初めてのエスケープ

 急いで教室に向かおうとする。だけど同じく急がなければならない桐生君は、何故か二年の教室とは反対方向に足を向ける。


「あれ、桐生君。今からどこか行くの?」

「ああ、サボりだよ。もう半日もちゃんと授業を受けたんだから、十分だろ」

「はあ?」


 歩き始めていた足をピタリと止めて、桐生君と向き合う。サボりって、ダメだよそんな事しちゃ。


「何考えてるの?さっき渚ちゃんも、サボるなって言ってたじゃない」

「なに?さっきまで口げんかしてたのに、アイツの味方なの?」

「そう言うわけじゃないけど、やっぱり授業はちゃんと受けた方が良いんじゃない?」

「別にどうでもいいだろ龍宮には関係ないし」


 全く話を聞こうとしないその態度に、ちょっとイラっとくる。そりゃ私がどうこう言えた立場じゃないってのは分かるけど、そんな言い方しなくてもいいじゃない。


「分かったよ、それじゃあ勝手にすれば?その代わり、先生にはしっかり報告しておくから。桐生君がサボったって」


 何も本当に告げ口をする気はなかった。せめてもの反撃のつもりで、言ってやっただけ。だけど桐生君に背を向けた途端、ガシッと肩を掴まれた。

 あれ、先生に言われるのは嫌で、焦ったのかな?しかし振り返った私の目に映ったのは、焦りとは程遠い、不敵な笑顔だった。


「へえ、俺を脅すんだ。ふぅん?」

「お、脅すんじゃなくて、ちゃんと報告するだけだから」


 こんなこと、言い訳にもならないような気がするけど。すると桐生君は圧のある笑顔を続けながら、グイッと顔を近づけてくる。


「だったら俺も言わないとな。龍宮が昨夜、夜遅くまで遊んでましたって」

「なっ⁉」

「言っとくけど、俺はバレても平気だから。夜遊びなんて日常茶飯事なんで、今更怒られたって、痛くも痒くもない。けど、お前は違うよな?」


 マズいよ。そんな事学校側にバレたら、内申に響いてしまう。

 戸籍上の年齢が三十と言うのは関係無い。復学する際に、コールドスリープしていた十四年っ間を差っ引いた、十六歳の高校生のつもりで行動するようにと、先生にきつく言われているのだ。


 コールドスリープしている間は、身体の成長がすべてストップする。戸籍上三十歳でも、身体は高校生のまま。お酒も煙草も、あと四年経たないと飲めないし吸えないと言うのは、法律でもちゃんと決まっている。もちろん夜遊びだって、警察に見つかったら補導の対象となってしまう。

 どうしよう?青い顔をしていると、桐生君が呆れたように息をつく。


「お前ビビりすぎ。鏡見てみろ、滅茶苦茶顔色悪いぞ」

「そんな。桐生君が言ったせいでしょ」

「まさかこんなに気にするとはな。おまえ、学校にバレるってだけでそんな顔するくらいなら、どうして昨日遊んでたんだよ?」

「それは……」

「どうした?やっぱり昨日言ってた通り、ヤケ起こしてたのか?」


 もちろんそれもある。そしてもう一つ、今のわが家には帰りたくなかったのが理由だ。私の家なのに、居場所が無い様な気がして。あの家に帰るくらいなら、不良になってもいいから夜の町にいた方がまだマシだと思った。


 けど、どうやら考えが甘かったようだ。町を出歩いていたら絡まれるし、学校にバラすと言われただけで不安が襲ってくる。元来私は、真面目だけが取り柄の優等生だった。それが柄にもなく不良の真似事なんてしたものだから、痛い目に遭ってしまったようである。


 そうしている間に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り出した。早く教室に行かなくちゃいけないのに、桐生君をこのままにしておくわけにもいかないし。

 焦っていると、桐生君はやれやれといった風に息をついた。


「なあ龍宮、お前そんなんで、昨夜帰ってから大丈夫だったのか?家の人に何か言われなかったのかよ?」

「い、家の事はどうでもいいの」

「ふうん。おまえ、随分家族に甘えているんだな」

「甘え?」


 失礼な、私は甘えてなんかいない。第一、今のお父さんや幸恵さんなんかに、甘えられるわけがないじゃない。だけど桐生君は、そんな私を見て肩をすくめる。


「だってそうだろ。学校にバレるのは怖くて仕方が無いのに、家の人にバレるのは怖く無さそうだし」

「そうじゃないよ! 家族は私の事を、厄介者だって思ってるから。だから別に、どう思われても構わないってだけだから」

「それなのに学校にはバレたくないって?なんか、ヤケの起こし方も中途半端だな」


 知ったような事を言って。

 言い返そうかと思ったけど、言葉が出てこなかった。もしかして、桐生君の言っている通りなのかも。お父さんや幸恵さんのことはどうでも良いって思っているのに、将来の事は心配だから真面目に学校には通いたい。でもよく考えたら、その為の学費を出しているのはお父さんだ。

 嫌っているのに甘えているなんて。本当に私は、中途半端な事しかしていない。


 何も言うことが出来ずに、黙ったまま。授業が始まって誰もいなくなった廊下に、重い沈黙が流れる。まるで時が止まってしまったような感覚。しかし、そんな静寂は唐突に打ち砕かれた。


 ぐぅ~。


 何てことだ。昨日のお昼以降、ロクに物を食べていなかった私のお腹は限界を迎えたらしい。静かだった廊下に、その音は盛大に響いた。

 ちょっと、何でこんなタイミングで鳴るのよ!

