旅の途中で

 駅の中にある待合室。

 そこは、これから電車に乗って遠くへ行こうとする人々が集う場所。

 そこの一角に、1人の青年が座っていた。

 手に本を持ち、暇つぶしにと読んでいるのだろう。

 一言も発さずに、静かにしていた。

 そこに、1人の女性が現れた。

「はじめまして……は、おかしいかしら」

「どうだろうね。僕は再会として認識するけど、世界から見れば僕と君は初対面のはずだから」

 にこりと、微笑を浮かべて男はパタンと本を閉じた。

「じゃ、こんにちは。魔法使いさん」

「ああ、こんにちは」

「俺は無視か、小娘」

 不服そうな声が、今しがた閉じられた本から発せられた。

「ごめんなさいナナシ。でも私、小娘って年じゃないんだけどな」

「俺から見れば秋人もお前も小童、小娘だ」

「そりゃ齢……えーと、何歳だっけ」

「忘れるなよ」

 旅の相棒が自分の年齢を覚えていないことに呆れながら、ナナシは嘆息した。

「俺は今年で……」

 と。

 そこまで言って、ナナシは言葉を止めた。

 数秒、気まずい沈黙が辺りを包む。

 やがて、秋人が沈黙を破った。

「ひょっとして、自分でも覚えてないとか?」

「そんなことはないぞ」

 力を込めて否定する。

「つまりボケてるほどお爺ちゃんってことね」

「いや、だから違うと言ってるだろうが!」

 女性の方にツッコミを入れつつも、ナナシは答えられない。

「まぁナナシの年齢はどうでもいいや。確かアーサー王と会ったことがあるって自慢話してたから、それよりは前ってことで」

「ん? ああ、そういえばそんなこともあったな」

 完璧に忘れていることを自分で暴露している。

 ナナシは自分で記憶している事柄を読み手に伝える魔道書。

 そのことを考えるとかなり危ない兆候だった。

「で、彼は無事に助かったかい?」

「ええ、おかげさまで。何が起きるか事前に全て分かっていたからね」

 秋人の隣に腰掛けながら、女性はそっと微笑んだ。

 その顔を見て、秋人も満足そうに頷く。

「久々に“僕の魔法”を使ったんだ。これで失敗なんて結果に終わってたら、君を恨んでいたよ」

「……そう?」

 意外そうな顔で女性は秋人を見た。

「私は確かに昨日、彼が交通事故にあうことを知っていた。だからそれとなく止めようとしたけど、なかなか大変だったわよ」

「さすがに、これから貴方は交通事故にあうなんて言っても信じてもらえないだろうからな」

 ナナシが女性に同意する。

「まぁ僕の“時間逆転”もそれほど万能じゃないからねぇ」

 世界の時間を逆流させ、ビデオテープを巻き戻すかのようにしてしまう魔法。

 それが飛鳥井秋人の魔法。

「貴方は、失敗したことないの?」

「時間逆転を使用して、過去を変えようとすることに、かい?」

「ええ」

「そもそも僕は、自分のためにこの力使ったことないからなぁ」

 苦笑して、空を見上げる。

「なんで? そんなに凄い力なのに」

「凄過ぎるからだよ、我ながら。僕の身体に関する変化を除けば、なにもかもがやり直しの効く人生になる」

「……なるほど、それは凄過ぎて、恐い。なにより、面白くない話だわ」

「一旦私利私欲のためにこの力を使えば、どんどん力に溺れていく。それが目に見えてる」

 だから、と秋人は立ち上がった。

 駅のアナウンスが、次の電車の到着を告げている。

「僕は貴方のような人に会って力を振るうために、旅をしてるのかもしれない」

「すごい慈善事業ね」

「どうかな。堕落させてるだけかもしれないよ」

 にやりと、不適な笑みを浮かべて秋人は荷物に手をかける。

「ねぇ、1つだけ聞いていいかしら」

「なんだい?」

「どうしても、これだけはやり直したいって思うこと、ある?」

「そうだねぇ」

 俯いて、しばらく思案する。

 電車は段々と近づいていた。

 やがて。

「ないかな。過去に戻らなくても、“これから”で十分どうにかなりそうだし」

「そっか」

 待合室から出ると、少し温かい風が吹いている。

 春というにはやや遅く。

 夏というにはまだ早く。

「それじゃ、彼と仲良く」

「言われなくとも。それじゃあね、魔法使いさん」

 ガタゴトと音を立てながら到着する電車に乗り込み、窓際の席を確保する。

 ホームには、既に女性の姿はなかった。


「本当は、やり直したいことなんていっぱいあるんだけどねぇ」

「なら何故あんなことを言った?」

 動き出した電車の中で、ナナシは秋人に尋ねた。

 周囲に人はいない。

 田舎なのだろう、窓から見える風景は畑や山ばかりだった。

「ナナシ、さっきからずっと似たような風景ばかりが続いているね」

「ああ」

「飽きない?」

「飽きる」

「それと同じだよ」

「は?」

「一度体験した過去なんて、もう見ても面白くない。やり直したいと思うような過去ならば尚更さ」

 秋人はそれだけを言うと、景色を見るのをやめて寝てしまった。

「……なるほど。それならば、まだ見ぬ未来を次々と探し出した方がより面白い」

 ナナシは1人、風景を眺め続けながら言った。

「何が慈善事業だ。お前が旅をしている理由など、結局新しい何かを常に探し続けているからだろう」

 返答も期待せず、眠りこけている秋人に言う。

「だからお前といると飽きない。それにそんなお前だからこそ、その力を得たのだろう」

 だが、とそこでナナシは1つ付け加えた。

「たまには過去を見直してみるというのも、また味があっていいものだぞ」

 ナナシは、代わり映えのない景色を見続ける。

 いや。

 正確に言うならば、景色は少しだけだが変わり続けている。

 過去など、見つめなおすときの心境によって色も形も意味さえも変わる。

 その違いを楽しむ術を、ナナシは持っていた。

「小童め。今頃どんな夢を見ているのやら。過去か、未来か? それとも――」

 返事はない。

 ただ、秋人の寝顔は安らかだった。

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