第四章 ねこねこ軍団対殺し屋軍団

第20話

 ここは?

 どうやら意識を失っていたらしい。目を開けると、陽子は見知らぬ部屋で仰向けに寝ていた。

 学校の教室の半分くらいの広さだろうか? さほど広くもない空間には家具もなにも置かれていないせいで、実際よりもかなり広く感じる。内装は天井も壁もコンクリートの打ちっ放しの上、表面がくすんでいるため、味も素っ気もない。壁には一部に入り口と思われるエレベータードアのようなものついている以外、分電盤やモニターらしきものがあるだけで、他はなにもない。窓すらなかった。天井になんの飾り気もない蛍光灯がカバーもつけない状態で設置されているのが見えた。なんとなくじめじめしている上、むき出しのコンクリートの匂いがかすかに鼻につく。

 起きあがろうとしたが動けない。そのときはじめて自分が粗末なベッドのようなものの上で、両手足を大の字に広げたまま拘束されていることに気づいた。手首足首にがっしりとロープが絡みついている。

「気がついた?」

 頭の上から覗き込むようにする礼子の顔が見えた。今まで見えなかったのは、真後ろにいたかららしい。礼子はそのまま位置を変え、陽子の真横に立つ。陽子のマンションを訪ねてきたときに着ていた制服の代わりに、スリムのジーンズに黒の革ジャンといった活動的な格好をしていた。

「ど、どうして?」

 最大の疑問をストレートに口にする。

「どうして? あたしが姫華を殺そうとしたか? それともなぜ陽子を殺そうとしたあげくに、今は殺さないでさらったか? これからいったいなにをしたいのか? なにを聞きたいの?」

「ぜんぶよ、ぜんぶ。そもそも礼子はなんでこんなことをしているのよ?」

「世の中にはあんたなんかが知らないことがたくさんあるのよ。たとえば、孤児を自分たちの都合のいい工作員、あるいは殺人機械とでもいうべき人間兵器に作り替えて、企業や政治家たちにレンタルする組織とか」

「な、なにをいっているの?」

「そういう組織は、上層部が判断してすべてを決める。金のためだったり、政治のためだったりいろいろだけど、そんなことさらわれて歯車になった者には知るよしもないわ」

 礼子は自分がその歯車だといっているのだ。

「信じられないよ、そんなこと」

「だからいったでしょう。世の中には、あんたなんかの知らないことがたくさんあるって」

「じゃ、じゃあ姫華さんを撃ったのは命令なのね。花鳥院家のお金とか仕事に絡むことなんでしょう? だけど、あたしを襲ったのは?」

「あのときあんたはあたしの目を見た。あとで気づいたことだけど、あたしは変装用のカラーコンタクトを落としていた。必死に探したけどどうしても見つからない。おそらく逃げる途中で落としたんだと思ったけど、あんたは『なにか重大なことを見たような気がする』とかいい出す。青い目を見られたかもしれないと思った。そして落としたコンタクトをあんたが拾ったんじゃないかとも」

「だから思い出す前に……殺そうと……した?」

 否定して欲しかった。心から。しかし礼子はあっさりと肯定する。

「そうよ」

「う、嘘……」

「残念だけど、あたしにはそれしか選択肢がないの。似たような組織は日本にもいくつかあるけど、あたしたちの組織は特別非情。命令無視はぜったいに許されない。だからあたしは陽子、あんたを殺すしかなかった」

 そういった礼子の顔はすこし悲しそうに見えた。

「ところが邪魔が入った。死んだはずの姫華が復活してあんたを守った。そうでなくても姫華を殺そうとしたときも、瓢一郎が屋上から飛んできた。このことを上層部に報告すると、上層部はこう判断した。『姫華サイドの裏には別の組織がある』ってね」

「別の組織ですって?」

「そう。いくつかある同業他社のひとつが花鳥院家に付いた。そうとわかればこっちもそれなりの対応が迫られる。相手のことを知らずに戦うのは致命傷になり得てしまう」

「あたしはそんなことを知らない」

「いいえ、知っているわ。上層部はあんたもその敵対する組織の一員だと思っている。あたしはそこまでは思っていないけど、なにかを知っているはず」

「なにを知ってるっていうのよ?」

「たとえば今の姫華の正体」

「今の……姫華?」

「そう。彼女は死んだ。心臓に弾を撃ち込んだあたしが一番知っている。つまりは別人がなりかわっている。そいつはあの瓢一郎と同じような体術を使う。そしてなぜか陽子、あんたを助けた。そればかりか今度は表の権力を露骨に使ってあんたを守ろうとしている。あんたがぜんぜん無関係のわけがない」

 礼子はいったいなにをいっているんだ?

 陽子は本気で困惑した。

 今の姫華の正体は別の殺し屋組織の一員で、礼子の所属する謎の組織から陽子を守るために入れ替わった?

 あまりに荒唐無稽だ。マンガの世界だ。宇宙人説の方がまだ信じられそうな気がした。

 礼子はひょっとして精神を病んで、誇大妄想に取り憑かれているのではないのか?

「たとえ本当に知らなくても、なにか心当たりはあるはず。たとえば、あんたを命がけで守ろうとする人間とかね」

「そんなひといないよ。いるわけがない」

「いいえ、いるわ。誰かが偽の姫華にあんたを守るように命じた。そう考えないとつじつまが合わないもの。組織を使えるほどの権力と財力を持った人間があんたの後ろにいる。つまり花鳥院家よ。やつらが雇ったのがどんな組織で、目的はなにか? それを吐いてもらう」

 礼子の目は真剣だった。青い瞳は、陽子の知る限りもっと暖かいぬくもりを持っていたが、今はまるで氷のようだ。

 これがほんとうの礼子? あたしの前で振る舞っていた礼子の姿はすべてが演技なの?

