第36話 好意と愛情

「ったくよぉ、ひでえ目に遭ったぜ」


 翌朝ジュリアはそう愚痴をこぼした。


「大変だったね」


 そんな話をしながら葉巻に火をつけ、コーヒーを啜る。いろいろ準備が整うまで俺はこの部屋で缶詰だ。うかつに部屋を出ようものならモテモテパワーが炸裂して、騒動になりかねないのだと言う。ルカさんを始めとした、ファースト、そしてセカンドはヴァレリアとジュリアの抜けたこのコロニーに幹部たち。それが俺の匂いにつられてしまえばみな困る事になるのだ。


「けどさあ、ジュリア。モテるのは男としちゃ嬉しいけど、なんか複雑」


「なんでさ?」


「だってさ、みんな俺の匂いが好きなだけで、俺の内面とかそう言うのが好きなわけじゃないじゃん? ジュリアもそうだし、ジュウちゃんやメルフィ、それにヴァレリアだって」


「バッカだなあ。んなこと気にしてんのか?」


「だってさあ」


「いいか、ゼフィロス。匂いってのはな、そりゃあ好みがあるさ。あんたがアタシたちを美人だって言ってくれんのと一緒さ。けどな、惚れる惚れないは別の話だ。あんただってそうだろ? ジュウやサーシャは人の形ですらねえんだ。なのにあんたはあいつらの事が大好きだろ?」


「まあね」


「アタシは元々人を好きになる、なんてことはなかった。アンタの匂いが好みだった、最初はそれだけさ。けどな、今は匂いなんか関係ねえ、アタシはあんたに惚れてんだ。立場を越えて、こうしてプリンセスになっちまうくらいにな」


 そう言われると嬉しくもあった。俺がこの世界で特別な種族で、だからみんながちやほやしてくれる。ただそれだけ、そう言う疑念が少しだけ溶けた気がする。


「――正直に言えばな、最初はあんたをうさんくせえ奴だとも思った。ユリを助けたのもたまたまで、幼いあいつをダマくらかして自分が助けたことにしちまったんじゃねえかって。そして親父たちの言う、昔。今よりももっと進んだところにいたあんたは、あのエルフたちとおんなじようにアタシたちを見下して、バカにしてるんじゃねえかとも思った。もしそうなら殺しちまおうとも思ったさ」


 そう言うとジュリアは俺に跨って、その胸にぎゅっと俺の顔を埋める。


「けどな、そうじゃなかった。命がけで姉貴を救い、アタシたちとおんなじもんをうまそうに食って、生活だってなんだって全部アタシたちに馴染んでくれた。そしてずっとアタシたちを女として見てくれた。

 …気が付いたらアタシはあんたの事が大好きだった。姉貴にとられたくなかった。惚れてたんだ、セカンドに産まれたこの身を呪うほどにな。そしてあんたの匂いはアタシの好みだった。匂いなんてのはそんなもんさ。きっかけではあったけどそれが全てじゃない。だからな、もうそんなつまんねえ事言うな」


「うん」


 そう答えるとジュリアは俺を優しく抱いて、慈しむようにおでこにキスをしてくれた。


「だけどさ、それならなんで外に出ちゃまずいんだ?」


「ふふ、今のあんたはそれだけ魅力的ってことさ。母様やファーストはあんたを見ただけで女になっちまう。赤アリのセリカやキイロスズメバチのジュンがそうだったろ? プロテクト、なんてのは役に立たねえって事さ。

 けど、あんたの中身を知って、それに惚れてんのはアタシたちだけだ。母様も他所の奴らもただ、あんたの子が欲しくなるだけ。だったら種付けだけしてやれば奴らも満足って訳だ。アンタの中身に惚れてるようならアタシだって流石に妬くさ」


