小悪魔のつぶやき


 ──そして7月の初旬、放課後。


 戻ってきた期末テストの答案用紙に、あたしの手がブルブルと震えた。そんな様子を前の席の紫苑ちゃんは見逃さない。


「やだ夕愛、あんたほとんど赤点ギリじゃん!」

「うふ……う、ふふへふ……」


 壊れた顔で笑うあたしに、彼女はビクッと数センチほど退いた。


「ギリギリだけどこれはセーフ! 赤点じゃなーーい!」


 頑張った甲斐があった。えらいぞあたし、つぉいぞあたし、これで追試も補習もなし! ひゃほー!

 ……と心の中でガッツポーズをキメたあたしに、三つの黒い影が落ちた。


「うわ、見事にどれも首の皮一枚」

「中間の様子から怪しいとは思ってたが」

「しゅごいぞ夕愛くん! ここまで際どいラインを攻めて、みごと全勝とは! エーークセレンッ!!」

「ぎゃおうっ!? み、見ないで虎汰くん己龍くん! きゃめくんはYの字で叫ばない!」


 グシャッと答案用紙を握り潰して、スクールバッグの奥へ奥へ、奥深くへぇぇぇ!


「はっはっは! 心配無用だ、どんなにバカでも僕の愛は変わらない。ほらバカな子ほど可愛いと言うじゃないか」


 バカってクリアに言った! 二回も!!


「んもう、今さら隠したって。夕愛あんた、このままじゃ二学期は追試のオンパレードだね」

「う……紫苑ちゃんまで」


 そう言われても。

 元々、お父さんに指定されたこの東雲学園はあたしにはハードルが高かった。死に物狂いで勉強して、なんとか引っかかったようなものなのに。


「でもまあいいじゃん。夏休みの間に、少しこいつらに勉強教えてもらえば?」


 笑顔の紫苑ちゃんが、虎汰くんと己龍くんの背中をグイッと押し出した。


「え、二人ともそんな頭いいんだ」

「うむ! この学年トップ神田亀太郎が、赤点のきわを攻めまくるチキンレーサーにABCから保健体育まで手ほどき……ぐぼぁっ!」


 みぞうちに己龍エルボー、お尻に虎汰ニーキックを食らった亀太郎くんが白目をむいてうずくまる。


「数学は虎汰が強い。それ以外は俺がみてやる」

「え、は、はい。ありがと……」


 困ったように笑う己龍くんは本当になんだか優しい目をしてる。紫苑ちゃんの前だと、どうにも居たたまれなくなってしまう。


「ゆーあ。数学はパズルだよ。信州旅行に行く前に夏休みの宿題も片付けちゃおう」

「え? あんたたち、夏休み旅行いくの?」


 紫苑ちゃんが身を乗り出して、あたしたちをぐるりと見渡した。


「ち、ちがうの。あたしが実家に帰る時にみんながついてくるだけで」

「夕愛の実家かぁ。いいなー楽しそう……私も行きたーい!」

「え」


 そりゃそうだ。

 紫苑ちゃんにとって夏休みに己龍くんと旅行なんて(ただの帰省だけど)羨ましいに決まってる。


「し、紫苑ちゃんも……来る? うちの実家……」

「いいの!?」


 あああ、そうだよいいの!? 彼らがついて来てくれるのは、にゃんにゃん保護の為なのに。他にもいろいろバレちゃうかもしれないのに、つい!


「やったぁ嬉しい! 信州って長野だよね? 私、行った事ないんだ。うわぁ楽しみ!」


 いつもはわりとクールな紫苑ちゃんがキラキラの笑顔でまくし立てる。その様子は本当に嬉しそう。


「あ! ごめん、テニス部の先輩が迎えに来てる。詳しい事は明日教えて」


 顔を上げ、紫苑ちゃんが教室の出入り口に立っている先輩に軽く会釈をして立ち上がった。


「私いま、秋の交流戦に向けて猛特訓中なんだ。話途中で悪いけどもう行かなくちゃ。あー……夕愛、その前にちょっとだけいい?」

「え? うん、何?」


 あたしの手を掴んで、紫苑ちゃんが廊下に出ていく。お迎えの先輩方にすぐに行きますと声をかけた後、あたしの耳元に囁いた。


「あのな夕愛。私、夏休み明けの交流戦で勝ったら、思い切って告白するつもりなんだ」

「こ……っ!?」


 驚いて紫苑ちゃんを見返すと、その目は複雑な色で揺れている。


「勇気でなくて、幼なじみのままでいいやって思ったりもしたけど。もし試合で勝てたらその勢いで好きだって言う」


 思わず教室の己龍くんをチラ見してしまった。彼はまだあたしの机の脇で、復活した亀太郎くんのお腹をぷにぷに突っついている。


「だから、夏休み誘ってくれてさんきゅ。夕愛も応援してくれてるんだよな。なんかドキドキが止まんないよ!」


 あああ、可愛い。恋する女の子ってなんて可愛い顔をするんだろう。でも応援って……あたしが応援って、どうなの!?


