容疑者・泉川行司

七月十五日 午後三時三分



 アリアの慧眼と彩夢の脅しにすっかり観念したのか、あるいはずっと誰かに聞いて欲しかったのか、泉川行司は訥々とつとつと昨夜の出来事を話し始めた。

 昨夜、九時過ぎに泉川邸へやってきた泉川行司は矢倉妙の作った卵たっぷりのサンドイッチを平らげると二階の資料室に向かった。それは特別変わった行動というわけではなく、普段からそうしていたという。


「こう見えて僕、イラストレーターをやってるからね。デッサンのために、よく叔父さんの資料を貸してもらってるんだ」


 というのは建前で、自分では買えないような高価なオモチャで遊ぶのが目的だったというのがアリアの見立てだ。彩夢の話によれば遊戯銃もドローンも本格的な物は値が張る上、市内には公然と遊べる場所がほとんどないらしい。その点、泉川邸は庭が広くて周りを高い塀に囲まれているため、遊び場としては申し分ない。


「それで、この部屋からドローンを持ち出した後は庭で遊んでたの?」

「いや、いつも使ってる同じ階の客間だよ。そこのベランダからドローンを飛ばして遊んでいたんだ」

「それを証明する人は〜?」

「い、居ないよ! でも、アリバイならドローンの映像がある!」

「でも、これカメラも壊れちゃってるよ?」


 墜落した時の衝撃か、カメラのレンズには大きなヒビが入っておりそこから染み込んだ雨水のせいで内部の記憶媒体もショートしてしまっている。

 ところが行司はいと尊き印籠のごとく、サムスン製のスマートフォンを取り出して見せた。


「このドローンはカメラの映像をスマホで見ながら操縦するタイプなんだ! だから昨日の夜の映像も残ってるよ! ほ、ほら!」


 行司がスマホを操作すると、ひび割れた画面にこの部屋の映像が映し出された。

 タイムスタンプを確認すると昨夜の午後九五十分――。

 蜂の羽音に似た音を立てながらアクリルケースの列を舐めるように滑空する映像が流れ、アリアは自分が小さな昆虫にでもなったような錯覚を覚える。


「――ひっ!」


 突然、行司の脂ぎった顔がドアップで映し出され、アリアは小さく悲鳴を上げた。


「画質が綺麗で驚くよね? このカメラは六千万画素でHDR搭載なんだぜ?」


 アリアの悲鳴を勘違いした行司が得意げに語る中、今度は廊下を歩く行司を肩越し見下ろすようなアングルの映像に変わる。


「あ! 今、一瞬映ったのアタシじゃない?」


 スポーツ中継で一瞬見切れたのを喜ぶように、彩夢が目ざとく画面の端を指差した。

 そこには螺旋階段があり、地下から二階まで伸びる支柱以外何もない吹き抜けを真上から見下ろすという世にも恐ろしい映像におもわず足がすくんだ。

 その後、画面は外の映像に切り替わり、家の明かりを頼りに庭先や屋根の上を器用に飛び回っている。


「この時はまだ雨は降っていなかったんですね」


 街の夜景に感動する彩夢の横で、アリアは冷静に空模様を観察した。空は曇っており、時折左の空に稲光が見えるものの嵐はまだ遠い。


「うん、でもだいぶ風が強くなっていてコントロールするのに苦労したよ」


 行司の言うとおり、画面は不規則に揺れ続けていて安定しない。

 その後も途切れ途切れではあったが、映像は停電した十一時二十分まで続いていた。


「――うぷっ!」

〈なんか、ちょっと酔ってきちゃったかも……〉


 先程までは物珍しさも手伝ってドローンの映像を見入っていたものの、目まぐるしく切り替わる画面にアリアの繊細な三半規管が音を上げ始めた頃、突然画面が真っ暗になった。


「この時だよ! 突然、家中が停電して雷が落ちたのかと思って慌てて廊下に出たんだ!


