焼きオグリ

 祭壇を後にし、元来た道を戻る。イルザとグレン。グレンはイルザの三歩後ろを歩き、口笛を吹いている。

 「ちょっと、その口笛止めてほしいのだけど。魔獣が近寄ってきたらどうするのよ」

 「えっ? この森、魔獣が出てくるのか? そんな気配は感じねぇけどな」

 グレンの言う通り、イラエフの森には魔獣の類は生息していない平穏な森である。しかし、理由がはっきりしていない出来事に苛立ちを隠せずにいた。

 「ええ、そうよ。この森には魔獣はいないわ。少し君に八つ当たりしたかっただけよ」

 「なんだよ、ただの八つ当たりかよ! まぁ気持ちはわからんでもないけどよ、俺だって記憶が曖昧なまま召喚されて混乱してるしな」

 「とてもそうには見えないのだけれど・・・」

 能天気なグレンの態度に皮肉を込めて言葉を返した。実際のところ、一番混乱しているのは彼であるのは火を見るよりも明らかだ。

 召喚された目的がはっきりとしない今、彼の記憶が戻るまでは様子を見る他手段がなかった。

 「ところで主さんの名前、そろそろ教えてもらえないか? これからお世話になるのにいつまでも名前を知らないままっていうのもむず痒いからな」

 「イルザよ。イルザ・アルザス」

 「イルザか・・・いい名前じゃないか! よろしくな!」

 グレンは手を差し出し、握手を求めた。屈託のないその笑顔にイルザは素直に手を握りグレンと握手を交わす。

 「それで、イルザはいくつ? 俺はたぶん一六ぐらいなんだけど」

 「女性に年齢を、しかもエルフに聞くのは失礼と思わないのかしら・・・?」

 イルザはこめかみにピキピキと血管を浮かせ、グレンの手を全力で握りしめた。

 「痛たたたたっ! ごめん、悪かったって! というかエルフじゃなくて、ダークエルフ・・・痛い! 握力強すぎだろ!」

 「失礼に失礼を重ねてどうする気かしらっ!」

 更に力を込めてグレンの手はごきっと不自然な音を立てた。

 「ぐあああああああ!」

 グレンの叫び声が森全体に響き渡った。


 「あったわ! 目印をつけておいてよかったわ。後はこの獣道を進めば帰れそうね」

 魔界樹につけた傷をそっと撫でる。祭壇からの道はうろ覚えだったので無事に帰られるか不安だったが。目印のおかげで迷うことなく家路につくことが出来る。

 「いつまで文句垂れてるのよ。手はちゃんと治してあげたでしょ」

 イルザの強靭な握力によって骨を砕かれたグレンは、そのあとイルザの治癒魔法で治療してもらったが、歳を聞いただけなのにとブツブツと文句をいいながら歩いていた。

 「だって見た目俺と変わんねぇからよ、歳も同じくらいかなって思うじゃんかよー」

 駄々をこねる子どものような態度に愛らしさを感じたイルザ。まるで手のかかる弟ができたみたいで、表情を緩めて言葉をかけた。

 「もう・・・わかったわよ。私は一八二歳、人間の寿命の約十倍だから人間でいうと一八歳ぐらいね。君よりすこしだけお姉さんよ」

 「俺からしたら少しどころか、かなり・・・」

 グレンが言い切る前にイルザの鋭い視線を感じたので、それ以上言うのをやめた。

 「もうそろそろ家に着くわ。妹が寝ているかもしれないから騒がないでよね。病人なんだから」

 「へぇ・・・妹もいたんだな。二人で暮らしてるのか?」

 「ええそうよ。母は二〇年前に亡くなって、父は・・・物心つく前に私たち家族をおいてどこかへ行ってしまったわ」

 イルザはどこか悲しげな表情で静かに話す。それをみたグレンは顎に手を当て何かを考え始めた。

 「暗い雰囲気になってしまったわね。大丈夫よ、妹との暮らしは楽しいし、満足しているわ」

 「うーん・・・。なおさらイルザを守らないといけなくなったな。家の前まで来ておいてなんだが、ちょっと散歩してくるわ」

 「え? ちょ、ちょっと!」

 グレンは森の中へと駆け出した。使命を果たす、主を守るために今できる限りのことはやっておきたいと、彼の心が命じた。