 恥ずかしさで顔から火が出そうになる。これには桐生君もキョトンとしていたけど、すぐにプッと吹き出した。


「お前っ……ははっ、この状況で良く腹なんて鳴らせるな」

「しょ、しょうが無いでしょ。昨日からあまり食べてないんだから。さっきだって、お昼を食べ損ねたし」

「そうなのか?なら授業に行かなくて良かったな。教室で鳴ったら、恥ずかしいどころの騒ぎじゃねーもんな」


 今だって十分恥ずかしいよ。って、そうだ授業!もうとっくに始まってるし、今更教室に入れないよ。

 どうしようかと困っていると、桐生君がポンと肩に手を置いてくる。


「来いよ。腹が減ってるなら、何か食わせてやるよ」


 来い、と言うのは、やはり学校の外に行くと言う事だろうか?でも授業が。


「まさかまだ授業を気にしてるのか?さっきも言ったけど、お前は中途半端なんだよ。遊ぶのも真面目にするのも、どっちも半端だからどうしたいか分からねーんじゃねーの?だったらいっそ、思いっきり遊んでみろよ。その方が自分が何をしたいか、見つかるかもしれねーぞ」

「そう、かなあ?」


 桐生君の言っている事に根拠はない。だけど、私が何をやるにも中途半端ってことは確かだ。目覚めてからずっと、私は何事にも本気になれずにいる。


「……遊ぶって言われても、遊び方を知らないよ。前は友達とどこかに出かけてたけど、今は皆忙しいし、どこに何かあるかも分からないし」

「だったら俺が色々案内してやるよ。何なら今夜は、どっかにホテルでもとって遅くまででも良いぜ」

「えっ⁉それはちょっと……」


 冗談じゃない。そりゃ桐生君のことを格好良いっては思ったりもしたけど……それとこれとは別問題だ。

 しかし慌てる私を見ながら、桐生君はイタズラっぽく笑みを浮かべている。って、またからかわれた?


「嘘。ちゃんと暗くなる前に帰すから、行こうぜ。それとも、サボって遊びにいくなんて,優等生にはハードルが高いか?」

「……行くよ」

「そう来なくっちゃな」


 半ば挑発に乗るような形で、決断をする私。我ながら行き当たりばったりだとは思うけど、まあいいや。どうせ学校に残ったところで、授業は受けられそうにないし。

 後で怒られないかと言う不安はやっぱりあったけど、さっきとは違って今はそれ以上に、桐生君の言う通り思いっきり何かをやってみたかった。


「それじゃあ、まずは腹ごしらえをしに行くか」


 何故か機嫌良さそうに下駄箱へと歩いていく桐生君。だけど、ある事を思い出した私は、そんな彼の手を掴んで引き止めた。


「待って。鞄、まだ教室に置いたまま。回収しないと」

「はあ?そんなもの明日で良いだろ。それとも何か、大事なものでも入ってるのか?まさか、病気の症状を抑える薬とか?」


 とっさにそんな発想に行ったのは、やはり治療の為コールドスリープしていたからだろう。きっと今でも後遺症が残っていて、薬を飲まなきゃいけないとか思ったに違いない。だけど、私は首を横に振る。


「そうじゃないの。鞄持って帰らないと、明日の登校時に困るかなって。教科書とか持って行かなきゃだし」

「そんな理由かよ。心配して損した。教科書なんて誰かに借りるか、隣のやつに見せてもらえばいいだろ?」

「……私、友達いない」

「だったら俺が貸してやるから……そんな泣きそうな顔をするな!」


 言われて咄嗟に、手で目を擦る。しかし、指に涙はついていなかった。


「泣いてない!独りぼっちなんてもう慣れたもん!ああ、でもやっぱり教科書は心配。使う教科書、明日都合よく桐生君も持ってきてるかどうか」

「心配しなくても、教科書は全部学校に置いてあるから大丈夫だ」

「ダメだよ、ちゃんと持って帰らなきゃ。復習とかどうやってるの?」

「この優等生が……良いから、さっさと行くぞ」


 結局私の申し出は跳ねのけられ、襟首をつかまれながら下駄箱まで連行されて行くのだった。

 桐生君、ちょっと強引な所はあるけれど、今の私には丁度いいのかも。何だか彼といると、色んな嫌な事が忘れられそうな、そんな気がした。

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