第2章 ソフィー様の本音&第3章 図書館での勉強と私の過去

 う~ん。こうして、ソフィー様のとなりこしを下ろしたけれど、何を話せばいいのかしら?

 王太子殿でんとロゼッタさんが話していましたね、なんて言えるわけがないわ。

 だって、ソフィー様は傷ついているのだもの。えぐるようなことを言うのは空気が読めていないと思うし。私から話しかけるのはちがう気がするわ……。

 どうしようかな? と思っていると、鼻をすすったソフィー様が、あのね、と話し始めた。

「私、クレイグ殿下があのように楽しそうに笑っていらっしゃるのを初めて拝見したの」

 ソフィー様から話しだしてくれて安心したけれど、内容に私はおどろいた。

「え? ですが、ソフィー様は王太子殿下とお二人で話すことがおありでしょう? 初めてというのは」

「いいえ、初めてなのよ」

 ソフィー様はなつかしむように遠くを見つめている。

「私は、先ほどまでこんやく者候補の中から、クレイグ殿下に求められて婚約者に選ばれたと思っていたの。でも、ロゼッタさんとお話ししている姿を拝見していたら、クレイグ殿下は本当は私のことを好いてはいらっしゃらなかったのだと理解したわ。私が選ばれたのは、ただ王太子として相応ふさわしいれいじようであっただけだったのでしょうね」

「……私が拝見した限りでは、王太子殿下はソフィー様を大事になさっていらっしゃいましたが」

「私も、そう思っていたわ。けれど、思い返してみれば、二人きりのときにあのように楽しそうに笑うクレイグ殿下を拝見したことがなかったし、いつも私から話しかけてばかりで、クレイグ殿下から話しかけられることはめつになかったの。みなさんがご覧になっていたのは私の婚約者として義務を果たすクレイグ殿下のお姿だったのかもしれないわね」

 私が見ていたお二人はいつも仲むつまじい様子だったから、にわかには信じがたい。

 言葉にまってしまったソフィー様は、深呼吸をして目元をハンカチでさえた。

 落ち着いたように見えるけれど、手がふるえているわ。いまだにどうようかくしきれていないのがわかる。

 かける言葉が見つからない。私が下を向いて手をしつようにいじっていると、ソフィー様がかすかに笑ったのがわかった。

 でもそれは、情けない自分自身を笑うような声だった。

「……最初にロゼッタさんのことをうかがったときは、大した問題ではないと思っていたわ。身分差もあるし、きっとクレイグ殿下は私のところにもどってきてくださると思っていたのよ。ロゼッタさんはクレイグ殿下の周囲にいる令嬢たちとは性格が違うから興味を持っただけ、そう信じていたの」

「……今も、きっとそうです」

「そうかしら。貴女あなたもクレイグ殿下とロゼッタさんがお話ししているところをご覧になったのでしょう? 本当にそのように感じたかしら?」

 問われた私はこうていすることができず、よどんだ。

 フッと笑ったソフィー様は、笑っているけれど悲しそうな表情をかべている。

「何もかもが違うのよ。私に対する態度、他の皆さんに対する態度とは明らかに違っていたわ。じゆんぼくやさしくててんしんらんまんなロゼッタさんにかれているのがよくわかったの。あのような演技をしていた令嬢はこれまでもクレイグ殿下の周囲にはいらしたけれど、あの方は見向きもなさらなかったのに……。きっと、ロゼッタさんと話して、本当にうそいつわりのない姿だとわかったのでしょうね。だから、惹かれたのかもしれないわ」

 確かに、あの場面での王太子殿下はロゼッタさんに対する好意を隠してはいなかった。

 かのじよは、お金持ちの貴族に取り入るような方には見えなかったけれど、だからといってソフィー様が彼女よりもおとっているなんて私には思えない。

 だって、私はソフィー様のらしいところをたくさん知っている。

 自分をしてしくない。いつものりんとしたソフィー様に戻って欲しい。

 そう思った私は、彼女に向かって口を開いた。

「でも……それでも、私はソフィー様の高潔さや真面目さ、ぐなところはロゼッタさんよりもひいでていると思っております。そのようなソフィー様を私は尊敬しているのですから。きっと気の迷いです。ソフィー様が王太子殿下の婚約者であるという事実はらぎません」

