に醜く歪めた老婆が。実に愉しそうに、そこにいた。前見たときよりもさらに細くなっている。鶏の足みたいな体だ。ハゲ散らかした白髪も、窪んだあの瞳も、全てが憎い。おぞましい。


 ――ちがう、そうじゃない。今は掃除だ!


 必死に床を磨く。その内に大分落ち着いてきて、周りが見えてきた。女の補助をしていた三号はここにはおらず、山積みになっていた死骸も消えていた。代わりに女が一つの玉を握っている。


 とても小さい。まるでビー玉のような。


「さて、どうするかの? これほどの力があれば、もっと生命力を増やす事も可能か……そうじゃの、手始めに外の連中を儂の糧にしてやろう」


 それを耳にして、女が救いようの無いクズなのだと改めて理解した。いや、クズなんて生易しいモノではない。命を奪う事がどういう事なのか。それは、死を最も恐れるあいつ自身が知っている筈では無いのか。もはや、女を殺すのに躊躇うことはない。むしろ、それで村人の命が救われるのなら万々歳だろう。


 いや、これは詭弁か。村の住人を殺害しようとしている、という意味で俺が女を貶める道理はない。これは俺個人の怒り。これは、何十年もの間、消さないよう必死に燃やしてきた憎悪による殺人だ。

 

 女が不老不死になれば、俺は呪縛から解放されるかもしれない。復讐なんて録な事にならない。分かっている。でも、止めたくないのだ。だってこれが、俺を俺たらしめた感情なのだから。


 復讐の第一段階。自身の認識を偽り魔法を騙す。

 己へ洗脳を掛ける。


 そう、あれは人間じゃない。魔に生きる魔物だ。

 俺の受けた命令は屋敷の清掃と――

 

 魔物退治。


「ア”ア”ァアァア”」


 必死に叫んだ。俺が叫ぶとき、それはいつだって呪縛の信号でも、己の意思でも無かった。魂が震撼して、それに体が応じるのだ。

 

 醜い魔物の顔面に、俺は拳を叩き込んだ。





「――」


 ムクリと女は起き上がるとニタリと笑い、こちらを見た。


「ひぇっへへへへ。お主、自我があったのか。ひひひ、残念じゃったのお。儂はもう不老不死の存在へと――」


「アアァアアアアアア”ア”」


 無我夢中で殴りかかるが、女が指をピンと弾くと、俺は吹き飛んだ。


「ふん、そればかりじゃな、つまらんわ。他に喋れんのか?」


 不快な声で。聞き取りにくい、しゃがれた声で女は言う。そして悠々とと、再びそこに座した。


 ――お前が、お前が! お前がァ! これしか喋れねぇ体にしたんだろうがァァッ!


「ふむ。やはり体は動くようになったの。あとは、これを完成させて、容姿を変える方法を――」


 こちらを物ともせず次の研究を考える魔物が余りにも憎くて。


「ア”ア”アアアア”ア”ァアァア」


「しつこいわッ! 儂は今機嫌がいい。害するようなら――」


「ア”ァア”ァア”」


「煩いのぉ……、せっかく殺さんでやっているものを」


 突然目の前に透明な障壁が出現し、俺の行く手を阻んだ。

 絶叫し障壁を殴り付けるが、ビクともしない。それどころか、声さえ女に届いていないようだった。遂には、殴り付ける拳から骨が溢れる。そしてやっと冷静さを取り戻す。


 ――違う、違うだろ。


 分かってた。様々な魔法、不老不死の力、知ってたよ。それでも、ここに来たのは勝機があったから。弱点を探れ。あるはずなんだ。あの不老不死の秘宝は未完成品だ。長い時間、女の魔力を浴び続けた俺だから分かる。魔力の流れを見ると。今現在、女は必死に魔法を駆使して秘宝が内側から破滅しようとしているのを阻止している。


 チャンスは、ある。


 障壁に向けて魔力を放出した。

 この障壁は魔法によって造られた物。ならば魔力で壊すことも出来る。


 パキンッ


 障壁がひび割れ、全力でそこを殴る。

 女の表情が、初めて揺らいだ。


「ヴオオオオ”オ”オ”!」


 女はサッと拳を避けると、手をこちらへ差し出した。

 そこから火炎が吹き荒れる。


 本来の魔女はこんなもんじゃない。


 ――舐めんなァッ!!


女は、その秘宝を必死に守っていた。両手両足を塞ぎながら戦っている様な物だ。だからこそ、複雑に魔力を組む必要がある、俺への命令を送れない。


 そんなにビー玉が大事か。なら、ぶっ壊してやるよッ!!