 「まったく、なんなのよ・・・」

 グレンという少年はどこか子供じみているが、時折みせる大人びた不釣り合いな表情がどこか遠くを見ているようで、畏れのようなものを感じる。

 胸のつっかえを抱えたまま、自宅の扉を開く。

 「・・・おかえり。騒がしかったけど、誰かいたの?」

 「起きてたのね。さっきまで一緒だったのだけど、どこかへ行ってしまったわ」

 腕を組み、頬を膨らませて不機嫌な格好をする。エルザはそんな姉の姿を見て、きっと面白い人に出会ったのだとクスクスと笑った。

 「もう何笑ってるのよ!」

 「うふふっ、なんだか姐さんが楽しそうだなと思って」

 「からかわないの! ほら、まだ熱あるんだから大人しく寝てなさい」

 毛布を掛け、横になるように促す。

 麻袋にしまっておいたオグリの実と薬草をテーブルの上に置き、鍋の準備をする。薬草をお湯で煮だし、柔らかくなった歯をすり鉢ですり潰す。苦みを抑えるため蜂蜜を加えてペースト状にした薬草をスプーン一杯分、小皿に乗せる。

 加工した薬草は体調を整える飲み薬や、怪我をした際に傷口に塗る薬としても使えるので、オグリの葉に包み保存する。

 「薬出来たわよ、蜂蜜たっぷり入れておいたから苦くないと思うわ」

 エルザは体を起こし、薬が乗った小皿を受け取る。

 「・・・甘くてもこの臭いだけはどうしても慣れない」

 独特の鼻を突き抜けるようなさわやかな香り、臭いを打ち消すにはちょうどいいのだが、口に入れるとなると思わず躊躇してしまうようなそんな臭い。

 顔をしかめ、エルザはスプーンに乗った薬草のペーストを鼻をつまんで口に運ぶ。

 「はい、お水で飲みなさい」

 イルザから渡された水と一緒に一気に飲み干す。喉の奥に残る薬草の香りが不快な余韻を残す。

 「・・・臭いわ」

 むっとした顔で口を押さえ不満を垂らす。

 「それだけ文句が言えるなら大丈夫ね。夕飯まで眠ってしっかり休みなさい」

 いまだ不服そうなエルザの頭を撫でて言い聞かせる。

母親が残していた薬の作り方のメモは今もこうして役に立っている。イルザが幼い頃、今のエルザのように看病してくれた、温かい母の温もり。

妹とは四〇歳(今の年齢を人間でいうと一四歳)ほど離れているが、まだ精神は幼い。姉として妹をしっかり守る。母が病に伏したとき、弱々しく話す母とそう約束した。

エルザが眠りについたことを確認すると、夕飯の準備をすべくエプロンを身に付ける。テーブルに置いたオグリの実を三つキッチンへ運び芯をくり抜く。

(そういえばグレン・・・どこに行ったのかしら。まぁ、作っておいてもいいか)

飛び出していったグレンのことを考えながら作業を続ける。

くり抜いた身の中に蜂蜜を流し込み、保存棚に置いてあるマーガの種から搾ったバターを入れる。最後に香ばしい香りのする乾燥させたナモンの実の粉をふりかけ、窯でじっくりと焼き上げる。

焼きあがるまで時間があるので椅子に腰かけ、父が残していったであろう本を手に取る。本棚に並ぶものの大半は、魔界の創世神話や歴史に関する物語を占めていた。特段、こういった話は嫌いではないので、時間のある時は暇つぶし程度に目を通す。

どの物語も二万年前に神界・人間界・魔界を巻き込んだ千年戦争を主題にした物語が大半だ。その戦争が本当にあったのかは定かではない。そもそも、魔界に人間が訪れることなどここ数万年無かったらしい。

(それが、召喚によってあっさり人間が魔界に来ちゃったのよね・・・。普通、召喚といえば幻獣や魔獣が一般的なのに、それが人間だなんて・・・本当にどうなっているのかしら・・・)

手にしている神話を読み進めながら、召喚した人間、グレンについて考える。

(いつになったら戻ってくるのかしら・・・)

同じページを行ったり来たり、読書に集中できないまま夕方を迎えた。


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