「ありがとう」

 感謝の言葉を述べているけれど、ソフィー様の表情は晴れないまま。

 そんな顔をして欲しくはないのに、笑ってもらえるようなことも言えないなんてがゆいわ。

 ソフィー様は本当に素晴らしい方なのに。

「私は、貴女が思うような高潔で真面目な人間ではないわ。そのしように私は、あの場面をたりにしてロゼッタさんがいなくなればいいのに、って思ってしまったのだもの」

「ソフィー様……」

「口では皆さんに悪口などいけないと言っておきながら、情けないわ。でも、今もどす黒い感情が私の心にうずいているの。彼女をはいじよしなければ、遠ざけなければ、いやがらせをしてでもクレイグ殿下をつなめたいと」

 嫌がらせ!? それはいけないわ!

 そんなふうに思ってしまったら、取り巻きの令嬢達のおもつぼになってしまう。

 つい私は身を乗り出してしまった。

「い、いけません!」

 とつぜんの私の大声にソフィー様は目を丸くしている。

「驚かせてしまい、申し訳ございません……! けれど、そんなことをなさっても、ソフィー様のためにはなりませんから。どうか考え直してくださいませ」

「……それは、私もわかっているのよ。でも、そうでもしないと、ロゼッタさんをクレイグ殿下からはなすことはできないもの。方法がそれしかないの……」

 あのソフィー様がここまで思い詰めるなんて……。

 こいは人をいい方にも悪い方にも変えるって小説に書かれているのを読んだことがあったけれど、現実でもあり得るのね。

 でも、ここでソフィー様が取り巻き達の言葉にのせられてロゼッタさんに嫌がらせをしたら、彼女がめつしかねない。れんあい小説に出てくるこいがたきの悪役令嬢だって同じことをして破滅していたもの。

 現実ならバーネットこうしやく家の権力もあるし、同じことにはならないだろうけれど、王太子殿下は絶対におこって仲が急激に悪化するわ。それこそ取り返しがつかないほどに。そうして婚約なんてことになったら、ソフィー様は周囲から白い目で見られることになるかもしれない。

 大体、取り巻き達にのせられてソフィー様がロゼッタさんに不快感を示したら、皆さんが張り切るに決まっているわ。そつせんしてロゼッタさんをいじめ始めるだろうし、私も強要されるかもしれない。

 へいおん、平和を愛している私は、ごとかいしたい。

 まあ、事が始まる時点で彼女達から離れれば、まれずに済んで、安全な場所でながめているだけになるけれど……。

 でも、それは私に手をべてくれたソフィー様を裏切るこうだわ。どうなるのかわかっていて見て見ぬフリをしてだまっているのは、恩をあだで返すようなものだもの。

 保身のために離れるなんて考えられない。

 ソフィー様にとって、私は取り巻きの一人に過ぎないかもしれない。でも、あこがれ尊敬している彼女が破滅する様を見るのは嫌。

 人から白い目で見られて笑われ、傷つく彼女を見たくない。

 私のような思いをして欲しくはない。彼女にはいつも笑っていて欲しいの。

 彼女の幸せを私は願っているのよ。

 だから、知らんぷりしてげるなんてできるわけない。

「他にも方法があるはずです!」

「……じゃあ、どうすればクレイグ殿下に好かれるというの? どうすれば私を見ていただけるの? ロゼッタさんに嫌がらせをしないのであれば、彼女のように天真爛漫になれば愛してくださるのかしら? ……なんて、貴女に聞いても仕方がないことよね」

 ギュッと手をにぎり、何かにえるような切ない表情を浮かべるソフィー様を見ていると、どうしても私は王太子殿下に対するいらちを感じてしまう。

 彼女のいちおもいをないがしろにしている王太子殿下は見る目がないわ。

 だけど私はソフィー様をがおにしたい。

 すると、ソフィー様が今しがた言っていた言葉がのうぎったの。


『彼女のように天真爛漫になれば』


 ……そうよ! そうなればいいのよ!

 ソフィー様は、しっかりとした方で男性にびたりしないタイプ。

 だから、わいらしい面もあるのだと知らせることで王太子殿下の見る目が変わったら殿下は目を覚ましてくれるんじゃないかしら?

