【8号車】虚構の国(その3)~「歌姫」

【12】

 もやし君が”しらゆりちゃん”こと白川ゆり子さんと知り合いになったあの日から、一週間が過ぎた。この間、しらゆりちゃんは彼の心をずっと占領し続けていた。それは儚い夢のようであったが、同時にまた、現実のぼんやりとした長い悪夢からようやく目を覚ましたかのような不思議な感覚を彼に与えた。彼は『荘子そうじ』にある「胡蝶こちょう ゆめ」という話を思い出すのだった。


 ……いつか私(荘周)は、夢の中で胡蝶になっていた。そのとき私は喜々として胡蝶そのものであった。ただ楽しいばかりで、心ゆくままに飛びまわっていた。そして自分が荘周であることに気づかなかった。

 ところが、突然目がさめてみると、まぎれもなく荘周そのものであった。

 いったい荘周が胡蝶の夢を見ていたのか、それとも胡蝶が荘周の夢を見ていたのか、私にはわからない。

                   ――「斉物論篇」(森三樹三郎 訳)――


「いつもの通りに行けば、一週間ぶりに彼女に会えることになる。」

 もやし君には、この一週間がいつも通りよりも長く感じられた。

 ところで、先週、初めて彼女と口をきくことができたものの、今日、彼女に会った時は一体何を話せばいいのだろう?――彼女が住む場所、好きな食べ物、趣味、学校のこと、友人について、彼氏はいるのか、家族構成など……。そう言えば、連絡先とかは交換していなかった。でもこれは、彼女の方から言い出したら、そうしよう。


 今日は5月の第一週目の土曜日、ゴールデンウィークの真っただ中である。もやし君が虹ヶ丘公園にやって来たのは午後1時を回った頃だった。彼はまず図書館の建物の裏にあるベンチに腰掛けた。公園の緑地の様子を見渡すと、そこはいつにも増して人々の姿が多く賑やかだった。家族連れで来ている人たちが多いようだ。

 ここから離れた場所にある公設休憩所のある河沿いの広い緑地では、何かのイベントでも開催されているのであろう、拡声器でアナウンスしている声がもやし君のいる所まで届いてきた。

 初夏の連休の、ある晴れた日の午後。都会のオアシスでレジャーシートを広げてはピクニックを楽しんでいる彼らの姿を独りベンチでぽつんとたたずんで眺めていると、彼は何だか急に矛盾を感じだした。


「そう言えば、ゴールデンウィーク中に自ら進んでわざわざこんな所に来るなんて、通常では有り得ないことだ。それにしても、しらゆりちゃん遅いよなあ。まだ来ないのかなあ。……」

 もやし君はベンチで、何だかそわそわとした落ち着かない気持ちで読書をしながら彼女がここに姿を現すのを待った。今日も本はアンデルセンの『絵のない絵本』であったが、今はどうしてか文章の内容がなかなか頭に入ってこない。ただ字面を追ってるだけで情景が湧いてこない。小一時間ほどこの場所に留まったが、しらゆりちゃんが姿を見せることはなかった。

 次に図書館の建物の中に入って自習室の方を覗いてみたものの、彼女の姿はここにもなかった。それから彼はカフェの方へと足を運んだ。テーブル席とカウンター席とあわせて40席ほどある店内は満席というわけではなかったが、しかしいつもよりは混んでいる様子だった。もやし君は店内の窓際に設けられたカウンター席に彼の座席を確保すると、次にレジカウンターのほうに向かった。


 現在、時刻は午後2時半あたりを指している。レジカウンターの横に設置してあるガラスケースにはケーキ類やフルーツパフェ、サンドイッチ、菓子パンなどの商品が陳列されていて、いつもならこの時間になると、陳列してある商品の半数ほどが売れているのであるが、今日は連休でいつになくお客さんが多かったためか、ガラスケースの中身は通常よりも少ないように思われた。もやし君はレジカウンターでブレンドコーヒーを注文し、それからガラスケースの手前に陳列されていた透明の袋に5~6個が入ったクッキーを購入した。

 彼は窓際のカウンター席に独りぽつんと座ってコーヒーブレイクしながら、ひとりもの思いにふけった。


「今日は、しらゆりちゃんはここには来ないのかな? 独りで居るのはいつものことだとはいえ、今日に限っては何だか寂しい気がする。通常ならゴールデンウィークの最中なんかに一人でこんな場所に来るはずなんてないのに、……何を期待していたのか、これは全くの不覚であった。……もしかすると、彼女も自分と同じ考えを持った人種なのかもしれない。もしそうだとしたら、彼女は今日はここには来ないな。」

 もやし君は、そのような結論に至った。すると、少しは気が楽になった。それでもやはり何だかもの足りない、何やらもの寂しい気分を払拭できるまでには至らなかった。――この気持ちは、なに?


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 ゴールデンウィークも終わった、次の週の土曜日。 


「いつもの通りに行けは、二週間ぶりに彼女に会えることになる。」

 もやし君には、この一週間がいつも通りよりもさらに長く感じられた。

 

 図書館の裏から、いつものベンチの方へと向かって行くと、今日は、そこにはすでに、しらゆりちゃんが座っているらしく、クリーム色のセーラー服の姿が見えた。

 ここで突然にして、もやし君には「果たして自分が彼女の隣に座っていいものかどうか?」という、ためらいの気持ちが起こった。彼女の前までやって来たところで、とりあえず、もやし君は彼女にあいさつをした。

「やあ、久しぶり。元気?」


 しらゆりちゃんはこの時、頭にヘッドホンを掛けて音楽を聴いている様子だった。彼女は外で音楽を聴く時はイヤホンではなくヘッドホン派のようだ。もしかしたら彼女は、芸術を趣味とする女の子なのかもしれない。それはさておき、彼女はもやし君の姿に気が付くと、指で合図して「自分の隣に座るように」と無言の指示を出した。 

 もやし君がしらゆりちゃんの隣に座ると、彼女はそこで頭に掛けていたヘッドホンを取り外し、そして彼にあいさつした。

「こんな恰好で、ごめんなさいね。二週間ぶりだね、ご無沙汰だね。もやし君、元気してた? あたしは、まあまあ元気だよ。」


 もやし君は、先週の件についてはおくびにも出さず、平然を装って彼女に答えた。

「そうだな、僕はほとんど10年ぶりくらいに君みたいな若い女の子とおしゃべりができて、あの日からの僕はいつになく元気になれたかもしれない。こんなご機嫌な気持ちは久しく感じることがなくて、お礼を述べたいくらいだよ。本当にありがとう。ところで、しらゆりちゃん、今、音楽聴いてたんだ。どんな曲聴いてんの?」


「聴きたい? そうね、……いいわよ。」

 彼女はそう言うと、鼻歌まじりに手に持っていたヘッドホンをスクールバッグの中にしまってしまった。

この彼女の不可解な行動に、もやし君は思わず吃驚びっくりした。

「あれれ? なんで、どうして!?」


 しらゆりちゃんは、もやし君に少し得意そうな微笑を返すと、このように言った。

「これでいいのよ。あたしがどんな曲を聴いていたか、それは、……あたしが歌って聴かせてあげたいの。」


 彼女は両手を胸に当てて深く息を吸い込んでから一瞬やや思いつめたような表情を見せると、小さな体から魂を振り絞るようにして歌い始めた。

「……抱きしめてー もう離さない~♪」


 ……抱きしめて もう離さない

   乙姫心(ハート)でキャッチ!


