第15話 市バス72系統「【急行】星が丘ニュータウン経由森山寺行き」


「誰かと……一緒だったの?」


 サナエちゃんの不思議そうな、不審そうな、そして少しだけ心配そうな表情のその質問は、僕に容赦なくクリティカルに刺さる。


 僕はひとまず聞こえなかったふりをして時間を稼ぐことにした。


「なんか食べる? それとももう行く?」

「ねえ、杉津君、誰かここにいたの?」


 あらためてサナエちゃんから追撃の質問が飛んできた。サナエちゃんは肩にかけていたかばんを降ろしてテーブル席に腰掛ける。これは、長期戦の構えだ。うぐっー、失敗だなあ。聞こえなかったふり作戦はもう使えない。心なしか、サナエちゃんの視線が尋問調になっている。


 どうする? 杉津一哉十七歳、これは今までの人生の中でもトップクラスの崖っぷちだ。


 落ち着け、カズヤ、落ち着いて考えるんだ。

 答えは二つしかない。イエスかノーか。


 ノーというのはストレートに嘘をつくことだ。しかも、すぐバレる嘘。テーブルの上に残る空箱を見れば、ポテトが二人分あったのは明白だし、しかも空箱も紙ナプキンが丁寧にたたんである。僕が一人で食べた、というにはあまりに不自然だった。サナエちゃんはそれを見て僕に聞いたのだろう。


 ではイエス、と答えるとどうなるか。それだと当然一緒にいたのは誰だったのか、を答えなければならない。さらにここで選択肢が追加される。ミハルと一緒だった、とホントのことを言うか、それとも適当な誰かと偶然会ったことにするか。

 とてもじゃないが、ミハルと一緒だった理由をサナエちゃんが納得できるように説明するなんて無理だ。僕自身よく分からないうちにミハルがここに来たのだから。


 となると……、イエスを選んでも、結局どこかで嘘つかなきゃいけないじゃないか。


 僕はげんなりした。こりゃ、『すぐバレる嘘』と『信じてもらえそうにない真実』のどっちを口にするかっていう話だ。どっちも言いにくい、究極の選択じゃねーか。万事窮す。


 えーい、もう、めんどくせー。たとえ信じてもらえなくても真実はひとつ。神様はいつだって真実を口にするものの味方、のはずだ!


 僕は覚悟を決めて口を開いた。


「いや、実はな……」


 サナエちゃんが息を呑んだ様子が見て取れた。


 すると、突然場違いなほど明るいオーケストラの音色が鳴り出した。軽騎兵序曲。サナエちゃんのスマホの呼び出し音だ。スマホの画面に視線を落としたサナエちゃんは、一瞬不審そうな顔をしてそこに表示された名前を確認し、「杉津君、ちょっとごめんね」と言ってスマホを右手の人差し指でフリックして、耳にあてる。


「もしもし?……うん、いっしょだけど? ……え? 池田君? いないよ? ……うん。……そうなんだ。あはは、それはだめだよね。……え?  いやだ、ユカちゃん、ちょっと、何言ってるのよ!」


 きれぎれに聞こえてくる会話の断片から、電話の相手はユカだと分かる。店内をぐるっと見渡すと、一番向こうの客席のさらに奥、トイレに行く通路の影に、うちの学校の制服の女子がスマホを耳にあてて話している。顔を伏せているが、あれはユカだ、間違いない。席に座っているサナエちゃんからはちょうど死角になっている。ユカはちらっとこっちを向くと、スマホを耳にあてたまますごい目で僕をにらんで、突き出した親指を下に向けた。


「やだー、ユカちゃん、そんなことしないよ。……でももしそうなったらって?  ……えへへへ。どうしよっかなあ。……やだぁ、やめてよ、もう。杉津君ここにいるんだから。……うん、分かった。杉津君に言っておくね。じゃあね」


 通話を終えたサナエちゃんの表情からはさっきまでの尋問ニュアンスは消えていた。代わりに少し上気した顔で僕を見上げる。


「あのね、ユカちゃんが、今日クラブ活動なのに池田君も杉津君も二人ともサボってるんだけど、知らないか、って。杉津君は一緒だけど、池田君はいないって言ったらね、『なんだカズヤ、サナエちゃんとデートだったんだー。それじゃしょうがないねー、ごゆっくりねー。多分ショーも一緒だったんだろうけど、遠慮したんだね。しかし私を差し置いてショーはどこ行ったんだ!』って言ってたよ」


 なるほど。ユカは僕の窮状を察して、とっさにショウタローを人身御供にサナエちゃんの気をそらせてくれたのか。助かった! 神様仏様女神様! すっかりサナエちゃんは僕と一緒にいたのはショウタローだと思ってる。ユカ、頼りになるぜ!

 そして、サナエちゃんは少し赤らめた顔を伏せて、もじもじしながら言いにくそうに話を続けた。


「それでね、杉津君。ユカちゃんね、制服のまま、そのー、……行っちゃダメだよ、って言ってた」


 おいこら、ユカ、変なとこってどこだよ! なに調子に乗ってサナエちゃん煽ってんだ!!


