第3話Brother and sister of the assassin 暗殺者の兄妹

 船長に礼を述べ、同行してきた兵士や民の皆とも別れた。あるものは別の船で仲間と共に故国に帰り、あるものはこの地で新たな生活の基盤を作ると言う。俺は2人の従者と1人の幽霊と共に、この街でしばらく滞在し、ローマまでの行程を考えることにした。

それよりなにより風呂に入りたい。人の下着を着けたまま、砂埃の舞うエルサレムからここまで旅を続けてきたのだ。汗にまみれた体はむずがゆいし、暴れだしたいほど不快だった。


 この地に詳しいと言うシェラールに案内を任せ、宿に向かう。厚い壁で外界と仕切られた宿は外の暑さが嘘かと思うほど快適だ。薄暗く、窓の切られていない宿のロビーは昼間だというのにほの暗い明かりが灯されていた。


「ふん。エルサレムの生き残りかい? 泊めてやってもいいが問題はごめんだからな」


 ぶっきらぼうな宿のオヤジが苦々しく俺をみる。この辺はヨーロッパ文化とイスラム、トルコなどがごちゃまぜになっているらしく、人種も様々なら言葉も様々だった。このオヤジが何語を話しているのかはわからないが、神の恩寵とやらで言葉に不自由しない俺は正確に意思の疎通ができる。この能力が現代にいた頃の俺に備わっていれば間違いなく世界を舞台に旅をしていた事だろう。


 俺達の割り当てられた部屋は4人部屋で、一応ベットらしきものもある。シェラールはこの部屋を貸切にしてもらったらしい。かさばる鎧を脱ぎ捨て、身軽になるとベットに腰を下ろす。ヒュリアに銀貨を渡し、何か飲み物を買ってくるよう頼んだ。何しろ俺はこの世界でどう立ち回ったらいいのかわからないし、物の値段もわからない。うっかり一人で買い物でもしよう物ならどれだけふんだくられるかわからないのだ。


「で、大将、取り敢えずどうするんで?」


 俺の向かいのベットに腰を下ろしたシェラール。彼も日よけの外套を脱いで涼しげな麻のシャツ姿だ。頭に巻いたターバンを取るとなにげに野性的ないい男だ。


「ああ、そうだな。俺はローマに行かなきゃならない。お前たちがそれは無理だと言うならここでお別れだ」


「何を今更。俺達は元々行く宛の無え流れもんだ。それにアンタには命の借りがある。例え地の果てだろうが付いていくぜ」


「そうです。私はジョルジオ様に身も心も捧げた身。死ぬまで御側を離れません」


 飲み物の入った陶器を抱えたヒュリアが部屋に戻るなりそう言い放つ。そういうヒュリアの目はまっすぐに俺を見て、ピクリとも動かない。やっぱこの子怖い。


「はは、やだなあヒュリア。そんな事気にしなくていいんだよ。そのうち素敵な男でも見つかったら俺がちゃんとお嫁に出してあげるからね。女の幸せは旦那で決まるって俺の母さんも言ってたし、そんな簡単になんでも捧げちゃだめだ。うんうん。ちなみにこれは君のことを思って言ってるんだからね、決して君が嫌だとかそういう事じゃないんだからね」


 木のカップに飲み物を注いでいるヒュリアの目が一瞬鋭くなったが、すぐに和らぎ、俺に木のカップを差し出す。カップの飲み物は冷たい水に何か果物で味をつけたものらしくほのかに甘い。


「そこまで私の事を考えてくださるなんて。でもいいんです。私、決めましたから。私の人生はジョルジオ様の為にあるのだと。ああ、改宗した甲斐がありました。神は私の前にこれほどの御方を遣わされて下さったのですから」


 おもむろに両膝をつき、胸の十字架を両手で握って祈り出す。その姿を見たシェラールはすでに諦め顔で俺と一瞬目を合うと気まずそうに目をそらした。

 非難の目を向ける俺に抗しかねたのかシェラールがその妹に向けて口を開いた。


「なあ、ヒュリア。お前の気持ちはよくわかるが、大将にも都合ってもんがある。クニに帰れば許嫁の一人や二人いるかもしれねえし、それにまだまだお前は子供だ。もうちっと育ってからそういう事は考えても遅くないんじゃねーか?」


