第5話 蒸し風呂なう

 アリシアに腕を引っ張られながらヴェノの中央市場を横切り、再び好奇の目線に晒されながら顔を真っ赤にし、ほぼ真向いの別の通りに突入して数刻。

 俺とアリシアは白い石材が印象的な、優美な建物の前で足を止めた。

 太く丸みを帯びた柱が立ち並ぶその様は、ギリシャ建築の神殿を思わせるものがある。


「ここがヴェノ最大の公衆浴場、その名もヴァン・デルフィーヌです!

 広くて綺麗なお風呂の他に、月替わりで違う香草の香りを満たしたお風呂や、高価な黄土石や翡翠石を使ったお風呂などがあるんですよ。

 そして勿論、全部のお風呂で地下から引いた温泉が楽しめます!」


 建物の前で両腕を広げたアリシアが、これ以上ないほどに全力のドヤ顔をしてみせた。

 いっそ清々しいまでのドヤっぷりである。

 そんな、城塞都市ご自慢の温泉を誇らしげに紹介するアリシアに対して、俺は予想以上に冷静だった。


「(香草を焚き、その香りを蒸気と共に部屋に満たす蒸し風呂は地球あっちにもあったな。

  黄土石や翡翠石……地球の黄土石や翡翠と、同じようなもんかな?含有ミネラルや遠赤外線効果の程度が気になるな。

  源泉の香りは……んー分かんねーな……)」


 きっと、アリシアからしてみたら難しい表情をして考え込んでいたのだろうと思う。

 意識を現実に引き戻すと、俺の目の前には不思議そうな顔をして下から俺の顔を覗き込むアリシアのわんこフェイスがあった。

 あっ待って、ちょっとおちょぼ口気味になりながらその黒い瞳を俺に向けないで、なんか実家が恋しくなっちゃう。

 実家で飼ってるチョコちゃん(ダックスフンド・♀・6歳)元気かなぁ。


「そこまで考えに耽るということは、やっぱりマコトさんは温泉が好きなんですね」

「あっ……まぁ、はい」


 自分の好み、興味の向く方向を率直に認められた俺は、虚を突かれながらも素直にうなずいた。

 初対面で、しかも異世界の、異種族の女性にここまで自分のパーソナルな部分を認められるというのも、自分のキャパをオーバーしそうな展開ではあるが、自らの大きな部分を占める要素を許容されることは、なんだかんだ言っても嬉しいものである。