 そうと決まれば、さつそく提案してみよう、と、固く握られている彼女の手に自分の手を重ねる。

「ソフィー様! ソフィー様にもお可愛らしい面があるのだと王太子殿下に見せつけて、他の女性に目を向けているあの方に、ご自分がちがっていたのだと気付かせましょう。そうすれば、王太子殿下はソフィー様のもとに戻ってきてくださるかと」

「……確かに、貴女のおつしやるように私を見ていただいてクレイグ殿下のお心が変わってくだされば最良だとは思うけれど、どのようにして?」

 王太子殿下がロゼッタさんに惹かれているのを考えると、殿下の女性の好みは彼女のような人で間違いないと思う。

 でも、ソフィー様がロゼッタさんのをしても、王太子殿下が興味を示してくれるかというと、疑問が残る。

 いきなりそんなふうになったら、むしろ取り入ろうとしているとか疑われる可能性の方が高い。

 だから、ソフィー様のよさを最大限に引き出しつつ、王太子殿下の好感度を上げたい。

 実際の恋愛にはうといから、一番身近な恋愛小説からヒントを得た方がいいかもしれない。

 ああいう小説って、けなな主人公が何気ない行動によってヒーローの目に止まるのよね。

 間に困難があったとしても、最終的には幸せになっているもの。

 本人の努力もあるものの、性格のよさが根本にあるのよね。

 純朴でひかえめでいつも笑顔で悪口なんて絶対に言わないから。


 ……あれ? よく考えたら、それってロゼッタさんと似ているわね。

 彼女って、恋愛小説によく出てくる主人公みたいだわ。


 あ、そうだわ! だったら、恋愛小説に出てくる主人公を参考にしたらいいのではないかしら?

 性格じゃなくて、行動を参考にしたらいいかもしれない。

 それだったら、疑われることなく王太子殿下の印象を変えることができるかも!

「あの、では、恋愛小説を参考にするというのはいかがでしょうか? ソフィー様は恋愛小説をお読みになったことはございますか?」

「伝記や歴史小説ならあるけれど、恋愛小説はないわね。母がそういったものを読まないので、しきにも置いてなかったの」

「でしたら、一度、目を通してみてはいかがでしょうか。王太子殿下が好むような女性の行動が書かれておりますので、きっと勉強になると思います」

 私が力強く言うと、〝王太子殿下が好む女性の行動〟という部分に興味を引かれたのかソフィー様の目が光を取り戻した。

「幸い、図書館にも恋愛小説は置かれておりますし、にもたくさんございます。まずはお読みになって、その上でどのように行動するかを考えませんか?」

「けれど、本当にクレイグ殿下は私の許に戻ってきてくださるのかしら。だって恋愛小説でしょう? 同じように行動したとして、くいくとも限らないわ」

 そ、そうよね。勢いで言ってしまったけれど、ソフィー様の疑問ももっともだわ。

 恋愛小説を読んで、同じように行動しても王太子殿下が戻ってきてくれる保証はどこにもないもの。

 でも、どっちに転ぶかなんて、やってみなければわからないと思うのよ。

「ですが、何も行動をしないままでは解決はしません。ほんの数日で王太子殿下とロゼッタさんがどうこうなるとは考えられませんし、まずは準備をするにしたことはありません」

 まだこいびとにはなっていないなら、ソフィー様が入り込めるすきがあるんじゃないかしら?

 これが最善の策かどうかはわからないけれど、ロゼッタさんに嫌がらせをするよりはいいわ。

「確かに、今のままではどうにもならないというのは理解しているけれど」

「上手くいくかはわかりませんが、最悪の未来になる可能性は低くなるかと」

 ソフィー様は、あまり気乗りしないのか、どうしようかとなやんでいた。

 ここでうなずいてもらえないと、事態が最悪の方向へと行ってしまう。それは絶対にけたい。

 ソフィー様がやる気になってくれるよう、私は必死の形相になる。

「私はソフィー様が泣くような結果になって欲しくはないのです。そのためならば、どんな手助けでもいたしますので」

「……貴女が私に手を貸してくださるの?」

 あ、何も考えずに言ってしまったわ。え~と、手を貸すということは、つまりソフィー様に協力するということよね。それは、目立つ可能性が高くなるということ。

 でも、可能性は可能性だもの。かげでコッソリ協力していれば目立つことはないはず。

 これまでとは変わらない、そう思った私は、しっかりと頷く。

「はい。協力いたします。ですので、まずは小説をお読みになってみませんか? ロゼッタさんに嫌がらせをするのはいけないことだとソフィー様もわかっていらっしゃるのであれば、他の方法をためしてみてもいいのではないでしょうか?」