   青い海はかくしてるの 愛を待つとびらを

   噂は知ってるでしょう?

   えいえんの楽園


   あなたがいま選ばれたの

   逃げ出したりしないで

   甘酸っぱい夢をみましょう ふたりで


   人の世は(すぐにすぐに)変わるけど

   私の願いは(変わらないわ)

   うず潮よりはげしく あなた揺さぶりたいの


   むかしのむかしの物語 伝説の宮殿で

   恋した恋した殿方

   ああ還らない(さだめなのよ)

   こよいのこよいの物語 伝説がよみがえる

   恋する恋するはずだわ

   そうよ あなたが来てくれた

   なにもかも忘れて ゆらゆら踊りましょう


    ――lily white「乙姫心で恋宮殿(おとひめはーとでらぶきゅうでん)」――

                (作詞:畑 亜貴 作曲・編曲:三浦誠司)


 しらゆりちゃんが歌い終わるまでの間、――それは物理的時間概念では100秒弱の短い時間であったが――もやし君は彼女の傍らで、彼女が歌っている姿をただ茫然として見つめながら、その歌に聴き入っていた。彼女の歌声は、生命の力がほとばしるような、みずみずしい感動を彼にもたらした。

 また、しらゆりちゃんの歌声に惹きつけられたのは、もやし君だけに限らず、彼らの前を通行していく人たちの中には、足を止めて彼女の美声に聴き入る者もいた。

 彼女が歌い終わると、通行人の一人――見た感じでは女子大生のようであった――は彼女に小さな拍手を贈って「あなた、とてもステキね。感動したわ」と声をかけてから去って行った。しらゆりちゃんも「ありがとうございます」と笑顔で返した。


 もやし君がしらゆりちゃんの歌を聴いたことによって彼の感覚器官を通じて彼が何らかの刺激を受けた。――この点ついては物理学、生物学、脳科学などのアプローチから説明がつくだろう。しかし彼女の歌声には「永遠なる生命」とでも言うべき何か神性のようなものが宿っていて、そこに認められた魔訶不思議な力――これついては哲学的に開明していくことは可能だとしても、科学的に解明できてしまうような類のものではないだろう。これはまさしく神秘の力だ! 彼は思わずそんなことを考えてしまった。「おお、これは何というアメイジング・パワー。」


 もやし君は、しらゆりちゃんの生歌に素直に感銘を受けたようで、やや興奮気味になって彼女に語りかけた。

「それ、僕の大好きな曲だよ! でもこの曲は結局、ライブで演じられることがなかったんだ。それを今日になってまさか君が生の歌で聴かせてくれるなんて! しかも超絶上手いし! でもなんで君がこの歌を? しらゆりちゃんはもしかして、理力フォース暗黒面ダークサイドとか使える人なんですか?」


「ナニソレ? イミワカンナイですよ。もやし君はこの曲について『オレの無邪気の楽園がよみがえる』とか言って、これまで記事の中にも何度か登場してきたじゃないですか。たしか3か月くらい前の記事にも『ライブで結局この曲やってくれなかったから、オレが一人カラオケで歌ってやったぜ。だけどプロの歌唱力には、はるか遠く及ばないぜ(泣)』なんて嘆いていたから、ゴールデンウィークの間にこの曲を自分のものに出来るよう練習してみたの。そして今日ここで、あたしが、もやし君の無念を晴らしてあげたわ。感謝しなさい。」


「ああ、そうだったのか。そうだったんだ! 先週のことを思うと、……これで感動もひとしおだよ!」

「ん? 何のこと?」

「いや、何でもない、こっちのこと。とにかく、わざわざ、ありがとうございます。心から感謝します。……それにしても、すごいね。しらゆりちゃんは、歌声で僕だけじゃなくて全く見も知らない人までも惹き止めてしまえる子なんだね。これは黒魔術ではなくて白魔術の方だね。それにしても、……君の歌声には、お世辞抜きに本当に心を奪われてしまった。」

「いいえ、それほどでも。」

 しらゆりちゃんは、やや頬を赤らめて照れ臭そうにしながらも、彼女の眼は自信に満ちていて、何かをやり切ったような充実した表情をしていた。


「そうだ! あたし、何か冷たいものが欲しいわ。もやし君、今日はおごってよ。」

「そう言えば、この前の約束があったね。今日は大変に感動的なエモいものを見せてもらったし、そんなのお安い御用だよ。これからカフェの方に行ってみないか?」

「うん、いくいく。やったあ!」

 しらゆりちゃんは両手をあげて、無邪気に喜んでいるようだった。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「早く! こっち、こっち!」

「この歳になって現役の女子高生と直に手をつなげる時が来るなんて、夢にも思わなかったよ。」

「そうなんだ。よかったねー。」 


 図書館の裏にあるベンチから、ほとんど彼女に引っ張られるようにして、もやし君はしらゆりちゃんと一緒に図書館の正面玄関のすぐ左横にあるカフェの入口のところまでやって来た。

 双方の出入口は建物の3階部分(図書館のフロア案内では1F)に位置している。なお、この図書館の建物の1階と2階のフロアは、見た感じでは通常の建築より天井が低めのように思われた。

 

 出入口の前にある据え置き型の店舗の看板が目に留まった。「Café 星の木」

看板に明示されたコーヒーのブランドはUCCであった。

 

 ところで、この図書館の建物は著名な建築家によって設計されたもので、ずいぶんと個性的な外観を呈していることは先にも述べたとおりである。

 ここで図書館の建物内に入居しているカフェ「星の木」の位置の詳細と店内の様子などについて、改めて解説しておこう。


 カフェの出入口は図書館の建物左端部の歩道橋が出ている付近――さらに言えば、直線部分の下半分が欠けた「P」の文字のような建物の、ちょうど直線部分の中央部に位置するあたりの場所――にあった。


