第16話 犬猿の仲……なのです?(2)

 わたしは二人に目をやってから、静かな声で問い掛けます。


「……どうしてお知り合いではない二人が、ここへ?」


 気になっていました。最初からずっと不思議に思っていたのです。ひなたは本当なら学校へ行っているはずだし、大神さんはそもそもここがわたしの家と知らないはずです。

 わたしの問いに、ひなたは髪の毛をくしゃりと掻き上げながら言いました。


「沙雫が午前のあいだには学校へ来ると言っていたんだろう。それなのに来ていないから……。僕は心配になって、ここまで迎えに来たんだよ。……そうしたら、そいつがここに」


 言いながら大神さんを一瞥します。わたしは大神さんを見ました。


「俺は、ここがおまえの家だって知らなかった。ただ、人を探していたらここに辿り着いたんだ。……そうしたら、そいつが突然声を掛けてきたんだよ。『もしかして、あなたが大神さんですか』ってな」


 なるほど。二人が出逢ったのは、本当に偶然だったということですね。


「でも、どうしてひなたは、彼が大神さんだと気づいたんですか?」

「べつに……前に、沙雫が言っていたことを思い出しただけだよ」

「わたしが言っていたこと?」


 はてさて、なにを言いましたっけ。記憶にないですが……。

 目を丸くしていると、ひなたはぷくりと頬を膨らませながら言います。


「『体が大きくて、目が狼さんのようで、レモンティーのような甘い香りがする男の人』って」

「ぎゃあ! ひひひひなたったらなにを言っているんでしょうかねええ!?」


 慌てて、ひなたの口を手で塞ぎます。むぐぐ、とくぐもった声がてのひらに伝わりました。

 え? と言いますか、わたしそんなこと言いましたっけ? いつどこで誰がなにをどうやって? ええ? 無意識に……?

 頬が紅潮していくのを感じながら、そろりと大神さんを見ます。

 ……って、いやいや! 大神さんも赤くなっているじゃないですか! なおさら恥ずかしくなりますやめてください!


「なっ……! ふ、二人してなにを赤くなってるんだよ! 怒るぞ!」

「あ、赤くなんてなっていません! ひなたこそ涙目ですよ! なんでですか!」

「うるさいうるさいっ! 僕一人だけのけ者にして、ひどいぞ!」


 おや、ひなたが本当に泣いてしまいそうですね。やめましょう。

 恥ずかしい気持ちはまだまだありますが、わたしはこほんと咳払いをしてから言いました。


「とにかく。わたしと大神さんのあいだには、なにもありませんから。勘違いしないでください」

「『わたしと大神さんのあいだには』ってことは、おまえとこいつはデキてるのか?」

「デキてませんっ!」


 ……いや、ひなたも否定してくださいよ。なんで今度はひなたが照れているんですか。本当に怒りますよ。


「でも、まあ、こうして出逢ったのはなにかの縁です。運命です。せっかくなので紹介しておきましょう。またどこかでお会いするかもしれませんしね」

「僕はお会いしたくないけれどね」

「それは俺も同意見だ」


 ああ、二人とも……。少しは大人になりましょうよ。一難ありましたが、いちおう仲直りということにして、めでたしめでたしでまあるく平和に終わりたいんですから。


「ああ、そうですか。二人がそんななら、わたしが勝手に紹介しちゃいます。いいですね?」


 訊いても、二人ともなにも言わないので進めます。

 わたしは大神さんのほうを見て、ひなたに手のひらを向けました。


「大神さん。こちら、楠ひなたです。わたしの幼なじみで、いちばんの友人です。わたしが言うのもなんですが、知ってのとおり、少し風変わりなところはありますが……根はとてもいい子なので、よろしくお願いしますね」

「僕はよろしくしたくない」

「ひなた」


 ふん、と鼻を鳴らすひなたを肘でつつきました。

 次に、さっきと同じように大神さんに手のひらを向け、ひなたのほうを見ます。


「ひなた。こちらは、大神佳穂さんです。まだ出逢って数日しかたっていないのですが、とてもお優しいかたで、なにかとお世話になっているんですよ。よろしくお願いします」

「本当に世話がかかるやつだよな、おまえは」


 む。わたしはにっこりと微笑みながら大神さんを見上げます。


「なにか言いましたか、大神さん?」

「いや、なにも」


 しらじらしく視線をそらす大神さん。すると、ひなたがこぶしを握りしめ、大声を出します。


「沙雫のことを悪く言うやつは僕が許さないぞ!」


 ええっ! いきなり!