 私の言葉に考え込んでいたソフィー様は心が決まったのか、顔を上げた。

「……そうね。少しでも可能性があるのなら、すがりたいわ。でも、本当に上手くいくかしら?」

「それはソフィー様だいかと。ですが、決してなことではないと私は思うのです。違う一面を王太子殿下にお見せすることで、これまでのソフィー様の印象を変えることはできるはずです」

 すると、ソフィー様の中でなつとくできる言葉だったようで、彼女はしんけんな顔つきになる。

 前向きに考えてくれていることに、私は安心した。

「何事もやってみなければわからないものね。もしかしたら、私のいけないところが見つかるかもしれないし、改善できるかもしれないわ」

「恋愛小説だからといって、あなどることなかれでございます。では、図書館に参りましょう」

「ええ」

 こうして、目標が定まった私達は、図書館へと向かった。




 図書館へ向かうと司書が一人だけ受付にすわっていた。

 生徒がいないことにホッとした私は司書にあいさつをして、れんあい小説の置かれているしよへと移動し、どれがいいかと背表紙をながめて選び始める。

 恋愛小説を読んだことのないソフィー様は興味深そうに背表紙を眺めては、時折本を手に取ってパラパラとめくっていた。

 私は読んだことのある小説の中から、初心者でも読みやすいものを何冊かしてテーブルに置く。

「ソフィー様。どうぞ、おけください。こちらの小説は、それぞれ設定が異なっておりますので、教本とするには最適だと思います」

 そう、と言って、一冊の小説を手に取ったソフィー様はゆっくりと読み始める。

「……この小説は身分の低いれいじようと上位貴族の恋愛ものなのね。主人公の性格がロゼッタさんによく似ているわ。上位貴族に対するれいがなっていなくて、ハラハラしてしまうけれど」

