第15話 Charles d'Anjou シャルル・ダンジュー

 そうは簡単に済まないのがこの世の中。宿に戻ってコンティ伯とフランス女について熱く討論していた時に、若いフランス貴族が顔を腫らした数名の騎士を引き連れて、俺を訪ねてきた。


「YOUがジョルジオか。ミーのナイツたちが ミニッツヘルプになったそうじゃないか」


 へ? 何この人。


「ミーつまり僕はフランス王のリトルブラザーにしてアンジュー伯のシャルルさ。部下がやられて黙っていられるわけがないだろう?」


「ああ、そうですか。それはわざわざすいませんね」


「いえいえ、こちらこそ。ってシャラップ! そうじゃない。このドロップビフォー、いや落とし前どうしてくれんのよって言いにきたんだ」


「あまり相手にならんほうがいいぞ、ジョルジオ。あれはどこかおかしい」


 ええ、伯に言われるまでもありませんとも。どこかというより全ておかしいですから。なにより英単語をそれっぽくちりばめた話し方が自慢であるらしく、言葉の端々から「俺、すげーだろ? バイリンガルなんだぜ?」的な臭いがプンプンする。


「リトルウェイト、ミーのワードが アンナチュラルなのはイングランドのワードが混じってるからだよね? あいつらはフランスの敵、敵のワードを覚えるのもフランス貴族ならリーズナブルのことさ」


 やたらテンションの高い主君を前に後ろに控える彼のナイツたちも気恥かしそうに頭を掻いている。


「で、ご用件はなんでしたっけ、アンジュー伯?」


「だーかーらー、さっきも言ったよね? ヒアしてなかったのかな? ミーつまり僕はね、ミーのLOVE……えーっと、つまり愛するナイツたちが こうしてYOUからバイオレンスをアクセプトしたことに抗議にし来たんだよ」


「ごめん、もう一回いい?」


「トゥルースにYOUは理解パワーがないね! YOUが ミーのナイツたちを殴ったんだろ? ミーつまり僕はオーナーとしてYOUのそのような行為を見逃せない。そう言ってるんだ」


「シャルル様、わたちの事だばもうえだんずなら、帰りましょうよ? ね?」


 見かねたナイツたちがシャルルをなだめて連れ戻そうとする。


「だめだ。ミーつまり僕は彼に謝らせるまで帰らない。これはフランス王家の威信に関わることなんだ」


「だばいだばい、分かったんずやから。ジョルジオ卿もフランス王エッコばほんつけにしてる わけだばあありねて。わんつかばしした行き違いで喧嘩になっただけなんだんずなら」


「テメーら、離せって言ってんだろうが! 主の言うことが聞けねーのか! 」


 若者らしい素の言葉に戻って抗議するアンジュー伯はナイツに両腕を掴まれ、引きずられるようにして出て行った。


「めぐせ所ば見せてすみね。あの人も根だばえ人なんだど。ただわんつかばし思い込みが激しいだけで。喧嘩したこどについてだばわの方にも非があるんずし、それについてどうこうしゃべるつもりもねんず。今回の事だば水に流してくれるどありがたいのだばって。 」


 一人残った騎士がそんな風に言って頭を下げる。それならこちらも文句はない。というか主君が変わり者で大変そうだな、とやや同情の思いすらある。まあ、俺の主君である枢機卿も人のことは言えないが。


「しかし、それではそなたの主が納得するまい。アンジュー伯もお若い故に血気盛んじゃろうからな。そこでじゃ、アンジュー伯が納得せなんだ場合、儂らの主君であるリナルド首席枢機卿に訴え出るといい。そうアンジュー伯に伝えてくれぬか?」


