第46話 囚われ人

 城門の前に一人で進み、両手を上げた。


『貴殿がトゥルーブラッドであらせられるか』


「ああ、そうだ」


『私と同道を?』


「そのつもりだ。だが条件がある。この城はしばらく放って置いてくれないか?」


『貴方がおとなしく従う、と言うのであれば』


「抵抗はしない」


『わかりました。我が名において誓いましょう。この城に手出しはせぬと』


「助かる」


 俺を抱えた機甲兵が雪原を滑っていく。そしてエルフたちの野営地に着くと、機甲兵からエルフの女が下りてきた。


「先ほどは失礼を。少し、お話を」


「ああ」


 俺はその女についてエルフの野営地を歩いていく。興味深げに物陰からエルフたちが俺をのぞき込んでいた。それはいいがこの悪臭は何とかならないものか。俺はマフラーで鼻を覆って少しでも悪臭から逃れようとした。


 一際大きな天幕に案内され、そこで暖かいコーヒーを出された。飲み物はインセクトたちと変わらない。なのになぜ、これほどまでに臭いのだろうか。


「我が名はアシュリー。アイリス教団の司祭を務めています。よろしければ貴殿の名を」


 アシュリー、そう名乗った中世騎士風の衣装をまとったエルフの女はとても美しかった。だが臭い。


「俺はゼフィロス。あんたらの始祖アイリスの兄だ。目覚めたのはあんたらが聖地と呼んでいた施設。ほかに聞きたいことは?」


「いえ、大変失礼を。あなた様が始祖アイリスの兄君、ゼフィロス様。アイリス様の残された聖書には何度もあなた様の事が」


 そういってアシュリーは地に片膝をついて頭を下げた。感動の為かその体は小刻みに震え、上げた顔には涙が伝っていた。だがそれを見ても俺は何の感銘も受けなかった。アシュリーは趣きこそ違うがヴァレリアたちに劣らぬ美女であり、その態度も恭しい。だが臭いのだ。その匂いの前では感動の涙も動物のよだれと同じに見えた。


「聖書? なにそれ」


「ご存じとは思いますが我らは始祖アイリスを神と崇めております。そのアイリスの残した日記。それは我らエルフの取るべき道を詳細に表したもの。その中にゼフィロス様の名が」


「へえ、そう」


「我らが生きる意味。それはゼフィロス様にこの世界をお渡しし、王となっていただくこと。それまでは直系の子孫である我らアイリス教団の者が指導的役割をと」


「ま、何でもいいけど。んで、俺はどうなるの?」


「我らと共に首都、アイリス・シティへ。あちらでカエデ様に」


「カエデ、か。あれも結構ボロくなってんじゃない?」


 カエデと言うのはコールドスリープ前に我が家で召し使っていたアンドロイドの事だ。姿かたちは人にそっくり。家事や話し相手も務められる優れものである。


「そのような事は」


「あのね、最初に言っておくよ。あんたたちの間ではアイリスは神かもしれない。カエデだって偉いのかも。けどね、俺から見ればアイリスはバカな妹で、カエデはメイド。それ以上でもそれ以下でもない」


