止心。上





剣道三倍段。

剣を持った剣道家に他の武術家が素手で挑もうとするならば、剣道家の段位の三倍の段位くらいの実力で大体釣り合う──そんな意味だ。

初夏。

午後五時。

夕暮れ時、公園で。

木刀を持った少女と、少女の前で構えを取る3人の少年。この言葉が、当てはまりそうな状況で。しかし、少女と対峙する少年達は空手道や柔道など、武の道の者ではない。

ただの野球少年である。構えも、テレビでやっていた功夫映画の見様見真似に過ぎない。

片や、実家の剣道場で毎日稽古に打ち込んでいる少女。

片や、プロ野球選手に憧れる健康野球少年。

所謂いわゆる、子供の喧嘩。

──切っ掛けこそ、少年達の他愛の無いからかいだった。しかし、それに木刀を持ち出した少女がまず悪く。少女(と少女が手に持つ木刀)に気圧され、咄嗟に3人で挑もうと決意してしまった少年達も、また悪い。互いに目配せしつつも少年達は誰も止めようとは言い出せず、少女曰く〝ここならば誰にも邪魔されない公園〟まで、少女らしからぬオーラが陽炎のように揺れる背中を見詰めながらノコノコと着いてきてしまった。

それからある程度の間合いを取り、膠着こうちゃく

そして、現在。

この喧嘩で誰が勝利するかは、明白であった。

睨み合う両者の間に風が吹く。

少女の後頭部で結ばれたポニーテールが、少年達のタンクトップが、柔らかく靡いた。

木刀を持つ少女には、戦う理由があった。


『ヤツらは私の〝剣道〟をバカにした。このまま引き下がっては剣道家のなおれだ』


横一文字に結ばれた口。

決意に燃える両眼。

からかわれる前まで稽古に励んでいた故少し汗ばんだ紺の袴と白の道着。

相手は軟球を投げたり打ったり出来るだけの同い年。負ける道理は無し。

時間が経てば経つほど、戦い(死合い)が待ち切れないとばかりに膨れ上がる闘志。

そんな少女の闘志を真っ向から全身で浴びて、少年達の膝が微かに笑った。

微笑んだ。

しかし、こんな状況でも。少年達には、ここまで来たら挑まざるを得ない──引けない理由が──後に引けない理由があった。


『いや、だって、女の子あいてににげだしたらメッチャはずかしいし』


みたいな。

ね。

分かる。

つまりこの喧嘩は、どちらかが引き下がったり、話し合ったり、和解したり、じゃんけんで決着をつけたりだとか、平和的な解決は望めないところまで来てしまっていた。

ならば。

やらねば。

たおさねば。


「……」

「「「……」」」


少女の頬をツゥと汗が流れる。その汗が緊張から来るものか暑さから来るものかはさておくとして、兎に角、頬を流れた。それから顎を伝い、皮膚から離れた。落下し、地面に出来上がった一粒の染みが計らずとも開戦の合図となった。


「「「「うおおおおおおおおッ!」」」」













喧嘩が始まった公園で。


どうにかして少女に手を届かせようとする少年達V.S摺足すりあしで最適な間合いを保ちながら移動して少年達に〝面〟を打ち込み続ける少女。

の喧嘩をブランコに揺られながら見学している少年が一人。少女に喧嘩を挑んだ少年達が半泣きで逃げ出し、その背中を少女が執拗に摺足で追い掛けて公園から居なくなるまで、その少年はずっと見ていた。〝とある理由〟によって、ブランコに座って泣いていた少年であったが、あんな喧嘩を見ては涙も引っ込む。体格差や性差、人数差をもろともせずに喧嘩に勝ってみせた少女への興味が悲しみを上回ったからだ。


