第18話

 相変わらず、空には薄雲がかかっていた。日光は和らいでいるが湿度が高いため、暑さからの解放感は感じられない。

 バス停では、巡礼者風の初老の男女二人がベンチに座ってバスを待っていた。

 赤菜町行きのバスは十一時三十分発なので、約十分の待ち合わせだ。どうやら赤菜町と緋剣村の間は、一台のバスが折り返し運転をしているようなので、もうじき赤菜町からのバスが到着するのだろう。

 ちょうどその時、原塚巡査運転の軽自動車が、軽くクラクションを鳴らして目の前を通過していった。後部座席から手を振る舞依の姿が見えたので、こちらも応える。

 緋劔神社へと分岐する丁字路手前のカーブで軽自動車が視界から消えると同時に、今度は赤菜町からの対向車線にシルバーの車が現れ、こちらに近づいてきた。いわゆるステーションワゴンと呼ばれる車種である。

 その車はバス停の手前でウインカーを点滅させながら減速し、そのまま向こう側の車線の路肩に停まった。運転席の窓ガラスが下がって見覚えのある顔が出現し、俺は一瞬硬直する。細萱警部補だった。

 先ほど駐在所で話題になったばかりだというのに、登場のタイミングが絶妙だ。もしかすると緋劔神社での神葬祭に参列するつもりなのか。

 細萱警部補は車のハンドルを握ったまま、周囲にまったく頓着することのないような濁声を張り上げた。

「おたくら、確か神社の双子娘の知り合いとかいっとったな」

 おたくら……と来たか。細萱警部補とまともに会話を交わすのは初めてだが、なるほど古典的な警察官らしい居丈高な物腰だ。

 黙っているのはどうかと思ったが、双子のうちの舞依とは友だちというには苦しいし、風早青年は結依の友だちではないし……どう答えたものか、一瞬の迷いの間に梨夏が反応していた。

「結依さんの大学の友だちです」

 彼女らしい、やや硬質だが歯切れのよい口調だった。

 細萱警部補は少し虚を突かれたような顔で梨夏に視線を送っていたが、すぐに表情を崩して、いかにも胡散臭そうに俺たちを眺めやった。

「神社も、不幸があったり何かとバタついているからな、何の用で村に滞在しているのかは知らんが、早く引き上げた方がいいぞ」

 そう言い放つと、警部補は正面を向いて窓を閉じ、そのまま駐在所の方に車を走らせていく。

 それだけのことを言うために、わざわざ車を停めたのか。刑事という以前に、嫌な感じのおっさんだな。駐在所に寄るつもりのようだが、原塚巡査は不在だぞ。まあ、知ったことじゃないけど。

 警部補の言う「不幸」はもちろんお祖母さんの死を指しているのだろうが、「何かとバタついている」のは勇人さんの一件か。

 そちらの方も気になるし、もう一つはお祖母さんの草履発見の報が伝わっているのか、それについて警部補がどういう判断を下すのか、知りたいところだが、ああも露骨に邪魔者扱いされてしまうと、改めて尋ねることなどできそうもない。どうせ、訊いても答えちゃくれないだろうけど。

 それに、刑事って二人一組で行動するのが原則と思っていたが、車には他には誰も乗っていなかったようだ。定年間近の大ベテランともなると、そんな原則に縛られないのか、単独行動も黙認されているのか。

 警部補の車と入れ替わるように、赤菜町からのコミュニティバスが到着した。巡礼者風男女に続いて、俺たちもさっさと乗り込む。まごまごしていて、また警部補と顔を合わせるのは嫌だからな。