 画面に表示された時刻は午後十一時十九分――。


 「時々光る稲光を頼りになんとか階段までたどり着いたんだけど、暗い中下に降りるのが怖くてね……結局、明かりがつくまでずっとそこに座ってたよ」

「うん、アタシたちもちょうど一階の階段のトコに居たから覚えてる。明かりがついた時、この人が二階から覗いてるの見えたよ」


 二人の証言を聞き、アリアもこの図体ばかり大きい小心者がコントローラーを放り出して、床にうずくまる様子が手に取るように思い浮かんだ。スマホの映像にも行司の慌てふためく悲鳴がしっかりと録音されており、同時に制御を失ったドローンが庭木にぶつかって墜落するというなんとも哀れなエンドロールで終わっていた。


「……ンまぁ、映像自体が加工された痕跡はなさそうですね」


 一通り映像を見終えたアリアはそう結論づけた。一方、彩夢はまだ何か気になるのか、繰り返し映像を確認している。


〈水泳やってると三半規管も強くなるのかな?〉


 彩夢を横目で見つつ、行司に向き直るとアリアは核心へ踏み込んだ。


「昨晩はずっと部屋でドローンを?」

「ああ」

「二階の客間で?」

「……そりゃトイレぐらい行ったけど、それ以外はずっと部屋に居たよ」


 行司がそう答えるとアリアは意地の悪い笑みを浮かべた。


「あるぇ? おかしいですね……十時四十五分頃、貴方が地下室に行ったのを見たという人が居るんですが?」


 電波が届く範囲なら何も客間に居る必要はない。

 アリアがそう指摘すると、行司は突然思い出したように手を叩いた。


「……ああ! 思い出したよ。行ったのは地下室じゃなくて、その手前! トイレから部屋に戻る途中、ケータイを階段の下に落としちゃって、それで取りに行ってたんだ」

「アヤシ〜! その割には戻ってくるの遅くなかったぁ? めっちゃ、悪態ついてたし……ホントはおじさんに仕事の口利きや借金を断られて、怒ってたんじゃないの〜?」


 まるで見てきたかのように動機を騙る彩夢にアリアだけでなく行司もため息をついた。


「あのねぇ? 僕は君たちみたいに若くないし、この体型だよ? そんなにキビキビ動けないし、落下の衝撃で電源は切れちゃうし、再起動しても全然電波が入らないから色々確認してたんだよ」


 結局、中身は無事だったようで、今はアンテナも魔法少女の壁紙もちゃんと表示されている。


「フム……」

〈確かにスマホの画面には真新しい傷が付いていたし、一応スジはとおる……か?〉


「――ああ!!」


 その時、彩夢が大声を上げたため、アリアは推理の中断を余儀なくされた。


「まったくなんなんですか、突然……?」

「ココ見てよ、探偵サン! ほら、ココ!」


 妙に興奮している彩夢に促されるままスマホを覗くと、墜落中のドローンが一瞬、屋敷の方を向いた一コマで停止ししていた。天地が逆転しているものの、夜の闇の中に特徴的な屋根のシルエットがぼんやりと映っている。


「これがナニか?」

「ほらココ、よく見て! なんか白い影みたいなのが映ってる!」


 画面の向きに合わせて首を傾けるアリアに対して、彩夢はじれったそうに画面の端を指差した。


「これは……」


 彩夢の言うとおり、輪郭の定まらない白いもやのようなものが屋根を伝って画面の下方向へと伸びている。


「まさか……ゆ、ゆゆゆ、幽霊っ!?」


 アリアと一緒にケータイを覗き込んでいた行司が震えた声で叫んだ。


「……ハァいっ?」


 行司の突拍子もない発言に、おもわずアリアの口角が面白おかしく歪む。


「だって警察の話じゃ、現場は密室だったんだろ? 幽霊なら地下室だろうが、鍵がかかってっようが関係ないしさぁ……怨霊が叔父さんを取り殺したんだよ!」

「死者からの伝言ダイイングメッセージに死霊の怨念……いよいよ本格ミステリの世界になってきちゃったよ」

「はぁ……この世に幽霊なんてモンが居るんなら〝名探偵〟は要りませんよ」


 死んだ被害者に『アナタを殺したのは誰ですか?』と尋ねればいい。

 しかしアリアには死者を口寄せする力も遺留品から残留思念を読み取るような超能力も無い。あるのはただ地味で愚直なまでに物事を見聞きし、そこに隠れた因果の糸を解きほぐす〝推理の力〟だけだ。