 ナイスだ、シェラール君! 君は俺の思っていることを見事に過不足なく、それでいてヒュリアを傷つけないようにいってくれた。うんうん、褒めてつかわそう。


「はは、何を言い出すのかと思えばそんな事? 兄さん、あなたにとやかく言う権利があるとでも? そもそもジョルジオ様のような立派な方に複数の妻がいるのは当たり前。そのようなことは都合の内には入りません。それに私が子供だと言うけれど、兄さんがあの女を娶ったのはいくつの時だったかしら。たしかあの女はまだ13じゃなかった?」


「そりゃあ俺達の故郷の話だろ? 大将のクニはそうじゃないかもしれねえし、少なくともお前が一方的に決めることじゃない」


「確かあの子はウチに来るとき泣き喚いていた気がするけど? あれは兄さんに無理やり妻にされたわけではないのかしら?」


「俺の話はいい! 今は大将の話をしてるんだろうが」


「だからジョルジオ様に私を捧げるのは私の勝手。愛してもらえるかも大事にしてもらえるかも全ては私次第。だから兄さんに口を挟まれるいわれは無いの」


「あー、わかったわかった、好きにしろ。但し、お前がどうなろうが俺は知らないからな」


「ええ、結構よ。で、今夜私はジョルジオ様と同衾するつもりだから兄さんは悪いけど廊下で寝てもらえる?」


「ちょっと待て! そういう事はだなあ、もっとちゃんとしたところでちゃんと行えよ!」


「と、いうことでジョルジオ様、今宵は共に寝ていただけますね? ちゃんと体は清めてきますから。あ、でも私、初めてなもので、色々と教えていただかないと」


「えーっと、それって万が一、万が一だけど俺が拒否したらど、どうなるのかなぁ?」


「死にます。ジョルジオ様に拒否されるくらいならこの世に未練などありません。禍根を残さぬよう、このふしだらな兄を殺して私も死にます」


「ちょっと待て! なんでそこで俺が殺されなきゃいけねーんだ? お前が死ぬのは勝手だが俺まで巻き込むんじゃねえよ」


「兄さん、何のために私がヴァンを逃げ出てきたのか忘れたわけじゃないですよね? 一族の血をあのモンゴルの蛮族に汚されぬためでしょう? その私を守るのが兄さんの務め。私が死ねば兄さんは生きる意味が無い。そうですよね」


「あ、あのなあ、それは長老がそう言っただけで俺はそこまで思っちゃいねえよ! 確かにお前を守るのが俺の務めだが自分で死のうってんなら話は別だ。いちいち付き合ってられるかってんだ」


「兄さんの気持ちは関係ありません。泣き叫ぼうが命乞いしようがその時は殺します。それが嫌なら戦えばいい。最も私に勝てるなら、ですけど」


 ニタリと笑うヒュリアの顔には兄に対する敬意や優しさなど微塵も感じられなかった。傍で見ている俺でさえゾクリとするほどの恐ろしい笑顔だ。


『おい、どうなってんだこの兄妹? 完全に妹にいい様にされてんじゃねーか』


『どうやら想像以上の者を拾ってしまったようですね。シェラールも相当の使い手と見えますが、ヒュリアの殺気は尋常じゃありませんよ』


『で、俺はどうすれば?』


『一つわかっていることは彼女を拒絶すれば何が起こるかわからないと言うことだけです』


『全然答えになってねーよ』


「わ、わかった、わかったから。俺はお前のやることに干渉しない。そうしろと言うなら廊下で寝るから。だから殺すのはやめてくれ」


 しばし睨み合っていた兄妹の争いは兄の全面降伏と言う形で決着した。


「わかればいいんですよ。兄上。で、ジョルジオ様、一緒に寝ていただけますね?」


 キター、こっちに飛び火キター! どうする、どうするんだ俺。しばらく考えた俺は一つ咳払いをしてこう答えた。


「コホン、まあ、そのだな。シェラールもヒュリアも何やら目的があるみたいだし、どうだろうか、ここで別行動というのは?」


「ダメだ」「ダメです」


 異口同音に拒否の回答。


「でもさ、正直いって俺もこの先どうなるかわかんないんだ。そんなフワッフワの男についてきても大変な思いをするだけじゃん? もっと頼りがいのある相手を見つけたほうがいいと思うよ?」