「おい、そこのお前」


あと、先程まで木刀で少年達をしばき回していた少女にいつの間にか背後を取られていた驚きと恐怖も少なからず起因しているだろう。


「はいごを取られてもみじろぎ一つしないところを見ると、お前も中々の〝ぶじん〟らしいな」


言葉遣いこそ少女のそれではないが、舌足らずさと言い慣れてなさはまさしく年相応の少女だった。

いえ、ちょっとばかり心臓が止まっていただけです。

少年は立ち上がり、振り返ってそう弁解しようとしたが、それよりも早く少女が前に回り込んで少年の瞳を覗き込んだ。


「お前も私とケンカしたいのか?」

「ちがいます」


背丈は同じくらいか、もしくは少女の方が僅かに上。つまり目線は同等ではあるのだが、少女の〝圧〟が、少年から見る少女をとても大きな存在に見せた。

覗かれた目力に真剣(二重の意味で)を見た少年はすぐさま言葉を発するが、少女は既に竹刀を構えていた。

最上段。

冷や汗が額から噴き出る。先程の少年達の末路を見てしまったが故に、少女から発せられるプレッシャーが、少年を、その二本足で地面に立っていられない程に押し潰す。

私が納得する理由を説明しなければ打ち込む。

妙な動きを、唇を僅かでも動かしても打ち込む。

実際は、少女はそんな事言っていない。しかし、まるで、少年にそう告げているかのように、少女の瞳は雄弁に語っていた。

このままでは本当にまずい。そう思った少年は、ポケットの中をまさぐる。何か、物で釣れないかと思い、必死にまさぐる。

その間にも少女は竹刀を打ち込む為に呼吸を整え始めていて、家に帰る頃には頭蓋を凹ませて帰らなければならないな。と半ば決意が固まり始めたその時、ズボンの尻の辺りのポケット。更に言うと、右側。指に触れたと同時にソレを掴み、差し出すモーションに入る。


「……ッ!ふん──」


差し出すモーションが攻撃に見えたのか、少女が竹刀を振り下ろそうとして。


「──これ、あげる!」


固まる。


「……」

「……」


少女は竹刀を握る手を緩め、それから竹刀を下ろした。


「……なんだ、コレは」

「え、えぇっと。……キ◯ィちゃん」


少年は一月ひとつき程前、多摩にある何とかリオ何とかランドに家族で行った。

少年は入場してすぐ右にあるお土産コーナーで、キ◯ィちゃんの顔がぶら下がっているキーホルダーを父に買ってもらった。

それが嬉しくて、毎日外に出る日は──つまり、今日一人で公園で遊ぶ時にも、ポケットに入れていた。

それを、少女に差し出したのだ。

しかし、命の危機を逃れて男児は思う。

アレ、もしかしてまずかった?

と。

武の道を歩む(歩んでいるように見える)少女に、こんな可愛い物を渡してしまっては、舐めてると思われるのでは?