「確かに。始祖アイリスはゼフィロス様はそのように仰るであろうと。そしてカエデ様に会えばすべてが解決する、とも」


「まあいいや。それじゃ、俺は殺されたりはしないのね?」


「ええ、もちろん。貴方様をお迎えすることは始祖アイリスが何より願ったエルフの悲願でもあるのです」


 ふぅ、と一つ息をつく。アイリスの権威が形骸化、そんなことになっていれば俺はおそらく助からない。だが、そうではなかった。


「ですが、貴方様はこれまでエルフを敵としてこられた。恐れながら最低限の事だけは」


 そう言ってアシュリーは俺の剣と銃を取り上げ両手を拘束した。


「貴方様がカエデ様とお会いになるまでは、申し訳ありませんがそのままで。私にも立場、と言うものがありますので」


「立場、ねえ。ま、いいけど。でもこれじゃ生活できないよね?」


「世話するものをお付けします。すべてその者に申し付けください。では」


 アシュリーが立ち去り、代わりに首輪をはめた少女が現れ、俺に頭を下げる。


「私はレナと申します。いかような事でもお命じください」


 そのレナに連れられて俺は鉄格子のついた荷車に乗せられる。当分はここが俺の住処になるようだ。手枷をはめられた俺は何をするにもレナ頼み。

 だがそのレナもエルフであり、顔はかわいかったが臭いのだ。しかし葉巻を吸うにも飯を食うにもマフラーから口を出さねばならない。そうなると臭いにおいが直撃する。


「あの、何かお気に召さないことでも? 言っていただければ改めますし、殴っていただいてもかまいません」


「あー、そういうのいいから。で、いつまでここに居ればいいの?」


「じきにこの陣は引き払い、アシュリー様の御領地へ。今しばらくの御辛抱を」


 あんたといるのが一番苦痛なんだよね、と言いかけてやめた。恐らくこのレナって子は前に城に捕らわれていた裸の娘と同じで奴隷か何かなのだろう。そういう弱い立場の子をいたぶる趣味はなかった。臭いけど。


 しばらくすると荷車が動き出し、俺はできるだけ新鮮な空気を求めて鉄格子の近くに顔を寄せ、葉巻を吸った。俺の荷車の後ろにはアンドロイドが引く、似たような荷車が何台も連なっていた。アシュリーは領主、つまりそれだけの数のアンドロイドを抱えていると言う事だ。


 徐々に気温が下がり、吐く息は白くなっていた。夕方からは雪も降りだし、夜には吹雪。体温調節機能の付いたコートを着ている俺は寒さをそれほど感じなかったが粗末な服しか与えられず、しかも俺から遠ざけられていたレナは身を縮こまらせて震えていた。気温が下がったせいか、それともなれたのか、それほど匂いを感じなくなった俺はそのレナに俺に与えられた毛布をかぶせてやった。


「すみません、私なんかに」


 レナは涙ぐんでそう言ったが俺は返事もしなかった。かわいそうだとは当然思う。インセクトの娘であればいやらしい気持ちもあって、抱き着いていたかもしれない。だが相手は臭いエルフなのだ。敵だ、と言う思いや憎しみよりもまず匂いが先に来る。それは姿かたちの良ささえも塗りつぶしてしまうほどに嫌悪感を覚えるのだ。獅子族も獣臭いがそこまでの不快感はなかった。


 夕食の差し入れがあり、それを俺は不自由な手枷をはめた手で食った。レナに食わせてもらうとその匂いでせっかくの食事も台無し。温かいスープ、それに湯気の立つ肉料理は普通にうまい。そして添えられたパンも白く、やわらかいものだった。レナには何かどろっとしたスープと固そうなパンが与えられ、そのパンをスープに浸し、食べていた。


「なあ、レナ。同じエルフなのに、なんでお前は奴隷なの?」


 腹も膨れ、満足した俺は葉巻を吸いながら気になっていた事を尋ねた。


「それは、その。私たちの祖先は始祖アイリス様に無礼を働いたからだと」


「は? 無礼ってどんな?」


「――乱暴を。それでその血を引く私は生まれながらにして」


「それってもう何百年も前のことだろ?」


「ええ、始祖アイリス様はご自分に乱暴を働いた者たちを処断せず、奴隷として扱いました。そしてその奴隷たちに子を産ませ、その子をも奴隷に。それが罰だと。ですから私たちは年頃になると必ず子を産まされるのです。そしてその子は母の手から引きはがされて奴隷に」


「はは、すごい話だね、それも」


「ゼフィロス様に捧げるはずだった純潔をそのように散らされ、アイリス様は血の涙を流されたと」


「あー、そのゼフィロス様は俺ね。で、俺は妹とそんなことする気は全くなかったから」


 聞けば聞くほどカルロスの気持ちがわかる。ついていけないよねー、これじゃ。


 翌朝早くに荷車は止まり、アシュリーが膝をついて迎えに来る。俺は荷車から連れ出され、手枷を外された。


「不自由をおかけいたしました。その分これからは存分にお寛ぎを」


 俺は視力矯正のために必要だと嘘をついて残してもらったゴーグルであたりを見る。アンドロイドは全部で8体。そのうち一つがアシュリーの乗る軍事用。ほかは民間用の重機だ。つまりあの一体さえ何とかすれば、ってどうにもならないか。何しろ剣も銃も取り上げられている。それに周りはエルフのみ。多勢に無勢過ぎる。


 アシュリーの屋敷に入った俺はレナの世話を受けながら風呂を使った。当然レナも裸なわけで膨らみかけのアレとか毛の生えかけたソレとかが丸見えなわけだがまったく変な気持ちにならない。ただ、臭さの原因がわかった気がする。臭いのは主に腋や首の後ろ、それに股。つまりフェロモンを発する場所だ。そのフェロモンの匂いが決定的に合わない。別にエルフが不潔なわけでも何でもないのだ。