 女の呪縛が。祝福となって俺の体を動かした。火炎を回避し女の懐へ潜り込むと一撃を叩き込む。


「グバァ」


 女が醜い悲鳴を上げて転がる。

 

 ――痛いか? 痛いよなぁ!? 俺はの痛みこんなもんじゃなかったぞッ!?


「ア”アアァァァッ」


 もう一度殴ろうとするが。

 奇跡の上でなりたっていた俺の攻勢はそこで終わってしまう。


「やってくれたのォ、じゃが、もうぞ?」


 ドパァンッ


 突如、炸裂音が耳に届いたかと思うと、次に抗いようのない衝撃が体を駆け巡った。まさか、宝玉の崩壊を防ぎながらこれほどの魔法を? 魔女の名は伊達じゃないってか。


「随分と、やってくれたの」


 ドパァン


「痛いか?」


 ドパァン


「痛いじゃろう?」


 ドパァン


「楽にはさせんよ」


 ドパァン


「ひぇっへへへへ」

 

 何度も、何度も炸裂音が耳を反響し、共に女の喜色混じる笑い声が聞こえてくる。目がグルグルと回る。暫くして、自分が部屋の壁を、床を天井を、何度も何度も、執拗に叩き付けられていたのだと気付いた。


 ――ああ、俺は。


 勝てないのか。

 魂を汚され、怒りに燃え、反逆して。

 結局負けるのか。

 

「アアァアァアアアァアァア」


「それはもう聞き飽きたわい! 大分手間取ったが、新しい命令を与えてやるぞ――」


「ァァアアァアァアッ」


「お前は黙っておれ」


 瞬間。魔物を殺さなければならないという使命感駆られていた俺の意識が消え。全てが消失した。感情も、体も、何もかもが沈黙する。


 ――ああ、俺は、


 負けたのか。

 そう、負けたのだ。

 それを理解する意識も残ってはいないが。









「ギアアァアァアッ!」


 突如、部屋を揺らしたのは第三者の叫び。腐った声帯から呻き声を発するのは。


「な、なんなのじゃ、貴様らは!」


 もう一体のゾンビ。四号だった。


 第四のゾンビにも、実は意識があった。女の魔法に対しどう抗えば良いのか、初めは分からなかったが命令外に声を発する他のゾンビがいるのを見て、そして理解していたのだ。


 四号は押さえ込むようにして女にのし掛かると、手に握られる不老不死の秘宝を奪おうとした。


 カコン


 ビー玉が。禍々しい不老不死の秘宝が、手からこぼれ落ちて。


 カラララララ

 

 床を舐めるようにして、こちらへ転がってくる。

 しかし俺は動けずにいた。目の前にある玉を眺めながら、俺は指ひとつ動かせずに、まるで死体のように転がっていた。


「ガア”アアッ」


「いい加減にィ、しろォッ!」


 低く重い爆発音と共に、四号は天井へ跳ね上がると、爆散して肉片を晒した。


「ア”ドワ、ダオ、ン」


 そんな言葉を残して、四号は帰っていった。


 ――何を言ってたのかって? 


 俺は、ピクリとも動かない。意識も闇の中をさ迷っているかの様で、自我を消失した状態にあった。


 だが、四号の残した怒りが。悲しみが。意志が。沈黙する俺の魂にさざ波を立てた。


 その小さな揺れは、未だ消えずに燻る火種を刺激した。発火し燃え上がる。魔法に押し潰されていた心は、燃え盛る。


 体はピクリとも動かずに沈黙している。だが、魂は震撼していた。


 ――決まっているだろう。


 縛り付ける魔法を押し退けるようにして、俺の魔力が吹き荒れる。燃える心と共鳴するように、魔力もまた燃え上がった。


 ――後は、任せておけ。


 女は重りとなった体を引きずって不死の宝玉を手にすると、体を起こそうとし。


 襲いかかってくる俺の姿を見た。

 その目は恐怖に染まっていた。


「オ”オ”オオォォォォオッ」


 最後の一撃を――魂の拳を、女へと叩き込んだ。

 

 



 女は、殴られた瞬間に宝玉を手から落としていた。

 多分、不老不死でいられるのは、その宝玉に触れていられる間だけだったのだろう。殴られ、倒れた先にあった壁に頭をぶつけて死んでいた。


 そうなると俺は魔力の供給源を失い、ただの死体へと成り下がる。


 ――終わり、か。


 薄れ行く意識。


 ――虚しいもんだな。


 俺は終焉を受け入れ、静かにその時を待つ。

 その間、何を思ったのか。

 ふと、側にある不死の宝玉に触れた―― 

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