 夫婦と見えるその初老男女がロングシートに並んで腰を下ろしたので、俺と翔吾、梨夏は来たときと同じく最後部座席に陣取り、風早青年はその前の一人掛けシートに座った。

 もしこれで大きな荷物でも抱えていたら、細萱警部補は、俺たちが村を立ち去るつもりだと勘違いしたかもしれない。

 無駄とはわかっているが、いつもの習慣でついスマホを取り出して画面を覗いてしまう。やはり右上に出るのは〈圏外〉の表示だった。

 何気なく後ろを向いた拍子に、俺の仕草を目に留めたらしい風早青年が言う。

「村にいると、外部とはほとんど連絡がとれないんだよね。携帯が使えないっていうのは、やっぱり苦しいよ」

 なるほど、赤菜町行きの目的は元村長訪問だけではなく、俺たちと同様に通信手段の確保も含まれるらしい。

 それから赤菜町に着くまでの間、俺たちはほとんど会話らしい会話を交わさなかった。

 同乗している巡礼者風男女の耳が気になったということもあるが、考えることがたくさんあり過ぎて、意見交換よりも各自がそれぞれの思考に没頭することを優先したためだろう。

 二十分後、バスは赤菜町の中心部にある乗降場に到着した。

 腹塚巡査に教えてもらった元村長宅は、ここから徒歩二十分ぐらいの場所にあるという。

「それじゃ、また」

 軽く手を振って歩き去っていく風早青年の後ろ姿を見送り、俺たちは昼食を摂るべく小さな商店街の中に入っていった。あちこち物色するほど店も多くないだろうから、最初に目に留まった和食屋のドアを開ける。

 昼飯時だというのに、店の中には数えるほどしか客はいなかった。左手のカウンター席はがら空きで奥のボックス席に四人だけ。俺たちは一番手前のボックス席に腰を下ろした。

 お品書きを見て注文を済ませ、各自さっそくスマホを取り出して久しぶりに着信をチェックする。

「おお、電波入るぜ!」

 思わず嘆声を漏らしてしまった。緋剣村に来るまでは、ごく当たり前のことだったのに。

 サークル仲間から何通からのメッセージが届いていたが、中身は大したことない。どうでもいいような内容だ。

 ひと通りチェックを終えたタイミングで注文の定食が運ばれてきたので、俺たちはそれを食しながら、ぽつぽつと今後のことについて意見交換を始めた。

 どういう形であれ草履が出現した以上、お祖母さんの一件はこのまま事故で片付けられるのだろう。

 実際は事故などではなく、殺人事件であることを知っているのは、舞依・結依姉妹をはじめとする俺たちだけだ。

 ただ、こう言っては何だが、老い先短いお祖母さんの死は、長年にわたってある意味で理不尽な服従を余儀なくされてきた姉妹にとっては、大きな悲しみや痛みをもたらすものではなく、むしろ〈種受けの儀〉を回避できるという理由で、正直なところ好都合だという側面があった。

 そのため、一時は彼女たちも真相解明に及び腰になっていたが、兄・勇人さんの件が急遽発覚したことで、風向きが変わる。

 そこへもってきて、何やら不気味な影を投げかけるのが、今回の件に関係があるのかどうかはわからないが、二十年前の失踪疑惑だ。それが自分たちの出生の時期と重なる舞依は一転して、謎の追及に前向きになった。そして、舞依は言う。

「ちょうどわたしたちが生まれる少し前だから……その頃、村や神社で何があったのかは知りたいと思ってます」

 そのあたりを引っくるめて、もう一度、事件を見直そうとすると、どうしてもお祖母さんの殺害については触れざるを得ないのではないか。それは取りも直さず、舞依と結依の行動──死体遺棄──も明るみになるということだ。逆に、あくまでそのことを隠し通そうとすれば、真犯人は野放しのまま、不慮の事故として一件を過去の闇に葬ってしまうしかない。この堂々巡りを断ち切るには……

「この際、風早青年を巻き込むしかないと思う」

 俺は思い切って言い放ち、翔吾と梨夏の反応を窺った。

 もはや万策尽きた感がある。俺たちの力だけではタイムリミットの明日夕方までに、真相を突き止めることなど到底できそうもない。この八方塞がりの状況を打開するには、然るべき人に一肌脱いでもらうしかないのではないか。

 たがそのためには、今までの経緯を包み隠さず風早青年に話さなければなるまい。彼としても、こちらが固く口止めをすれば、結依たちの秘密を迂闊に外に漏らすようなことはするまいが、問題は舞依と結依が青年の参戦を良しとするかどうか……。

