第14話

 村の中心・中小屋にやって来るのは今日三度目だ。遺体発見後の朝食の時、学校に向かう途中に通過、そして今。村の道路が中小屋を中心に北・東・南に伸びているので、どうしてもこの周辺を行き交うことになる。

「さてと……ほぼ約束の時間どおりだな」

 走り去る里井先生の車から自分の腕時計に目を転じて風早青年がつぶやき、それから俺たちに向かって言った。

「待ち合わせ場所は、支所の裏手にある錦湯なんだ」

 彼が先頭に立って、駐在所前の道を東に二十メートルほども進むと、右手にそれらしい建物が見えてきた。

 正面玄関に、赤地に黒字で〈錦湯〉と染め出された布製の暖簾がかかっており、その両側にはご丁寧に〈湯〉と記された大きな提灯がぶら下がっている。

 中に入ると、やや右寄りの正面に今度はひらがなで〈ゆ〉の暖簾。あそこが銭湯への入口なのだろう。

 一方の左側はかなり広い飲食スペースで、手前の土間にはテーブル席が四つ、奥の座敷にも六つの座卓がしつらえてある。壁には毛筆書きのメニュー表や、〈山菜定食〉とか五品ほどのおすすめと思われる料理の写真がベタベタと貼られていた。

 なんか、こういう雰囲気は好きだな。妙に落ち着ける。畳の上に胡坐をかいて、酒を飲みながらぐだぐだ話をして……いや、今はそんなことをやっている場合じゃない。

 まだ時間が早いためか空きテーブルが目立つ中、座敷の奥の方に見覚えのある顔を見つけた。昨日の怪談コンビの一人で、痩身の方の男性だ。

 向こうも、風早青年を中心としたこちらの集団を認めたらしく、左手を軽く上げて合図を送ってくれた。

 土間に靴を脱いで座敷に上がる。

 男の前の座卓上には、ビール瓶とグラス、冷奴や卵焼きなどの一品料理が数皿並んでいた。

「わざわざお時間とっていただいて、申し訳ありませんね」

 風早青年が如才ない笑顔を向けて挨拶をする。

「いやいや」

 男は軽く首を振りながら

「ここでメシ食べるのはしょっちゅうじゃけん、話相手ができてこっちもありがたいわ。まあ、座りんさい」

 自宅じゃなくここで晩ごはんを食べるのが多いということは、男性は独身なのだろうか。ま、どうでもいいことだが。

 男の対面に俺と翔吾が座り、座卓の側面を風早青年が占める形となった。

 料理皿の横に灰皿が並んでおり、何本かタバコの吸殻が揉み潰されている。

 都会では飲食店における禁煙・分煙が進んでいるが、田舎ではなかなかそうもいかないのだろう。大のタバコ嫌いである梨夏が同行していないのは、ますますラッキーだった。もっとも、俺も翔吾もタバコを吸わないし、風早青年も今までの様子ではどうやら喫煙の習慣はないらしい。

「ところで、おたくら、メシは?」

 俺たちの顔を交互に見ながら、男が訊ねた。

 メシと言われても、今はピンと来ない。午後五時になったばかりで晩ごはんには早いし……俺たちは返答に窮したが、男にしてみれば、自分だけ手酌でビールをあおりながら食事というのは、どうにも調子が狂うのだろう。

 話を聞かせてもらう手前もあり、風早青年以下、俺たちもそれなりに付き合うことにした。昼ごはん以降は、学校でいただいた麦茶以外に何も口にしておらず、そこそこ腹も減っていないわけでもなかったし。