 また睨み合う二人に、わたしはうんざりしてしまいます。

 そのくだり、さっきやったばっかりですし……。


「ひなたは落ち着いてください……」

「そっちがそのつもりなら、俺はいっこうに構わんが?」

「大神さんも乗らないでください!」


 ああ、もう……。収拾がつきません。わたしはひなたも大神さんも好きですが、こんなにもめんどくさいと放ってしまいたくなります。こんな不毛なやりとりを続けるくらいなら、学校で苦手な授業でも受けていたほうがよっぽどまし……。


「――ああっ! そうです、忘れてました!」


 突然大声を出すわたしに、二人は同時にびくりと肩を揺らし、同時にこちらを見ます。それから、同時に二回まばたきをして、同時に「……どうした?」と呟きました。なんだ、二人とも、とっても気が合うじゃないですか。心配して損しましたよ。


 ひなたに歩み寄り、腕をくいくいと引っ張ります。


「ひなた、学校へ行きましょう。今なら、まだ午後最後の授業には間に合います」

「ええー。今日はもういいよ……」

「だめですっ。来週に試験を控えているんですから、しっかり勉強しないと」


 嫌がるひなたの手を、無理矢理ぐいぐい引っ張ります。ううん、力が強いですね。わたしもそれなりに力があると思っていましたが、やはり体格の違いには勝てないのでしょうか。となると、わたしには武器が必要ですね。たとえば、そう。トンカチとか、ハンマーとか。


「だいたい、沙雫が来るのが遅いから迎えに来たんじゃないか。お昼は一緒に食べようって約束したのに、こんな時間までなにをやっていたんだよ」

「わたしだって着替えるだけなら早いですよ。自称はや着替えの名人ですから。ですが、学校へ向かおうと家を出たとき、一人の女性と出逢ったんです。森の中で人を見かけるなんてなかなかないので、迷っているのかと思って声を掛けたんですよ。そうして話していたら遅くなってしまいました」

「女、だって?」


 思わぬところで大神さんが反応を見せました。

 眉根を寄せ、わたしにずいっと近づいてきます。驚いて、思わずひなたから手を離してしまいました。


「お、おおかみさん……?」


 え、え、なんですか? なんだか顔がとっても近いです。そんな……そこにひなたもいるのに、だめですよ。そんなふうに至近距離で見つめられたら、胸が大きく鼓動して、わたし、わたし――。


「おまえが出逢った女というのは、どんなやつだった?」


 へ?

 ……あ、そういうことですか。なるほど。……いえ、べつにガッカリなんてしていませんよ。ええ、本当に。


 わたしは大神さんから視線をそらし、出逢った女性を思い浮かべます。


「ええと……。長身で、細身で、髪は栗色でふわふわと巻いていて……。とっても綺麗なかたでした。色っぽくて、どこか獣的な雰囲気もあって、同性のわたしでもドキドキしてしまうような、そんな魅力がありました。服装は……そうですね、タイトなミニスカートをはいて、靴は確か赤のハイヒールだったと思います。赤いネイルと赤い口紅も印象的でした」

「……そうか」


 低い声で一言だけそう呟くと、大神さんはすっと後ろへ下がり、わたしから距離を置きました。ほんの少しだけ……寂しい気持ちになります。わたしは腕を組む大神さんをこっそりと見つめました。


 彼女は、……あの女の人は、絶対に大神さんと面識がありました。どんな関係かはわかりません。ですが、きっと関わりは深いに違いないのです。

 ……ああ、ほら、また。勝手にそんなことを考えて、気持ちがどんどん落ち込んでいきます。


「……その人がどうかしましたか、大神さん」

「いや、べつに」

「お知り合いなのですか」

「まあな」


 すべてを話してくれようとはしません。深く追求しても、きっと彼はなにも答えてくれないでしょう。でも、そのほうがいいのかもしれません。……本当のことを言われて、傷つくよりは。


 溜め息をついて胸のあたりを押さえます。ずきずき、ちくちく。そうした痛みが、さっきからずっと続いています。なんだか、つらくて、苦しくて。……この痛みの理由わけは、いったいなんなのでしょう。


「……とにかく、わたしたちは学校へ急ぎましょう。……大神さんは、その女の人を追いかけるのですよね?」

「ああ」


 大神さんが首肯します。わたしは無理矢理にっこりと笑いました。


「そうですか。……それならば、彼女はこの道を南の方角へ向かいました。誰かを探している様子でしたが、ヒールをはいていたので、この短時間ではそう遠くへは行けないはずです」

「そうか。ありがとう、助かった」

「いえ」


 言うと、大神さんはわたしが指した方向へ歩いていきました。どんどん森の奥へ入っていきます。背中がだんだんと小さくなって……ああ、ついには、木々の陰に隠れて姿が見えなくなってしまいました。

 ……行って、しまいましたね。


「……沙雫」


 わかります。わたしの名を呼ぶその声でだけで、なにが言いたいかってことくらい。……心配、してくれているのですよね。でも、大丈夫です。わたしは平気ですよ。平気に決まっているじゃないですか、こんなの。

 終わったんじゃない。始まってもいなかったんです、最初から。……だから。


「沙雫、僕は……」

「ひなた」


 ゆっくりと振り返り、微笑みます。


「学校へ行きましょうか」


 曖昧な笑みを浮かべ、たった一人の友人はこくりと小さく頷きました。

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