 そう言うコンティ伯の顔は完全に悪役顔だ。


「けれどもそったらこどしたらそちらに迷惑がかかるだばんでねだんずな?」


「なあに構わんよ。そうでもせねば収まらんときもある。若さとはそういうものじゃからな」


 騎士は伯に丁寧に礼を述べて去っていく。伯は俺を振り返るとニヤリと笑った。


「なあに、書類仕事ばかりのリナルドじゃ、たまにはああいうのの相手も刺激があろうて」


 プススと忍び笑いを漏らす伯に釣られて、俺もこみ上げる笑いを抑えきれなかった。さすがはわが友、尊敬する伯だ。こんな形で普段の怨みを晴らそうとは。


 そのあと俺たちは中断したフランス女の考察を続けた。


「だからじゃ、フランス女は体格もいいし、胸も大きい。しかし、恥じらいとかそういったものに欠けるのぉ」


「そうですね、僕が見てきた中ではスラヴの女性が一番美しかった気がします。フランスの女性も悪くはありませんけど伯の言われる通り、情緒にかけますね」


 忙しそうに立ち働いていたヒュリアが、話を聞いていたらしく俺の背中を思い切りつねる。


「ああ、そうそう、トルコの女性も素敵ですよ! うんうんスラヴ女なんか目じゃないほどにね」


「ああ、そうじゃな。イスラムでさえなければわしも妾として欲しいくらいじゃ。どうじゃの? ヒュリア殿」


「妾にはジョルジオ様以外の男は木か石にしか見えぬ」


「はっはっは、そうじゃったの、これは失礼をした。わしが言いたいのはそなたはそれほど魅力的だということじゃよ。つまらぬ事で悋気を露わにしては折角の美貌がだいなしじゃぞ?」


 そう言われるとヒュリアは頬を赤らめて、恥ずかしそうにしながらペコリと頭を下げると走り去った。うーん流石だ。女の扱いにおいても伯は素晴らしい。


「しかし、スラヴ女か。さぞかし色白で美しいんじゃろうな。わしはいまだスラヴ女というものを目にしたことがない」


「だったら今度一緒にドゥブロヴニクまで行ってみましょうよ。ヴェネチアから船で行けばすぐらしいですから」


「それはいいのう! うん。そうしよう。その時は何のかんの理由をつけて男だけで行くとしようかの」


「賛成です!」


 次の日、俺は珍妙な生き物を目にした。


「大将、どうですか? こいつらも人並みに清潔になったでしょう?」


 新しい生地の色そのままのリンネルの服に黒く染めた七分丈の麻のズボン。靴もお揃いの短いブーツ。風呂に入って汚れていた顔もツヤツヤだ。うん、それはいいんだそれは。


「で、どうしてこうなったのか説明してくれるかな? フェデリーゴくん」


 俺はフェデリーゴのすべすべの頭を抱きかかえて締め上げる。あたたた、と痛がるがそんなことは気にしない。何故かって? そりゃあ、居並んだノルマン人とウェールズの弓兵がみな、お揃いの髪型をしていたからだ。よりにもよって、おでこの中ほどで前髪を切りそろえたおかっぱスタイル。


「中々こう言う髪型もよかですな。ちっと恥ずいねけど」


 おい、グスタフ、アンタ前の髪型の方が絶対良かったから! ライオンの鬣みたいでかっこよかったから! その後ろでモジモジしているノルマンの連中も気持ち悪いから! でかい男が身をよじらせてんじゃねーよ! 


「ま、こういうのも粋ってもんだ。オイラ達みてぇな都会派にはピッタリだよな!」


 あんたに至ってはコメントする気にもならねーよ。ブライアン。その板前顔にその髪型はないよね? そんな頭で出前にいったら怒られるからやめとけって。


「ほら、大将、みんな気に入ってるみたいですぜ? 俺も髪伸ばしてあの髪型にしてみたかったんですよ。姉御がブツブツ文句言うからしなかったけど」


 それはロザリアが100%正しい。そんなごっつい顔にオカッパ頭なんて完全な変態だからね。それにしてもなぜかどいつもこいつも嬉しそうにしてるのは何故? 俺の美的感覚がおかしいの? ねえ、俺が間違ってんの? 


「俺は景気づけにこいつ等連れて一回り巡回に行ってきます! 街のみんなにもこいつ等のカッコイイとこみせてやりたいですからね!」


「少し照れっけど、兄貴がそげなんなら」


「さすがは兄貴だ。俺たちの気持ちが解ってる。くぅ~、出来る男は違うねぇ! さておいら達の晴れ姿、街の衆にも拝ませてやろうじゃねえか!」


 やめてー!そんな恥ずかしいことしないでー! 俺の叫びも虚しく、ハゲ頭のフェデリーゴ率いるオカッパ部隊は意気揚々と出発していった。


 およよ、と地面を這う俺に追い討ちをかけるかのように現れたのは枢機卿からの使者。彼は俺に書状を渡すと一礼してそそくさと去っていった。


 書状の内容は伯と俺に出頭を求めるものだった。伯はそれを聞いた瞬間咳き込み始め、「儂は風邪気味でな。リナルドに移しては申し訳ないので遠慮すると伝えてくれんか?」などと言って部屋に閉じこもってしまう。


