第16話 クロアリの女とパンと飲み物

 評議会議長、カルロスは話が終わると議場に戻る為、彼の孫娘に当たるクロアリたちを呼び、両脇を抱えられて議場に戻った。

 

 そこでは目を疑う光景が。立っているのは鎧姿のスズメバチ。言うまでもなく、ヴァレリアだ。他の種族の代表は全て打倒されて痛みにうめいていた。


「あの、どうしたの? これ」


「いささか物分かりの悪い連中でな。勝手な事ばかりを言うので懲らしめてやったのだ。誠心誠意、言葉を尽くしたのに通じぬとは悲しい物だな」


 鎧の頭部から覗いた口元がにやりと歪む。まあ、話し合いと言うこと自体が無理があったのかもしれない。


「ゼフィロスと言ったか? あなたに聞いてほしい話がある」


 ぶるぶると体を震わせ身を起こしたのはキイロスズメバチ。前の人と同じかどうかは判らないが。


「必要ない。お前たちの話は聞くに値しない」


 俺の代わりにヴァレリアが冷たくそう答えた。


「それは横暴だ!」


 別のところから声が上がる。赤い鎧姿のアリだった。


「そうだ、話だけでも聞いてもらわねば。これは全ての種族に関わる事だからな」


 そうだそうだとうめき声をあげていた人たちが震える体を起こして言い募る。


「話ならば私が聞いた。私から彼に伝える」


 俺を椅子に座らせてその後ろに立ったヴァレリアは忌々し気に彼らの主張を語った。曰く、ニンゲンである俺の遺伝子はどの種族にとっても有用。オオスズメバチだけの独占は許されないと。


 まあ、なんとなくそんな感じではあるのかな、と思っていた。今の俺はレアアイテム。どの種族とも交配出来て純粋な人の遺伝子を受け継いだ子供は、動物や昆虫に偏りすぎた種を人に近づけることができるのだという。数百年前にカルロスを手にしたクロアリの繁栄、それが証左となっているのだ。


「議長閣下。あなたはかつて、ゼフィロスと同じ、トゥルーブラッドであったという。だが交わったのはクロアリのみ。何故か?」


 ヴァレリアにそう問われた議長、カルロスはフードに隠れその表情は判らない。だが、明らかに動揺しているのが見て取れた。


「――ふむ、中々に良い質問だ。しかし、イザベラの娘、ヴァレリアよ。今はそれを論じ合っている時ではない」


 逃げたよ、完全に逃げてるよ。


「だが、一つの指針となるものはある」


「それは何か?」


「うむ、ライオンの長よ」


「はい」


「そなたたちは彼に欲情できるのか?」


「えっ」


「顔の形も体も大きく違う彼に、その彼を受け止め交配できるのかと聞いておる」


「んー、ちょっと無理かも」


 立派な鬣の雄ライオンの隣にいた雌ライオンがそう答えた。


「狼はどうだ?」


「ちょっとその気にはならないっていうかぁ」


「そうであろう? 逆もまたしかり。ミュータントであるそなたらが人間と交わるにはいささか壁が厚い。と、なると蜂族かアリ族。蜂はオオスズメバチ、そしてアリはクロアリ。最も強大な種族が彼と交わり子を残すべきでは? それで余力があれば他の種族とも」