 それが可愛い女性からの感情であればなおのことである。おかしいなぁ、俺ケモナーじゃないと思ってたんだけどなぁ。


 何はともあれ、目の前には温泉を備えた浴場がある。俺のスキルを試すためにも、この世界の風呂を体験するためにも、中に入らねばならないだろう。

 俺はぐっと拳を握り締め、ヴァン・デルフィーヌの入口をくぐるべく足を踏み出した。


 ……で、数歩踏み出したところで俺は後ろを振り返る。


「……そういえば、公衆浴場ということは、入浴料金がかかりますよね?」

「あっはい、そうですね。男女とも15歳以上は軽銀貨3枚です。今回は私が払いますよ」


 おっと、奢ってもらってしまった。異局で両替屋に寄る前にこちらに来てしまったわけだし、有難くその厚意に与ろう。

 お金が入ったら何かしらでお返ししないと。




 受付で入浴料金を支払って(もらい)、男女別の脱衣所の手前でアリシアと別れた俺は、脱衣所の中でまごついていた。

 専用のパンツを穿いて入浴するとのことだが、そのパンツはどこにあるのか。着替えた服はどこにしまって、荷物はどこに置けばいいのか。

 ぱっと見で着替え方の把握が出来なかったのだ。

 混乱しながらもスマホの翻訳アプリの存在を思い出し、起動させる。


「(あ、カメラを向けたら文字を自動認識する形式なのか、助かった)」


 アプリの実態と使用方法を把握した俺は安堵の息を漏らした。

 何も言わずにカメラが動作した時は思考が停止したものだが、徐に傍の看板をカメラに収めたら、瞬時に日本語に翻訳された文字列が表示されたのだ。

 ちなみに専用パンツは基本的に持参してくるスタイルらしく、持っていない人は受付で無料貸し出しをやっているとのこと。慌てて受付に引き返した。

 アリシアはその辺教えてくれなかったぞ、畜生。いやケダモノって意味ではなく。


 スマホの翻訳アプリを頼りに荷物をしまうスペースを確保し、服を脱いで専用パンツを身に着け、さて浴場に、というところで一つ問題が発生した。

 荷物をしまったスペースに鍵がかけられるようなのだが、鍵のかけ方が分からない。

 日本の脱衣所のロッカーなどだと、たまに鍵のかけ方・開け方を示した説明が書いてあったりするが、それらしきものは見当たらない。

 鍵が刺さっているなどしていれば分かりやすいのだがそれはなく、ボタンのようなものがついているだけだ。

 これを押して鍵がかかるのか自信が持てず、立ち尽くして悩んでいると、そばのスペースで着替えをしていた男性が声をかけてきた。


「兄ちゃん、どうした?」

「あ……すみません、このロッカーの鍵のかけ方が分からなくて」

「ろっかー?何のことを……あぁ、保管庫カビネか。こいつはここのボタンを指で押し込むんだ。

 押し込む時にそいつの魔力パターンを読み取って、そいつじゃないと解除できないようにしてくれる」


 俺のロッカーの前まで来た、背中から翼を生やした大柄な男性は、そう説明しながら俺のロッカーのボタンをその太い親指でぐっと押し込んだ。

 するとボタンが引っ込み、ガチャリと音がする。一見すると随分原始的なロックだが、俺がボタンを押そうとすると確かに動かない。

 クイと口角を持ち上げた男性が再びボタンにぐっと触れると、ガチャリという音と共にボタンが戻ってきた。


「へー……」

「なんだ、魔力式ボタン錠は初めてか?古いタイプの錠だから帝国内ではどこでも見られるやつなんだがなぁ」


 感心しきりの俺を、不思議なものでも見るようにしながら男性は口を開いた。

 その場で話してしまおうかとも思ったが、ここは浴場。風呂場で話した方がいいだろう、話の内容的にも。ついでにこの世界の風呂や公衆浴場、温泉について話を聞ければ御の字である。

 そう思案を巡らせつつ、俺は脱衣所奥のガラス戸に視線と指を向ける。先程ガラス戸上についた看板にカメラを向けたときに「浴場」と翻訳されたのは確認済みなので、間違いはない。はずだ。




「へー、来訪者マレビト。しかも今日転移してきたばっかりか」

「はい、だからこちらの国のことが、まだあまり分からなくて……」


 俺は手始めに一番広さの確保された、一般的なタイプの蒸し風呂ヴァン・ヴァポールに入り、翼を生やした男性――エドマンドと隣同士に座って話をしていた。

 自分から異世界の住人だと明かすことには躊躇いもちょっとあったが、エドマンド曰くこの街ヴェノに居る人なら、来訪者マレビトへの興味関心はあれど、偏見は殆ど無いらしい。