 一時は彼女たちも「真犯人が誰かなんて、もう……」どうでもいいと言わんばかりの弱気で投げやりな素振りを見せていたが、勇人さんの一件をきっかけとして、やはり真実を突き止めなければ……と思いを新たにした様子だ。とすると、姉妹も風早青年の加勢を承知してくれるのではないか。

 昨日の午後から今日にかけて、結依と舞依は相次いで風早青年と面識を持ったわけだが、あの様子であれば二人とも彼に対して悪い印象を持ってはいないだろう。ただし……

「結依たちの意向はもちろんだけど、肝心の風早青年の考えもあるからな。そっちがOKかどうか」

 翔吾の発言に、俺は頷かざるを得なかった。

 風早青年が追及したいのは、あくまで去年の鴇松氏の一件であるはずだ。今回のお祖母さんの件は彼にとって、たまたま遭遇した“行きずりの事件”に過ぎない。二つの事件に関係があるのかどうかわからない以上、俺たちが求めても、彼は他人事への関与を嫌がるかもしれないのだ。

 とはいえ、自分たちがすでに“詰んだ”状態であることは、俺たちも自覚している。風早青年に協力を依頼するという方針に対しては、翔吾も梨夏もあからさまな反対を示さなかった。

「でも、最後は結依と舞依さんの気持ち次第だよ」

 梨夏が念を押すように宣言した。もちろんそれを蔑ろにする気は毛頭ない。

 椅子の背もたれに寄りかかって息を軽く吐き出した時、奥のテーブルの会話がふと耳に入った。

「……六条病院は、もう……ねえ……」

 小声で続けられていた世間話のボルテージが、やや上昇してきたという声の感じだった。

 伏し目がちに窺うと、中高年女性の四人組。小綺麗に装いを整えている女性もいれば、何となく見栄えのしない女性もいるという、全体的にはこれといって特徴のない集団だ。

(六条病院って、成隆氏のすぐ上の兄だとかいう正隆氏が経営する病院のことか)

 彼女たちの表情や声色からして、あまり良い話とは思えない。俺たちは互いに目配せし合う。

 こちらはあらかた食事を平らげてしまったので、店員が置いていったテーブルピッチャーの冷水で喉を潤しながら、しばらく耳をそばだてていたが、そのうち大体の事情が飲み込めた。

 女性のうちの一人──ちょっと小粋な感じのおばさん──の身内が六条病院で誤診を受け、そのために病状が悪化して、急遽A市の市民病院に入院せざるを得なくなったという話らしい。もっと早く適切な治療を受けていれば、あれほど重症化しなかったのに……と繰り返し恨み言を並べているのだ。

「病院ができた当初はきっちり診てくれよったけどね。今じゃ正隆さんはあんまり診察せずに、通いの若いお医者さんに任せっ放しよ。その割には勤務医や看護師の待遇も良くないらしいし……」

 そういえば、昨日の通夜祭の時にも、村人同士が同じような話をしていたな。確か、病院の経営が苦しいとかいう内容だったが、こんなに連日いろいろな場所で芳しくない噂を耳にするってことは、よほど酷い内情なんだろうか。

 院長だという正隆氏の顔を思い浮かべた。昨日の朝、初めて彼を見た時の妙に歪んだ笑み。そして通夜祭が始まる前の不謹慎な薄笑い……正直なところ、印象は良くない。

「いや、それがね。私もちょっと知り合いから聞いたんよ。ここだけの話じゃけど……」

と、勢い込んで口を滑らせそうになり、はっと周囲を窺った地味な風貌の女性と目が合う。俺が慌てて視線を逸らす前に、彼女は咎めるような一瞥をくれて、急に声のボリュームを落としてしまった。