 ちなみに毛の生えかけてるのは腋だからね。(本作品はR15。健全をモットーとしております。)


 逆にエルフには俺の発するフェロモンは感じないようで、いたって普通。そりゃ裸の男女だからそれなりの反応は見せるが、それだけだった。


 風呂から上がり、用意されていた服に着替える。俺の着ていた軍服は持ち去られ、代わりに貴族風のシャツとズボンが用意されていた。そして連れていかれたのは鉄格子のついた洋風の座敷牢。ほんとありがとうございました。どう見ても捕虜だもの。ま、中にあった調度品は豪華なものだったけれども。

 最悪なのがトイレ。部屋の中に衝立があり、その向こうにおまる。そこにしたものをレナが捨てに行く

という親切設計。どんだけ? 下にうねうねとワームが蠢くインセクトのトイレの方が百倍マシである。


 そして食事ともなればアシュリーがわざわざ部屋にやってきて一緒に食うのだ。年頃なのかアシュリーの放つフェロモンは鼻が曲がるほどに臭い。だが、我慢せねば。なにせ俺の生き死には彼女にかかっている。そう言っても過言ではないのだから。

 その臭さを除けば結構快適でもある。葉巻でも酒でも、何でもレナに言えば用意してくれるし、飯だってまずくはない。できれば一人でゆっくりと食べたいものだ。臭い二人とは別に。


「ゼフィロス様、カエデ様への連絡は天候が回復して、と言う事になります」


「そう。ま、どうでもいいけど」


「ご気分を害し申し訳ありません」


 気分を害すのはあんたの匂いね。


 むすっとした顔でいるとアシュリーは悲しそうな顔で部屋を出て行った。レナが食事の後片付けをしているのを横目に見ながら俺はベットに寝転がり、葉巻を咥える。その煙がエルフの臭さを多少なりともごまかしてくれるのだ。


 昼過ぎ、俺がごろごろしていると新たな客が。イケメンだがわがままそうな表情をした男だった。


「お前がトゥルーブラッド?」


 面倒だから返事もしなかった。するとその男は急にキレ顔になり、そこにいたレナを蹴飛ばした。


「なめってんじゃねーぞ!」


 そう言ってテーブルなんかを蹴倒した。ま、俺のもんじゃないしどうでもいい。


「レナ、葉巻」


「はっ、はい!」


 俺はその男を完全に無視して葉巻に火をつける。そしてその男に煙を吹きかけてやった。エルフってのがみんなこいつみたいに嫌な感じなら心に痛みを感じる必要もないのに。ま、臭いから俺は痛みを感じないけど。


「て、てめえ、いい加減にしろよ? 俺を誰だと思ってる!」


「誰かは知らないけど静かにしてくれない? あ、そこから近づかないで、臭いから」


「あーん?」


 そう言って俺の胸倉をつかんだ男の手に、ジュっと葉巻を押し付けてやった。忘れがちであるが俺はインセクト並みの力を持つ男。ひ弱なエルフなどに素手でどうこうされる事はまずない。


 とはいえ一応こういうことは段取りが大事である。その男が憤怒の表情で俺を殴りつけた。それは実に弱弱しい。俺も伊達にイザベラや母ちゃんに殴られてきた訳ではないのだ。その拳は全くと言っていいほどダメージを感じなかった。


「レナ、見たね、今の」


「はい」


 そう言うと俺はそいつの手を取って、思い切り逆にねじりあげる。バキバキっと変な音がしたが気にしない。男は「ぎゃあああ!」と大騒ぎだ。なのでリクエストに応えて反対の腕もねじりあげてやった。


