2 残したへそくりが気になる! の巻

「ぐはっ! やられたぁ」


 さらりとかわされた、俺「カピバランZ」の唯一の必殺技『ドリーミー・ダイナマイト・前歯アタック』。そしてすぐさま宿敵ジャスティス・タイガーの強烈な必殺技、『超絶・サンダーボルト・イナズマ・タイガーキック』が、俺のどてっぱらに決まったのだ。


 ――あの最初の戦いから、一週間。

 命からがら秘密基地に逃げ帰った俺はマクシミリアン博士の科学力であっという間に怪我を治し、万全の体調で再びジャスティス・タイガーとの戦いにのぞんだはずだった。

 

 しかし、結果は前回とほぼ同じ……。

 俺の必殺技は、やはりジャスティス・タイガーに通用しなかったのである。

 けがの治療以上にあっという間に終了した戦闘。

 戦場となったこの場所には、ほとんど一秒ごとに倒されていった「ヒラ戦闘員」たちの仰向けに倒れた姿が、そこかしこに溢れていた。


「また性懲りもなく現れたな、カピバランZ! この前、ワタシが云ったことを聞いてなかったのか? まあ、いい――とどめをさすなんてことはいつでもできるし、今日の所はこれで勘弁してやる。とにかくこれで、本当に心を入れ替えることだ。あ、いっけねえ、もうこんな時間か……それじゃ帰るんで、あとはよろしくな」


 声からすれば俺よりひと回りは若いであろうタイガーに説教を頂戴し、やるせない気持ちが沸々と募る。


(あとはよろしく、と云われてもな……)


 改造人間とはいえ、タイガーの必殺技を食らった俺の体は思うように動かなかった。

 こんなときに何故か俺の脳裏を掠めたのは、家に残したままの『へそくり』のことだった。我ながらそんな思考に嫌気がさす。だが、気になってしまったのだから仕方がない。


(あのお金、どうなってるのかな……)


 激しい痛みが、薄れゆく意識中で薔薇の香りのように優しい快感と変わっていく中、俺の意識には何故か苦く切ない思い出の日々が走馬灯のように流れていった。



 ――俺が普段使っていた机の、右袖の一番下の抽斗ひきだし

 その一番奥の隙間に、プラスチック製の薄汚れた青いペンケースをひとつ、ひっそりと忍ばせてある。俺が小学校の時に使っていたものだった。

 その上下二段ある収納スペースの、仕切り板で見えない下段の方――。


(ここならば、さすがの明子あきこにも存在を見破られまい)


 血の滲む努力で毎月の小遣いから捻りだしたこの小銭たちを、そこにしまいこむのが俺の唯一の趣味だった。一般的には、それを『へそくり』というのだろうが……。

 もちろん、そんなお金だから千円札や五百円玉とがほとんどだ。100円玉も結構ある。

 そんな“|端金(はしたがね)”であっても、妻と息子がが寝静まった後にこっそり抽斗を開け、少しづつではあるが着実に増えていくお金の様子を見るのが、たまらない至福の時だった。


(くっそぉ……。あの金を残しては、死んでも死にきれない!)


 それは、俺の弱った体に『生きる力』が湧きだした瞬間だった。

 最後の力を振り絞って立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。

 一歩、また一歩、と……。



 ◇



 とりあえず、かつての自宅だった場所へ向かうために電車の行き交う近場の駅へと向かう。歩いていくのには、ジャスティス・タイガーにやられた怪我のこともあって少しばかり遠いのだ。

 ベルトに着けた盗難防止用の小さな財布の中身を確認。組織から支給された、俺と御揃いの茶色い革の財布だった。

 新人怪人講習のときに教わったことによれば、今時の怪人は自分で金銭の管理も行えないようでは正義の味方に勝てる精神は宿らない――ということらしい。中を覗くと、岩田総統から渡された今月の小遣いが八百円ほど残っていた。偶然残った秘密の家族写真も、実はこの中にあるのだけれど……。