と。

持ってないけど、ダンベルとかの方が喜んだのかも知れないと見た目で決めつけて失礼な結論を導き出した所で、少女が口を開いた。


「こ、こんなかわいいのを、もも、もらっていいのか……?」









少年はやっとの思いで信用してもらい、ブランコに座り直した。それから一つ隣で豪快にブランコを楽しんでいる少女を見て、先程までと全く違う印象を抱いて心臓が高鳴った。

無邪気だ。

それから、可愛いなと。

ブランコを立ち乗りしながら、少女が問う。


「本当に、もらっていいのか。いまさら返せと言われたら、もしかしたら二、三発お前をなぐってしまうかもしれないぞ」

「それは、もういらないから大丈夫。本当にあげるよ。だからなぐらないでね」


不幸にも、またもや少女の瞳に真剣を見てしまった少年は苦笑いながら返す。その言葉を聞いて安心したのか、少女は一層ブランコを漕ぐ力を強めた。


「……君はさ」

「どうした」

「強いね」

「当たり前だ。私は剣道家だからな」


自慢気に、少女は言った。


「そう言うお前は、私に比べて弱そうだな」

「……うん、僕は弱いよ」


項垂うなだれ、肯定。その様子を訝しんだ少女はブランコを漕ぐ勢いを弱め、停止。大人しく座った。


「なにかあったのか」

「……パパとママ、離婚しちゃうんだ」


普通ならば、今日会ったばかりの相手にこんなプライベートな事は話さない。しかし、他人だからこそ話せることもある。

勿論、少年はそこまで考えて発言した訳ではないのだが。

少年の告白に、少女は首を傾げる。


「りこん?りこんってなんだ」

「パパとママがけんかして、お別れしちゃうこと」

「なかなおりはできないのか」

「うん。絶対にできない」

「……」

「僕は、なにもできなかった。パパとママを止めることも。どちらかを選ぶことも、冷静に話を聞くことも」

「……それは、あまり想像できないけど、かなしいな」

「うん。泣きながら家を飛び出しちゃってさ。気付いたらこの公園にいて、君のけんかを見てたんだ」


少女は、何か気の利いた言葉を言ってやりたい気持ちだったが、剣道ばかり取り組んできた少女には何も思い浮かばなかった。ただ、黙って話を聞いてやる事しか、出来なかった。


「君のけんかを見て、僕は元気をもらえた」

「あんなので元気がもらえるのか。お前はたんじゅんだな」


あはは。

男児は頬をかきながら、笑って返す。笑える程には、少女から元気を貰っていたからだ。


「とにかく、ありがとう。君に会えてよかったよ」


再び、礼。


「……ふん。これくらいで元気になるんだったら、いくらでも元気をやるぞ」

「?」


何か含んでいそうな少女の言葉に少年は首を傾げる。自分の意図が伝わっていない事に気が付いた少女は、フンッと鼻息で微妙な空気を消し去ってから、分かりやすく言い直した。


「これからお前がどうなるのかは私にはわからん。だが、その気があるなら道場に来い。父上が師範の、とてもすばらしい道場だ」

「??」


文脈が読めない発言に疑問符を浮かべる少年。そんな少年に見つめられて──もしくは、まだ意図が伝わっていない事に恥ずかしくなったのか、少女は咳払い。


「道場には沢山の剣道家がいる。私を見て元気になるなら……道場に来ればもっと元気になるんじゃないかと思っただけだ」


言いながら更に恥ずかしくなったのか、後半にかけて声量が尻すぼみになる。赤くなった顔も背けてしまう程に照れまくっている少女の姿に〝萌え〟を感じると共に少年は。


「本当にありがとう」


と頭を下げた。


「と、とにかく!──明日だ!明日から早速道場に来い!父上には私から話を通しておいてやる!じゃあな!!」


また声量が尻すぼみに。しかし今度は少女が恥ずかしさのあまり公園から飛び出してしまったが故の尻すぼみである。


「そんなに恥ずかしがられるとこっちまで恥ずかしくなってきちゃうじゃん」


少年も顔を若干赤くしながら頬を掻く。体感一瞬の出会いではあったが、強烈なインパクト。それから元気を貰った少年は、決断をする為にブランコから立ち上がった。


「僕も、頑張らなくちゃ」













彼女と共に過ごすようになってから、色々な事が起こった。


彼女と出会った翌日、約束を破る訳にはいかないと道場に向かったはいいが場所も道場の名前も聞きそびれていた事に気付き、彼女との約束を反故にしない為に町中を駆け回ったり。


