ごんぎつねな白虎

「四神には影響ないよ」


 ふいに行く先に視線を向け、虎汰くんが先に立って歩き出した。慌ててそれに倣ってあたしも歩き出す。


「だ、だって最初にあった日、己龍くんもあたしの手を掴んだの。もしかしたらその時」

「なんでそんな事気にするの。別にいいじゃん、影響があろうとなかろうと。好きな気持ちに変わりはない」

「え……、何それ」


 思いも寄らなかった彼の反応に、驚きよりも得体の知れない不安が沸き起こってくる。


「仮にさ、夕愛が好きになったヤツが振り向いてくれなくても、触れば好きになってくれる。女の子なら誰でも欲しい能力じゃない?」


 薄笑いさえ浮かべ、歌うように流れた虎汰くんの言葉にあたしの足が止まった。


「……やだ、そんなの」


 押し出した声が、自分でもびっくりするくらい強張ってる。


「そんなの嬉しくない。だって本当の好きじゃないもの。それで一緒にいてもらっても虚しいだけだよ」


 ゆっくりと虎汰くんも足を止め、こちらを振り返った。


「女は誰かを好きになったら手段を択ばないよ。夕愛はまだわかってないだけ」

「わかんない。わかりたくない。そんなの絶対気になる。きっと後ろめたくて哀しいよ……!」


 どうして? 虎汰くん。

 なんでこんなおかしな事で言い争わなきゃいけないの? あたしはただ普通に恋をして、普通に誰かに気持ちが届くのを夢見ているだけなのに。


「そっか……夕愛はそうなんだね」


 スタスタと戻って来て、虎汰くんはあたしの頭にポンと手を乗せた。


「ごめん、変な事言って。ちょっとね……いつものボクの甘噛み。可愛いご主人さまを時々噛んでみたくなるんだ」

「え……?」


 さっきまでの遠い笑顔はいつの間にか消え、いつもの優しい虎汰くんがあたしの頭をぐりぐり撫でる。


「あのね、四神に娘娘のそういう力は効かないよ」


 もう一度、彼はさっきと同じことを言った。


「だってボク。キスした時、別に夕愛のこと好きにならなかったから」

「……!」


 その一言にあたしの胸がズキッとわなないた。


「なんて顔してんの。ホントによく顔に出るね」


 困ったように笑う彼の指先が、あたしの頬をくすぐる。


「好きになったのはね、もう少し後。そうやって泣きそうになったり、あたふたしたり笑ったり。夕愛を見てるとつい甘噛みしたくなる。そんな女の子、他にいない」


 さっきの胸の痛みがまだ消えてくれない。いつもいつでも、虎汰くんにはこうして振り回されてしまう。


「あたし……。最後にフラれた人に、男に飢えてるのかって言われたの」


 どうして急にこんなコトを言い出すのか自分でもわからない。思い出しただけでも苦しくて涙が滲むのに。

 虎汰くんの瞳もいぶかしげに揺れている。


「情けなくて哀しくて恥ずかしくて、息が止まりそうだった。あの言葉、今でも夢に出てきて泣きながら起きたりする」


 体質で片付けるには重すぎるトラウマ。

 でもそう言われても仕方がないから、あの時の木下君をなじることもできない。


「だからうまく言えないけど、あたし普通でいいの。そんな変な力でしか叶わない嘘の恋なら、叶わなくていい」

「……夕愛、見て」


 虎汰くんが、つと空を仰いだ。

 いつの間にそうなっていたのか空はうっすらと花曇り。そこからさわさわと降りてくる……霧雨。


「にゃんにゃんが哀しむと空も泣くんだ」

「あたしが?」


 ほんの少し肌を湿らすだけの霧。まるで今のあたしの心のよう。


「虎汰くん、本当にこれ……」


 突然、目の前に立っていた彼の姿がフッと掻き消えた。同時にバサバサと地面に制服が落ちる。


「やっ!? な、なんでこんな道端で……!」

「ゆーあ!」


 制服の小山からピョンと跳ねて飛びついてくる小さな白虎。慌てて抱き留めたらスクールバッグも落ちてしまった。


「こっ、虎汰く……! 誰かに見られたら」

「笑って夕愛。ボク、これ以外に慰め方がわかんない」


 フカフカの子虎が首にしがみついてきて、ぷちゅと小さなキス。


「……あ」


 油断しちゃった。

 

「昔の事は忘れて、新しく笑えばいい。今はボクがいる。己龍も亀太郎も。みんな夕愛が哀しいとオロオロしちゃうんだ。……これは本当の事」


 つぶらなオリーブの瞳がこちらを見つめて頬ずりしてくる。腕の中の小さな守り神は、あたしの慰め方を良く知ってると思う。


「ぷっ、あはは。くすぐったいよ虎汰くん、でもかわいーい。フカフカー」

「四神に触れても影響ないけどさ。さっき己龍が夕愛の手に触った時、ボクの方に効いた」

「ん? どういう意味?」

「ないしょ」


 虎汰くんがじゃれて、あたしの肩をガシガシとよじ登る。それは誰にも見えないけれど、この脱ぎ散らかした制服はどうしよう。


 するとあたしの肩から下に目をやり、白虎がつぶやいた。


「……ごんぎつね?」

「あ! えっと……」


 落ちたバッグの前ポケットから、返そうと思って入れておいた本が出てしまっている。


「この前持ってきちゃったの。図書館にこっそり戻しておくつもり。ああもう、制服脱いじゃって」


 しゃがみ込んで足元に散らばった虎汰くんの制服を拾ってパタパタと払った。


「よかった、そんなに汚れてないよ。雨も霧雨だったから」

「……ボク、ごんぎつねかも」


 耳元で虎汰くんがおかしなことを言う。


「キツネじゃないでしょ。虎汰くんはトラさん」

「今さら気付いても、いつか夕愛に撃たれるのかな」


 物騒な言葉に驚いて、あたしはまじまじと肩に乗る子虎を見つめた。


「やだ……変な事言わないで。なんであたしが」

「スキあり」


 ぷちゅと、唇に二度目の油断。いたずらな子虎にポッと顔が熱くなる。


「……ズルいよ」

「これもカウントしないから」


 バッグと制服を掴んで、あたしは勢いよく立ち上がった。


「もう! どうするのコレ。どこで着替えるつもり?」

「あ、体育館の更衣室まで連れてってー。今なら誰もいないから」

「ええー、遅刻しちゃう……」


 胸にフカフカでいたずらな白虎と制服を抱えて、あたしは学校に向かって歩き出した。腕の中で揺れながら、また虎汰くんがポツリとつぶやく。


「参ったな。ボクもどうかしてる……」

「ん? もう何を言っても聞きませんよ。油断しないんだから」


 雨はいつの間にか止んで、雲の切れ間から光のカーテンが差し込んでいた。






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