「昨日のバスで一緒だったこちらの旅の大学生も、一緒に話を聞きたいということなので、同席をお許しください」

 話の成り行き上、タイミングは遅くなったが、俺たちが飛び入り参加することについて、風早青年が承諾を求めた。

 男はすぐに思い出したらしく

「ああ、そういえば昨日の……」

 と言いながら大きく頷き、別にかわまんよ、と快諾してくれた。

 風早青年が、俺たちと栞梛家や緋劒神社との関係に触れなかったのは、男に無用な警戒感を抱かせないための配慮か。

 落ち着いたところで、改めて自己紹介をする。男は頼富信弥と名乗った。

「それで、ええと……さっそくじゃが、怪談よの」

 箸で卵焼きをつつきながら、頼富が切り出した。

「話は二つあって、一つはわし自身が高校生の時に体験した話と、もう一つは村の知人から直接聞いた体験談じゃ。どっちも二十年ぐらい前の話よ」

 風早青年が頷くと、頼富は勢いをつけるようにビールをぐいっとあおり、じゃ、まず自分の話から、と前置きして語り始めた。

「確かありゃ、わしの誕生日のちょっと前じゃったけん、十一月の終わり頃、かなり日が短くなっておった時期じゃったわ。その頃はわしも若かったもんじゃけん、ヤマガミ様の信心にあまり身が入らんでの。親も手こずっとったのよ。それで、他にもおった、ま、いわゆる不良信者三人と一緒に巫女様に呼ばれての、神社で特別に教話を受けることになったんじゃ」

 紫乃巫女による教話は決して珍しいものではなく、二ヶ月に一回の頻度で、ほぼ定期的に行われていた。巫女の目から見て信心に欠けるとされた村人が三人から五人程度、神社に集められて半日ばかり缶詰にされるのが通例だったという。教話の内容は、ひたすら厳粛な儀式と説教である。

 その日も、午後一時に始まった教話は、神社の拝殿を締め切って四時間あまり続けられ、五時過ぎに終わった。

 頼富ら三人の受講者は、儀式の途中に呑まされた、緋劔神社秘伝の〈山霊漿〉という薬酒によるほろ酔いと長時間の厳しく難解な説教とで、かなり混濁する頭を振りながら帰途についたと思われる。

 思われるというのは、紫乃巫女がおごそかに教話の終了を告げてから帰り道で怪異に遭遇するまで、頼富の記憶がきわめて不鮮明なためだ。

 頼富の自宅は、三ヶ辻にある診療所から南東に少し下ったところにある。

 三ヶ辻というのは、中小屋から東に一キロ足らずの距離にある、その名のとおりの三差路で、西・北東・南東からの道が集まっている。

 ただ、緋劔神社から頼富宅方面に向かう場合、中小屋-三ヶ辻経由だと迂回路になるため、村人が近道として使うのは、土濃川沿いの自然堤防上に設けられた通称・土手道だ。

 頼富は、社橋を渡ったところで中小屋方面に帰る他の二人と別れ、右手の土手道に入ったらしい。

 秋の日はつるべ落としとのことわざどおり、午後五時過ぎともなるとあたりは薄暗くなっていた。

 しばらくふらふら歩いていると、背後に気配を感じた。誰か何かが後ろから従いてくる。振り返って見ると、そこには年の頃二十歳過ぎと見える和服の女性がいた。

 周囲が暮色に塗りつぶされようという景色の中で、どういうわけか着物の燃えるような緋色だけが鮮烈な色彩を放ち、瞳に焼き付いたという。

 村の女性ではなかった。狭い村のこと、お互い知らない住人はいない。行者や巡礼者ではなさそうだし、では旅行者か。

 ただ、何となく関わりにならないほうがよい気がして、歩を早めつつ視線を前に向けると、そこにも似たような……というか、まったく同じ身なりで歩く女性の後ろ姿があった。つまり前後を挟まれた状態で、それぞれ二十メートルほどの距離をあけて悠然と進んでいる。

 不意に背中に冷水を浴びせられたようにゾっと震えが走り、立ち止まった、その瞬間、前の女性が後ろを振り返り、つまり頼富の方を向き、深いお辞儀でもするように上半身を折り曲げ、さらに華奢な両手を地面につけたかと思うと、脚で地面を蹴り上げて器用に逆立ちした。

 どういうわけか、和服の裾はぴったり脚にまとわりついたまま。首は異様なほど折れ曲がって、顔が真正面からはっきり認められるほど。だが、相手の顔を直視してはいけないと思い、頼富は咄嗟に目を逸らせた。

 幸い日没後の薄暗さのおかげで、まともにその顔を目にせずにはすんだが、一瞬のおぞましい表情が網膜に焼き付いた。女は舌なめずりをするかのようににやりと微笑んだかと思うと、逆立ちのまま、両手を巧みに動かし異様なほど安定したバランスを保ったまま近づいてくる。