彼女と共に道場で竹刀を振るうようになったり。


結局両親は離婚してしまい、母側についていく事になって父とはもう会えなくなってしまうその最後の日、自分の気持ちを両親になんとか伝えたり。


彼女と道場で過ごす日々に癒され、笑顔を取り戻したり。


同じ学校に通ってると判明し、クラスは違えど毎日登下校を共にして道場以外でも一緒に過ごしたり。


僕と彼女のそんな様子をからかった男子を、彼女が片っ端から摺り足で追いかけ回して竹刀でしばいたり。


中学に上がり、剣道部に入って全国を目指してみたり。


その夢は儚く散れど、彼女は滅茶苦茶な強さで本当に全国へと行ってしまったり。


縮まらない実力差に精神が安定しなくなり、つい彼女に冷たい態度を取ってしまったり。


それでも彼女は、表面上は冷たくはあるけど僕を見捨てず何かと一緒にいてくれたり。











色々な、本当に色々な事があって、僕と彼女──真田麻希さなだまきは高校生になった。僕が漫画やドラマで観る異性の幼馴染との関係というものは、大体小学校高学年くらいに、早ければもう2歳くらい若い段階で一緒にいるのを恥ずかしがるものだったような気がするんだけど、不思議と僕は麻希と一緒にいても恥ずかしい気持ちにはならず、麻希もまた同様なようで。

そういう訳で、高校生になっても僕らは一緒にいた。

どういう訳か毎年同じクラスで、お互い同性の友達がいれど毎日一緒にいるので、学年とクラスが変われば、初めて僕らを見た生徒は何かしらのアクションを起こしてくるけど、いつの間にかこの日常を受け入れる。2週間も経てば、ああ、あの二人かと特段目にも留まらなくなる。

流石に人間関係がガラリと変わる高校一年生ともなれば、周囲からの奇異の目は半年くらい続いた。けれど、僕も麻希も人から嫌われるような性格はしていない。このクラス──1年B組のみんなも、今や何も言ってくることはなくなった。


「時に、こう

「どうしたの、麻希」


甲。

僕の名前。


「今日の昼休み、一緒に食事を摂りたいと思っているのだが」

「あぁ、勿論。というか、いつも言ってるけど、毎日一緒に食べてるんだから態々わざわざ言葉にして誘ってくれなくても大丈夫なのに」

「たわけ」


たわけ。

マジで、日常会話でそんな言葉を遣う人がいるんだなぁと初見では驚いたものの、麻希は昔から武士っぽい言葉を遣いたがる傾向があるのは出会って二日目から分かっている事なので、今となっては慣れたもの。麻希からしたらどうやら僕はたわけのようなので、週に二、三度は麻希から『たわけ』を頂戴している。

麻希は僕の言葉を一言で一蹴してから、自分の席へと戻っていった。どうやら麻希も、このやりとりが形骸化しているのは分かっているようで、僕からの返事は特に聞く事もない。

まぁ、僕としても麻希からの誘いを断る気なんてサラサラ無いけどね。

しかし、麻希が何故このやり取りを毎日行なっているのかという疑問は未だ晴れていない。このやり取りに何の意味があって、麻希は僕を誘っているのだろうか。いやいや、意味が無いだろうと言ってやりたいわけではなく、僕は麻希が何を考えているのか知りたいわけでして。


「なぁ、甲」


麻希の行動に意味を見出みいだそうとしている最中、後ろの席から声が掛かった。


「どうしたの、伸治しんじ


望月伸治もちづきしんじ。僕の後ろの席に座る彼は、このクラス内で一二を争うお調子者であり、僕の友達でもある人物だ。

前髪を真ん中で綺麗に分け、周囲からの光を反射する不思議な眼鏡を掛けた彼と初めて会った時は〝えらく真面目そうな人〟という印象を受けたのだが、口を開けばギャグやダジャレ、それから下ネタの嵐という途轍も無いギャップの持ち主で度肝を抜かれたのを覚えている。女子からの評価はその言動の所為もあり下の下に近いソレだが、良い奴である事は確かなので、クラス内では自然と中心にいるような奴だ。