 シェラールはしばらく考え込んだあととんでもない事を口にした。


「大将、アンタにはちゃんと言っておかなきゃいけないことがある。実は俺達の一族ってのは昔からある技術を売って生きてきたんだ」


「へぇ、そりゃあすごいね。で、その技術って?」


「殺しだ」


「――へぇ」


 まずいまずい!とんでもねーよこいつ等! 殺し?何それ、闇の一族か何かなの? もしかして忍者?あ、こっちには忍者はいないか。


「いわゆるアサシンってやつだ。イスラムの中でもニザール派って言う、殺しを生業とする宗派で、別名「暗殺教団」なんて呼ばれてる。もちろん好き好んでそんなもんになったわけじゃねーよ? たまたま生まれた家がニザール派だっただけのことだ」


『聞きました奥様? アサシンですって、いやーね、怖いわー』


『返事がない。ただの屍のようだ』


『返事してんだろーが! 確かにお前は屍かも知んねーけど? 何それ自虐ギャグ? それよりどーすんだよ?こんな危ない連中家来にしちゃって!』


『はは、どうするも何も貴方が決めたことでしょう? だから僕はあの時助ける必要なんかないって言ったんですよ』


『何言ってんだお前、助けたあとしっかり「いや~人助けっていいもんですねぇ」とか言って俺に礼まで言ってたじゃねーか!』


『まあ、拾っちゃった以上しょうがないですよ。ほら、ポジティブポジティブ』


『全然ポジティブになれねーよ!』


「で、俺たちは『殺し』を売っているだけあって自分の命にはこだわりが薄い」


 嘘つけ!お前さっき思いっきり命大事にしてたよね? かたくなに生きようとしてたよね? 


「で、そんな一族にも掟ってのがあってな、唯一絶対守らなきゃいけないのが『命の借り』なんだ。命を救われた相手には生涯をかけて報いる。その相手が誰であろうとも。それが俺達の生き方なんだ。だからアンタが例え乞食であっても俺達はアンタから離れるわけには行かねぇんだ」


 乞食、か。近いものがあるよね。死体から鎧剥ぎ取ってるし。


「ハッ、そんな不安そうな顔するなって。イザとなったら俺達がアンタの食い扶持ぐらいどうとでもしてやるからさ。もっとこう、俺達の主らしくドーンと構えていてくれよ」


「ち、ちなみにだけど、どうやって稼ぐつもりなのかな?」


「決まってんだろ? 殺すのさ。なあに金持ちの2,3人殺せばすぐに大儲けってね」


「兄さんの言うとおりです。私はジョルジオ様と幸せに暮らせるのなら誰が死のうが構わない」


 構えよ! そこ大事なとこだから! やっぱりだ。予想はしていたけどやっぱりこうなるんだ。ねえ、俺どうなるの?やっぱ、海賊みたいに手配書とか回っちゃうわけ? 懸賞首のお尋ね者? 