 引き返そうと慌てて後ろを向いたが、そこにもまた同じように、いつに間にか逆立ちになって禍々しい邪気を放っている女がいた。

 前後を得体の知れぬものたちに挟まれ、しかも破局は刻一刻と近づいている。ここは土手の上で一方は川。となると、逃げるのは反対方向しかない。

 震えもつれる脚でこけつまろびつ、頼富は土手を川の反対側に駆け下り、一番近い民家の庭先に飛び込んだ。真っ先に視界に入った納屋の戸が開いていたのを幸い、そこに転がり込み、急いで、しかしできるだけ音をたてないように引き戸を閉める。

 しばらく息をひそめていると、やがて外から納屋の周囲を徘徊しているような物音が聞こえてきた。足音のような厚みのある響きではなく、妙に軽くて湿った……そう、肌と地面がじかに触れ合っているような、逆立ちで掌を地につけて……。

 その姿を脳裏に描いた頼富は、恐怖で発狂しそうになった。

 怖いもの知らずの高校生とはいえ、それは自分の常識の範疇で推し量れる事物に相対する場合である。因習に彩られた山深い僻村で、神隠しや山の怪の悪戯といった古色蒼然たる怪異の匂いが漂う土地柄だが、彼自身はこのような怪奇現象に対する免疫はほとんどない。生まれて初めての恐怖体験に、彼は半泣きになっていた。いつ引き戸が開かれるか、中に踏み込んでこられるのか。

 ガタガタと震えながら、ふだん歯牙にもかけないヤマガミ様に柄にもない祈りを捧げる。不信心だから罰が当たったのかなどと後悔しながら……。

 薄暗い納屋で息をひそめ、心の中で一心不乱に祈っていたが、しばらくすると周囲の物音が止んでいることに気づいた。さては化け物は行ってしまったか。

 引き戸を細目に開けて外の様子をうかがうべく、そろそろと手を伸ばしかけた瞬間、外側から勢いよく引き戸が開かれた。

「おわぁぁぁーーーっ!」

 絶叫が口からほとばしり出た。

 しかし、暮色を背景に姿を現したのは逆立ちの女ではなく、普通に直立した男のシルエットだった──。

「戸を開けたのは、その家の住人じゃったんじゃけどね」

 頼富は苦笑いしながら続けた。

「わしが納屋に入ったのを家の中から見とったらしい。どうせ何か良からぬことをしよるんじゃろうと疑って、向こうは向こうで警戒しながら、わしをとっちめるつもりで一気に戸を開けたんよの。そこへいきなりの叫び声じゃけん、相手もびっくりしとったわ」

 ビールのグラスに伸ばしかけた頼富の手が止まった。中身が空になっている。すかさず風早青年がビール瓶を手にして中身を注ぎながら、口を開いた。

「逆立ち女の幽霊は……」

 頼富からお返しのビールを受けつつ、風早青年は続ける。

「今昔物語にも登場しますね。それに沖縄でも聞いたことがあります。もっとも昔話として、ですが」

 病気の夫に操を立てるため、わざと醜くなろうと鼻を削ぎ落とした妻。だが、快復した夫は貞淑な妻を捨てて他の女に走り、悲嘆に暮れた妻は哀れにも悶死してしまう。やがて妻は幽霊となって夫の前に姿を現すが、夫は埋葬した妻の棺を開けて、あろうことか遺体の両足を釘で棺桶の底に打ち付けてしまった。脚の自由を失った妻の幽霊は逆立ちで出没するようになり、ついに夫への復讐を遂げる──と、そういう物語だそうだ。

「ああ、その話は小さい頃に聞かされたわ。沖縄の話じゃったか」

 頼富は中空に目を向けて記憶をまさぐる。

「子ども心には、わけのわからん逆立ちよりも、妻が自分で鼻を削ぎ落したことに恐ろしさを感じたもんじゃが……」

 風早青年がやや冗談めかした口調で尋ねる。

「頼富さんが遭遇した逆立ち女に、鼻はありましたか?」

「さっき話したように、努めて相手の顔を見んようにしとったけん、はっきり覚えちゃおらんが……鼻がないという異様な感じはせんかったね。というか、顔の造作がまったく印象に残っていないんよね。のっぺらぼうみたいな……」