「ちょっとー! ロタリオさん、それはないんじゃないですか? ずるいですよ!」


 ドアを叩こうが蹴ろうが一切反応なし。そうか、俺も風邪気味ってことにすれば! だめだ、そんなことをすれば後でどんなお仕置きが待っているかわからない。俺は覚悟を決め、大聖堂に向かった。


「よう、オカッパの大将。相方はどうした?」


 うう、すでに枢機卿の耳にまで。俺は恥ずかしさで真っ赤になった。


「いや、その伯は体調が優れないらしくて」


「はは、そりゃあそうだろうさ、この忙しい俺にこんなもん押し付けたんだからな」


 そう言いながら何かを蹴り出した。ゴロリと机の影から姿を現したのは、正座させられたアンジュー伯。その顔はあちこち腫れて見る影もない。


「流石の俺もこいつのウザさには仮面を脱ぎ捨てるほかなかった。こんなもんをプレゼントしてくれたお前らにお礼をしなくちゃならねえと思ってな」


「ははは、お礼なんて結構ですよ。それにこの事は伯の一存で俺は、」


「遠慮するな。お前らは仲良しコンビだろう? それにコイツを加えてトリオにしてやろうと思ってな。なあに礼ならいらねえよ。コイツは栄えある教皇の犬3号として生きることになった。1号のお前が面倒見てやるのは当然だろう?」


「え……?」


「犬は犬同士仲良くやれ。わかったな、わかったら帰れ。俺は忙しいんだ。言っておくが次にこんなご機嫌な真似しやがったらてめえらもそろってオカッパ頭にしてやるからな!」


「は、はい!」


 俺はアンジュー伯を連れ、そそくさと退散する。


「なあ、あんた、あの枢機卿に何を言ったんだ?」


「別に大したことじゃねーよ。YOUに言われた通り、文句言いに行っただけだ」


「またあのへんな言葉使ったんだろ? 悪いこと言わないからさ、アレ、やめたほうがいいよ。だって無茶苦茶イラってするもん」


「俺は舐められねーようにああ言ってるだけだ。ラテン語なんかできて当たり前。だったらイングランドの言葉でも話してやれば一目置かれるかなって。皇帝フリードリヒは5ヶ国語も話せるって言うしな。フランス王弟としちゃあ負けるわけにはいかねーんだ」


「ああ、そういう事なんだ。でもさ、あんまり無理しない方がいいんじゃないかな? こうして普通に話してた方がよほど意思の疎通が取れるでしょ?」


 アンジュー伯シャルルの素の姿は血気盛んな不良少年といったところか。英語は独学で学んだという彼の言葉に、人に教えてもらうって大事なことなんだなと痛感させられる。中学、高校と英語の授業にヒアリングが取り入れられてるのも頷ける話だ。


「まあ、YOUがそう言うならそうするよ。じゃないとあの枢機卿にまた、ぶん殴られるからな」


 よほど怖い目にあったのだろう。強気な表情こそしているがその顔色は青ざめている。


「ま、まあ、ともかくアンタも仲間になったんだ。仲良くしよう」


「ああ、さっきはすまなかったな。いきなり乗り込んだりして」


「いやいいんだ。俺のことはジョルジオって呼んでくれ」


「よろしくな、ジョルジオ。ミーはシャルルでいい」


「ああ、シャルル、よろしく」


 言葉の端々にウザさは残っているものの、この時の彼の印象はそう悪いものでもなかった。何しろシャルルは今年で18歳。血気盛んなのも不良っぽいのも青春のひとコマだよね、なんて思っていた。


 翌日からシャルルは俺の暮らす宿に住居を移す。なんでも枢機卿に「犬は犬らしく同じ小屋に住んどけ」と言われたとか。兄のフランス王にも「教皇騎士に任じられるとは光栄なことだ、存分に働くが良い」とか言われてしまって逃げ場がなくなったらしい。

 なんでもフランス王は敬虔なキリスト教徒というよりは、熱狂的な教皇のファンで、いいところを見せたくて仕方がないのだという。

 本来この公会議にも諸侯まで来る必要はなかったのだが、フランスと言う国が、いかに教皇に忠実かを見せるため、わざわざ呼び集めたのだという。

 もっとも諸侯も領地の接する帝国に対していい感情を抱くはずもなく、どちらかといえば教皇派であったので、特にごねることもなく王に従ったのだ。結果として教皇の威信は高まり、会議は教皇を中心に盛り上がりを見せていた。


 俺も伯も教皇の犬、もとい、教会騎士が増えるのは大歓迎だ。愚痴が言える相手は一人でも多いほうがいいし、何しろシャルルはフランス王弟。何かと偉そうなフランス人たちも、シャルルがこちらにいる以上はおとなしくするだろう。