『ジョージ、人間あきらめが肝心ですよ』


『諦めたらそこで試合終了だろ?』


『よく見てください。試合ならもう終了しています』


 トルコ風の服の中から幾つもの小さな短剣を取り出し、生き生きと刃物を磨くアサシンの兄妹。この状況を前にして俺というちっぽけな存在に何ができようか。


「あ、そう言えばジョルジオ様、お風呂に入りたいって言ってましたよね。兄さん、私たちも行きましょうよ」


「あ、いいな。風呂か」


「風呂もそうなんだけどさ、できれば着替えも買いたいんだよね。この服汗みどろだし、下着も履き替えたいし。それにお前たちだってそのトルコ風の服じゃ何かと目立つだろう?」


「んーそうですね。ではまず資金調達を」


「いやいや、お金持ってるから。ほら、金貨もあるしね。あ、そうだ。このお金ヒュリアに預けとくからうまくやり繰りしてくれる?」


 金貨2枚だけを残し、ほかはヒュリアに渡す。これは彼らに信頼を与えてると言うパフォーマンスでもあるのだ。なにしろ殺されてはたまらない。そのくらいはしておくべきだろう。


「まあ、これほどのお金を。わかりました、このお金でローマまで行ければいいのですね? お任せ下さい」


 俺は鎧下の上にベルトを巻いて剣を佩く。薄々のチェインメイルはいっそのこと売っぱらってしまおうかとも思ったが、兄妹に止められたので盗まれないよう宿の主に預けておく。紋章の入ったサーコートも同様だ。


 外は相変わらず容赦なく強い日差しが照りつけて暑い。日本の夏と違って乾燥しているのでまだ過ごしやすいが暑いのには変わりない。

 町並みを歩くと日陰にでかいクッションのようなものを置きそれに寄りかかりながら年寄りの談笑する姿や炎天下の中、重い荷物を運ぶ人夫、水場では洗濯に勤しみながら黄色い笑い声を上げる女たち。船でたった一日の先にあるエルサレムで大きな戦いが起こった事など嘘のようにこの街は平和だった。


「大将、この街はね、『ホスピタル騎士団』の管理下にあるんだ。騎士団の連中は病人やけが人を面倒見てくれてるし衛生状態にも気を配ってる。連中のおかげでここの住民は病に怯えることもないし、安心して暮らせるんだ。だからここは賑わうし、発展してる。『十字軍』なんて言うと皆、嫌な顔してたもんだが与えてくれたものだってちゃんとあるのさ。まあ、もちろん頑固なイスラム教徒にとっちゃ災厄以外の何者でもないがな」


「へぇ、騎士団ってのは病院までやってるんだ。知らなかったな」


「元々はエルサレムの巡礼者たちの宿を提供してたのが始まりらしいがね。俺達トルコ人にとっちゃモンゴルの連中に比べりゃ何倍もましって話さ。イスラムの奴らとうまいこと住み分けできればこれほどいい話はないんだろうけどね」


「それじゃあ困る連中がいるのさ。いつの時代も戦地で暮らす人は平和を願い、後方の安全な所にいるお偉方が戦争を賛美する。どこも同じさ」


「大将、なかなか深いこと言うねぇ。流石は俺の主様だ」


 まあ、何かの本で見たことをそのまま言っただけなんだけどね。


「噂をすれば、ほら、あれがホスピタルの騎士さ」


 シェラールが指差した先には数人の騎士が巡回に回っていた。お揃いの黒いマントに八角十字の紋章が白く染め抜かれている。


『ちなみにあの騎士団は貴方の居た現在まで続いていますよ。マルタ騎士団として医療活動に従事しています』


『それってすごくね? 俺は騎士団なんてものが現代に残っていることすら知らなかったよ』


『医療行為がメインですけどね。もちろんこの頃は戦いもしてますよ。このあと彼らはロードスと言う島を本拠にするんですけどそこでの戦いは現代でも語られていますから』


『なんかかっこいいね。俺もどうせならそういう騎士団とかに入りたいな』


『無理ですね。騎士団に加わるためには資産を提供しなければなりませんから。マセラティ家の資産がどのくらいあるかはわかりませんけど勝手に処分するわけにもいかないでしょう?』


『なるほどね。何をするにも金がいるわけか。まあ、確かにそう言った寄付だの寄進だのがなけりゃこんなところで現地民相手に病院なんかできないよね』


『ええ、庶民相手じゃ医療費だってロクに取れませんから。でも裏にどんなカラクリがあるにしろ人々から感謝される立派な行いであることには変わりません。だからこそ二十一世紀まで続いているのでしょうけどね』