「そっか、そうだよね。グランさんたちの言うモテると、ジュリアたちに愛されるのは全然違う事だもんね」


「そういうこった。母様もそうだし、他所の連中も、そう言う道具とでも思って好きにすりゃいいんだ。それが連中にとっちゃなによりのご褒美なんだからな」


「はは、それもひどい話だね」


「いいんだよ、それで。下手に優しく扱って、惚れられでもしたら、アタシはともかく姉貴やメルフィが黙ってねえ。あの二人は筋金入りのわからずやだからな」


「そうだね、すぐ喧嘩するし」


「問題はだ、そのセリカとジュンだな。ジュンはともかく、セリカはあんたに惚れちまってる」


「そうなの? そう言う要素ないと思うけど。匂いに惹かれただけじゃない?」


「あはは、これだからな。鈍感にも程があるぜ、全く。いいか? あんたはセリカの前でエルフを斬った。その手でな」


「うん」


「あんたはあの匂いが嫌だっただけかもしれねえが、そのことはアタシたち、インセクトにとっちゃ十分好意に値する。純血のあんたが姿の近いエルフより、アタシたちを選んでくれた。まして戦いの中、やむをえず、じゃねえんだ。捕まって牢に閉じ込められてたやつをアンタの意志で」


「そう言われるとひどい事してんな、俺」


「ひどくなんかねえさ。あんたはエルフに馴れあうつもりはない、そう示してくれたんだ。目の前でそれを見たセリカにとっちゃ衝撃だったろうさ。なんせエルフはあんたの妹、始祖アイリスの後裔なんだからな。妹も、同族と言ってもいいエルフも捨て、アタシたちと。そりゃ感激もするし惚れもするさ」


「それでメルフィに殴られる羽目になった、って訳か」


「そうだな、姉貴がいたら殺されてたかもしれねえ。今ならジュウやサーシャも黙っちゃいねえさ。しちゃったんだろ? あいつらと」


「えっ、まあ、その、それらしきことは」


「あはは、隠すなって。あいつらはあんたの眷属。そのくらいしたってなにもおかしくねえさ。お。準備ができたってよ。行こうか、この浮気者。ははは」


「浮気とかじゃないし!」



 ジュリアは女王の夫たちから各蜂族に与える爵位のリストを受け取り、俺はイザベラに季節ごとに一度はここを訪ねる事を約束させられた。王だなんだと言いながら、結局はいろんなことをやらされる。おかしいですよね。


「いいじゃねえか、面倒ごとは親父たちがやってくれるんだ」


『ゼフィロス様が王でありますか! 私も誇らしいでありますな!』


「そうだ、ゼフィロスはもう、蜂の王さ。アリの王にもなるかもしれねえんだ。そうすりゃお前も王の眷属、王の従者さ」


『そうでありますな、メルフィなど乗せている場合ではないであります!』


「だな、空ではジュウが、地ではアイが王となったゼフィロスを運ぶんだ。立派な役目だぜ? こりゃ」


『これまで以上にお仕えを! 飛ばすでありますよ! 我が王、ゼフィロス様! うぉぉぉ!』


 そう言ってアイちゃんは全力で走り出す。これまでのペースが嘘のように速かった。


 まず最初に向かったのは同じオオスズメバチのアエラのコロニー。この辺りにあるオオスズメバチのコロニーは、イザベラとこのアエラの物だけ。あとは遠くにあるそうだ。グランさんたちはその遠くのコロニーから何日もかけて婿入りしたのだと言う。

 以前はもう一つ、イザベラの母のコロニーがあったそうなのだが、その母はエルフに捕まり殺された。残った人たちは数年も立たずにみな、死んでしまったのだと言う。女王のいないコロニーは存在する意味がない。それは眷属もインセクトの彼女たちも同じらしい。