 すでに築40年以上を経た建物であったが、板張りの床と白塗りの天井、窓側は全面ガラス張り、店内の内装は白と木目調で統一感のあるシンプルなもので、すっきりと落ち着いた雰囲気があった。BGMにはボサノヴァ風の曲が好んで使われていた。「図書館のカフェ」という性格もあるものと思われるが、街の喧騒からは少し距離を置いた静けさが彼には好ましく思えるのだった。

 このカフェの間取りについては、大雑把に言うと扇形のような形をしていて、図書館の建築物の外観の一部を構成しているカフェの外側の面、つまり窓側は、扇形の弧に波を付けたようなカーブを描いており、波打つような曲線状となった外側の二面は(先にも述べたが)全面ガラス張りとなっていた。この建物の設計者はこの曲線の形状を「モンローカーブ」と命名したという。これはアメリカの往年の大女優であり、かつまた1950年代で最も人気のあるセックスシンボルの一人でもあったマリリン・モンローのセクシーな体型に由来するのだそうだ。

 ここで全くの余談なのであるが、窓側の波状になった場所をよく見てみると、ガラス張りの壁面は縦長の板状のガラスを複数枚使って階段状に並べて合わせていくことによって建物の曲線に対応させているようだった。もやし君はここでなぜか「微分積分」という文系人間には難解そうな四字熟語(?)を連想した。

 店内の座席数はテーブル席が30席くらいあって、それと窓側の一部にカウンター席が10席ほど設けられてあった。カウンター席はカフェの出入口からほど近い場所に位置しており、ここの席から見える景色は文学館の棟と対面することになるのだが、そこからさらに窓側に沿っていくと、図書館と二の丸跡広場の間に架かる歩道橋を手前に眺めつつ市役所のビルディングが現れ、次には公園から市街地へと続くパノラマが開けてくる。こっちの方の窓側の場所は円卓のテーブル席となっていて、そこからは公園の緑地や川の対岸にある市街地とその背後にそびえる緑の小高い山々などの景色を眺望することができた。それは特に何の変哲もない月並みな美ではあったが、それでも、見る者の心を和ませるには十分の美観であった。


 しらゆりちゃんともやし君が入店した時刻は午後1時半前だっただろうか。すでにランチタイムは事実上終了となったらしく、お客さんもまばらとなって店内は閑散としていた(ゴールデンウィークの先週に来た時とは大きな違いだ!)。二人はレジで注文と会計を済ませると、窓側に近い円形のテーブル席に着いた。彼女はアップルパイと紅茶を注文し、彼は焼リンゴとコーヒーを注文した。今は初夏の好時節。窓越しに広がる景色の見晴らしが、今日はいつになく大変に素晴らしい。

 

「今日は静かでなかなかいい感じだね。やっぱり、こういうのが落ち着けるな。これまで、この店で君の姿は何度となく見かけたことがあったけど、今こうやって二人で一緒にいると、何だかとても不思議な気持ちがするよ。」

「ふふ、そうね。あたしは1年生の2学期の時からこのお店でランチにしたり、ティータイムにしたりするようになったの。ここは一人でも落ち着けて、ぽけーっとできるし、いい穴場を発見したものだと思ったわ。」

「そうだね。それはそうと、ぽけーっと、か。それはすなわちエポケー。なるほど。もしかして、これは〈判断停止〉を暗黙に意味しているのかな? 哲学だね。」

「またまた、ナニソレ? イミワカンナイですよ。だけど、思考停止しないでさらに思考を煮詰めて行った先にある境地が判断停止、そういうことだったよね?」

「へえー、しらゆりちゃん、まだ高校生の身空みそらだというのに、そんなことよく知ってるね。すごいね。」

「それは、もやし君の記事で見たことがあるわ。」

「ああ、そうか。それは、どうも。」

「もやし先生は、思考停止のレベルで出会った絶対者というのは独裁者やインチキ教祖であって、しかし判断停止のレベルで出会った絶対者は、それはきっと神とでも呼べる崇高な聖なる存在者に違いない、とか語っておられましたよ。」

「そう言えば、そんなことも書いたような気がするな。その主張は今も曲げるつもりは全くないんだけど、君はそこまで読んでくれてたんだ。嬉しいよ。ありがとう。

 それにしても、この店には焼リンゴなんてのがメニューにあって、これはこの店のいいところだよね。ここの焼リンゴはアイスクリームとホイップクリームが乗って、なかなかモダンなスタイルをして、赤い服を着てマフラーを巻いた雪ダルマみたいな愛嬌のある姿をしているね。それにしても、カフェで焼リンゴか。……」


 そうつぶやくと、芥川龍之介の『或阿呆の一生』という作品のとある一節が、ふともやし君の脳裏をよぎった。


 ……彼は或カッフェの隅に彼の友だちと話していた。彼の友だちは焼林檎やきりんごを食い、この頃の寒さの話などをした。彼はこう云う話の中に急に矛盾を感じ出した。

「君はまだ独身だったね」

「いや、もう来月結婚する」

 彼は思わず黙ってしまった。カッフェの壁にめこんだ鏡は無数の彼自身を映していた。冷えびえと、何かおびやかすように。……

                  ――芥川龍之介『或阿呆の一生』より――


『冷えびえと、何かおびやかすように。……』――この心情は、もやし君にも身に覚えのあるように思われた。というよりも、これは、かつて彼が身につまされるような思いで読んだことのある一節でもあった。


 これまでにもやし君は彼なりにいろいろと苦悩の過程を経て、その度に何とか折り合いを付けながら彼の暗黒や灰色の時代を何とかして通り抜けてきたのだった。そしてそのさらに先の領域へと自己を押し進めたところまでやって来て、そうやって現在いまへと至るのであった。

 過去の一時期には、自ら命を絶とうとさえ真剣に思い詰めていた、そんなもやし君ではあったが、しかし何とも不思議なことに、人生の失敗者となり、すっかりおっさんと化した今頃になってから、ほのぼのとした自由で平和な世界が彼のもとへと立ち現れて来て、そして今度は、これはいったい何ということだろう。彼に慰安と励ましさえも与えてくれているではないか!