 アリアは本気で青ざめている行司が逃げ出さない内に質問を重ねた。


「停電騒ぎの後はどうしたんですか?」

「部屋に戻った時にはもうドローンの接続が切れちゃってたし、嵐もひどくなってきたから、回収するのは朝にしようと思ってそのまま寝ちゃったよ」


 やはり他の容疑者と同じく、この男にも停電のあとのアリバイは無いようだ。


「では、今朝、ドローンを見つけたのは事件が発覚する前ですか? それとも後?」

「もちろん、事件の前だよ! もし誰かに見つかって墜落させたのがバレたら、叔父さんに怒られると思ったし……」


 そこで行司は言葉をつまらせた。

 確かに泉川行司にとって被害者は頭の上がらない存在だったのかもしれない。クリエイターとしては遥か高みに居て、自分の不甲斐なさを否応なく見せつけられる一方で、公私に渡って何かと世話を焼いてくれる。そんな嫉妬と恩義の両方を感じる相手に対して、最早見返してやることも報いることもできなくなってしまった慙愧の念が男の顔に表れていた。


〈あるいは、それすらも演技か……〉


 アリアは動機の有無や利害関係といった雑感から事件を理解しようとする人の本能を自生し、客観的事実のみを訊ねる。


「ドローンを見つけた正確な時刻は覚えてますか?」

「昨日、五時半きっかりに鳴るようにアラームをセットしたからね……だいたい五時五十分くらいだったと思うよ」

〈なに二度寝しとんじゃい!〉


 心の中でツッコミつつも、アリアは白々と夜が明けてきた早朝、誰にも見られないようにこっそりと庭をうろつく男の姿を想像した。


「その時、例の地下室の近くで何か不審な物や人影を見かけませんでしたか?」

「し、知らないよ! 玄関を出たら、すぐ植え込みのトコにドローンが引っかかってたんだから! 地下室になんて近づいてもいない! まさか君、僕のことを疑っているのかい!?」

「ええ、まぁ……」


 〝名探偵アリア〟にとってはこの事件に関わる者全てが容疑者だ。しかし泉川行司にはアリアの真意は伝わらなかったらしく、顔面を紅潮させていた。


「世間は僕のこと叔父さんに寄生しているスネかじりだなんだと揶揄するけど、僕にとって叔父さんは子供の頃からの一番の遊び友達だったし、家族としても、同じクリエーターとしても尊敬していたんだ! そんな叔父さんを、僕が、この僕が殺すはずないだろ!」

「重要なのは動機の有無じゃなくて好機のう――むぐ!?」

「そーですよね! 分かります! うん、うん! ウチの探偵センセ、そのへん血も涙も無いっていうか、ちょ〜〜っとコミュ障入ってるんで許してください!」


 火に油どころこかニトログリセリンを投げこむ勢いのアリアの口を強引に塞ぎ、彩夢が代わりに質問する。


「オジサンは遺体を発見した時、このメモは見た?」


 彩夢が例のダイイングメッセージを見せると行司は訝しむような表情をした。


「何だいこれは? もしかして僕が太ってるから犯人だって言いたいのか!?」

「いや、別にそういう訳じゃ……」


 否定しつつも彩夢はついダイイングメッセージの中の『どすこい』や『星を取られて辛苦を詠む』というワードに行司との関連性を疑ってしまう。

 そんな疑いの眼差しに行司は更に激昂し鼻の穴を広げる。


「アニメじゃないんだし、そんなメッセージなんて知らないよ!!」

「し、失礼しました〜」


 今にもうっちゃりをかけてきそうな行司から逃げるように彩夢はアリアを連れて資料室を出たのだった。

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