「小説ですので、そこら辺はゆるく書かれているのです」

「でも、時代背景がしっかりとしているわ。この小説を書かれた方は貴族なのかしら?」

「いいえ、作者は平民のはずです」

「まあ」

 おどろいたようにソフィー様は目を見開いた。

 小説家の中には名前を変えている貴族もいるけれど、大半は平民なのだ。

 私も、それを知って驚いたから、ソフィー様の驚きがわかる。

しきに勤めている使用人や、えんしてくださる貴族に話を聞かれているようなのです」

「だから、さほどかんがないのね」

 ソフィー様は感心しながら読み進めた。

 最初は軽い気持ちで読んでいたのに、だいぼつとうしていくのがわかる。

 これは、話しかけない方がいい。

 私はテーブルの上の一冊を手に取り、中身のかくにんをしていく。

 しばらくするとパタンと本を閉じたソフィー様が、大きなため息をついたのがわかった。

 顔を上げると、かのじよはなんだか難しい顔をしている。

「どうかなさいましたか?」

「え? あ、いえ。この小説に出てくる主人公のこいがたきの悪役令嬢がまるで私のようだと思ったら、いたたまれなくなってしまって」

 気まずげに目をらしたソフィー様は、見たくないのか本をテーブルに置いて自分から遠ざけた。

 確かにその小説には恋敵である悪役令嬢が出てくる。でも、ほぼ全ての小説にそういった悪役令嬢は登場するのだ。

 ここでつまずいてもらっては、全部読めなくなってしまう。

「恋愛小説に恋敵はつきものなのです。主人公と相手のきよを縮め、たがいのこいごころを自覚させるために必要なキャラクターなので、大体の小説には出てきますね」

「そうなの? せつしそうだわ」

「でしたら、反面教師としてご覧になってはいかがでしょうか? このようないはするまいという視点で読めば、いたたまれなさは軽減されるかと」

 私の提案に、不安そうにしていたソフィー様の表情がしんけんなものになる。

「……反面教師、反面教師ね。そうよね。私はこの悪役令嬢ではないのだから、かいの意味をこめて読むべきよね」

 客観的に見られるようになったのならよかった。読んでもらわないと王太子殿でんをはじめとする男性が、どのような女性を好まれるのかわからない。

 ソフィー様は遠ざけた小説を手に取り、閉じたところから読み始めた。でも、先ほどよりも読むペースは落ちている。

 集中できない状態で読んでも頭に入らない。だったら、ひとまずここで終わりにした方がいいかもしれない。

 屋敷で一人で読んだ方が頭に入るだろう。

 かべけ時計に視線を向けると、いつもの帰宅時間を大分過ぎていた。

「もう時間もおそいですし、その小説はご自宅で読まれてはどうですか?」

「そうね。全て読んでいたら日が暮れてしまうもの。本を借りる手続きはあちらでできるのかしら?」

「はい。司書に本を出して、手続きをするのです」

「では少し待っていてくださる?」

「あ、私が参ります」

 そのような手間をソフィー様にさせるわけにはいかない。それに、司書と顔見知りの私が手続きした方がスムーズにいく。

 私はソフィー様から本を受け取り、テーブルに置かれている本も持って受付に向かい貸出手続きをする。

 計五冊の本を借りて図書館を後にしたわたしたちは、すっかり人のいなくなった静かな校舎内を歩いていた。

「とりあえずは、借りた本を読むことから始めないといけないわね。時間がかかりそうだわ」

「小説の世界に没頭してしまえば早いですよ」

「そうだとよろしいけれど」

 と、つぶやいたソフィー様がとつぜん足を止めた。

 つられて私も足を止めて振り返ると、ソフィー様は不安そうな表情を浮かべている。

「勝手なことを申し上げるようだけれど、今日のことは他の方には秘密にしていただきたいの。クレイグ殿下とロゼッタさんがお二人でお話ししていらしたのを私が見ていた、なんて殿下のお耳に入ると困るし、みなさんがロゼッタさんに今以上の悪感情をいだいてしまうと思うから。それに私も、知られたくなくて」

「改めておつしやらなくとも、秘密にいたしますからご安心ください。尊敬するソフィー様のお名前をけがすようなはいたしません」

 すると、ホッとしたようにソフィー様がやわらかくほほんだ。

「ありがとう。……けれど、なぜアメリアさんはそこまで私のためにしてくださるの? 貴女あなたは私の友人だけれど、面と向かってお話をしたことは、あまり……というかほとんどないでしょう?」

 それもそうよね。だって、私はいつも皆さんの話にうなずくだけで、そつせんして話していたわけではないものね。

 こんなにじっくりとソフィー様とお話ししたのも今日が初めてだもの。

 でも、それは目立たないように大人しくしようとしていただけ。

「……確かにソフィー様と話したことは少ないですが、私がソフィー様を心から尊敬し、おしたいしているからこそ、ソフィー様のために動こうと思ったのです」

「私を尊敬しているというのは、ありがたいことだけれど、どうして?」

 私が勝手にソフィー様に感謝しているだけだものね。彼女がわからないのも無理はないわ。

 このまま疑問を残しておいたら彼女もモヤモヤするだけでしょうし、伝えておいた方がいいかもしれない。

 私は不思議そうな顔をしているソフィー様に理由を話し始める。

「今から五年ほど前になるでしょうか。私はソフィー様に助けていただいたことがあるのです」

「私が貴女を助けたの?」

 五年前に? とソフィー様は首をかしげている。

 あのときのことを私はせんめいに覚えているけれど、ソフィー様にとっては、きっと何気ないことだったのよね。

「ソフィー様に助けていただいたのは五年前のお茶会のときです。あのとき私は話し相手もおらず、一人でおりました。そうしたら、ソフィー様が『私達といつしよにお話ししませんか?』とさそって仲間に入れてくださったのです。ひとりぼっちだった私に手をべてくださり、それ以降も話しかけてくださるやさしさに感動し、ソフィー様のおそばにいたいと思うようになったのです」

「そう、そうだったの……。でも、ごめんなさい。私、覚えていないようで」

「いえ、覚えていらっしゃらなくても構わないのです。あの日のことは私にとって、今でも大切な思い出というだけのことですから」

「……なんだかずかしいわ。私はそれほど大層な人間ではないのに。それにアメリアさんはひとりぼっちだったと仰るけれど、今の貴女はとてもりよく的よ? よくお話しになるし、表情も豊かだわ」