 そうして、彼はこのように思うのであった――「歓喜は苦悩よりも深い。」

 

 もやし君は、しみじみとした何やら感慨深そうな思いで焼リンゴを見つめていた。そして、しらゆりちゃんのアップルパイの方を見ると、彼女に話しかけた。


「そう言えば、そのアップルパイを見て思い出したけど、尾崎 みどりの『アップルパイの午後』という作品があってだね……しらゆりちゃん、知ってる?」

「知らないわ。……おざきみどり。素敵な名前ね。題名は曲のタイトルとか?」

「そう言われると、それっぽい感じもするね。だけどこれは大正時代の文学作品で、短編の戯曲で、みどりさんはその作者で小説家なんだ。」 

「へえー、そうなんだ。それでどんなお話なの?」

「詳しい内容はもう忘れてしまったけど、大まかに言うと、あれは、えーと、何だったけな、恋に不器用そうな文学少女が主人公の、どこかぎこちない感じがするような恋のお話だったかな。これはストーリーの面白さよりも文章から湧き上がるイメージを楽しんだり、滲み出る雰囲気を味わうような、そんな内容だったと思うけど、そのへんが文芸というか文学的なのかな。」


 しらゆりちゃんは、もやし君の大雑把な説明を聞くと、微笑みながら言った。

「あたし、何だか、その子とお友達になれそうな気がするわ。」

「歌姫の少女と文学少女だと、お互いに刺激し合えていいかもしれないね。」

「そうね。もやし君がもっと若かったら、もやし君の彼女になりたかったな。」

「えっ!? それって何だか複雑だよなあ。……だけど嬉しいこと言ってくれるじゃないか。僕も君みたいなガールフレンドと付き合いたかった人生だったよ。この世に生まれるのが早すぎたのかな。……残念だよ。」


 もやし君はここで、嬉しいような照れ臭いような、それでいて寂しいような悲しいような、どちらともつかない複雑な気持ちになりながらも、さらに話を続けた。


「ああ、そうだ。みどりさんは日本文学史に名を残した小説家ではあったけど、伝記によれば、彼女はたしか七十歳すぎくらいまで生きて、生涯独身だったらしい。文壇では、いよいよこれからという時になって精神的な病のために引退を余儀なくされたそうで、また恋愛についても、どちらかと言うと、不遇な生涯を送ることになった人だったみたいだね。」

「そうなの。きっと、みどりさんも、この世に生まれるのが早すぎたんだね。……」


 こうして、しらゆりちゃんと会話を交わしている最中さなかに、もやし君の脳裏には、突如として、ふと、ある考えがひらめいた。


「今、自分はこうやって平和な楽しい充実した時間を過ごすことが出来ている。しかしこれは束の間の安息であって、これからの将来、自分はさらに齢をとって、将来の家のことや生計のことなどについて考えると、これからの将来、またさらなる困難や試練が待ち受けているのかもしれない。……」


 それは大変にぼんやりしたものではあったが、ここで気の重たくなるような憂うつな考えが彼の気分を支配しようとしていた。――するとその時、


        ……Shira Yuki姫はじめ

           ほらリンゴは食べごろだよ

            噛めば 愛の血が満ちる

     

        ……Shira Yuki姫まじめ

           もしオトコを感じたら

            心にまで ズーム・イン

               

             ――森川美穂「姫様ひいさまズーム・イン」――

                 (作詞:ちあき哲也 作曲:小森田 実)


 もやし君がしらゆりちゃんとの席で、彼女を前にしてぼんやりともの思いに沈みかけていると、彼女が突如としてこんな歌を歌い始めた。それが耳に入ってきて、彼は思わず「はっ」と我に返った。 


「早く食べないと。アイスクリームが溶けちゃいますよ!」

「ああ、そうだった。それにしても、これはまたずいぶんと懐かしい歌だね。そんな曲どこで覚えたの?」

「もやし君をに連れ戻そうと思って、……まあ、そのことは置いといて、あたしのパパはどうも子供の頃からアイドルオタクだったらしくて、パパの趣味で、うちには昭和アイドル歌謡のレコードがいっぱいあるの。それでこのレコードも持ってて、小さい頃にはよく聴かされたものだったわ。」

「へえー、そうなのかー。君は僕の記事を通じて、僕のことについてはもうそれなりに知っているとは思うけど、そう言えば、僕は君のことをほとんど知らないんだった。ところで、しらゆり姫さんは、もうオトコを感じたことはあるのかい?」


 しらゆりちゃんは頬をかすかに紅潮させて即答した。

「ありませんッ!」


 二人でそんなやりとりを交わしているうちに、もやし君はしらゆりちゃんとの談話を通じて、彼女のプロフィールついて、いくらか知ることとなった。


・彼女が通う「坂ノ浦トラピスチヌ女学院」はミッション系の中高一貫の私立校で、

 地元ではお嬢様系の名門進学校として知られている。

・家ではママの家系が敬虔なクリスチャンで、またママが”トラ女”の卒業生で、幼少

 の頃からその学校に進学するように思想教育をされてきたそうだ。

・部活動は特にやっていないが、学園に附属する教会の聖歌隊に所属している。


・小学校時代に仲のよかった友だちはみんな公立の中学に行ってしまった。

・いじめには遭ってはいないが、親友と呼べるような友だちは学校にはいない。

・ミッション系の私立の名門進学校だからなのか、自由な校風とうたいながらも何かと

 厳粛であったり、あの雰囲気にはどうも馴染めそうにない。


・両親は結ヶ咲地区の隣にある坂ノ浦地区でホテルや料亭を経営していて、

 彼女はいわゆる社長令嬢。

・二つ下の弟がいて、今年高1になった。また弟は姉よりもはるかに秀才で、

 この地域でトップの公立の進学校に通っている。

・ママは幼い頃に太田裕美に憧れて、若い頃は歌手を目指していたそうだ。

・なお、パパと弟はかなりの鉄道オタクなのだそうだ。


 こんな話をしている間に、しらゆりちゃんはアップルパイについても語った。

「あたしはアップルパイが好きなの。ママが焼いてくれたのが一番好きなんだけど、ママも忙しい人だから、なかなか作ってくれないわ。ここのはリンゴが少し気がするけど、でもこれは好みの問題ね。むしろ、このお店は値段と量と味のバランスがいい感じに釣り合ってるのが良心的で魅力的だと思うわ。」


 彼女はそう言いながら、6号(直径18cm)を6等分にカットしたサイズのアップルパイをナイフとフォークを使って先端から縁側の方に向けて食べていった。

 アップルパイの傍らにはホイップクリームもひと絞りほど添えられてあった。彼女はパイの最後に残ったふちの部分をクリームを塗りつけながら食べた。それまでホイップクリームの方には全く手を付けていなかった。