「何事か!」


 そう言ってアシュリーが駆けつけた時、男は床で傷みに呻きながら芋虫のように這っていた。


「ゼフィロス殿、どういうことですかな?」


 答えるのが面倒に感じた俺は顎でレナを指した。


「その、キース様が突然ゼフィロス様に手を上げられて」


「貴様に聞いておらん!」


「なあ、お前、俺はなに? こんな鉄格子のついた部屋に入れられて、殴られても我慢しなきゃいけないの?」


「いえ、決してそのような」


「カエデが来たらお前の事は報告させてもらうから。あいつ、偉いんだろ?」


「……その。不手際がありましたのは事実ですが」


「だったらこいつ、打ち首にでもしてよ。いきなり人を殴るとか狂人としか思えないし」


「その、彼は私の許嫁で、隣接領主の跡取りなのです」


「で? それが? 俺に関係ないじゃん」


「申し訳ありません! すべて私の落ち度で! 必ずや償いを!」


「そ、ならその汚物を早くどけて。もう二度と顔を見ることがないようにね」


 アシュリーはキースとかいう男を俺の部屋から連れ出した。特にやることもない俺はそのまま昼寝をし始める。


 起きてみるとびっくり、俺の手には再び手枷がつけられていた。


「どういうこと?」


「あの、その、アシュリー様のお申しつけで」


 なるほど、この奴隷も結局はそんなもんだ。同情する必要などかけらもない。エルフはすべて一緒なのだ。



 その夜、アシュリーが薄絹をまとって俺の部屋を訪ねた。


「何の用?」


「その、昼の失態の償いを。わが身を捧げますゆえ、どうか昼の事は内密に」


 その貞操観念のなさと、狡さ、それが匂いと共に鼻につく。インセクトのように一妻多夫でもあるまいし。


「あー、そういうのいいから。出てってくれない?」


「ゼフィロス殿、女に恥をかかせるものではありませんよ?」


 そう言って近寄って来るのを手枷のついた手で制した。アシュリーはその気にでもなっているのかフェロモンの匂いがいつにも増して臭いのだ。


「無理! くっさいんだよ、お前!」


 イラっとした俺はつい、言っちゃいけないことを口走る。


「く、臭い? こ、この私が?」


「あ、いや、そんな感じに聞こえちゃった? あはは」


「ゼフィロス殿。貴方はどうやら魔王と化してしまわれたようだ。始祖アイリスの聖書にもその可能性について記述があった。貴方をお救いするのが遅ければ、魔王となられる事もあると。残念です。

 ゼフィロス殿、私はアイリス教団の司祭として貴方を魔王と認定する!」


「えっ、何かかっこいいけど。それってどんな役職?」


「魔王となられたあなたはすべてのエルフを滅ぼす。ですので私が司祭の名と役儀において処断を!」


「えーーーっ! ちょっと考えなおしたほうがいいんじゃないかな! ほら、魔王っぽかったけど実はそうじゃなかったとか!」


「出会え者ども! これより魔王ゼフィロスの処刑を行う! レナ、そいつを庭に!」


 そう言われたレナはふっと鼻で笑い俺のわき腹を蹴飛ばした。


「立て、魔王。お前は罪人以下、奴隷以下の存在なのよ」


 うっわ、これですか。レナはとても残酷な目で俺を見る。普段虐げられてる人が逆の立場になるとこうなるのかねえ。


 外に出ると俺は背中を剣でつつかれながら歩かされ、断頭台らしきところに連れていかれた。しばらくすると貴族っぽい服に着替えたアシュリーがエルフにしてはたくましい、大斧を持った覆面の男を連れて出てくる。あたりは松明で照らされて昼のように明るかった。


「聖書第三十三節にあるように、聖王ゼフィロスは魔王と化した。これを処断し将来の禍根を断つはわが教団の役目である。よってこれより、魔王ゼフィロスの処刑を開始する!」


 アシュリーがそう言うと集まったエルフたちは気勢を上げて喜んだ。「死ね、魔王!」「貴様はエルフの敵だ!」などと言う中で「この童貞野郎が!」などと言う的外れな罵声もあった。


 俺は断頭台に押さえつけられ、アシュリーに頭を踏まれる。その時まで何となく、どうにかなるんじゃね? ぐらいの気楽さだったが、見上げた覆面の男が斧をぎらつかせたのを見ると急に現実感があふれ出す。


「ちょ、ちょっとまった! ね、考え直そう? 今ならまだ間に合う!」


「見苦しいぞ! 魔王ゼフィロス! 貴様もアイリス様の兄であれば粛々と死を受け入れろ!」


「無、無理無理無理そんなの絶対無理!」


「やれ!」


 どこかで昔見た作品のようにドラゴンが飛んできてキシャァァーとブレスでも吐いて大混乱、そんな展開は全くなかった。ただ、処刑人が斧を振りかぶりニヤリと笑う。


 あ、やっべ、これ完全に死んだわ。あちゃー!


 そう思ったときにふとあの夢を思い出す。ダメだ! 俺が死んだらまた核の炎で! 娘たちにあんな思いをさせるわけには! 


「ぎゃあああああ!」


 そう叫ぶ俺に無情にも斧が振り下ろされた。


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