 公会議は初夏から本格的な夏に入った6月28日に始まった。各地の大司教を始め、司教クラスは150人、さらにフランス国王ルイ9世が参加し、熱い討論が繰り広げられた。と、思いきや主要な取り決めは事前の根回しが行き届いており、実にあっさりとした議事進行だったと言う。数日間の討議を経て、新たな教会の方針が決定された。


決定事項は要約すると以下のとおりだ。


1.皇帝位の剥奪。フリードリヒは平和の破壊者であり、領内にイスラムの信仰を許すなど異端の疑いが強い。よってフリードリヒの皇帝位を剥奪するものとする。


「まあ、これは当然だな。そもそも皇帝位は教皇によって授けられたものだ。ならば剥奪も出来るはず、と言うのがその理屈だ」


2.新たな十字軍の編成。フランス王ルイ9世を中心に聖地奪還の為の十字軍を編成する。


「これも当然っちゃあ当然だ。エルサレムをあのままにしておくわけには行かねーからな」


3.ラテン帝国への援助。カトリック寄りであるラテン帝国はオーソドックス(正教会)が中心のバルカン半島で苦戦している。これに援助を施し、東ローマ帝国の残党と対峙させる。


「東ローマ帝国はオーソドックスの中心だ。奴らは教皇の権利を認めず、好き勝手なことを言いやがる。黙っていうこと聞いとけば争いも起きねえってのによ」


4.モンゴル侵入に対する対応。東方の脅威に対し、使者を派遣。交渉での平和解決を図る。


「これに関しちゃ場当たり的としか言えねえ。取り敢えずフランシスコ会の修道士を派遣することに決まった。取り敢えず会議の結果はこんなもんだ」


 俺たち教皇の犬トリオはリナルド枢機卿の執務室に呼ばれ、会議の結果を聞かされていた。


「それでだ、結果が出た以上、それを伝える役が必要だろ?」


「それは集まった司教たちの仕事じゃな」


「従兄上、そりゃあ司教どもで済む話ならだ」


「済まない事があるのか?」


「肝心の皇帝に伝えてやらなきゃ今回の決定は意味がねえ。で、皇帝にそれを伝えるとなると司教どもじゃあ頼りにならねえ。そこでだ、お前ら無駄飯食いの出番と相成るわけだ」


「あのーそれって俺たちに行ってこいってことですか?」


「ん? ジョルジオ、俺がそれ以外のことを言ってるように聞こえたか?」


 となりを見ると、コンティ伯はあまりのことに泡を吹いて気絶していた。俺はその伯の体を支えつつ、精一杯の抵抗を試みる。


「無理無理無理、無理ですって! なんで世界一の実力者に悪口書き連ねた文書をわざわざ届けに行かなきゃいけないんですか! そんなもん、ライオンの口に生肉巻いた腕を差し出してこいってのと一緒ですよ! 絶対殺されますって!」


「だったら噛みちぎられてこい。安心しろ、きちんと骨は拾ってやる。なんせお前らは一応、外交使だからな。しかも教皇からの使者を殺したとあっちゃあフリードリヒの野郎の評判はがた落ちだ。そうなりゃ離れてるドイツは元より、お膝元のシチリアやナポリだってどうなるかわからねえ。使者殺しはいつの時代でもタブー中のタブーだからな」


「それって安全の担保になってないですよね? 要は皇帝、いや元皇帝の気分次第ってことでしょ?」


「俺としちゃあ、むしろお前らが殺されてくれた方がやりやすい。どうだ? 万一うまくいったときは帰りの船から飛び降りるってのは?

 そうなりゃ俺が立派にフリードリヒの謀略だって事に仕立て上げてやるぜ? そうすりゃお前らは教会史に燦然と輝く殉教者だ。未来永劫称えられるし、うまくすりゃあ聖人に認定されるかもしれねえ。お前らのクソみてーな命の報酬には十分すぎるほどだろう?」


「ちょっと、シャルルなんとか言ってよ! このままじゃ俺たち猛獣の餌に成りかねないんだよ? 兄のフランス王に泣きつくとか色々出来ることあるでしょ?」


「かっかっか、残念ながらフリードリヒの下に赴くのはお前ら2人だけだ。シャルルには別の任務があるからな」


 シャルルは青い顔でコクリと頷いた。この表情から察するに俺たちに負けず劣らずのハードな任務に違いない。


「ちょっと、ロタリオさん! 気絶してる場合じゃないですって! ここはガツンと言うとこですよ!」


「よし、反対意見は無いようだな。って事で従兄上が正使、ジョルジオは副使だ。足はジョルジオ、お前の船がジェノヴァにいるらしいじゃねえか。ちょうどいいからそれにシチリアまで送ってもらえ」


「あのぉ、もしもの時は船だってどうなるかわからないですよね?」


「安心しろ、お前のとこの修道士に足代は弾むと言ってやったら目を輝かせてOKしてくれたぜ?」


 あんのォ銭ゲバ坊主がぁぁぁ! なーんでそういうことするかなぁ!