 もやし君は、しらゆりちゃんのアップルパイの作法に対して興味を示した。

「アップルパイに添えてある生クリームには、そういった食べ方もあるんだね。」

 すると、彼女は答えた。

「こうして食べると、アップルパイに添えてある生クリームの存在理由というのは、きっとそういうことなのよ。」 

「それはつまり、生クリームをどこで、あるいはどのタイミングで発動させるかで、生クリームの存在の意味も変わってくる。――そういうことなのかな?」

 すると、彼女はクスクスと笑いながら答えた。

「たぶん、そういうことかもしれないわね。もやし君らしいツッコミだね。昔の洋楽にも〈天の下で、その目的にとってちょうどよい時がある〉と歌ってた曲があったかな。この考えはあたしも素敵なことだと思うわ。それで話は変わるけど、焼リンゴの食べ方にもコツがあって、リンゴの下に敷いてあるアルミホイルにはリンゴの果汁が水溜まりみたいになってて、アルミホイルを破らないようにして食べるんだよ。その果汁を紅茶に入れるとシナモンアップルティーになるよ。」

「うーん、そうだったのか。それは今まで気づかなかった。これは面白そうだ。今度やってみよう。」

「うんうん、そうしてみて。」


 そう言うと、しらゆりちゃんはハンカチを取り出して口辺を拭こうとした。そこでもやし君は性急な調子になって彼女にこう言った。

「そのまま。なんて惜しいことをするんです。甘いほどいんだ。」

 彼の突拍子もない言動に、しらゆりちゃんの動作は一瞬停止して、きょとんとした顔になっていったん彼の方を見たものの、我に返ると動作を再開して、それからハンカチで口を押さえつつクスクスと笑って返答した。

「一瞬、何のことかと思ったけど、あはは。今のちょっとウケたかも。だけど、そんなセリフどこで覚えたの?」

「あっ、そう? ウケたんなら、まあ、いいかな。これは実はだね、さっき話した『アップルパイの午後』のラストのシーンに、こういうセリフがあって、……」

「へえー、そうなんだ。だけどそれって、もしかして甘い甘い恋のお話に出てきそうなセリフじゃなくて? だけどそうね、みどりさんの書く文章って、きっと甘くて美味しそうな気がするわ。」


 カフェでは二人はすっかり打ち解けた雰囲気になって、抽象的な恋愛談義から始まって、この日は色々と会話を交わすことができた。なお、しらゆりちゃんの恋愛遍歴については「彼氏いない歴=年齢」で、今は芸大受験もあって、また自らの芸術活動に専念したいという理由により、恋人は現在募集していないとのことだった。

「高校を卒業したら芸大に進学して声楽を専攻したいの」と、彼女は近い将来の夢を嬉しそうに語った。

 その中で、次回は緑地の方に行って、あのけやきの木陰で歌ってみるのも良いかもしれない、風流かも知れない。そういった話にもなった。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、彼らは結局、追加オーダーなどをしては閉店の時間となる夕方の5時半まで店内に居座って、お互いお喋りに興じていた。

 二人が本日の最後の客となってこの店を出ると、二人は図書館の建物の正面側の方へと歩いた。この建物の正面側から表通りとなる幹線道路までは緩くて長い、広めの棚板を連ねたような階段でつながっていたのは前にも述べたとおりである。ここからは道路を隔てた向かい側にある日本の伝統美とも言える城の建築と、さらにその背後に黄色、赤、茶色と並ぶカラフルな塗装を施した近代的なデザインのビルディングの建築などを見渡すことができた。


 二人で階段を歩いている途中、もやし君はしらゆりちゃんに尋ねた。

「今日は君のことをいろいろと知ることができて楽しかったよ。それでまた聞きたいんだけど、君の住んでいる坂ノ浦って、どんな街なの?」

「うーん、そうねえ。あたしの家がある坂ノ浦は、この公園に一番近い西結ヶ咲駅から電車で15分くらいの場所にあるの。港町で、なかなかいい所よ。レトロな街並みを観光資源にして、この周辺の地域では一番の観光スポットにもなってるわ。」

「へえー、観光地なんだ。……そうか、観光地なんだ。」

 もやし君は我覚えずして先週のゴールデンウィークのことを思い出してしまった。


 表通りまで来ると、二人は来週も会う約束をした。しらゆりちゃんは西結ヶ咲駅のある方へと歩き、もやし君は結ヶ咲駅のある方、すなわち彼女とは反対の方角となる繁華街の方へと歩いた。

 本日の二人の別れ際になった時、もやし君は彼女に言った。

「今日は本当に感動的なサンライズ、もといサプライズをありがとう。僕は心の底から嬉しかったよ。セツナ・F・セイエイいわく『俺がガンダムだ!』 そして、白川ゆり子くん。君がリリーホワイトだ!」

「また何をわけの分からないこと言ってるの? イミワカンナイですよ? だけど、今度はもっとあたしの歌を聴いてほしいわ。……そうね、今日はあたしがもやし君を見送ってあげる。それじゃあ、またね。バイバイ。」

「これは僕なりの褒め言葉なんだが、ところで『機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』って知ってる? ……まあ、そんなことはどうでもいいか。僕もまた君の歌が聴けるのを楽しみにして待ってます。またね。バイバイ。」


 二人はそう言って、お互いに小さく手を振ると、もやし君は繁華街の方に向かって歩きだした。数メートルほど歩いたのちに一度、しらゆりちゃんの方に振り向くと、今度は両手を大きく振った。すると彼女の方も同じ動作を彼に返した。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 そして次の週。しらゆりちゃんは、いつもの場所にいつもの制服姿で、どういうわけかアコースティックギターを携えて現れた。彼女のこのような登場に、もやし君は一旦驚きはしたものの、しかし彼女にとっては、これは奇をてらったわけでも何でもなく、ただ普通に全く自然なことが起こっているのだと思われた。


 しらゆりちゃんは「あたし、こういうのがやりたかったの」と言って、もやし君にスマホの画面を差し出した。そこにはメリー・ホプキンという昔のイギリスの歌手の「悲しき天使」(邦題)というEPレコードのジャケット写真の画像が出ていた。

 写真には、背後に木々の立ち並んだ芝生の広場に、赤いミニのワンピースの服装で金髪のロングヘア―の若い女性が乙女座りでフォークギターを抱いて弾いている姿があった。


「これはもしかして、しらゆりちゃんの理想郷のイメージなのかな?」

 もやし君は、そんなことを考えた。


 図書館の裏に広がる緑地のけやきの木陰で、もやし君を第一号もしくはサクラの観客にして、しらゆりちゃんは彼女の歌と演奏を披露した。今日も青空、初夏の好時節。土曜日の晴れた午後のひとときに、小さなソロコンサートが予告もなく開催された。つまり、いわゆるゲリラライブ。