「しかし、それでは!」


 がたりとキイロスズメバチが席を立ち、抗議の声を上げる。


「あとは蜂族同士の話、蟻族も同様だな」


 議長がそう言い切るとヴァレリア以外の蜂族と、クロアリ以外のアリ族はぐっと歯を噛みしめた。


「ヴァレリアよ、どうであろうか? 彼には数日の間クロアリと共に過ごしてもらうというのは? 彼にどんな種族か知ってもらう。そのくらいは許してもらえぬか?」


「ゼフィロス?」


「ヴァレリア、グランさんはクロアリと仲良くなれるならそうしてって」


「あの男は余計な事を。だがまあいい、三日、三日だけなら許可しよう。無論ゼフィロスの身に何事かあれば力を行使する」


「うむ、彼の安全は私が担保しよう。私はその間ここを動かぬ。わが娘、孫たちが危害を加えるようであれば私を」


「なるほど。議長殿が自ら身を差し出すと。よかろう。我らも三日の間ここに滞在する。メルフィ。それでいいな?」


「ええ、それで。彼の事はわたくしが」


 話はそう決まり、俺はクロアリ族に三日間レンタルされることになった。


「ゼフィロス、無理はする必要ないんだ。嫌であればすぐに迎えに行く。私が側にあらねば、ゆっくり眠る事もできないだろう?」


「とりあえずは行ってみるよ。グランさんにもきつく言われてるからね。どっちにしろ三日たてば戻ってくる。それまで、」


 大人しくしててね、と言おうと思った時、ヴァレリアが俺をぎゅっと抱きしめた。


「必ず、必ず帰ってきてくれ。私はずっと待っているから」


「…うん。必ず。約束だ」


「さ、そろそろ行きませんと。もう、三日のうちの一日目は始まっているのですから」


 メルフィと言うクロアリに急かされるとヴァレリアはああ、と声を上げ、名残惜し気に手を放した。


『なあに、クロアリのところに行くの?』


 入口を出るとジュウちゃんが不服気にそう言って荷物を渡してくれた。そのジュウちゃんの頭を撫でて、メルフィについていく。丘を降りたところには大きなアリがいて、そこに鞍が乗せられていた。


「わたくしたちのコロニーまでは眷属の彼女が。さ、お乗りになられてください」


 ジュウちゃんで耐性がついたのか、巨大昆虫をみても驚きはなかった。そのアリの上に跨ると、メルフィが俺の前に跨り、馬のように手綱を取った。

 アリは結構な速度で進み、街を出る。振り返ると空には俺を見送るハチの群れ。その中には鎧を解いたヴァレリアがいて大きく手を振っていた。



「ゼフィロスさん、不安ですか?」


「いや、それは無いね。あの議長、カルロスは知り合いだったし」


「そう、ですか。議長、いや、おじい様はわたくしたちに様々なものをお授けくださった方」


「そうみたいだね」


「ただのアリの一種族だったわたくしたちは、おじい様のおかげでこの世界に大きな影響力を持つ事が出来ました」


「それで、メルフィ。その影響力をどう使うつもり?」


「交易を通じ、そして評議会を通じて他種族との団結を。今はエルフと言う外敵を抱えておりますから」


「そのあとは?」


「エルフが脅威でなくなれば、セントラル・シティのような様々な種族が共存する街を。わたくしの母、女王はそう願っています」


「共存ねえ」


「種族の異なるもの同士では生存競争が。今はまだ大地に余裕があり、それぞれに繁栄を享受できますが、いずれ地が埋まった時に新たな争いが起きる。おじい様や母はそれを懸念してわずかでも他者を知る為の交流の場を。そうすれば戦いではなく、話し合い。そうした手段が取れるからと」


「話し合いか」


「それにはヴァレリア達、オオスズメバチの賛同がなければ。彼女たちはわたくしたち同様、他の種族を頼らずとも生きていける。そして力は圧倒的。だから話を聞かないし、意を曲げないのですよ」


「まあ、そうなるよね」


「でもあなたが、ゼフィロスさんがこうして、その糸口を作ってくれた。スズメバチたちと十分な暮らしができているにもかかわらず、彼女たちの意を曲げてまで」


「女王イザベラの夫、グランさんがクロアリとの戦争は望まないって」


「……そうですか。やはり蜂の殿方は優れておられるのですね」


「ま、争わないでいいのならそれに越したことはないよ」


「そうですね。さ、もう少ししたら休憩を」


 しばらく進んで池のほとりに出ると、そこで休憩する。少し小腹がすいたのでバックパックを開けて、ヴァレリアが詰めてくれた弁当を口にした。謎肉と野菜を挟んだパンがおいしかった。だが飲み物はなかった。