『うん、あとは俺をその二十一世紀に返してくれりゃ文句はねーよ』


『ははは』


 あ、消えやがった。シルヴァーノはゆかりの地に来たせいかパワーアップを見せている。そのひとつがこれだ。自分に都合が悪くなると俺の前から姿を消す。二十一世紀にいた頃はあれほどやかましく言っても消えなかったのに。


 八角十字の騎士たちは庶民にも気さくに声をかけ、困ったことはないか? 病気だった者の様子はどうか?などと訪ねて回っている。その後ろからは子供たちが騎士たちの真似をして付いて歩く。浅黒い肌の子供たちが現地の言葉で「俺、大きくなったら騎士様みたいになるんだ」とか「うちの畑で取れた野菜を今度病院に持っていくね」などと口々に言っている。白人の騎士たちはその言葉がわかっているのかニコニコと微笑むと子供たちの頭を撫でてやっていた。


「ほら、大将、市場についたぜ。早いとこ買い物を済ませて風呂に行こうや」


 市場では今までおとなしくしていたヒュリアの独り舞台だった。幾つもの露天を連れ回され、ああじゃない、こうじゃないと頭を悩ませる。

 結局俺には鮮やかな青で染めたリンネルの上衣とグレーのタイツ、それに羽飾りのついた帽子を。シェラールには水色の毛織の長衣と革のベルト。本人はいらないと言っていたが戦利品を売る店で作りのしっかりした長剣を買ってやる。


 ヒュリアは「兄や私などは中古で十分」などと言っていたがせっかくなので新しいものを選ばせた。


 彼女にはリンネルのワンピース。若草色のその服は日によく焼けた彼女の肌に似合っていた。やはり腰には革ベルトと本人が欲しがった弓矢を買ってやった。それとそれぞれの下着を数枚と何にでも使えそうなリンネルの布を数枚。繕いものをするための裁縫道具一式にオリーブで作った石鹸、旅で使うのだという鍋などの調理用具や小物を買い求める。


 それらを宿に届けさせ、着替えとリンネルのタオルと石鹸だけを持って浴場に向かう。石造りの浴場は思ったよりも清潔で明るかった。この時代の風呂は混浴らしく、かなりの期待を持って望んだが入浴していた女性は老婆が二人だけ。ヒュリアも恥ずかしいのか俺たちとはかなり距離を置いた端っこで湯に浸かっている。ガキの体なんかに興味はない、と言う大人の俺と、成長途中の体に興味深々の男の俺。脳内でかなりの葛藤があったが、兄のシェラールが現れたのでやましい気持ちに打ち勝つことができた。流石に実の兄の前で妹に欲情することはできない。


 湯をかぶるとまるで生き返った心地がする。石鹸を泡だて頭だろうが体だろうがお構いなしに洗っていく。とにかく気持ちがいいことこの上ない。そして湯につかり、一息つくと向こう側にくつろぐシルヴァーノを発見した。


「どした、大将。そんな怖い顔で見つめて。あそこには誰もいねーぞ?」


「あ、ああ。なんとなく悪霊がいそうな気配がしたものでね」


「そりゃあ怖いな。だが風呂に入る悪霊なんかいるはずもねえ。考えすぎだろ」


「そうだね。いないよね風呂でくつろいでる悪霊なんて」


『それがいるんですよねー。あ、何回も言いますけど僕は悪霊じゃないですから』


 思わず俺は湯をシルヴァーノに浴びせた。へへ、奴はこの状況じゃ反撃もできまい。いいのよ?反撃しても。そこに超常現象起こす気ならね。

 シルヴァーノは悔しそうな顔をしていたかと思うといきなり湯の中に潜り、俺の足を引っ張った。「ぐはっ、げほっ、」思わぬことに思いっきり湯を飲んでしまった俺はむせ返る。