 ぷにぷにとした黒い肉球の付いた手で暫く自動販売機と格闘し、何とか切符を購入した。

 この手で切符が買えたことは、まさに奇跡であり、勝利だ。もしかしたら、これが『怪人』となってからの初勝利ではないのかと鼻息も荒くなったが、それはそれで寂しいことだと思い直し、改札を通る頃には少し冷めた気持ちになった。


 だが、よく考えてみると一番不思議だったのは、都会の人々の反応だった。

 駅に蟻のように行き交う人ごみに混ざった「カピバラ」姿の俺に、誰も関心を持たないのだ。どこかのコスプレ趣味のおっさんか、新しい「ゆるキャラ」の宣伝とでも思っているのだろうか――。


 しばし風に吹かれながらプラットフォームで佇み、扉が開くと同時に電車に乗り込んだ。幸い、この毛もくじゃらの体が邪魔になるほどの込み具合は無く、開いていた窓際の一番奥の席に座る。

 タイガーに痛めつけられて酷くだるい体を窓にもたれ掛けさせるようにしながら、窓枠の中で流れゆく景色を見詰めた。

 湧き上がって来たのは――不思議な心地。

 つい最近まで、毎日毎日、通勤しながらこの景色をやるせない気持ちでぼんやり眺めていた自分がいたということが、全然現実的ではない「ゆめまぼろし」のように感じるのである。


 と、そのとき隣に座った、幼児の女の子と若いお母さん。

 女の子は俺に興味を持ったらしく、じっとこちらを凝視している。


「おじさん……おっきい動物さん? それとも、悪い怪人さん?」


 そのつぶらな瞳が、容赦なく俺を攻める。隣でお母さんが「変なこと聞くのやめなさい」とでも云いたげに、女の子の肩をくいくいと引っぱっるのが見えた。


「……。えーと、おじさんはねぇ――怪人さんなの。でも、正義の味方なんだよ。悪い人を、いっつもやっつけてる」

「そ、そうかぁ! じゃあ、いい怪人さんなんだね。おじさん、頑張って!」

「ああ……がんばるとも」


 女の子は、俺の降りるよりも手前の駅で、お母さんに引きずられるようにして電車から降りていった。もしかしたら、俺に恐怖を感じたお母さんが、早めに降りることを考えたのかもしれないが……。


(ああ、つまんないウソついちゃったな)


 俺は、つい口から出た出まかせに、自分自身、ちょっとがっかりしていた。

 でも考えてみると、あながち嘘ではないような気もしてくる。今のこの世の中で、「何が正義で何が悪か」なんて、ほとんどの人が、増してや俺みたいなサラリーマン上がりの怪人なんかに判りはしないのだから……。

 そんなことを考えながら、俺は見慣れた駅のプラットホームに降り立った。



 ◇



 重い体を引き摺って、かつての自宅になんとかたどり着いた俺。

 しかしその途端、玄関の前で固まってしまう。

 それもそのはず――家に入るための、『鍵』がないのだから。


(そ、そうか、そうだった。俺としたことが……。じゃあ、どうやって入る?)


 俺の使っていた部屋は、二階にあった。

 今の怪人の力をもってすれば玄関ドアなど簡単に壊せそうな気もしたが、何せここは『元』の自宅なのだ。手荒な真似はしたくない。ブロック塀を素早く上り、そこから、懐かしい俺の部屋の窓に向かってジャンプした。

 さすが、カピバラ――やれば、できる子なのだ。

 その動物的な力と勘とで窓にぶら下がると、左手だけで体を支えながら右手でガラスに触れて押し動かす。

 すると窓ガラスは、難なく、すぅーっと開いた。


(全く、戸締りがなってないな……。前からそうだったけど)


 開いた窓から体をフワリと押し込んで、中へと進む。

 物音がしない――。

 家には誰もいないようだ。


 懐かしく愛おしい、俺の机。思う存分、茶色い毛の生えた頬ですりすりした。それが済んだあと、例の抽斗を開けた。奥にあるはずのペンケースへと、肉球の付いた手を延ばす。


(あ……あった、あった!)