「いやぁ、今日も麻希ちゃんは可愛いという事をお前に伝えたくてよ」


ニヘラ、と頬を緩ませながら麻希の背中を見つめる伸治。


「僕じゃなくて麻希に直接伝えればいいじゃない」

「いや俺、麻希ちゃんから嫌われてっからさ」

「本気で嫌われてるわけじゃないでしょ」

「あながち100パー冗談と言えなそうな態度でな」

「えぇ……」


伸治は麻希に一目惚れしていて、過去何度も僕をダシに(僕公認)使ってアタックしている。

麻希は他に好きな人がいるくらいの勢い(聞いた事は無いけど)で伸治からの愛をぶった斬り、しかし何度もめげずにアタックする伸治の執念に武士を見出したようで(何で?)、特別に名前で呼ぶ事を許可している。ちなみに麻希はクラス内で唯一伸治の名前だけを何故か記憶しておらず、いつも『お前』と呼んでいる。

悲しいね。

ちなみに、伸治は麻希好きな人の前では下ネタ等の冗談は一切言わずガチガチに緊張してしまう可愛い一面もある。伸治がいつもと違う様子になればそれ即ち麻希が近くにいるという事なので、たまにセンサー代わりに使わせてもらっているのはここだけの秘密だ。


「そんな嫌われてる俺からしてみれば、麻希ちゃんと普通に会話できてるお前は心底羨ましい訳よ」

「伸治だって、話しかけたら流石に無視はされないでしょ?」


他人の目から見た麻希がどれだけ威圧的であろうとも、攻撃的ではない。己の脳が必死に鳴らす警戒アラートを無視して話しかけてみれば、麻希は別に怖い人じゃないというのは伝わると思うんだけどな。現に、麻希は教室で一人ぼっちというわけでもないし。


「そりゃあ、フルシカトって事ぁないけどよ。でも、お前と話してる時の麻希ちゃんの表情を毎日欠かさず見てる俺からすれば、やっぱ俺って嫌われてんだなぁって思っちゃうわけ」

「? そういうものなのかな」

「そういうもんなんだよ」


まぁ、クールなら麻希ちゃんも可愛いんだけどな!とか本人に聞こえそうなくらいな声量で言い放ったあたりでチャイムが鳴った為会話は終了。それと同時に数学科の教師が教室に入ってきた。それからは授業が始まったので伸治と会話をすることはなくなったのだけれど、僕の頭の中には授業中もずっと、〝僕と話している時の麻希の表情〟とやらがしっくり来ず、麻希の姿がずっとピンボケしたみたいに映っていた。

ノートを取る横目に、授業を受ける麻希(背筋が途轍も無く真っ直ぐで凛々しい)の横顔を観察してみる。

……普段と変わらないと思うけどなぁ。







場面は変わり、昼休み。景色も天気も良い屋上で、僕と麻希は昼食を摂っていた。2セットの麻希お手製のお弁当(麻希は剣道だけでなく料理も得意なのだ)を黙々と食べる。食事中の会話は厳禁だから当たり前だね。

10分程で食べ終わり、麻希から差し出されたお茶を素直に受け取って、それから一息。僕達を照らす10月の太陽は最近やっと強過ぎる日差しを弱めてくれて、朝晩過ごし易い日々が続いている。


