マニエルとルーエン

 ちゅんちゅんと小鳥の囀りが聞こえて、マニエルは窓の外を眺めた。マニエルが窓際に近づくと、小枝で羽根を休めていた二羽の小鳥はパタパタと大空に飛び立った。マニエルはその様子を暫く眺め、やがてとぼとぼとまた部屋の椅子に腰を下ろした。


 サイドテーブルに置かれた冊子の開き、また閉じてははぁっとため息をつく。

 昨日、マニエルが愛読する連載小説が遂に完結した。物語は主人公の騎士が最愛の乙女と結ばれて大団円となった。元恋人の王子と魔術師はそれぞれ別の生き甲斐を見つけ、悪役令嬢は恋に敗れる。


「私がこの乙女だったらよかったのに……」


 マニエルは冊子の表紙を眺めながら、小さく呟いた。この乙女はこれから先もきっと、いつまでも最愛の騎士様と寄り添って幸せに暮らすのだろう。永遠に幸せに……


 マニエルはジワッと涙がこぼれ落ちそうになり、それをハンカチで拭った。身から出た錆とは言え、マニエルはこの悪役令嬢に同情したい気分だった。恋に敗れて見知らぬ地に一人送られる彼女はどんなに心細いだろう。まるで自分の未来を見ているようだ。

 その時、トントンとドアをノックする音がして、侍女が顔を出した。


「お嬢様。ルーエン様がお越しです」

「ルーエン様が……」


 マニエルは息を飲んだ。遂にこの時が来てしまったのだ。マニエルは拳をぎゅっと握った。


 事の発端は、ひと月程前のこと。三日三晩も続いた大嵐が終わったと思ったら、ルーエンが険しい表情で突然マニエルの元を訪れ、花畑で見たことを全部教えろと言い出した。いつもの温和な様子はなく、眉間に皺が寄り、厳しい表情をしていた。


 そこでマニエルは悟ったのだ。猫の姿を借りて王宮に出入りし、しかもルーエンの膝の上を陣取っていたことが遂にバレたのだと。そして、そのせいで、ルーエンを怒らせたのだと。


 マニエルから話を聞き終えたルーエンは飛ぶように転移魔法で一瞬で掻き消えた。バレてしまった以上、猫の姿で会いに行くこともできず、それ以来マニエルはルーエンと会っていない。


 今日は婚約破棄の話だろう。マニエルはそう覚悟を決め、スッと顔を上げた。


「ルーエン様にお会いする前に、少しお化粧を直してくれる?」

「もちろんですわ」


 侍女がにっこりと微笑み、マニエルの化粧を直した。愛しい人と向き合うのも今日が最後。最後ぐらい最高の自分を見せたかった。


「ご機嫌よう、ルーエン様」

「やあ、マニィ。久しぶりだね」


 久しぶりに顔を合わせた婚約者は、マニエルを見るとにっこりと微笑んだ。


「はい、どうぞ。これを君に」


 差し出されたのはピンク色の花束だった。マニエルはまた涙がこぼれ落ちそうになり、慌てて指で目の際を拭う。最後まで自分の好きな色を覚えていてくれてこんな贈り物をしてくれる婚約者を、やっぱり好きだと思った。


「ルーエン様は、最近はどうお過ごししていたのですか?」

「最近? すごく忙しくてさ。もうすぐ建国記念式典があるからその裏方を手伝わされたり、王宮の修復作業をしたり、魔法の新薬の流通システムを検討したり……。マニィは?」