 おかげで会話の詳細は聞こえなくなったが、なおもさりげなさを装いつつ聞き耳を立てていると、「内部」や「警察」という単語が辛うじて耳朶に触れた。

「えーっ、それは……」

 女性のうちの一人が驚きで抑制の外れたような声を上げ、慌ててすぐに声を落としたが、その直前に「脱税?」と口走ったのを俺は聞き逃さなかった。

 初めに怨嗟の言葉を繰り返していた女性が、客が増えてきた店内を見渡し、

「ちょうどお昼時じゃけん、病院の職員さんがご飯食べに来るかもしれんわ。場所を変えようや」

と他の三人を促した。ということは、六条病院はこの近くにあるのかな。

 四人組はそそくさと勘定を済ませ、話の続きを急ぐように慌ただしく出ていった。

 残った俺たちは複雑な表情で顔を見合わせる。

 四人組の会話の断片を組み合わせると〈六条病院で内部告発があり、警察が捜査に乗り出した。容疑は脱税〉と憶測できないこともない。

「考え過ぎかな」

 俺のつぶやきに翔吾が反応した。

「それ以前に、あのおばさんたちの噂話自体にどこまで信憑性があるかってとこだよな」

 梨夏も口を挟む。

「でも、病院の評判は本当に良くないみたいね」

 とっくに食事を終えているし、そろそろ出るか……ということで、四人組女性に遅れること数分で俺たちも店を後にした。

 どこに行くという当てはないが、赤菜町の中心部だけでもざっと歩いてみようかと話がまとまり、とりあえず商店街をバス乗降場とは反対の方に向かう。しかし、ぶらぶら歩き始めて五分も経たないうちに町筋の終わりが見えてきた。さすが、田舎町の商店街だな。

 通りの突き当りに小さな鳥居のようなものが立っている。近づいていくと、鳥居のたもとに立つ石柱に刻まれた〈六条神社〉の文字が読めた。病院ではなく神社を見つけてしまったらしい。

「結依が言ってた親戚付き合いの神社ね。意外と小さいんだ」

 梨夏の指摘どおり、緋劔神社よりもふた回りぐらい小ぶりな佇まいである。

 境内をひと回りしてみた。小ぢんまりとしているが、町中の一画に確固たる存在感を示しつつ鎮座している印象だ。

 脇の社務所にいた巫女装束のおばさんがこちらを見て会釈したので、答礼する。

 宮司の清隆氏は、今ごろ緋劔神社の参集殿で神葬祭の斎主を務めているはずだから、もちろん不在。そういえば、お祖母さんの遺体は赤菜町の火葬場で荼毘に付すということだったが、火葬場ってここから近いんだろうか。

 そのまま商店街を引き返すのも芸がないので、帰りは別の道を通ってバス乗降場まで戻ろうとしたのだが……それが間違いだった。目的地に向かって伸びていると思われた道は、微妙に方角がずれているうえに湾曲しており、大きく迂回する羽目になってしまったのだ。

 道を尋ねながら、どうにか目指すバス乗降場までたどり着いた時には、時計はバス発車時刻の十五分前、午後二時過ぎを示していた。結局、六条病院の場所はわからずじまいだった。

 すでにバスはエンジンをかけたまま乗降場で待機していたので、さっそく乗車する。身体にまとわりつくような湿った空気から解放されてひと息つきながら、往路と同じように最後部座席に三人並んで席を占めた。

 発車までの間、車窓の外をまばらに行き交う人々を眺めていると、商店街とは逆方向から見覚えのあるシルエットをもつ男が近づいて来るのが見えた。いつものリュックサックを背負った風早青年だ。予想どおり同じバスの便に乗ることになったようだな。

 青年も俺たちを認めたらしく、こちらが手を振るのとほぼ同時に反応を返してくれた。

 ほどなく彼はバスに乗り込み、俺たちのすぐ前の一人掛けシートに腰を下ろした。なんだか一昨日と同じような光景だ。違うのは、他に乗客はいないこと。

 さっそく俺は後ろから問いかける。

「元村長のところで、何か収穫はありましたか?」

 風早青年は後ろに向くように身体をひねりながら、

「ああ。いろんなことがわかったきたよ」

 と答え、それから少し振り返って運転手の方を気にする仕草を見せた。

 運転手は一昨日とは別人の初老男性だ。この間の運転手と交代で務めているのだろうか。彼は俺たちのことなど気に留める様子もなく、スポーツ新聞を広げて眺めている。

 青年はそれでもやや声をひそめるような調子で語り始めた。

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