(なんか騙してるみたいでものすごく後ろ暗いんですけど! でも確かに大好きな紫苑ちゃんを応援したい気持ちもあるし)


 じゃあ、あたしの気持ちは?

 己龍くんはあたしの気持ちが見えたら成立って言った。確かに優しくされるとドキドキするし、彼を見てるだけでポーッとしちゃう時もあるけど。


「じゃあ行くから。また明日な」

「う、うん。練習がんばって……ね」


 手を振りながら廊下を行く紫苑ちゃんを呆然と見送る。


(……夏休みの帰省、あたし心臓もつかな)


 友達の好きな人が、自分の事を気にかけてる。これっていわゆるひとつの三角関係というやつ?


(今までフラれ神だったあたしに、いきなりこんな上級者向けの複雑レンアイ模様。絶対ムリ)


 もっとゆっくりでいいと思ってた。ゆっくりのんびり自分の気持ちがはっきりする日を待てばいいのかと。


(紫苑ちゃんの顔、まともに見れないや……) 


 だからといってどうしたらいいのかわからない。

 あたしは小さくため息をついて、教室で待つ彼らの所によろよろと戻った。


「紫苑は部活に行ったのか?」


 そう言う己龍くんは、やっぱり超絶カッチョいい。スッと通った鼻筋に少しきつく見えるレモン形の両眼。これがごくたまーに、優し気に微笑むからまいっちゃう。


「うん……まいっちゃうよね」

「は?」


 怪訝に眉をひそめてもやっぱりカッチョいい。なんなんだ、このけしからん生き物は。


「うむ! 紫苑くんは実に爽やか青春女子だ。一緒に帰省のあかつきには、鹿教湯かけゆ温泉にでも連れて行ってあげようかぬ」


 この亀太郎くんと足して2で割ったら、己龍くんも普通男子くらいになるかもぬ。あれ? うつっちゃった。


「じゃあボクたちも帰ろう。ウチに着いたらテスト問題の見直しをするよ夕愛」

 

 あたしの席に座っていた虎汰くんが、バッグを肩にかけて立ち上がった。


「え、もうさっそく勉強モード? テスト終わったばっかなのに」

「ブツブツ言わない、赤点チキンレーサー」


 ギリギリ攻めて度胸試しってか? いやそれ、亀太郎語録じゃん!

 ニヤリと笑う虎汰くんは、なんだか最近可愛くない。いえ、可愛いんだけどなんというか……小悪魔バージョンの顔が多い気がする。


 その時、虎汰くん大好き親衛隊長の坂田くんが廊下から声をかけてきた。


「虎汰ーー! メイたちといつものカラオケ行くぞ。虎汰も行こうぜー」

「ほ、ほら坂田くんたちが呼んでるよ。せっかくだから行って……むひゅ!?」


 ぶにゅっとあたしの顔を片手で掴んで黙らせる。ほらこの顔、小悪魔。


「行かなーい! ボク今日は用があるんだー」


 でも坂田くんたちに向けた顔は、やっぱりニコニコ可愛い虎汰きゅん。ナニこの差は。

 でも最近わかってきた。この人のはコッチの悪魔系の方だって。


「虎汰、帰るなら行くぞ」

「僕もバイトだから駅までご一緒しよう、そうしよう」


 己龍くんと亀太郎くんが先に立って歩き出し、あたしと虎汰くんもそれに続く。


「夕愛の数学みてあげる方が楽しい。でもスパルタでいくよ」

「ええー? そんな張り切らなくても。あたし数式見ただけで拒否反応……」

「もう可愛いだけのペットはイヤだ。頼られる男になりたい」

「……!」


 思わず隣を見ると、そこには怖いくらいの真っ直ぐな瞳。


「……なんてね」


 そしてすぐまたイタズラな微笑みではぐらかされた。


 なにコレこの動悸。ドキドキだけじゃなくてなんだか違う。心臓に糸をかけられて、キュッキュッと弄ばれるみたいな…… 。


(これもレッスンなのかな。それとも)


 だとしたらあたし、慣れるどころか前よりダメになってるかもしれない。



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