「出発は3日後、随員はお前らに任せるが、最低限の人数は連れていけよ? 途中で山賊にやられました、なんてことがあったらお前らイベリア半島に送り込んでレコンキスタに参加させてやる。そこで死ぬまで神の為に異教徒と戦えるんだ。光栄だろう?」


「わ、わっかりましたァ!」


 俺は気絶したままの伯を抱え急いで部屋を出る。あのままあそこにいればどんな無理難題を押し付けられるかわかったもんじゃない。呑気に気絶していた伯が目を覚ましたのは宿が見えるようになってからだった。


「と、いうことなんですよ。レコンキスタってなんなんです? 相当ヤバそうなんですけど」


「やばいなんてもんじゃない。十字軍はまだ勝算あるがあっちはダメじゃ。もうなんだかんだでイスラムと500年近く争っているが一向に先行きが見えん。あんなとこに行くぐらいならフリードリヒに悪口満載の手紙を届けたほうがまだマシじゃ」


 そう言うと伯は「レコンキスタ、レコンキスタ」とブツブツつぶやいてあっちの世界に行ってしまった。


 俺はそんな伯の手を引いて宿に戻り、伯の騎士に身柄を預けると、目を吊り上げて生臭坊主を探した。


「一体どうされたのですかな? ジョルジオ殿」


「どーしたもこーしたもナイですって! アンタ俺たちをシチリアまで運ぶ話、勝手に受けたんだってな!」


「ええ、いけませんでしたかな? 何しろ報酬はざっと500リラ! シチリアまで使者を乗せてくだけでその金額ですよ? まあ、使者はどうせ生きて帰れんでしょうから帰りは世話する必要も無し。こんなおいしい話めったにありませんな、はっはっは!」


「はっはっは! じゃねーよ、その使者が俺なの! アンタ今あっさり生きて帰れないとか言ったよね?何それ、俺死亡確定なの?

 しかも嫌ならイベリア半島でレコンキスタに行ってこいだってよ! ねえ、これ、どっちが安全なの? どっちが正解? アンタならわかるんだろ?」


「むう。強いて言うなら両方不正解? あはは、まあ、ジョルジオ殿であれば大丈夫ですって! 今までだって絶対死んでるって場面を切り抜けてきたのですからな。しかしそうなると我らもシチリアで待機せねばなりませんな。そう考えると500リラで合うと言えるのかどうか。ふむ、これは難題ですぞ」


「金の話はどーでもいいから! アンタもちっとは俺の命の心配もして、お願いだから!」


「とは言えそればかりは神に祈るしかありませんな。何しろ自分の悪口を目一杯書かれた書状をわざわざ運んでくるんですぞ? 貴方であればどうしますかな? 私なら間違いなく殺しますね、使者を」


「もーいい! そんな後ろ向きな話を聞きたいわけじゃねーんだよ! なんかこうさ、希望が見えるような逸話とかない訳? アンタの話聞いてると全然光が見えないんだよね! もう真っ暗だから!」


「いやはや、あくまで常識的に考えて、ですから。フリードリヒはやる事なす事常識外れですからな。もしかしたらその書状を見ても笑顔でいるかもしれませんよ? それか逆に、常識はずれの残酷さで貴方を切り刻んで教皇猊下に対する宣戦布告替わりに」


「いや、もういいです。お腹いっぱいですから。ヒュリア、シェラール、もう俺は誰とも話さないからね! 取次とかしなくていいから!」


 それだけ言うと俺は部屋に閉じこもり、ベットに潜り込んだ。当然、俺の枕は涙に濡れていた。


 それから数時間後、書状を携えたシェラールが遠慮がちに現れた。


「大将、枢機卿から呼び出しだ。取り次ぐなって言われたけどこれは知らせとかなきゃまずいと思って」


 時刻は既に夜だ。こんな時間に呼び出しだと? リナルドの野郎、とことん舐めやがって。俺が今頃女連れ込んでアノ最中だったらどうしてくれんだ! ちっ、そんなことはねーと思ってやがるのか? ますます許せねー! 