 友人がいなくて一人だったのは、屋敷にもって人付き合いを全くしていなかったからなのよね。

 でも、どうしてもお茶会に出席しなければならなくて、友人の作り方なんてわからなかった私は、だれにも話しかけることができなかっただけ。

「屋敷に籠もっていた私にとって、あのお茶会が五年ぶりの社交の場でした。ですから、知り合いが誰もおらず一人だったのです」

「屋敷にずっと? ご病気だったの?」

「あ、いえ」

「もしかして、今も? だから、あまりお話をなさらなかったのかしら。こんな時間まで付き合わせてしまったけれど、お体はだいじようなの?」

「それは……。いえ、ちがうのです。体が悪いわけではないのです」

 私は、ひとりぼっちになるきっかけとなった、十年前のあの出来事をソフィー様に話そうかどうかをなやんでいた。


 ……いいえ、元々、話を振ったのは私だわ。

 ソフィー様は言いふらすような人ではないから言っても構わない。

 言わないままでいたら、何か大きなかんちがいをされて気を使わせてしまうだろうし。

 十年前のことは私の中である程度、整理はついている。話したくらいで傷つくことはない。だから、大丈夫。うん。大丈夫。

 決意した私は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

「実は私が屋敷に籠もるようになったのは、十年前のある出来事がきっかけでして……」

「ある出来事?」

「ええ。その前に私のちから、お話しさせてください」

 私が静かに話し始めると、ソフィー様が姿勢を正した。

 大した話ではないから、なんだか悪い気がするわ、と思いながら続ける。

「私は両親がけつこんして十年ってから生まれた一人ひとりむすめなのですが……そのおかげで、生まれたときから、それはもう両親や使用人達からわいがられました。『私達の天使』だの『世界で一番可愛い』だの言われて育ったのです。ですので、今となってはお恥ずかしいですが、幼い私は自分をとんでもない美少女だとおもんでいたのです」

「周囲から愛されていらしたのね」

 ソフィー様からあいに満ちた目で見られながら、私は本題に入るべく、コホンとせきばらいをした。

「自分が美少女だという勘違いをしたまま私は七さいになりました。ピアノをたしなんでいた私は同年代の子供達よりもピアノがいということもあって、ある貴族のお屋敷に招かれてピアノの演奏をすることになりました。しかし、演奏を始めたところ、ご覧になっていた方々がヒソヒソと話し始め、かくれて笑っていたのです。声が気になって集中力がれ、演奏を中断した私に『ドレスは派手だけど顔は地味』という言葉を男の子が投げつけてきました」

 あまりの話にソフィー様は絶句している。

 今ならわかるけれど、招待した貴族は私を笑いものにしようとしていたんだと思う。

「それで、私は周囲が自分を鹿にしていることに気付いて泣いてしまい、両親に連れられて、そのお屋敷を後にしました。そのことが、あまりにショックでしばらくは泣いて部屋から出ることができなかったのですが、あるとき窓に映る自分の顔を見て気付いたのです。私は招待されていた令嬢達とは違って可愛くない、地味だ、と」

「……なんてひどい話なのかしら。貴女は派手ではないけれど、とても可愛らしいお顔をしているわ。その場にいらした貴族達は心がくさっていたのよ。そのような中傷など気になさらず」

 なぐさめようとするソフィー様を私は手で止めた。

 大丈夫。笑われたことや馬鹿にされたことにショックは受けたけれど、むしろ勘違いを正してくれたことに感謝もしている。

 だってあのまま育っていたら、自意識じような恥ずかしい大人になっていたはずだ。

 それに気付かせてくれたのだから、私にとってあの出来事は必要なことだったのだと思う。

 とはいっても、あんな体験は一度で十分だけれど。

「お優しい言葉をかけていただき、ありがとうございます。ですので、当時は人の目が気になってしまい、屋敷に籠もるようになっていたのです」

「そのような理由がおありだったのね……。ああ、もしかして、だから母はあのようなことを……」

「ソフィー様のお母様が何か?」

 なんだか気になることを言われ、私は首を傾げる。

「いいえ。なんでもないわ。気にしないでちょうだい」

「はい」

 気になるけれど、ソフィー様がなんでもないと言っているのだから、しつこく聞くのは失礼よね。

「それよりも、理由をただすような真似をして申し訳ないわ」

「いいえ。話そうと思ったのは私の意思ですから。それに、そのときのことで私のような人間は人よりも目立つ真似をしたらたたかれるということを学べましたので、全てを失ったわけではありません」

 むしろ得たものの方が多かったわ。

「ですので、私はソフィー様や皆さんといるときに、目立たないようにとあまり話さないようにしていたのです」

 私の話を聞いたソフィー様は、なつとくしたように、ああ、と声に出した。

「貴女はいつも一歩引いた場所にいらしたから、ずっと不思議に思っていたのよ。あまり発言なさらなかったのは、そのような事情からなのね。お一人が好きなのかしら、とも思っていたのよ」