 頼富はそこまで話すと首を傾げながら

「まあ、今となってはあの出来事自体がぼんやりとしとって、現実のことじゃったんかどうかという感じもするわ。わしが逃げ込んだ民家のおやじも『逆立ち女なんぞ見ちゃおらん』いうて言いよったし」

 風早青年は、発言の背景を探るかのように目を細めて頼富を見つめた。

「で、もう一つの怪談なんじゃけど、そっちはわしと違って、ええ思いをした話じゃ」

「ほう、いい思いですか」

 風早青年が改めて興味をかきたてられた様子で、身を乗り出す。

 二つ目の話の体験者は、通称「幹さん」という、頼富より五歳ほど年長の男性。

 五月の終わりか六月の初め頃、ちょうど梅雨に入るかどうかいう時期で、やはり緋劒神社からの帰り道だったという。

 村の北東部にある自宅に帰る途中で迷った。通い慣れた道なのに、いくら歩いても見知った場所に行き着かず、そのうち、山の奥深くに足を踏み入れてしまったらしい。

 それでも必死に歩を進めていたら、日が沈むとほぼ同時に木々の間に灯りを見つけた。近づいてみると、それは建物の随所から煌々とした光を放つ巨大な館だったという。

 ほっとしたのも束の間、救いを求めようとして、ふとためらいが生じた。中にいるのは誰か、何者か。自分の存在を明らかにすることで、逆に窮地に陥るのではないか。

 門前でまごまごしていると、気配を察したのか中から出てきたのは、何とうら若い美女。

 彼女に誘われて館の中に入ると、中では三十人あまりの老若男女が宴会の最中だった。男も勧められるままに腰を下ろし、酒肴をふるまわれ、杯を重ねて、すっかりいい気分になったところで、例の美女に「夜風にあたりましょう」と外へ連れ出された。

 しばらく夢見心地でぼんやりしていたが、ふと気づくと、周囲は真っ暗闇で、館は跡形もなく消え失せていたそうだ。

 夜の山の恐ろしさを熟知している男は、闇の中で歩き回るようなことはせずに、夜明けまで耐えて動かず、それから自力で下山して無事に自宅に戻ったという──。

 話が終わると、頼富はまたビールで喉を潤した。いつの間にか空瓶は二本に増えている。

 風早青年は何やら沈思黙考して、今聞かされたばかりの二つの話を頭の中で反芻している様子だ。

 実にありきたりの感想だが、不思議な話だ、としか評しようがない。語り口のせいかどうかはわからないが、背筋が寒くなるような恐怖も現実感もそれほど伝わってはこなかった。当事者である頼富は恐怖におののいたことだろうが。

 BQSビジターズの活動で、たまに軽めの心霊スポットに出かけることもあるが、そのような場所にまつわる怪談と同じようなレベルだな。ただ、この村を覆う妖気というか邪気というか禍々しい気配は、何だか徐々に強くなっているような気がする。

 翔吾も口をつぐんでいるし、俺たちも何とコメントしていいのかわからないので黙っていると、しばらくして風早青年が口を開いた。

「頼富さんがご存知の体験談は、今お話しいただいた二件なんですよね」

 改めて念を押し、頼富が頷く。

「実話かどうかは別として、お話しの中に出てきた『神隠しや山の怪の悪戯』に関する言い伝えなども、村では語り継がれているんですか?」

「言い伝えというても、ほんの子どもの頃に聞かされたような昔話の類じゃけんねえ。最近じゃもう忘れられとるよ。わし自身、どんな話じゃったか覚えてもないし」

 そこで頼富は、何かを思い出したように表情を動かし、少し口調を変えて

「ただ……そうじゃの、神隠しについては二十年ほど前、行方不明になった人がおるとかおらんとか」

「えっ? それは……村の中で?」

「いや、それがよくわからんのじゃ。よそから来た行者か巡礼か旅人が、来村前後に消息が途絶えたいう話よ。詳しいことは知らん」

「二十年ほど前というと、先ほど伺った怪現象の発生とだいたい同時期ですよね。ちなみに頼富さんの逆立ち幽霊と隠れ館の怪異とは、どちらが先でどちらが後の話なんですか?」