 とにかくだ! どうせどの道、死亡確定ならあの野郎に文句の一ダースでもぶつけてやらなきゃ気が収まらねえ! 俺はそう決意し、シェラールから書状を分捕ると、大聖堂に向かった。夜ということもあって用心のため剣は腰に佩いている。こんなときに俺に絡んでくる馬鹿がいたならそいつは完全についてない。今の俺ならためらいなく斬り捨てるだろうからね。


 殺気が溢れ出ていたのか、幸いにも絡んでくる奴は誰もいなかった。俺は枢機卿の執務室の前に立ち、深呼吸。


 とその時、向こうからドアが開き、俺の額をしたたかに打った。


「痛ってぇぇ」


「おう、なんだ来てたのか。ちょうどいい。いい酒が手に入ったんだ。お前にも分けてやろう」


「枢機卿が酒なんか飲んでいいんですか?」


「あっはっは、硬いこと言うな、お前も。俺はお前のとこのダリオみたいな修道士じゃあないからな。飲みすぎは当然ダメだが飲酒を禁じられてるわけじゃない。大体ミサでもワイン配ってんじゃねーか」


「あ、そうですね」


「今とってくるからちょっと待ってろ」


 枢機卿はしばらくするとワインの入った陶器を抱えて現れる。その後ろにはこの当時には珍しいガラスのグラスを持った従者。その従者がテーブルの上につまみのチーズなどを並べると一礼して去っていった。枢機卿はグラスに自らワインを注いで、俺に勧める。チーズも高級品らしく、適度な塩味が心地いい。当然ワインも言うだけあって上等なものだった。


「なんか悪いですね。俺なんかにこんなにしてもらうと」


「なぁに気にすんな。お前は特別だからな。そういや最近シルヴァーノの奴はどうした? めっきり気配も感じなくなったが」


「アイツ、そろそろヤバイみたいで、俺の呼びかけも聞こえなくなってるんですよ。このままだとやっぱり消えちゃったりするんですかね?」


「まあ、死者は天に登るのが定めだからな。神の許可があるとは言え、自然の摂理にはそう長いこと逆らえねえさ」


「そこをなんとかならないですかね? アイツ、ムカつく奴だけど、俺にとっちゃ大事なやつなんですよ」


「気持ちはわかるが俺なんかじゃどうにもならねえ。自らの力の限界を見せられてるようで面白くはねえが、死後の世界は俺の領分じゃねーんだ」


「そうですよね。無理言ってすみません」


「なあに、いいってことよ。ところでだ、お前だけを呼んだのには訳がある」


「訳?」


「ああ、まずは黙って聞け。フリードリヒの事だ。さっきはああ言ったが別に俺はお前らをフリードリヒに殺させる為に送る訳じゃねえんだ。お前、フリードリヒについてどこまで知ってる?」


「えっと、確か神聖帝国? の皇帝で、今はイタリアの南半分とドイツあたりを支配してるんでしたっけ?」


「いや、そうじゃねえ。お前のいた未来でもアイツは歴史上の人物として有名だろ?」


「その、恥ずかしい話、世界史とか苦手で」


「たく、しょうがねーな。なら俺がかいつまんで説明してやる。あの男はな、孤児同然の状態から皇帝になり、イスラムを誰一人殺さずに、エルサレムを取り戻した。シチリアでは土着のイスラム達をイタリア本土のルチェーラに移し、そこをイスラムの街としやがった。

 しかも改宗もさせずイスラム教徒のままでだ。しかもこのイスラム兵を使って北部諸侯と戦いやがる。かつてはあれほど威勢のよかったロンバルティア同盟も今や風前の灯火だ。同盟が敗れることになればイタリアはおしまいさ。俺たちもローマには帰れねえ」


「ちょっとすごい実績ですね。エルサレムを無血占領とか、人間業じゃないですよ」


「まあ、占領というよりは交渉で勝ち取ったんだけどな。当時奴は武力制圧も可能だったはずだ、それだけの準備をして行ったんだからな。

 だがその武力を行使せず、見せ札として外交のカードに使いやがった。そんなことが出来る奴がいると思うか? 少なくともまともな人間ならイスラムは戦うべき敵と考える。なのにその相手と交渉だぞ? 現地で暮らす上では異教徒とも付き合わなきゃならねえ場合もあるだろうさ、近所に住んでりゃ情だって沸く。それはわかる。だがアイツはそういう立場じゃねえんだ」