 彼女は高校3年生で、いわゆる今どきの娘ではあったが、これは両親の影響によるものなのか、太田裕美の「赤いハイヒール」「南風-SOUTH WIND-」、米米CLUBの「浪漫飛行」、メリー・ホプキンの「ケ・セラ・セラ」といった昔の歌謡曲や洋楽も知っていて、この場で披露してくれた。


 しらゆりちゃんはこの場で軽いトークみたいなことも行った。彼女の話によれば、「ケ・セラ・セラ (Que Sera, Sera)」は、ドリス・デイの1956年の楽曲で、メリー・ホプキンによるカバー曲が日本で発売されたのは1970年。しらゆりちゃんの思いとしては、この曲については原曲よりもメリーさんのカバー版の方に親しみがあって、幼い頃に家にあったCDで聴いたメリーさんの美声に憧れて、それと同時にギターも習いだしたという。彼女はメリー・ホプキンを大変に慕っているようだ。


 ギターの弾き語りをして、歌うたう歌姫の清澄にしてしなやか歌声は、何だか懐かしく温かい感情、あるいは切なさで胸が熱くなるような想いなどを、もやし君に呼び覚ました。それは聴いていて、単に心地よいだけではなかった。時には繊細にして、時には力強くもあり、彼女独自のダイナミズムを生成していた。

 彼女の歌声には何やら魂が宿っていて、そしてそれは生命の息吹となって、もやし君の心を和ませ、元気づけ、彼に安息と慰藉いしゃのひとときを与えたのであった。


――彼女の小さな体からみなぎる歌声とかき鳴らすギターの音色は、あたかも皐月さつきの薫風に乗って、あたりを生命の力で満たしているかのように思えた。そこは五月病などとは全く縁のない、爽やかで清涼な空間であった。歌声のみならず、彼女の表情や仕草、それらのひとつひとつが発現されるその瞬間、瞬間の中に、あたかも生命愛好家バイオフィリアの姿を垣間見たようでもあった。

 しらゆりちゃんは讃美歌である「天使のパン(パニス・アンジェリクス)」をフォーク調にアレンジして、最後にその曲を歌い上げると、両手を組んでは神に祈りを捧げた。なるほど、彼女は敬虔けいけんなクリスチャンなのであった。

 

 遊歩道を通行していた人々のうち何人かは、この何やら得体の知れない不思議な力に引き付けれたかのようにその場で立ち止まり、また緑地でくつろいだり活動していた人たちの数名ほどが、ふと耳に入ってきた歌声に導かれるようにして彼女の周辺までやって来た。

 しらゆりちゃんが最後の曲を歌い終えてから神に祈りを捧げると、即興の小さな饗宴に集まった小さな観衆も彼女と一緒に神に祈りを捧げ、祈りを終えるとパチパチパチとささやかな拍手が起こった。しらゆりちゃんはまんざらでもない様子で、彼女の周りに集まった数名の人たちにペコリとお辞儀をして「またよかったら聴きに来てくださいねー♪」 

 そう言いながら周囲に手を振ると、即興の小さな観衆に別れを告げた。


 5月中旬から6月の下旬にかけて、しらゆりちゃんの主宰する気まぐれの、もとい即興のささやかな野外ライブは、梅雨前線が本格的に活発化するまでの間に5回ほど開催された。彼女は1回のライブにつき5曲を披露した。1回の上演時間については30分ほどであった。1曲のみではあったものの、アンコールにも気前よく応じた。また彼女はこの場で、特にメリー・ホプキンの曲を弾き語りをやりたかったらしく、「夢みる港」「ヘリテッジ」「ロンドン通り」「ターン・ターン・ターン(Turn! Turn! Turn!)」などの楽曲を1回のライブごとにそれぞれ1曲ずつ披露するスタイルをとった。その一方で、讃美歌の「天使のパン」(白川ゆり子版)については、これは毎回の定番曲となって、またトリの曲として歌われた。ちなみにホプキンの「Turn! Turn! Turn!」はカバー曲で、原曲はアメリカ合衆国のピート・シーガー(1960年代に起こった世界的なフォークソング・ブームの仕掛人となったのがこの人だったらしい)によるものである。

 さて、しらゆりちゃんの軽快にして快活な弾き語りの姿を何度か見ているうちに、彼女はどうやら素朴で土着的な音楽が好みのようで、また彼女の音楽性というのは、ここで見てきた限りでは基本的に「フォークソングでラブ&ピース」の世界観を志向しているようだ。――もやし君はそのように推測するのだった。

 彼女の野外ライブは、もやし君をサクラに従えさせてはいたが、やがては飼い主と一緒に散歩している犬や、彼女がたたずけやきこずえで羽を休めている小鳥の小隊たちなども含めて、数人、数匹、数羽の聴衆たちに恵まれたのだった。


「大きな会場の広いステージに立って、たくさんの声援に囲まれながらペンライトの光の海を眺望するような、――出演者の立場からすれば、そうした盛大にして活況な状態にあるのが魅力的なライブというもので、つまりそういうことなのだろうか? しかしながら、しらゆりちゃんが胸中に抱いている理想郷というのは、もしかすると実は『まき場の小さな音楽会』みたいなところにあるのかも知れない。言うなれば、小国しょうこく 寡民かみんのユートピア。……」

 もやし君は、こんなことを考えては『老子』第八十章のくだりを思い出した。


            「小国しょうこく 寡民かみん」(ユートピア)

 【書き下し文】

 ……小国寡民。什伯じゅうはくの器有るもしかも用いざらしめ、民をして死をかたんじんてしかして遠くうつらざらしめば、舟輿しゅうよ有りといへども、これに乗る所無く、甲兵有りと雖も、これをつらぬる所無からん。

 人をして復た縄を結んでしかして之を用いしめ、其の食をうましとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しましめば、隣国相い望み、鶏犬の声相い聞こゆるも、民は老死に至るまで、相い往来せざらん。


 【現代語訳】

 ……小さな国で、人民も少ないところ。いろいろたくさんの便利な道具があっても、それを使わないようにさせ、人民が自分の生命をたいせつにして、遠方の土地に移動することのないようにさせたなら、舟や車があったところで、それに乗るときがなく、よろいや武器があったところでそれを見せびらかすときがなかろう。

 人びとがむかしにかえってまた縄を結んでそれを文字の代わりにし、自分の食べるものをうまいと思い、自分の着物をりっぱだと思い、自分の住まいに落ちついて、自分の習慣を楽しむようにさせたなら、隣の国は向こうに見えていて、その鶏や犬のなき声も聞こえてくるような状況でありながら、人民は老いて死ぬまでたがいに往来することもないであろう。