「コロニーに戻りましたらわたくしたちの食事を。蜂族に負けずおいしいのですよ?」


「へえ、それは楽しみかも」


「ここまでくればわたくしたちの勢力下。もう、安全です」


 そう言ってメルフィは鎧を解いた。蜂と同じ仕組みなのか、漆黒の鎧は小さな音を立てて空中に溶けて行った。そこに現れたのは真っ白な長い髪を持つ女。肌の色は青白く、瞳は赤かった。そして、半開きのその目に眼鏡をかけた。


「ふふ、どうされました? そのようなお顔で」


「あ、いや、想像と違って。クロアリなんて言うから髪は黒いのかと」


「私たちは地下暮らし、あまり日を浴びる事もないので色素が薄いのです。アリの名残か視力の方も。この眼鏡もおじい様が、ですから今はあなたのお顔もよく見えますよ」


「視力がって、それまではどうやって生活を?」


 メルフィは自分の触角を指さした。それはヴァレリア達のような鞭を思わせるものではなく、途中で折れ曲がっていた。


「この触覚で。ですから見えずとも問題はなかったのです。ですが目を開けば世界の美しさが。ですから今は皆、こうして眼鏡を。コロニーにも灯りがともされるようになったのです」


「へえ、そうなんだ」


 白い髪、赤い瞳、そして眼鏡。顔つきもどことなく儚げで、それでいて体は強靭。ぴっちりとしたシャツ、そしてスパッツ。そこから覗く白い手足は女性にしてはびっくりするほどムキムキだった。うーん、なんというアンバランス。まあ、美人だからいいけど。


 そのどちらかと言えばおっとり系の美人であるメルフィは乗ってきたアリを連れ、池で水を飲ませていた。


「ねえ、メルフィ。その水、飲んで大丈夫かな? 飯はパンなのに飲み物が無くて」


「泉ならともかく生水は良くありませんね」


「だよね、けどさ、のどが渇いて」


「で、あれば」


 そう言うとメルフィは俺の前に後ろ向きに立って、尻を突き出した。その尻にはヴァレリア達と同じく小さく平べったいアリの腹が尻尾のようについていた。その尻尾の先にジワリと水滴が湧いてくる。


「えっ? これを?」


「落ちないうちに早く」


「あ、うん」


 ものすごく抵抗があったがなにせ相手は美人である。そこからでたものならば綺麗なはず! そう判断してその水滴をじゅるっと吸った。


「あ、甘くておいしい。ちょっと酸味があって」


「私たちは体に蜜を蓄える器官があるのですよ。アリはそれを口から出していましたが、祖先はアブラムシを参考にこうして体を変えたと。まだ飲みますか?」


「うん」


 じわっと湧き出たそれを舐め、その尻尾に吸い付くように蜜を飲んだ。


「あっ、ダメです、そんな風に強く吸っちゃ! ひゃん! ぺろぺろだめぇぇ!」


 メルフィは変な声を上げたが、念のために言っておく。これは性行為でも何でもない。ただの水分補給だ。つまりレーティング的には何の問題もない。いいね?


 満足するまで蜜を吸った俺は持ってきた葉巻に火をつける。メルフィは俺の隣でヒクヒクと痙攣しながら寝そべっていた。


「もう、ひどいです。もっと優しくしてくださらねば」


「はは、ごめん。おいしくてつい、ね」


 もちろんそのあとも、アリの上で事あるごとに水分補給をした。男ならそうする。それにグランさんにも我儘に振る舞え、と言われてるしね。


 それはともかくとして、飛べるというのは非常に便利な事だと改めて実感する。大きなアリは乗り心地は悪くはないが地面の埃、それに草。そんなもので結構汚れる。クロアリのコロニーに着いたのは日も暮れようとする頃だった。

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