「ジュリア叔母さま、お久しぶりです」


「ああ、早速だが姉貴に取り次いでくれ。それとファーストは顔を会わせねえようにな。できればセカンドもだ」


「判りました、母に取り次ぎます」


 門番役のソルジャーが目をつむって何かを念じる。しばらくすると女王からの返事があったようだ。


「母がお待ちしていると。どうぞ」


 そのソルジャーは俺が近寄るとびっくりしたような顔をして、すぐにほほ笑みかけた。最も鎧姿なので口元しか見えなかったが。


 コロニーの構造はほぼ同じ、流石イザベラの娘、と言ったところか。


「ようこそおいでくださいました。ゼフィロスさん。それにジュリアも、久しぶりじゃない」


「ああ、そうだな」


「ヴァレリアは元気? 噂ではあなたと同じくプリンセスになったと聞いたけど」


「今は子を産んで女王だ」


「そう、それは良かった」


 けだるそうに長椅子に横たわる女王アエラ。ジュリアの姉で、ヴァレリアと同じイザベラのファースト。だがその顔と声、そして体は結構違っていた。なにがって? それはね、普通に小さいんだ。何もかも。簡単に言えばロリ。イザベラも、ヴァレリアもルカさんも成熟した大人の女なのにおかしいよね。


「それで、御用はなあに?」


「母様はこのゼフィロスの眷属、そう言うことになった。で、姉さんもってな」


「あたしが? この人の眷属に? なんで?」


「親父たちが言うにはだ、ゼフィロスの元に蜂のインセクトは一つになるべきだって」


「そう、お父様が。でもね、ジュリア。あたしはコロニーの長なのよ? お母様がどうしようがそれはお母様の勝手。あたしには関係ないわ」


「つまり、姉さんは母様の決定には従えねえ、そう言う事か?」


「やーねぇ、そう結論を焦らないでよ。お母様に逆らう気なんかないし、だからヴァレリアの求めに応じて娘たちも護衛に出してるじゃない。けど、眷属、となれば話は別よ? 夫たちとも話し合わなきゃいけないし、その事によってこのコロニーに何がもたらされるのかも聞きたいところね。使い潰されるのはごめんだもの。

 ところで彼、もう春なのになんでそんな厚着? マフラーまで巻いちゃってさ。トゥルーブラッドってのは寒がりなの? やっだ、おっかしい。あははは」


「ま、これには理由があるんだ。アタシも強引なやり口は好きじゃねえ。姉さんがきちんと考え、その上で判断できるようにこうしてる。ともかく部屋が欲しい。それと話がまとまったら姉さんの夫を一人寄越してくれ」


「あら、あたしの夫はのこのこ顔色を伺いに行くほど安くないのよ?」


「姉さん、これが最後だ。あんたの夫を部屋に寄越せ。それ以上はこのゼフィロス王、そしてその臣下たる母様、女王イザベラの威厳にかかわる」


「王? なあに? それ。あたらしい冗談かしら? あはははは。」


「母様はゼフィロス王を蔑ろにするものは、家族であっても許さない。そう宣言した。もちろんアタシも姉貴もそうだ。そしてクロアリも今や彼の眷属、そして赤アリは忠誠を誓ってる。なにせゼフィロスは皆を率いてエルフの城を落としてるんだ。その権威と名声を損なう物は評議会においても敵、そうなるだろうさ」


「ちょっと、冗談じゃない。そうやってすぐ敵だのなんだのいう所はヴァレリアにそっくり! いいわ、私の夫をそっちに向かわせる。それでいいんでしょ!」


「最初っからそう言やいいんだよ。姉さん」


「なによ、プリンセスになったからって生意気ね。誰か、お二人を客間に」


 部屋に案内され、ようやく俺はマフラーと、コートを脱いだ。コートは温度調節が働くからいいが、マフラーは普通に暑い。


「ジュリア? こんな面倒な事わざわざしなくても」


「姉さんは身内だからな。いきなり匂い嗅がせちゃ判断も何もねえだろ? そうしときゃよほど側にでもよらねえ限り匂いはしねえからな」


 フェロモンと言うのは耳の裏や、うなじ、それに腋や股から出るものらしい。要は汗臭くなるところだ。それをコートやマフラーで覆ってしまえば匂いがわからなくなる。当然勇者グランの入れ知恵だ。