               ――『老子』金谷 治(講談社学術文庫)より――


 『老子』第八十章で説かれている理想郷というのは、本書の解説によれば富国強兵の大国主義とは真逆の方向にある素朴な原始共同体をモデルとしているようだ。

 坂ノ浦と結ヶ咲の隣接する両都市を毎週のように往来しているしらゆりちゃんの抱く「小国寡民」の思想は、『老子』の内容とは相容れない部分も多少はあるものの、お互いが見つめている地平というのは、きっと同じ場所を目指しているのだろう。


 老子は、中国の春秋時代(紀元前771年~紀元前5世紀)における哲学者である。

 書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりしているという。諸子百家しょしひゃっかにある道家は彼の思想を基礎とするものであり、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。

 また「諸子百家」とは、中国の春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)の間に現れた学者・学派の総称である。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派を指す。

                      ――参考:「Wikipedia」より――


 中国の春秋戦国時代というのは、度重なる戦乱により国土は荒廃し、民衆の生活はすっかり疲弊しきっていた。そういうことらしい。そんな中で諸子百家の思想家たちは、人々が平和に幸せに暮らせるような世の中になるにはどうすればよいのかを真剣に考え、人間や社会のあるべき姿、君主や政治の理想像などを世に説いたのだった。

 ちなみに『老子道徳経』では、前半の箇所で世界成立の根本原理とされる「タオ」について説き、後半では主に徳を備えた人物像、すなわち「道」を体得した人物について説かれている。

 

 『老子』に関する話はこれくらいにしておいて、しらゆりちゃんの歌というのは、なるほど諸子百家の学者や思想家たちのように高邁にして深遠な思想を説いたりするものではなかったが、しかし彼女の歌声には、聴く者たちを愛と平和と調和の精神に則った「ラブ&ピース道」へといざなってはうながしを与えるような、何だか名状しがたい不思議な力が働いているような、ある種の手ごたえらしきものが十分に感じられた。

 そしてそれはまた、『老子』の思想と趣旨を同じくする性質のものだろう。


 それはさておき、もやし君は、しらゆりちゃんのこのような姿を何度か目の当たりにしているうちに、彼は彼女に対して、次第に畏敬の念にも似た感情を抱くようになっていき、やがては次のような確信に至ったのであった。


「自分みたいなこんな中年の小汚いおっさんに対して彼女自らが話しかけてきた時点で、すでに彼女から放たれる”ただ者ではない感”のオーラはハンパでなかったのではあるが、……もしかすると自分は、とてつもなくとんでもない、いとやんごとなき、尊いお方であらせまつる大天使とめぐり会ってしまったのかもしれない。

 彼女は迷える衆生の教化と啓蒙、そして伝導によって人びとに福音をもたらすことを使命とし、このけがれた浮世に堕天しては、女子高生の姿に身をやつして和光同塵わこうどうじんの修行に日々精進を積まれている聖なる高貴なお方なのだ。

 したがって、彼女のことは、これはきっと性的な目では見てはいけない神聖な対象なのであって、彼女に対しては聖なる存在として接しなければ、おそらくきっと天罰が下されるに違いない。……」


 その一方、今回のことは、しらゆりちゃんにとっては、彼女自身の歌に対する自信につながったらしく、「このあたしも、ついにソロデビューを果たしたのよ!」などと言っては無邪気に喜んでいた。そして彼女は、もやし君に対して、このように語るのだった。


「あたし、学校や教会や街の公会堂とかで聖歌隊のメンバーたちと一緒にステージに立って歌うことは珍しくなくて、歌唱コンクールで優勝とかもしたことがあるけど、これはあくまでメンバーの一員としての話。

 公園で即興のパフォーマンスを一人でやったりしたのは、実は、もやし君と会ってからが初めてなんだ。あたしはもともと、もやし君の記事の読者として、もやし君のファンではあったんだけど、もやし君と知り合いになった日に、何だか突然、あたしでよければ、あの曲を是非、もやし君に歌ってあげたい。そう思ったの。……これは自分でもまったく不思議なことなんだけど、結果的に、あたしの歌を楽しんでくれる人たちがいて、そして自分にとってもためになる経験が増えてよかったわ。

 ここで歌っていた時、何だか、あたしの中でずっと抱いてた理想の姿がはっきりと見えたような気がしたの。どうしてこうなったのか、あたしにもよく分からないんだけど、とにかく、あたしの夢を手伝ってくれてありがとう!」


 もやし君は、しらゆりちゃんのためを思って何をしたというわけでもないのだが、ここでなぜか彼女から感謝されることになって、これはもやし君にとっては全く意外なことだった。

「飲み放題 セット料金 60分 5,000円」みたいなキャバクラ的な条件とかは無しで、ほとんどタダ同然でこんなに可愛らしい女の子と(それは全くプラトニックな性質のものであったが、しかしそれがゆえに、かえって)美しい至福ともいえるようなひとときを過ごすことができて、こうした出来事は、もやし君の現実世界の人生ではまず有り得るはずのない、これは全く大変に有り難い僥倖ぎょうこうなのであって、ほとんど神の恩寵おんちょうとも言えるべき出来事で、感謝したいのは、むしろこっちの方だ。……もやし君は、素直にそう思った。

 それに続いて思い出されたのは、そう言えば、あの公園の二の丸跡にある花壇は、ボランティアの人たちが世話しているのであった。あの場所で美しい花や可愛らしい花たちを鑑賞して日々の生活に疲れた心を和ますことができるのは、実はこういった人たちの目立たない善意によるものなのだ。

 花壇の花たちを通じて、そうして、こっちの方もお世話になっている。このことについても感謝しなければいけない。……もやし君は、そのようにも思うのだった。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「自分のためにやったことが、結果として人のためにもなった」――理想的な関係というのは、きっとこういうことなのだろう。これは一般には「Win-Winの関係」と呼ばれている性質のものだろう。それとは別に「情けは人のためならず」といったことわざもある。これは「人に対して情けを掛けておけば、巡り巡って自分に良い報いが返ってくる」という意味の言葉なのだそうだ。しらゆりちゃんがもやし君に彼女の生歌で『乙姫心…』の曲を聞かせてあげたのは、考えようでは後者のケースに該当すると言えるかもしれない。

 しかし世の中には、「あなたのためを思って」とか言いながら、実は相手を支配しようと企む狡猾な人たちがいる。相手に対する優しさと下心が表裏一体になっているような人たちもいる。こういった人たちは一般に「偽善者」と呼ばれている。