 ペンケースを、音の立たないよう、ゆっくりと机の上に置く。

 ドキドキがおさまらない硝子のハートを鼓舞しながら、それを開けてみる。


(な、ない……!?)


 これには、流石の俺も驚いた。

 そりゃあ、そうだろう。こんな場所にそんなお金があることなど、誰も夢にも思わないはずなのだ。

 だが、俺には『へそくり』を使った記憶がないのだ。

 ということは――。


「あ、あいつだ――。明子め、俺のお金を使いやがったな!」


 ゴゴゴゴゴ……。

 燃え上がる、赤黒き心の炎。

 いくらなんでも……いくらなんでも……俺の努力の結晶、唯一の楽しみ――それを無にするとは!


「明子――許せんっ!」


 俺は、人生でこれほど怒ったことはない、というほど憤慨した。

 ジャスティス・タイガーにも感じたことのないほどのどす黒き感情。もう我慢できぬ。体が小刻みに揺れる。


「ぶ、ぶっ飛ばしてやるっ」


 それは明子と結婚して以来、初めて湧きあがってきた感情だった。しかし、ここで単純な疑問が俺の脳内に充満する。

 この俺の超極秘事項をどうやって知ったんだろう――。

 もしかして、ずっと前からここにへそくりがあることを知っていたのか? いきなり襲ってきた恐怖に背中が寒くなり、思わず身震いしてしまう。堅く茶色い体毛を震わせながら、俺はてのひらの上で遊ばされた、孫悟空のことを想い出した。


 とそのとき、人の気配がした。

 慌てた俺は、窓際のカーテンにくるまって、とりあえず隠れてみる。


 部屋に入ってきたのは、明子だった。


「あなた、帰って来たの!? ……あれ? 誰もいない。おかしいわね、確かに誰かがここに居る気配がしたはずなんだけど――」


 相変わらず、勘の鋭い奴だ。


「それにしても、どこいっちゃったのよ……。私が悪かったの? そりゃあ、確かに私は理想的なパートナーではなかったかもしれない。でもそれは、すべてあなたや家族を思ってのことなのに――。

 でも今更、そんなこと未練がましく云ったどころでどうしようもないわね……。あなたの机や荷物、すべて中身を調べさせてもらったわ。もちろん、あなたがどこに行ったのかを知るために――。あ、そうそう、そのときにちょっとしたボーナスをあなたの机の中から見つけたけど、そんなことどうでもいいわよね――。

 でも結局、あなたが何処に行ってしまったのか、全然見当もつかなかった! お願い、早く帰って来て! お願いだから……」


 両手の掌に顔を沈ませ、無く明子。

 そんな明子の長台詞を聴きながら俺の脳裏に浮かんだのは、結婚前の彼女だった。ちょっと生意気だけど健気で華奢で可憐な、そんな愛しい『明子』の姿。


 思わず声が出そうになったが、何とか堪えた。

 しばらくこの部屋で床にうずくまりながらさめざめ泣いた明子は、その後、肩を丸めて部屋を出て行った。


「ふう……」


 最後まで彼女が俺に気付くことは無く、ほっと胸を撫で降ろす。

 怪人は、マクシミリアン博士の改造の甲斐あって気配も消せる能力があるのだ。こんなところで、まさかその能力が生きるとは……。人生とは分からないものだ。


 しかし、俺はよくあの状況に耐えたと思う。

 何度「俺はここに居るぞ!」と云って、出て行きたかったことか――。だが、そんなことはできなかった。できるはずもない。

 何せ今の俺は、かつてのしがない中年サラリーマン「恩田おんだ正男まさお」」ではなく、悪の秘密組織「ウルトラ・ショッカー」の怪人、「カピバランZ」なのだから。

 泣く子も黙る、悪の改造人間なのだから!


「……」


 俺は、音を立てないようするすると窓から這い出すと、悪の秘密結社のアジトに戻る帰路に就いた。重い、足取り。もちろんそれは、タイガーにやられた傷のせいだけではない。


 カピバラが泣くことができるということを、俺はこの時初めて知った。



<つづく>

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