 頼富の答えは、隠れ館が先で逆立ち女がその五年ぐらい後だということだった。

「隠れ館の体験をされた方は、何と仰るんでしょうか。できれば直接確認したいことがあるんですが」

 風早青年のリクエストに、頼富は神妙な顔つきで

「会うのはおそらく会えるじゃろうけど、まともな話ができるかどうか……幹さんは、隠れ館の一件以来、ここがやられてしもうてねえ」

 と、自分の頭に人差し指を向けて数度回転してみせた。

「挙句の果てに女房子供に手を上げるようになって……いわゆるDVいうやつよ。それで妻子は出ていったんじゃ」

「そうなんですか……」

 風早が落胆した表情を見せる。

「幽霊騒ぎのあと、わしも信心の態度が多少は改まって不良信者と言われることはなくなったけど、幹さんはそれを通り越してヤマガミ様の狂信者になってしもうた」

 少し沈んだ口調でしんみりとそう語って、頼富は話を結んだ。

「ちょっと手洗いに行ってくるわ」

 少しふらつきながら立ち上がり、座卓の間を歩いていく頼富。その後ろ姿から視線を外し、風早青年は中空に目を据えて何やら考え込んでいる。

 しばらくして、ゆっくり頭を振りながらこうつぶやいた。

「皆、緋劒神社の後なんだよな……」

 俺は首を傾げ、翔吾は目をやや見開いて続きを促した。

「どういうことです?」

「いやね……」

 風早青年は俺たちの顔を交互に眺めやりながら、

「昨日の、抽斗の中のお婆さんの話と、今、聞いた二つの体験談、三つの怪異譚だけど……どのケースも緋劒神社を訪れた後に怪異に遭遇してるってことになるよね」

 言われてみれば……昨日のバスの中でのやり取りを記憶の箱から呼び起こした。確かそんな話だったように思う。

「これって、ただの偶然だろうか」

 青年は厳しい顔つきになって、頭の中で思考を巡らせている様子である。

「それと……二十年前の失踪疑惑か。気になるな」

 現実感に乏しい怪談よりも、俺はそちらの方にむしろ引っかかりを感じるけど……自分の頭の中では、それが明確な形をなさない。

 頼富が戻ってきた。手洗いに立つ前よりも多少足取りは確かな様子である。

「それにしても、こんな怪談がお仕事の役に立つんかいの。歴史の先生やっとられるいう話じゃが」

「申し上げたとおり、歴史と民俗学と怪談は密接に関連? いろいろと参考になるものですよ」

 風早青年は、答えになっているのかいないのかわからない理屈でお茶を濁した。頼富に体験談の披露を依頼した際にも、そういう理屈を使ったのだろう。

「じゃ、話はこんなとこでええかの。そろそろ通夜祭に行く準備せにゃならんけん」

「頼富さんも参列されるんですか」

 思わずテーブル上のビール瓶と頼富の顔に交互に目を走らせた。空の瓶が三本、中身のほとんどが頼富の体内に摂取されているはずだ。酒気帯び状態での通夜出席って問題ないのか。

 視線で言いたいことがわかったのか、頼富は破顔一笑

「なに、こんなもん、飲んだうちに入りゃせんよ。送り迎えも頼んどるし」

 と豪語しながらも、少々足元が怪しい。

「たぶん村人は、通夜祭か神葬祭のどっちかに、ほぼ全員が顔を出すじゃろうけんね」

 会計では「ここはわしが持つ。あんたら、お客なのにほとんど飲み食いしてないじゃろう」とか「いや、時間を割いてもらってお話を聞かせていただいたので……」とか、軽く一悶着あったようだが、結局、頼富のツケということで話がついたらしい。確かに、風早青年をはじめとして俺たちは、申し訳程度の飲食しかしていないのだが。

 錦湯の玄関前で、丁重に礼を言い、袂を分かつ。頼富は東へ、俺たちは西へ。

 駐在所の前に差しかかったところで、ちょうど中から出てきた原塚巡査とばったり出くわした。まだ彼は、しっかり制服を着込んでいる。

 関係ないことだが、駐在所の勤務時間ってどうなってるんだろう。自宅と職場がほぼ一緒なんだから、公私の区別とか勤怠管理とか難しいんじゃないかな。ある面では、かなりブラック職場なのかもしれない。