「断じて違います! 一人の時間は好きですが、どくが好きなわけではありません。私はソフィー様の近くにいられるだけで、それだけでうれしかったのですから」

「ええ。お話をうかがって納得したわ。そもそも、貴女は傷ついた私にハンカチを差し出してくださったし、となりでお話を聞いてくださったもの。孤独が好きで私に興味がないのだとしたら、あの場で帰っていたはずだものね。ありがとう……」

 ソフィー様が私の手をつつみ込み、温かなまなしを向けてくる。

 その手のぬくもりに、私は思わずなみだぐんでしまった。

「貴女は、お強いのね」

 尊敬の眼差しで見られるけれど、私はそこまで強くはないわ。

「強くなどございません。……それと実は、私の方からもお願いがあるのですが」

「何かしら?」

 こうしてソフィー様が変わるお手伝いをすると決めたけれど、やっぱり私は目立ちすぎるのがこわい。ソフィー様は王太子殿下や第二王子以外の特定の誰かと親しくお話しすることは、今までなかった。

 いきなり明日から私に話しかけてきたら、注目を浴びるのは確実だ。

 そして、悪目立ちしたら十年前のような目にうかもしれない。

 あのときは、私にも悪い部分があったから、なんとか飲み込めた。

 だけど今、同じように笑われて馬鹿にされたら、きっと立ち直れないと思う。

「できれば、皆さんの前で二人でお会いするのはえんりよしたいのです。今日のように人気のない放課後にお会いする方向でお願いしたいのです」

「それは困るわ。せっかく、気を許せる方ができたのに、放課後しかお話しできないなんて悲しいもの」

「……ですが、それだと目立って」

「目立たないわ。この学院にどれだけの生徒がいると思っていらっしゃるの? 最初は注目を集めてしまうかもしれないけれど、慣れればそれが日常になるものよ。大丈夫」

 ね? とソフィー様は言うけれど、悪目立ちして、あの顔で、とかされて裏で笑われることになるのが怖いのです……!

「ソフィー様は他の方と平等に仲良くされていらっしゃるので、私だけに話しかけたりしたらいろいろと言われるかもしれませんし」

「確かに、これまで私が特別親しくしていた友人はいないけれど、そのようなことであれこれ仰る方はいないわ」

 いや~、あの方々はが強いですよ。

 ここで私が彼女からとくべつあつかいされたら、絶対に文句が出るわ。

 という考えが顔に出ていたのか、ソフィー様はほおに手を当てて考え込んでしまう。

「……なら、明日から平等に話しかけるようにするわ。それなら大丈夫だと思うの。もしも、貴女とのことを聞かれたら図書館で……はクレイグ殿下にさとられるかもしれないから、温室でぐうぜんお会いしたことにしましょう。それで、少しお話をして気が合うとわかり、話すようになった。これなら納得していただけると思うの」

 ああ、それなら混乱も少ないし、文句を言う方はいないかもしれない。

「それに、どうしても外野の声が気になると仰るなら、私がどうにかしてみせるわ。私が貴女を守ってみせる。だって、貴女は私の友人なのだから」

 ソフィー様からの力強い言葉に胸を打たれ、ついに私は白旗をげた。

 無理だわ。彼女に守ると言われて安心しない人はいない。

「……承知いたしました。ですが、あの、あまり」

「わかっているわ。あからさまに貴女にだけ話しかけたりはしないから安心して。それに、今後のことを相談するときは、ちゃんと放課後の人気のない場所でと約束するわ」

ままを申し上げてしまい、申し訳ございません」

「いいえ、私の方が我が儘だわ。ごめんなさいね。でも、恋愛小説にくわしい貴女の協力が必要なのよ」

 ……確かに恋愛小説には詳しいけれど、実のところ現実の恋愛事には詳しくないのよね。

 恋もしたことがないし。

 でも、尊敬するソフィー様にたよりにされたら、力になりたいと思ってしまう。

「……どのくらいお役に立てるかわかりませんが、せいいつぱいソフィー様を支えますので」

 平等に話しかけると言われているのだから、私だけが悪目立ちすることはないはず。

 そう前向きに考えて、私はソフィー様と共に学院を後にした。

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