「なら、なんで元皇帝は外交を選んだんんですかね?」


「それが俺にもわからねえ。ただ一つ言えることはそれはこの世界にとっちゃ最悪の一手だったってことだ」


「どうしてですか? 誰も殺さない、誰も死なないならそれに越したことは無いじゃないですか」


「ふむ、なるほどな。それがお前の時代の考え方か。まあいい。いいか? 十字軍ってのは何も聖地奪還の為だけに行われてるわけじゃねーんだ。キリスト教世界が一致団結して強大なイスラムに立ち向かう。これこそが究極の目的と言ってもいい」


「つまり戦争そのものが目的、ってことですか?」


「まあ、ある意味そうだ。元々この世界は取っちゃあ取られの領地争いを何百年って繰り返してたんだ。どこもかしこも戦場だ。そうなりゃ民もまともな生活なんかできるはずもねえ。するとどうなる? 決まってる、民の離散だ。行くあてもねえ民は流民となって下手すりゃそのまま山賊なんぞになりやがる。残ってんのは誰も耕す宛のねえ荒れた畑。領主は当然収入が減るので税を重くする。

 それに耐えきれなくなった領民がさらに離散。そんなことの繰り返しよ。そうなりゃこの世は地獄さ。せっかく神がこれだけ素晴らしい世界を作ってくれたのに、それを使いこなせねえのは馬鹿な人間どもだ。

 そういう過去のしがらみを断ち切って団結するにはイスラムってのはちょうどいい存在だ。また都合よくその頃向こうからちょっかい出してくれたしな」


「外に目を向けさせることで内輪もめをやめさせると?」


「まあそういうこった。そのおかげでキリスト教徒は一定の安定とそれなりの平和を手に入れ、外に出たやつらはそこで新しい領地や富を手に入れた。イスラムの都合を完全に無視すりゃ中々よくできた話だと思わねーか? おかげで民の離散は減り、生産力もあがってきてる。それにだ、戦地に必要な物資の調達で金も動く。まだまだ改善する余地はあるが、一応の成果を収めてるんだ」


「で、元皇帝がエルサレムを手に入れると何がまずいんですか?」


「アイツはその外向きのいくさをさっさと終わらせ、自分の支配権を強固にするために内向きのいくさをしかけてる。これ以上まずいことはあるまい?」


「でも皇帝が外征中に領地をぶんどったりしたのは教会の方ですよね?」


「ああ、それに関しちゃ失敗だったと思ってる。あの頃は俺もまだペーペーだったしな。教会って組織はな、絶対無二の神を祭ってるだけあって頑なな奴が多いんだ。「こうあるべきだ」とか「こうでなければいけない」とかな。そういう連中は大きな視点で物を見ないから小さなところにこだわるんだ。俺の伯父に当たるグレゴリウス9世も今の教皇もその手の奴だったって事だ。聖職者としては立派だが政治的にはダメダメもいいとこだ。

 不幸なのはそんな奴らがこの時代に教皇なんぞになっちまったって事だな。平和な時代に生きてりゃ何の問題もなく立派な教皇猊下だったと言われてただろうにな」


「で、リナルドさんの考えはどうなんです?」


「俺か? 俺はそんなことはどっちでもいいんだ。神と聖書に絶対でありたいならそう生きればいいし、自分なりに都合よく解釈するならそれもいいさ。但し行き過ぎると異端として処分しなきゃならないがな。お前を閉じ込めた司教のブランのようにな。

 だがお前に話したいのはそんなことじゃねえんだ。俺はな、フリードリヒの野郎はお前の同類だと踏んでる」


「俺と同類? って事はほかの時代から来たってことですか?」


「ああそうだ。あいつのやってることや考え方はどう見てもこの時代の人間じゃねえ。破門になってもケロッとしてるしイスラムの連中を自分と同じ人間として扱ってやがる。それに俺たち教会に真っ向から喧嘩を売るなんて、子供の頃から神と教皇の偉さを刷り込まれて育つ人間には考えることすらできねーだろうさ。フランス王ルイを見てみろ、ああいう神に対して従順なのがこの時代の人間なんだ」


「確かに、並の精神力じゃないですよね。若しくは俺と同じように持っている常識自体が違うか」


「だろ? だからお前にはそれを確かめて欲しい。お前のことはそれとなく書状の文面に散らしておく。もし、フリードリヒが俺のにらみ通りだとすれば必ず食いつくはずだ。そうすりゃお前はまず殺されねえ。あいつにすりゃこの世でたった一人の同胞だろうからな」