 やはり、異局が街に、それも中央市場そばという街の中心部にあることもあってか、馴染みの深さもあるのだろう。


「そうかそうか、そりゃー災難だったな。まぁこの街は城壁に囲まれてはいるが、余所者には優しい街だ。安心しな」

「はぁ、どうも……」


 俺はともすれば生返事になりそうな返答を返しながら、脳内をフル回転させて質問事項をまとめていた。

 つまり、この世界での一般的な風呂の作法、温泉の位置づけ、この公衆浴場に引かれている温泉について、などなど。

 ぶっちゃけた話、この世界の情報はいくらでも欲しい。それが自分に関わりの深い情報ならばなおさらだ。

 アリシアは色々と話を聞かせてくれるが、男性と女性の間の性差はどうしても埋め難い。エドマンドと知り合えたこのチャンスを逃す手はないのだ。

 そうと決まればやるだけである。それが一番難しいのだけど。


「エドマンドさん、折角の機会なので、教えてもらいたいことが二、三点あるんですが……」

「おういいぞ、何だ」


 よし、最初にして最大の関門「質問を投げかける」無事クリアだ。

 そこからはスムーズに質問をして、答えを引き出すことが出来た。

 曰く、蒸し風呂で汗を流した後は部屋の外の洗い場でシャワーを浴び、石鹸で身体を洗うこと。

 曰く、神聖クラリス帝国の国民にとって温泉は身近な存在で、公衆浴場が市民の交流の場になっていること。

 曰く、温泉には湧き出す地域によって異なる効果・効能があることが帝国内では常識になっており、効能の高い温泉や希少な効果を持つ温泉には自然と人が集まること。

 曰く、ヴェノで湧き出す温泉は塩気が強く、身体を温めるのに適していること。


「ヴァン・デルフィーヌは敷地の中庭で温泉を汲み上げていて、それをそれぞれの風呂に管を通して配分しているんだ。

 ほら、あそこの角に、下から管が繋がった水盤があるだろ」


 エドマンドの指す方向に顔を向けると、確かにタイル張りの床から石製らしき管が伸び、その上に円形の水盤が取り付けられているのが見える。

 アリシアの話と総合するに、あの水盤に加熱の魔法が記され、配分された温泉を熱して蒸気にしているんだろう。

 俺は水盤の中心から滾々と湧き出る、無色透明の温泉に視線を投げる。と、瞼の裏に浮かび上がるように、情報が視界に表示されてきた。


『城塞都市ヴェノ デルフィーヌ源泉

 泉質:ナトリウムー塩化物泉

 総湧出量:200トン/日

 pH:8.0

 泉温:55.3℃

 陽イオン:ナトリウムイオン:1400mg/kg

      カリウムイオン:74.0mg/kg

      ・・・

 陰イオン:塩化物イオン:2750mg/kg

      炭酸水素イオン:600mg/kg

      ・・・

 遊離成分:メタケイ酸:57.2mg/kg

      メタホウ酸:12.5mg/kg

      ・・・

 適応症:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え症、病後回復期、病後回復、健康増進、きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病

 禁忌症:急性疾患、活動性の結核、悪性腫瘍、重い心臓病、心臓病(但し高温浴の場合)、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、高度の動脈硬化、高血圧症(但し高温浴の場合) 妊娠中(特に初期と末期)』


 表示された情報量の多さに、思わず身体がびくりとなった。

 まるで温泉の成分表を見た時のように、細かな含有イオンの量までもが事細かに記載されている。

 対象が特化している鑑定スキルは詳細な情報まで見られると言っていたけれど、ここまで分かるとは。我ながら自分の技能スキルが恐ろしい。

 と、俺が自分の技能スキルに戦いていると、エドマンドが怪訝そうに声をかけてきた。


「マコト、お前さんひょっとして鑑定スキル持ちか?」

「え、あっ、はい、確かに鑑定スキルは温泉限定で持ってます」

「温泉限定で?マジかよ」


 エドマンドがあからさまに驚きを見せた。アリシアからも聞いてはいたが、やはり俺の鑑定スキルは相当特殊であるらしい。

 そしてにやにやとした笑みを浮かべながら、エドマンドが俺の肩を抱いてきた。なんだいきなり。


「ひょっとしてだが……お前さん、『深部探知』の技能スキルも持ってたりしねぇよな?」

「あ、持ってます」

「ははっそうだよな、そんな都合よくあんなレア技能スキル持ってるわけ……え、持ってるって??お前マジで??」


 あまりに至極普通に答えた俺に対し、エドモンドは一旦からりと笑って見せた。

 だが俺の言葉が脳内に到達した瞬間に、瞬時に真顔になり俺の顔を見る。いかつい男に真正面から見つめられても、嬉しくも何ともありません。

 そんな俺の微妙な心境などお構いなしに、エドマンドが俺の両肩をがっしと掴んできた。痛い。

 そしてその状態で、至極真面目な表情で、彼はゆっくり口を開く。


「頼むマコト、金は払う。俺の……いや、俺達の仕事・・を手伝ってくれないか」


 突然の真剣な申し出に、俺は目を白黒させたのだった。

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