 宙を眺めながらここ最近の忙しさを語っていたルーエンは、マニエルの方を向くと、首を傾げて聞き返してきた。


「私は今までと同じです。刺繍したり、お茶会に行ったり、本を読んだり……」

「そう言えば、あの小説どうなったの?」

「完結しましたわ。騎士様と乙女の大団円で──」


 そこまで話したところで、堪えていた涙がポロリとこぼれ落ちてきた。一度こぼれ落ちると、もう止まりそうには無い。


「マニィ? どうしたの? どうして泣いてるの?」


 ルーエンは困ったように首を傾げ、マニエルの頭を優しく撫でた。この温もりも今日で最後。自分の愚かな行動のせいで。

 そう思ったら、マニエルは堪えきれずに益々大粒の涙を溢し始めた。


「困ったなぁ」

「申し訳…ひっく……ありま…ひっく…せん……」


 ルーエンはマニエルを見下ろしたまま、困ったようにポリポリと頭を掻いた。


「これは最後に言おうと思ってたんだけど──」


 ルーエンがマニエルの顔を覗き込んだ。


「マニィ。僕達の婚約、終わりにしようか?」


 マニエルは息が止まるような衝撃を受けた。

 覚悟していた事とは言え、想像しているのと実際に言われるのでは全く違う。何も言えずにただルーエンを見つめ返すマニエルに、ルーエンは目尻を下げて微笑んだ。


「結婚しよう」


 マニエルは目を見開いた。


「え……?」

「毎日一回はマニィが膝に座ってくれないと、調子が出ない。僕の傍にこれからもずっと居て、可愛いエル」


 ルーエンの顔が寄り、唇同士がちゅっと軽く触れる。


「やっと人型で出来た」


 そう言って少しだけ照れたようにはにかんだルーエンの笑顔は、マニエルが今まで見たどの笑顔よりも優しく、輝いて見えた。


 

 ***



「それで、式はいつなんだ?」

「半年後です。今はドレスの仮縫いをしてますよ」

「そうか、よかったな。アルは未だにスーリアの父上の説得に苦戦しているようだ」


 ルーエンから話を聞き終えたエクリードは、紅茶を一口含むとふっと笑った。

 視線の先には花畑で花の世話をするスーリアと、それを手伝ってやっているアルフォークの姿が見えた。スーリアの花畑は拡張工事が行われ、当初の十倍近い面積が広がっている。その花畑の管理長として、スーリアは庭師と共に全体の世話をしている。これらの花は国に納められて各地に植え付けられる他、アルフォークの実家が経営する商社から国中、時に国外まで輸出されている。


「殿下は、なかなかよいご縁がありませんね。アルもそうだったから、もうすぐかな」

「一応、口説いたんだ」

「またまた」


 ルーエンが笑って話を流す。エクリードはもう一度スーリアとアルフォークを眺めた。


 あの日、エクリードはスーリアに告げた。


「その野菜の治癒能力はさっそく試そう。だが、アルの腕は治らない可能性もある」


 スーリアは無言でエクリードを見つめた。エクリードはそのスーリアの顎に手をかけ、上を向かせた。


「スーリア。お前の力は何十人、何百人もの優秀な聖魔術師の力に匹敵する。スーリアが望むのなら、俺の妻の座をやろう」

「エリクさんの妻の座?」

「ルーデリア王国の王子妃の座だ。多くの女が咽から手が出るほど欲しがる、垂涎の地位だぞ」


 ニヤリと笑うエクリードを見上げ、スーリアは無表情に顎に添えられた手を払いのけ、首を振った。


「いらないわ」


 エクリードは眉をひそめた。


「いらない?」

「私が欲しいのは私を好きだと言って笑ってくれるアルだもの。そんな地位、これっぽっちも欲しくない」


 あの時のスーリアは、王族である自分に臆することなく真っ直ぐに睨み返してきた。エクリードにとって、あんな女は初めてだ。みな、恐縮して頭を垂れるか、頬を染めてうっとりとするか。それなのに、スーリアはそのどちらでもなかった。

 

 真っ直ぐな瞳で『アル以外はいらない』と言い切った、その芯の強さは少女から女性への羽化を感じさせた。


「あながち冗談でも無かったんだがな……」


 視線の先に映る二人がお互いを愛しくて堪らないといった様子で見つめ合うのが見え、エクリードは首を振った。あの二人なら、安心してお互いを任せられる。権力に興味がなく、自分達が正しいと信じる道を進んでいる。お似合いの二人だ。


 ふと見上げた空は雲一つ無い快晴だ。どこまでも広がる水色の世界に、鳥のつがいが空高く舞い上がるのが見えた。

 

 


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