「わ、わたしも、その……、そういう準備とか、してないし、……でも、杉津君がどうしても行くって言うなら、しょうがないかなー、とか……」


 だあああ、サナエちゃん、その気になってんじゃねーよ!!  余計話がややこしくなってるじゃねーか!!


「じゃ、行こ?」


 サナエちゃんは赤い顔をしたまま僕の腕を取って、僕を引きずるようにしてマックを後にした。その動きは明らかに人目を避けている。恥ずかしそうに上気しながら、はた目にもはっきり分かるほどサナエちゃんははしゃいでいた。


「あのね、杉津君、さっきマックに入る前にね、ミハルちゃんによく似た人見かけたんだ。でもミハルちゃん、今日は委員会って言ってたから、きっと人違いだよね。ね、杉津君、早く行こ?」


 サナエちゃん、どこへ行くつもりなの? マジで。

 その時、僕の制服のポケットでスマホが震えた。見るとユカからのメッセージだ。


「こらあああ、カズヤ! 絶対手を出しちゃダメだからね! 嬉しそうに腕組むのも禁止!!」


 ムチャ言うなよ。おまえが煽ったんだろうが……。


 ◇


 その日、異常なハイテンションのサナエちゃんと一緒にCD屋とか雑貨屋とか本屋とかを回り、帰路についたのは7時を過ぎていた。

 僕たちは日ノ沢駅東口バスターミナルから72系統森山寺行きのバスに乗り込む。72系統は夕方のラッシュ時間帯に、青の38系統の代わりに星ヶ丘ニュータウンを右回りに突っ切って森山寺と言う新興住宅街まで走る系統だった。この系統の特徴は、ニュータウンの入り口まで急行運転をすることだ。日ノ沢駅東口を出ると、たぬき坂上までに、橋塚別れ、下美倉三丁目、梅谷町の3つしか停まらない。西高前も通過するから、普段の通学の際には乗れない系統だった。

 実は僕にとっては、この72系統に乗ることがちょっとした憧れみたいなもんで、たまに駅に来たりして乗る機会があると非日常的イベントの気分でテンションが爆上がりする。だって、いつも停まる停留所を通過するんだぜ?「次は下美倉三丁目まで止まりません」とかアナウンスが流れちゃうんだぜ? しかも今日の僕の隣には、つり革代わりに僕をつかみながらしなだれかかるサナエちゃんがいる。かなりハイレベルな非日常体験をしている気がする。


 あいにく72系統の車内は通勤客で満員だった。サナエちゃんは、僕の制服の袖をつり革がわりに一生懸命掴みながら、安心半分、落胆半分のものすごく複雑な表情を隠しもしない。それでいて気分よく饒舌に今日の出来事を話していた。


 ……女心、難しすぎるぜ、まったく。いや、サナエちゃんが難しいのか。もう知らねー。

 僕はサナエちゃんと一緒に下美倉三丁目のバス停でバスを降りた。バスを降りると冷たい風が頬を撫でる。


「あの、杉津君」


 家の門まであと少しのところで、いまだに僕の制服の袖をつかんで離さないサナエちゃんが上目遣いに僕を引き寄せながら囁いた。


「今日ね、とっても楽しかったね」

「そっか。そりゃよかった。また行こうな」


 軽い社交辞令のつもりで口にしてから僕はしまった、と気が付いた。相手はあのサナエちゃんだ。不用意な発言は避けなければ。しかし、もう遅かった。


「うん。私、今度は……ちゃんと準備してくるから……」


 サ、サ、サナエちゃん、な、何言ってんの? 頭の中そればっかなの? 元はと言えばユカの煽りが原因なのは分かっているけど、それにしても実はサナエちゃん、結構エロ系妄想女子なのかよ!

 これはこれで新鮮な驚きではあるが、今はそれどころじゃない。僕はサナエちゃんのセリフの意味に気が付かないフリをして曖昧に笑った。


 ところがサナエちゃんは驚くほど強い力で僕を正面に向かせると、濡れた瞳で熱っぽく囁いた。


「だから……、杉津君、今日は、……これでガマンして。ね?」


 サナエちゃんは目を伏せて、僕の腕を抱えたまま顔をそっと寄せてきた。

 息がかかるほど、近くまで……。


 ◇


「ただいまー」


 重い楔を打ち込まれた気分で、僕はマンションの玄関を開けた。


「カズ、遅い!」

 アヤネの怒号が聞こえる。いつものことだ。


「ああ、悪い。メシ今から作るから、ちょっと待って……」


 と言いかけて、フライパンで何かを炒める音と香ばしい匂いが鼻をくすぐった。これはいつものこと、ではない。まさか、アヤネが自分で何か料理しているのか?  と不思議に思って廊下からLDKに続くドアを抜ける。


「よお、女たらしヤローのカズヤ。今日は帰ってこないかと思ったよ。いひひひ」


 そこには制服にエプロン姿のユカがニヤリと笑いながらフライパンを菜箸でかき混ぜていた。


 制服に?

 エプロン姿の?