「大丈夫か? 疲れがたまってたんだな。今夜はうまいもん食って早く寝たほうがいい」


「ああ、そうみたいだ」


 俺たちは早めに湯から上がり、リンネルのタオルで体を拭く。シェラールは先ほど買い求めたカミソリを使って、ヒゲを整える。俺もそれを真似てまだらに生えたヒゲを剃っていく。


「あ、そうそう、シェラール。なんでアンタ、あんなに妹に弱いの? 普通兄貴ってもっと威張ってそうなもんじゃね?」


 脱衣場で冷たい水を飲みながらシェラールに尋ねてみる。ヒュリアはどう見ても劇物。劇物ならばその種類を知っておかねば心が休まらない。


「うちの一族はな、女系相続なんだ。代々女が当主を務め、よそから婿を迎える。その最後の当主があいつってわけさ」


「こう言っちゃなんだけど、あの子思い込み激しい方?」


「思い込み激しいっていうか自分を信じる気持ちが強いんだと思う。あいつ、小さな頃から何でもできるし、腕前だって俺なんかじゃ遠く及ばねえ。その自分が決めた相手なんだから絶対モノにしてやらなきゃ気がすまないんだと思うぜ?

 それにあの状況で命を助けてもらったんだ。仮にあいつが普通の女だったとしてもアンタに恋しちまうさ」


「腕前ってもちろんそっちの方面だよね」


「ああ、大きな声じゃ言えねーが、あいつはあの年で既に50人近く殺ってる」


 はは、50人、聞きました?50人ですよ。


「へ、へぇぇ、そうなんだ。でも剣の腕はアンタのが上だって言ってたけど」


「剣なんて近くまで行ってやっと役に立つもんだ。近づいて殺すなんてのは下の下、上手い奴は相手が殺されたことすら分からせねえよ。特にヒュリアは弓と投擲つまりコイツだ。これの腕が尋常じゃない」


 そう言って見せてくれたのは薄い小さな短剣だった。


「それに加えてあの姿だ。いたいけな少女のフリして井戸に毒を入れたり、食器に毒を塗ったり平気でできる。俺みてーな中途半端な男にはとても真似できねーさ」


 へぇ、そうなんだ。そんな彼女に付きまとわれた俺はこの先、生きていけるのかな? 毒殺? 手裏剣での刺殺? それとも弓で狙われる?劇物は劇物でも最上級。どこにいても逃れられない代物だった。


「まあ、そうは言ってもアンタは別だ。前も言ったようにアンタには『命の借り』がある。絶対にアンタだけは殺せない。だから安心してくれ。あ、そう言えばアンタ、婚約者とか恋人とかいるか?」


「いや、そういうのはいないけど」


「そうか、よかった。いたらそいつらは真っ先に殺されただろうからな。あいつ、ああ見えても嫉妬深いんだ」


 いいえ、言動で想像つきますから。ぜんぜんああ見えてないですから。


「ま、こうなっちまった以上俺たちは腐れ縁だ。仲良くやろうぜ、大将?」


「そうだね。仲良くしとかなきゃいろいろまずいよね」


「ああ、アンタに何かあれば真っ先に俺が殺されるからな」


「はは、ははは」


 二人の男の乾いた笑いが響く。風呂上りに新しい下着、それに新しい服。最高に気分がいいはずなのになぜだろう。心の中がどんよりしてる。その原因であるヒュリアはよほど念入りに体を洗っているらしく中々上がってこない。


 恥ずかしげにタオルを巻いて出てきたヒュリアの肌は珠のようにツヤツヤしていて、髪も綺麗に結かれていた。


 ドヤ顔で最高の笑顔を見せるヒュリアに一瞬ポーッとなりかけたが慌てて頭を振って邪念を追い出す。ちっと言う舌打ちの音が聞こえたような気がしたが気にしない。なんでダメなのかって? 決まってる、俺はロリじゃないし劇物である殺し屋の女を妻にする気もないからだ。手さえ出さなければいつか諦めてほかの男を探すに決まってる。

 俺はこう見えても頼りがいのなさには自信があるのだ。今まで付き合ってきた彼女もいつの間にか俺の下から去っていく。一度なぜなのかと理由を聞いたことがあるが、「貴方との将来に自信がないの」と言う身も蓋もない答えだった。