 そう思うと、全身に鳥肌が立つ。

「無駄よ。すぐに警察が来るし。お母さんや、郷山君たちが礼子の姿を見てる。あたしと一緒に礼子がいなくなれば犯人は丸わかりよ」

「正体をばらしたのは、これ以上学園に潜伏するメリットがなくなったからよ。標的はすでに死んでいる。姫華になりかわったやつの正体を暴くには、あんたを突っついた方が早い。それと心配してもらわなくても、もちろんここは水村礼子とは無関係の場所。警察が水村礼子からここをたどるのは不可能だから」

 礼子は自分の名前をフルネームで呼んだ。人ごとのように。おそらく偽名なのだろう。

 そして礼子のいうことが本当だとすると、少なくともすぐには警察が駆けつけることはない。誰かが尾行でもしない限り。

「あんたのお姫様があとをつけてきたのを期待してるのなら無駄よ。尾行がないのは確認した。あんたを担いでいる姿を見た姫華の運転手には、心臓に弾丸をぶち込んでおいたし。ついでにいうなら、万が一警察なり、敵対組織なりがここを見つけても簡単には入れない。ここは地下で入り口の扉は偽装されていてわからないようになっているから」

 まさに絶体絶命ってやつだ。

「今のうちにはきなさい。拷問であんたが壊れていくのを見たくはないわ」

「……知らない。ほんとうに知らない」

 礼子はため息をついた。

「そう。しょうがないわね」

 礼子の体から発する気が変わった。まるでまわりのすべてを凍てつかせるような冷気のように感じる。

「まあ、待ちな、レイ。気が乗らねえのに無理にやる気を奮い起こすこともないさ」

「ふへへへ、ほんとほんと」

 いきなり男の声が乱入した。

 顔を起こしてみると、向こう側の壁に両開きのドアからふたりの男が入ってきていた。そのふたりはすぐ側までくると陽子を見下ろす。

 ひとりはグレイのスーツを着た小柄で細身の男。お坊ちゃん風のさらさらした髪型に童顔と若く見えそうだが、おそらく二十歳は超えている。

 もうひとりは長身で逆三角形の体型をしており、胸板が異様に厚く、プロレスラー並みの太い腕と脚を持つ筋肉質な男で、ジャージにタンクトップという格好。濃い体毛がいやでも目立つ。ヒゲもじゃでごつい顔だが、とくにいやらしい目つきと潰れたでかい鼻が醜悪だ。年はたぶん二十代後半。

 このふたりこそ、あのミスコンの日、外から学校の様子をうかがっていたやつらだ。

「これはわたしが受けた仕事。あなたたちにとやかくいわれる覚えはありません」

 礼子はふたりを睨む。

「それがそうはいかなくなった。おまえはこの仕事でミスを重ねている。上層部はもうおまえに任せておけないと判断したんだ。そこで俺とライを向かわせたってわけだ」

 童顔の小男がいう。

「ふへへへへ。カイのいう通りさ。おまえはもう俺たちに任せればいいんだ」

 ライと呼ばれた筋肉質な男は、大きな口からだらしなくよだれを垂れ流しつつ笑った。

「嘘だと思ったら上層部に確認してみるがいいさ。この件のリーダーは俺だ。おまえは俺の命令に従えばいい」

 カイと呼ばれた童顔男が礼子にいう。礼子はなにもいい返さなかった。その組織とやらの中ではこの男の方が立場が上らしい。

「レイ。おまえだってその方が気が楽だろう? おまえはそもそもこういうことには向かない。とくに短い間とはいえ、友達ごっこをした相手ならなおさらだろう?」

 カイは礼子を黙らせたあと、陽子に目を向けた。

「そういうわけで選手交代だよ、お嬢さん。俺たちはレイと違って拷問が大好きなんだ。とくに若い女の拷問がね」

 カイは生真面目そうな顔に薄ら笑いを浮かべる。

「ぐへへへへ」

 ライは下腹部をいきり立たせながら笑い狂う。

「ほうら、ライのやつも張り切ってるだろう? こいつは女を犯すのがなにより好きなやつでね。ほっときゃ、何度でもやるよ。逆に俺はそっちにはあんまり興味がなくってさ」

 無邪気そうな小さな口が、きゅう~っと広がりつり上がった。

「女を壊すのが大好きなんだ。まず、体を。たとえば一部をもぎ取ったり、顔をめちゃくちゃにしたり。そして少しずつ心を壊していくのがなにより好きなんだ」

 心臓に氷を直接押し当てられたような気がした。叫ぼうにも恐ろしくて喉が麻痺し、叫び声すら出ない。

「ひゃほっ、ほっ、ほっ」

 力を顕示したいのか、ライが不気味な叫び声を上げながら壁を無造作に殴りつける。コンクリートの壁に無数のひびが入った。

「ライ、建物を壊す気?」

 たしなめる礼子の声が入らないのか、ライは破壊を続けた。

「さあて、知っていることを話すのは焦んなくてもいいからね。楽しみが減るでしょう?」

 カイは人差し指で陽子のトレーナーをのど元から臍の方にすう~っと優しくなでた。

 にも関わらず、まるでカミソリで切ったかのように、トレーナーと下に着ていたTシャツはすっぱりと切れ、左右に分かれる。大振りの乳房がぷるんとむき出しになった。

 いやっ、やめて。お願い。

 恐怖のあまり、声にならない。もう体を揺することすらできなかった。

「さあて、まずどうしようか? とりあえずライにやってもらおう。あんまりはじめに壊すとライの楽しみが減るからね」

 その台詞で、奇声を発しながら壁を殴り続けていたライの動きが、ぴたりと止まった。

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