 ユカ???


「なんでユカがうちにいるんだよ!」

「カズヤがサナエちゃんにホントに手出しそうだったからねー。やっぱカズヤは監視してないと危なっかしいねー」


 ユカは菜箸を振りながら笑顔で暴言を放つ。何言ってんだ。ユカが変に煽ったからだろうが。

 初めて見るユカの料理姿は、随分サマになっていた。

 リビングのソファに腰掛けてテレビニュースを見ているアヤネが、鷹揚に首だけをこっちに向けて、ぞんざいにいきさつを説明し始める。


「日ノ沢駅でたまたまユカちゃんと会ってさ。話してると、カズがサナエちゃんと何やら危ないことになってるって話じゃん? それはちょっと聞き捨てならないから、うちに来てもらった。ついでに今日の晩ごはんも作ってくれるって言うからさ」


 いや、アヤネ、なにえらそーに座ってんだ。自分で作れって。せめて手伝えよ。普通通りすがりの女子高生にメシ作らせねーだろ。


「どうやって二人で帰って来たんだよ。バス乗ったのか?」

「ん? タクシー。バイクは駅に置いてきた。どうせ明日は天気悪いらしいからねー」

「で、カズヤは晩ごはん食べてきたの? サナエちゃんと」

「食ってない」


 ぶっちゃけ腹は減っている。


「ちょうどいいね。三人前作ってるから食べよっか」


 そう言いながらユカは炒めた野菜をフライパンから皿によけて、油を引き直して麺を入れ、差し水して蓋をした。おお、ユカは焼きそばは麺と野菜を別々に炒めて差し水するのか。僕は差し水しない派で一緒に炒める派だ。一分ほどで蓋を開け、手慣れた様子で野菜と別盛してたキャベツを入れる。粉ソースをぶちまけて、手早く菜箸でかき混ぜて全体が茶色になったら出来上がり。焦げたソースの匂いが食欲をそそる。

 なんか料理手順がうちと随分違うなあ、と思わず見とれてしまった。とりあえず、棚からフリーズドライの野菜卵スープ三袋とお椀を出した。お湯を注ぐだけ。手軽でいいもんだ。ユカはできた焼きそばをフライパンから皿に盛り付けて、エプロンを外した。


「アヤネさん、できましたー」

「ご苦労さま。いただきましょうか」

「ご苦労さまじゃねーだろ、アヤネ! なんで作ってもらってえらそーにしてんだ!」


 ◇


 ダイニングテーブルで焼きそばをつつきながら、ユカの説教が始まった。


「だいたいさ、カズヤがミハちゃんと一緒にマック行ったのが間違いなのよ。なんでそこで用事があるとか言って断んないかなあ」

「知らねーよ。ミハルが一緒に付いてきたんだ」

「もうね、私、ヒヤヒヤだったんだから。あんなのサナエちゃんが見たらどんな反応するか予想付かないわよ」


 アヤネとユカは勢いよく焼きそばを頬張っていた。僕はミハルとポテトを食べて、その後サナエちゃんともギョーザドッグを買い食いしていた。だから、そこまでがっついてはいないが、ユカの作った焼きそばは僕やミハルが作るのとは違う味がして、控えめに言ってめっちゃおいしい。


「ユカちゃんの焼きそばはキャベツがシャキッとしてるのがいいわね。バカカズが作るともっとしなってるんだよ」

「面倒だけど、にんじん玉ねぎとかと麺とキャベツ、三回に分けて炒めるんです。あと麺は電子レンジで最初にチンしちゃうといいですよ」


 僕の作る焼きそばは、むきえびとかほうれん草とかホタテとか水の出やすい具が多い。それを麺と一緒に炒めるからどうしてもキャベツの腰がなくなってしまう。ミハルも同じはずだ。


「ユカ、アヤネに作り方説明しても無駄だぜ。アヤネが自分で作るわけがない」

「まあね。カズ、ユカちゃんに作り方よく聞いといてね。今度から焼きそばはユカちゃん風で作ってよね。あ、ユカちゃんが作りに来てくれてもいいよ」

「アヤネ、どんだけ偉そうなんだ、いい加減にしとけ」

「いい加減にするのはカズ、あんただから。サナエちゃんとどこ行って何してたの。正直に言いなさい」

「そうだよ、カズヤ。あんだけ手は出すなって言っといたのに、なにデレデレしちゃってるの」


 ユカは駅からうちに来るまでの間に、今日の出来事をだいたいアヤネに話したらしい。アヤネの執拗かつ巧妙な誘導尋問にひっかかったのだろう。アヤネはそういう情報を聞き出すのが異常に上手い。これはユカを責められない。


 しかし、ユカもアヤネも知らない話が二つある。一つは、マックで交わしたミハルと僕の会話、もう一つは帰り際のサナエちゃんの家の前での出来事だ。どちらも話しづらい内容だし、アヤネに聞かせる気はない。ただユカには言っておかないといけないだろう。


「ユカ、明日の放課後空いてる?  これまでの展開を踏まえて、やっておきたいんだ。作戦会議、をね」



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