 この街を出発するまでの2日間、俺は怪しくなりそうな自制心を奮い起こし、一切彼女の体に触れることはしなかった。同じベッドに潜り込まれようが、あからさまに目の前で着替えをされようがだ。


「ジョルジオ様、私はそんなに魅力がありませんか?」


 今にも泣き出しそうな顔でヒュリアが俺に詰め寄る。シェラールはヒュリアのひと睨みで部屋から出ていった。


「そんなことはないさ。君はとても可愛いし、すごく気が利く。それに洗濯や身の回りのこともやってくれるし、正直俺にはもったいなくてね」


「では今一度聞きますが、ジョルジオ様は私のことが嫌い、というわけではないのですね?」


「ああ、もちろんさ」


「では、故郷に恋人や婚約者がいて、その方に操を立てているのですか?」


「そんなものはいないよ」


「ならばなぜ、私を抱いていただけないのですか?」


 ついに恐れていた質問が来た。嫌いでもなく、ほかに恋人もいない。ならばなぜ? 決まってる、恐ろしいからだ。しかし俺とてただいたずらに時を過ごしていたわけではないのだよ、ヒュリア君?何しろ俺は、君の反論できない理屈をこの2日考えに考えたのだから。


「いいかい、ヒュリア。君はまだ14歳だ。自分でどう思おうがまだまだ成長途中なんだよ。そんな体で万が一子供でも孕めば母子ともに死んでしまう恐れがあるだろう? だから俺は君に手を出さないんだ。わかったかい? わかったなら俺の劣情を煽るようなことはやめてくれないか? 俺だって君のような美しい娘を前に耐えているのだから」


 ふっ、どうだ。完璧だろう? これで貴様に反論の余地はない。あとはこれみよがしに成熟した女を捕まえて、目の前でイチャつきでもしてやればさすがに諦めて去っていくだろう。

 俺の会心の一撃により、ヒュリアは俯いたまま黙り込んだ。どうだ、俺に死角はないぜ! 黙り込んでいたヒュリアは突然、何を思ったかポロポロと大粒の涙を流し始める。え?なんで? 俺、傷つけるようなこと言ってないよね? なんか俺、悪者っぽくなってる?


「ど、どうしたんだい? ヒュリア。何か気に入らない事でも言ったかな? 俺」


 ヒックヒックと肩を震わせながらヒュリアが顔を上げる。


「いいえ、そこまで考えて頂けたのが嬉しいんです。それに比べて事実行為を焦った私が愚かしくて。私の行いがジョルジオ様に我慢を強いていたなんて」


「何も泣くことはないんじゃないかな? ほら、お互い理解できればそれでいいんだし。ね? 君が成長するまで俺の劣情は違うところで晴らすからさ。全然気に止むことなんかないんだよ?」


 さりげなく別の女と関係を持ちたいことを匂わせる。ここまでくればあとは簡単だ。遠い将来の約束をしておいて好き勝手していれば普通の女なら逃げていく。ふふ、振られるのは得意だからな。


「いいえ、私が何とかします。その、母や一族の女たちからも色々やり方は教わっていますし」


 恥ずかしそうに身をくねらせるヒュリア。おいおい、随分進んだ性教育してんだな、オメーらの一族は。


「とにかく、これでジョルジオ様のお気持ちはしっかり理解できました。今夜からもずっと一緒に寝ましょうね。あ、兄ならお気遣い無く。廊下で立ったまま寝ることもできるように訓練されてますから」


 →振り出しへもどる。まさにそんな気分だ。


 その日の夜、ヒュリアの攻撃はいつにも増して激しかった。俺はやむをえず「明日から旅路で体力を残しておかないとね」などと言い、額にキスをしてやった。たったそれだけの行為でヒュリアは真っ赤になって小さく丸まってしまう。口ではなんのかんのと大人びたことを言っても中身は14歳、思春期真っ盛りの女の子だ。これに懲りて迫ってくることはないだろう。

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