「でもそれは俺にとってもそうですよね? 俺が裏切ったらどうするんです?」


「安心しろ。お前はそんなことが出来るタマじゃねえよ。未来から呼び寄せられたって言ってもフリードリヒのように才能豊かな奴もいれば、お前みたいにドンくさい奴もいるってことさ」


「ひどい言われようですね」


「だが俺はお前で良かったと思ってる。お前がもし、才能豊かでいろんな新しい技術とかをこの世界に伝えたりしてたらいつかは俺たちの敵になるからな。

 どんな優れた知識や技術も出てくるタイミングを間違えりゃ受け入れられねえどころか異端扱いされる。俺はそれを神の意思だと思ってるのさ。まだ人間が手にするには早い物や技術を自然淘汰の形で消し去ってしまう。そんなことができるのは神ぐらいだろうからな。

 フリードリヒの考え方ややり方もそれと同じさ。アイツの考えを俺たちは決して受け入れることはできないだろうからな」


「最後に聞かせてください、リナルドさん、貴方は十字軍の名の下にイスラム教を信じる人が殺される。それについてどう思ってますか?」


「そりゃあイスラムだって人間だ。飯も食えばクソもする。嬉しい時には笑うだろうし、悲しけりゃ泣くだろうさ。人間同士が殺し合うのは馬鹿げてる? そんなことは百も承知だ。だけどな、ある意味人間ってのは生きるために敵が必要なんじゃないのかとも思うんだ。そのために神がイスラムって言う敵を与えてくれたんだとも思ってる。そんなところさ」


「それじゃあ永遠に殺し合うのが人間の定めとでも?」


「ああそうだ。イエスキリストが産まれてもう1200年以上経つ。なのに人間は相も変わらず殺し合いに勤しんでるんだからな。それとも何か? お前のいた時代では人間はみんな仲良く手を取り合って暮らしてんのか?」


「いえ、戦争は相変わらずやってます。殺人だって毎日のように」


「だろう? 1000年経ってやめられねえ物が2000年経とうが3000年経とうがやめられるはずなんかねーんだ。そういう不条理なものにできてんだよ、人間って奴は。

 ――だからこそ俺は神に祈る。明日が今日よりマシな世界であるように。今日の不条理で明日を生きることができなかった奴らの分までな。人間が争いをやめる事が出来た日にはこうして祈る必要も無くなるんだろうな」


「そうですね。いつかそういう時代が来るといいですね」


「だとしてもそれは今じゃねえ。だから余計な論理を持ち込んでこの世を乱すフリードリヒを許せねえんだ。どんな論理感を持ってんのか知らねーが、少なくとも今のこの世に必要なもんじゃねーからな。それをお前が確かめろ。そして出来ることなら今の動きをやめさせろ。そうすりゃお互い平和に暮らせる」


「わかりました。俺に何ができるかはわかりませんけど、俺じゃなきゃできないってことはなんとなく分かりましたから」


「それだけわかりゃ十分だ。朗報を期待してるぜ?」


「努力します」


 リヨンを出発したのは二日後の明け方。先頭を行くのは騎兵のシェラールと同じく馬に乗った男装のヒュリア。彼女ももう、15歳。背も伸びたし、体つきも女性らしくしなやかだ。長く伸ばした黒髪を後ろで結いた姿には健康的な色気も感じる。あと数年もすれば誰もが振り返る美女になるだろう。


 その後ろには今やオカッパ隊として名を馳せているグスタフ達ノルマン人たちが続く。彼らはみなその背に半月型の長斧、バルディッシュを背負っている。俺と伯は伯の馬車に乗り、彼らの後ろを走る。周囲を固めるのは伯の騎士たちだ。後ろにはやはりオカッパのブライアン達ウェールズの弓兵が続く。ダリオは話し好きなブライアンと気が合うらしく、彼らと行動を共にしている。

 装備の整った船乗りたちはルチアーノとフェデリーゴに任せてリヨンの警備を続けてもらう。伯の兵も同様だ。何故平服姿の新人たちを率いてきたかといえば、財布の紐を握るダリオ殿の意向であるからだ。既に彼らの装備はジェノヴァの職人に発注済み。どうせジェノヴァに行くのなら使用する当人たちを行かせればリヨンまでの輸送代が浮く。そんな身も蓋もない理由だった。


 俺達がこうしてのん気に暮らしていけるのもダリオの稼ぎがあればこそ。そんな彼に俺が反論できるはずもなく、ピクニックのような姿での行軍と相成った訳だ。

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