 だが当の本人はこの暑さの中、涼しい顔で

「おや、みなさん、お揃いですね。お食事でも?」

 相変わらず丁重な物腰だ。彼生来の持ち味なのだろう。

 風早青年が、頼富氏に昔の体験談を聞かせてもらったことを話すと、原塚巡査は

「ああ、頼富さんね。彼、村の青年団の団長で、面倒見の良い人ですよ。いずれは緋劔神社の氏子総代に、という話もあるぐらいですから」

 と言う。確かに頼富氏、錦湯では気前よくご馳走してくれたし、何だか容姿に似合わぬ大人物であるような気がしてきた。

「ところで、原塚さんもお通夜に参列されるんですか?」

 風早青年が訊ねた。

「駐在所を長時間空けるわけにはいかないので、参列はしませんが、お悔やみに伺います。もし今から神社にお戻りなら……車を出しますので、乗っていきますか?」

 とてもありがたいオファーだった。今日は朝から、遺体発見、山中捜索、学校での聞き込み、怪談拝聴──と、村内を駆けずり回っている。さすがに疲労困憊だ。

 ここから神社まで、車なら五分足らずの距離だが歩けば二十分近くはかかる。車と聞いた以上、もはや徒歩の選択は考えられなかった。

 そう答えると原塚巡査は、それじゃ早速……と言って、駐在所の裏手にある車庫から軽自動車を引っ張り出してきた。

 最初は一瞬パトカーを思い浮かべたのだが、さすがに私用で民間人を乗せるわけにはいくまい。でも、そもそも原塚巡査にとって村での弔問って私用になるのかな。それならそれで、制服着用の必要はなさそうだが。

「しばらくぶりに舞依さんのお顔を拝見できます」

 イグニッションキーを回しながら、運転席の原塚巡査は言う。

 不謹慎といえば不謹慎だが、何だかうれしそうだ。もしかすると、彼は舞依がお気に入りなのかもしれない。

「ここ数日、舞依さん見かけてないですからね。一昨日も舞依さんかと思って挨拶したら、夏休みで帰省してる結依さんだったし……。こちらに着任して一年以上になりますが、未だにお二人を取り違えることがあります」

 あれだけ瓜二つなのだから、そりゃ取り違えはあるだろうな。

 それはともかく、口ぶりからすると、どうやら原塚巡査は舞依の家出に関しては何も知らされていないらしい。

 舞依を褒めちぎっていた今朝のお婆さんたちも同様だったし、外聞をはばかる紫乃婆様が、栞梛家の面々に箝口令を敷いて情報漏洩を防いでいたに違いあるまい。人の口に戸は立てられぬというが、この狭い村の中での情報統制ぶりは見事だ。

「舞依さんだけじゃなくて、勇人さんにもここんところお目にかかっていないけど……ま、あの人はね」

「勇人ってお兄さんですよね。どういう人なんですか?」

 俺が問うと、原塚巡査の嬉々とした表情が見るみる曇り、代わりに苦々しさが満面を覆った。

「私の口から言うのも何ですが……かねてより素行がよろしくなくて、最近は家にも帰ったり帰らなかったりだとか……」

 原塚巡査もさすがに詳しくは語らなかったが、お兄さんは、高校卒業後も進学するでも定職に就くでもなく、あまり良くない種類の知人友人と付き合いながら、ぶらぶらと自堕落な生活を送っているらしい。昨夜、美弥子さんから話を聞いた時点では、お兄さん=ニートという認識だったのだが、どうやらただのニートよりも重症のようだ。

 原塚巡査の口も重いし、あまり根掘り葉掘り聞くのもはしたないので話題を変えようと思った時、ふと、先ほど頼富氏に聞いた二十年前の失踪疑惑のことが頭に甦った。古い話だけど、原塚巡査なら職業柄詳しいことを知っているかもしれないな。

 午後六時半を過ぎて、太陽が西の山の稜線に隠れ、ようやく暮色が濃くなってきた。身にまとわりつく熱気も、心なしか冷めてきているように感じる。

 蒼然とした夕暮れの中、神社の方に向かって連れ立って歩く村人の姿が、少しずつ数を増している。頼富氏が語っていたように、通夜祭に参列するのだろう。

 原塚巡査の運転する軽自動車はそれらの人々を追い越し、社橋を渡り、一の鳥居横奥の駐車場に入って停車した。

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