 また、この手の人種は、市民社会の自由と平和にとっての脅威となる潜勢力を秘めていたりもするので、自戒の意味も込めて、よく注意しておく必要があるだろう。 

 それとはまた逆のケースで、相手のためを思って滅私的、自己犠牲的になる人たちもいる。特に戦争などによって世界が暗黒の中にある時代には、こうした不運の義人たちが増える傾向にある。これは大変に悲しむべきことである。


 それはさておき、もやし君は、あの時のしらゆりちゃんの言葉について、いつしか思いを巡らしていたのであった。

――「ここで歌っていた時、何か、あたしの中でずっと抱いてた理想の姿がはっきりと見えたような気がしたの。……あたしの夢を手伝ってくれてありがとう!」


 たしかに、迷っている時に「ポン」と背中を押してくれるような人、心地よい強引さでもって新しい世界へと導いてくれるような人、そういった他者に出会えるということは、これは一つの幸運な出来事だろう。

 そしてそれは、もやし君にとってのしらゆりちゃんの場合についても、同じことが言えるような気がした。

 それにしても、――「あたしの理想の姿」「あたしの夢」――彼女はすでに音楽家になるために生まれてきた人間であって、それが彼女の持ち前であり、彼女の運命、使命、すなわち「天命」というやつだろう。彼女もそのことは自覚している。

 彼女が将来その道で食って行けるかどうか、それはまだ分からないにしても、ただひとつ分かっているのは、彼女が「受け取る側の人間」ではなく「与える側の人間」だということだ。

 彼女は音楽をすることで、これを自分の利益に誘導しようなどということは、まず考ることはないだろう。この子は「周りからチヤホヤされてウハウハな気分を味わいたい」という欲望だけが行動原理になっている種類の人間ではなさそうだ。そうかと言って「世のため、人のため」を思って行動を起こすようなタイプでもないだろう。しかし、人に対して情けを掛けることのできる思いやりは持っている。素直で心根の優しい子だ。

 彼女は、ファッションで音楽をやっているわけではない。それよりも、ただ単に、歌を、音楽を、純粋に愛している。もし彼女が音楽を通じて人々や社会のために広く貢献することになるとすれば、その時には「彼女は天然の社会改良家なのであった」ということになるのかもしれない。


 こんなとりとめのないことを考えているうちに、もやし君がちょうど今のしらゆりちゃんと同じくらいの年齢だった頃、彼が高校3年生だった頃を回想していた。


 当時の彼は、志望校合格を目指して我武者羅がむしゃらにペーパーチェイスの日々、すなわち受験勉強に明け暮れていた。その努力の甲斐あってか、彼は何とか現役で合格することができた。そして、何とか4年で卒業することもできた。しかし、彼がめでたく志望校に合格し、大学を卒業することができたのは、言うまでもないが、決して彼一人だけの力で成し遂げたのではなかった。

 彼は大学を卒業して、次に彼は希望する職にも就くことができたが、上述のことは就職の時についても言えることだった。彼の当時の成功体験は、実のところ両親からの経済的な支え、そして友人たちからの精神的な支えによるところも大きかった。

 自分のこれまでの人生について、さらに振り返ってみれば、結局のところ、彼が全くの独力だけで何かを成し遂げたというようなことは、実は何一つ無かったのだ。

 彼は今頃になってからようやく、そのことを悟った。


 希望する職にも就くことができて、その時は、彼は人生の勝ち組のレールに上手く乗ることができたかと思われたが、そのうち彼はそのレールからは脱線してしまい、それからは人生の負け組、失敗者、零落者の人生を歩むことになった。


   ……人間の根本的な弱さは、

      勝利を手にできないことではなく、

       せっかく手にした勝利を、活用しきれないことである。

                    ――フランツ・カフカ――


 このカフカの言葉は、もやし君の場合にもそのまま当てはまった。そう、彼は根本的に弱かったのである。いろんな意味において。


 ところで、しらゆりちゃんが胸中に抱いている「夢」というのは、彼女がすでに天然にして生粋の音楽家であるところからして、たとえ将来に対するビジョンはぼんやりしたものであったとしても、彼女が人生でなすべき仕事というのは、その点についてははっきりとしていて、そこで彼女が路頭に迷うというようなことはないだろう。

 それに対して、もやし君の場合は、今思えば、建前では「世のため、人のため」などとゴタクを並べながらも、結局のところ、「周りからチヤホヤされてウハウハな気分を味わいたい」だけの実に卑小な、つまらない人間なのであった。

 こういった人種は得てして人生の失敗者になってしまいやすいもので、これは特に珍しいことではなく、世の中ではよく見受けられる事象であると言えるだろう。


 さて、もやし君が失敗者の人生を歩むようになってから、おそらくその時になって初めて彼は、彼の根本的な、すなわち内面的な弱さと真正面から向き合うようになったのだった。そして彼はいつしか「イデアと実存」の探求者となって、「心の旅」を続ける求道者となっていた。――そうして、いつしか、この街(国)に辿り着くこととなったのだった。


 もやし君がこの街(国)にやって来てから、殊に”しらゆりちゃん”こと白川ゆり子さんと出会ってからというもの、それからの彼の内面的な生活や精神世界といったものは、あたかも竜宮城に招かれた浦島太郎のような気持ちだったかもしれない。

 しかし、現実世界の要請から、こんな生活がいつまでも続けられるとも思えない。やがて彼を取り巻いている現実的な諸問題が、ふたたび彼に対して様々な課題や試練を要求して来るだろう。

 そこで、もやし君は我覚えずして「俺の運命の歌」(?)を口ずさんでしまうのだ。

 

          ……ワルサーP38

              この手の中に

               だかれたものは すべて消えゆく

                さだめなのさ ルパン三世 

       

       ――チャーリー・コーセイ「ルパン三世~ルパン三世 その2~」――

           (作詞:東京ムービー企画部 作曲:山下毅雄)


 いつしか、すっかりと厭世的な気分に打ち沈んでしまった、もやし君。…… 

 しかしその傍らでは、彼が最近になってからしらゆりちゃんに教えられて親しむようになった古い歌のあるフレーズが、もやし君が「俺の運命の歌」と定めた曲と一緒に並走しながら、彼の頭の中をぐるぐると巡り続けるのだった。……


 ……Que sera, sera             ケ・セラ・セラ  

   Whatever will be, will be        なるようになるさ 

   The future's not ours to see       未来のことは誰にもわからない

   Que sera, sera             ケ・セラ・セラ

   What will be, will be          なるようになるさ

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