「ねぇ、麻希」

「どうした、甲」


床に広げた敷物の上に正座で座り、僕と同じようにお茶を飲んでいた麻希に話しかける。麻希は湯呑みを置いてから応答。


「麻希って僕の事好きなの?」


ふん、なんだそんな事か。と言わんばかりの微笑み。流れるような所作で湯呑みを手に取り、口につけてから──勢い良く噴き出した。


「──ンゴフゥッ!ゲフッ!ゲフッ!!」

「麻希!?」


閑話休題。


「甲」

「……はい」


正座。

しかし正座をしているのは麻希ではなく僕。敷物の上なんて過ぎた真似なんて出来る訳もなく、長年雨曝しになってきた屋上のタイルの上にそのまま正座させていただいている。

麻希は腕組み仁王立ちで僕を睨め付けている。

最近はあまり体感していなかった麻希の殺意というやつを目の前で体験させていただいている僕は、正直言って震えが止まらなかった。同い年とは思えないよね、この迫力。

そんな僕の情けないバイブレーションを見て毒気を抜かれたのか、麻希は溜息を吐いてから僕の正面に正座した。


「……甲。私も、甲がふざけた冗談を言っている訳ではないというのは、何となく分かる」


口元を拭いながら、麻希が説くように言葉を紡ぐ。勿論僕も冗談を言ったわけではないので素直に頷いた。


「うん」

「大方、〝彼奴〟に唆されたのだろう?」


……いや、彼奴あやつて。

僕は武士というのをこの目で直接見た事はないけれども、麻希の武士っぽさの徹底っぷりは今でも時々驚かされる事がある。麻希のお父さんは普通の口調なので、麻希は一体どこからその口調を仕入れてくるのか本当に謎である。いや、そんな話ではない。

彼奴あやつ

麻希が名前を呼ばない人物となれば、彼奴あやつ=望月伸治の事でしかなく、こんな状況だけれど僕と麻希の頭の中にはこの瞬間同じ人物が浮かんでいるんだなぁと、なんだか記憶を共有しているようで少し嬉しくなった。

ここで伸治の関与を認めると後で伸治がどんな目に遭うのか分かったものではないのだけれど、よくよく考えてみれば麻希はそこまで人へ怒りを向け続ける事は得意ではないから伸治をどうこうするって事はないだろうし、というかのが伸治にとって1番のダメージだろうと考え、僕は遠慮無く伸治の所為にする事にした。

ごめんね、伸治。この前撮らせてもらった麻希の可愛い写真(試合に気持ちよく勝てたのでノリノリで親指立ててファンサしてくれた時の)あげるから許してね。


「彼奴には後程然るべき処置をせねばな」


あ、どうやら何かするみたい。

ごめんね、伸治。

あと、麻希と触れ合えるみたいだよ。良かったね。


「まさかこんな事になるとは思わなくて」

「少なくとも、お茶を飲んでいる最中には聞かないでほしい。気管にお茶が入ってしまうだろう」

「ごめんごめん」


笑いながら謝る。麻希も、まったく……と口では言いつつも微笑んでいる。優しいね。


「では、そろそろ戻ろう。私はお手洗いに行くから、先に教室に戻っていてくれ」

「うん、分かった。お弁当ご馳走さま。美味しかったよ」

「うむ」


立ち上がり、屋上から立ち去る。普通ならここで空容器のお弁当を受け取って家で洗ってから返すのが道理なのだろうけれど、初期にそれをやろうとしたらたわけを頂戴したので、今では僕は手ぶらで屋上を後にするのが当たり前になってしまっている。

曰く、


『甲が弁当箱を持って帰ったら、次の日私はどの容器に弁当を入れればいいのだ』


とかそういう理由らしい。まぁ確かにって感じ。

あとなんか昨今厳しい男女平等的なアレソレに引っ掛かりそうな事も言っていたようなような気もするけれど、わざわざここで思い出すことではない。

つまり、麻希は僕が申し訳なくなるくらい優しくて可愛いって事。OK?

分かったならよろしい。

麻希に手を振り、10月の風を一身に受けつつも屋上特有の重たい鉄扉を開けて立ち去る途中。


「──時に」

「?」

「こ、甲。……お、おおおお前は最近どうだ?好きな人の一人でもいるのか?──いや駄目だやはり聞きたくない──す、好きな女のタイプはなんだ?」


急にめっちゃどもるし。

急にお父さんみたいな事言うし。

てか僕にお父さんいないし(爆笑ジョーク)。

突然の麻希からの問い掛け。大方、僕が麻希にお茶を噴き出させてしまった事への仕返し的な──私が恥ずかしい姿を見せたのだからお前も見せろ的な感じのアレだろう。良いよ。でも、生憎僕は真面目に答えちゃうから恥ずかしくも何ともないけど。

幼い頃に両親が離婚して、受ける愛情が物理的に半分になった僕にはこんなことしか言えないけど。


「──僕を。深く僕を、愛してくれる人」


それから、少し自嘲気味に微笑んだ。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る