 しばらくすると扉がノックされ、端正な顔の男が現れる。そのアエラの夫をテーブルをはさんだ向かい側に座らせたジュリアは、勇者グランの受け売りの、蜂族が一つになる意義を語り、そこに自分の意見も付け加える。こういうとこ、ほんとジュリアは頭がいい。間違いなくメルフィよりも頭がいいし、なんでも上から物を言い、最後は拳で解決、のヴァレリアは頭は良いが話し合いには決定的に向いていない。


「なるほど、そちらの考えは理解した。仮にそうなった時、我らの地位はどの程度に?」


「姉さんは母様が亡くなった後は女王位。それまでは公爵、と言ったとこだな」


「悪い話ではないな。将来的にアエラが蜂族の代表、そうなるのであれば。だが、今一つ決定力に欠ける。我らは今のままでも十分。女王イザベラや、そちらはともかく他と組む利が薄い」


「ははっ、そうだろうな。だがな、この話には隠し玉がある」


「ほう、聞かせてもらおうか」


 話をしながらジュリアは相手の内情を聞き出していく。それによれば、まだ若い女王アエラの夫は目の前の彼ともう一人、二人しかいないのだ。欲の強い蜂の女が一晩に一人、で満足するはずもなく、つまり彼らは年中無休。彼の話は途中から愚痴に変わっていた。


「だろうと思ってな」


 そう前置きしてジュリアは本題に入る。俺の匂いとその効果。それに女王イザベラに対する実績を告げるとアエラの夫の目が希望に輝きだした。


「つまり、その、ゼフィロス殿を王、そう認めれば我らには季節ごとに十日の休みが?」


「ああ、そう言う事だ。親父たちは今頃、文字通り羽を伸ばして過ごしてる。あんたらがそれを望まねえ、って言うならこの話はこれまでだな」


 そう言われるとその彼は、もう一人の夫と連絡を取り合って結論を出した。


「あなたに永遠の忠誠を、マイロード」


 そう言って恭しく片膝をついた。


「なら決まりだ。あとは姉さんを何とかすりゃいいだけだ」


「是非に」


 部屋を出た俺たちは途中でもう一人の野性味のある夫に忠誠を捧げられ、四人でアエラの部屋に向かう。相変わらず俺はコートにマフラー姿。ジュリアが言うにはこういう事はインパクトが大切なのだと言う。


「やーだ、ちょっとあなた達まで。で? 結論は出たの?」


 女王アエラは相変わらず不遜な態度。だが自分の夫が二人とも俺に付き従っているのを訝し気に見ていた。


「アエラ、これが私たちの結論だ」


「どーゆー事よ?」


「「ゼフィロス王よ! 真のお姿をここに!」」


 二人の夫が俺に傅いてそう声を上げる。俺は打ち合わせ通りに「うむ」と頷くと、マフラーをジュリアに外させ、二人の夫にコートを脱がせてもらう。


「え、何。やだ、この匂い」


 女王アエラはふらふらっと長椅子から身を起こし、灯に誘われる虫のように俺に近づく。


「あっ、すごい。匂いだけでおかしくなりそう」


 そのアエラが俺に抱き着く寸前にジュリアが割って入った。


「おっと、ここまでだぜ、姉さん」


「嫌、イヤ、邪魔しないで!」


「だったらどうすんだ? わかるよな?」


「――誓う! 誓うわよ! あたしもこの人、いや、ゼフィロス王の眷属に! だからそこをどいて! あたしもう、おかしくなる!」


 ジュリアがニヤッと笑いそこをどくとアエラは俺を抱え込み、羽を広げて奥の寝室に連れ込んだ。そこで蜂族の未来についての熱い討論が繰り広げられた。


「ほら、このでっかい尻尾から蜜を出せよ」


「いやーん。恥ずかしいですぅ!」


 俺はぶれない男だった。ちなみにアエラの蜜はゼリー飲料のような感触で、蜜を出すたびブリュリュっと卑猥な音がした。


 こうして公爵アエラは俺の眷属となった。

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