31 Day 4

 どうすればいいんだ、どうすれば?

 軽自動車の中で、彼は自問していた。車の持ち主――笹部恭介は家族を連れて首都圏からの脱出を計画していた。人を食う化け物、ゾンビから逃れるため、家族を守るための脱出口は早くも頓挫していた。

 関越自動車道に乗り、新潟へ逃れ、そして更に海を越えて遠い場所へ向かう。そこさえ辿りつければ大丈夫だろう、という考えは脆くも崩れ去っていた。高速道路は同じように首都圏脱出を試みる車で埋まっていた。史上かつてない長さの渋滞、それに捕らわれた一家は、動かない渋滞の中、車に閉じ込められていた。同じような状況になった車は数多くあった。

 もはや、道路と言うよりも車の墓場だ、と笹部は心の中で毒づいていた。実際に、車を放棄して徒歩で逃げていく人たちを大勢目撃していた。それと同時に、血だらけの車――車内でゾンビになり、食い殺された同乗者とゾンビを乗せたままの――も至る所に放置されていた。東京方面へ向かう反対車線に何とか移動し、そこから逆走して新潟方面へ逃げようとしていた車もいたが、中央分離帯に阻まれているため失敗し、擱坐している車も見ていた。

 笹部にとっては決断の時であった。このまま車内に閉じこもり助けを待つか、それとも逃亡の望みをかけて歩いて逃げるか。後部座席に座り、恐怖におびえている妻と小学生の娘を見ながら、笹部はついに決断した。


「荷物をまとめよう、車を捨てて逃げるぞ」

 妻にそう促す。助手席、トランクなどには家から持ち出してきた生活必需品や食料、衣類がたんまりとあったが、持ち運べる物や優先度が高いものだけを持っていく事になった。

 旅行用のバッグに荷物を急いで詰め込むと、笹部と妻子は意を決して車外へと出た。秋のひんやりとした外気が肌を刺した。車を放棄する事で、後続の車両からクラクションを鳴らされるかと思っていたが、後ろの車両の人間は無表情のままだった。

「早く行くぞ」

 妻子を急がせ、足早に笹部は前へと進んでいった。彼らを見て、周囲の車にいた人々もドアを開けて急いで外へと出て行く。ぞろぞろと、車と車の間に出て行く人や、遠くの景色を眺めながら、改めて笹部は事態のひどさを思い知らされていた。

 彼がいるのは埼玉と群馬の県境付近で、車道の周囲には広大な関東平野と遠くの山々、そして広い畑と住宅地が広がっていた。しかし、休耕中の畑にはぽつぽつとゾンビらしき人影が徘徊しており、住宅地の至る所で火災が発生し黒煙を上げている。

「なんだこりゃ……」

 呆気に取られるが、妻の「急ぎましょう」の一言に我を取り戻し、笹部は急ぎ歩き続けていた。


 だが、徒歩での逃避行もそう長くは続かなかった。数十分後、彼の前方から悲鳴が響き渡った。何事かと足を止めて目を細めると、逆方向に走って逃げていく人たちが見えた。

「どうした、何があったんだ!?」

 必死の形相で逃げ出していく人々に問いかけるが、答えは返ってこない。誰かが、半狂乱になりながら「奴らだ!」「逃げろ!」と叫んでいた。笹部は何が起きているかようやく気がついた。思わず息を呑んだ。車両と車両の隙間を縫うように、ゾンビたちが姿を現していた。それも数体程度ではなかった。数十体、いや、百体ほどはいるようだった。

「急げ、逃げるんだ!」

 妻と子を急かしながら、笹部は急いで踵を返した。ここにいても死ぬだけだった。だが、逃げ場所は無かった。後ろ――東京方面から続く道に戻っても安全な場所は無い。前はゾンビの大群がいる。反対車線も出てみたが、結果は同じで向こうからやってくるゾンビの群れは変わらなかった。むしろ、車に阻まれていない分、動きが早くなっているほどだった。

「あなた、どうするの!?」

 妻の言葉と、泣きじゃくる娘を見ながら笹部はあたりを見回した。

 土手の上の車道の向こうには、畑と住宅地が広がっていた。建物がある分、そこへ逃げ込んだ方が安全だろう――そう判断を下した。

「あそこへ逃げるんだ!」

 笹部は指差す方向――高速道路の柵の向こうへ急いだ。同じように、車を乗り捨てた人々がガードレールやフェンスを超え、土手を下って逃げ回っていた。一家は荷物も捨て、身軽になりつつも必死に逃げ回った。

 畑にはゾンビたちが何体かいたが、それでも高速道路上よりはマシだった。枯木や落ち葉を踏み、土手を転がり落ちるように下り、フェンスをよじ登って、高速道路から離れるように逃げ続ける。

 娘が転倒し、悲鳴を上げる。笹部は急いで娘を抱きかかえると、妻の手を引いて畑を走り続けた。でこぼこな地面に足を取られそうになりながらも、逃げ込む事が出来そうな手近な民家を探す。

 すでに、逃げていた他の人々が民家の玄関にたどり着き、扉を叩いていた。「開けてくれ」「助けてくれ」「避難させてくれ」と口々に叫んでいるが、扉が開く気配はなかった。中には、無理に窓を破って家に入る人々もいた。


 笹部も、ようやく畑を渡りきって一軒の民家にたどり着いた。玄関口に立ち、扉を叩きながら必死に懇願する。

「誰か、誰か助けてください!中にいれて下さい!」

 大声を上げるが、反応はない。

「お願いです!妻と、妻と子供がいるんです!」

 必死になりながら扉を叩く。すでに、笹部の後ろには彼らを追ってよろよろと迫り来るゾンビが何体かいた。これまでか、そう思った矢先に扉の鍵がかかってない事に笹部は気がついた。

 意を決して、笹部は扉を開いた。

 ――助かった。そう安堵した笹部は、次の瞬間に扉の向こうから現れた血まみれの老人と、あんぐりと開かれた口を目撃した。

 反応する間もなく、笹部の体はだらりと伸ばされた両手につかまれ、引き寄せられた。首筋に、歯が食い込んだ。妻の悲鳴が上がる。絶望と痛みに目を見開きながら、首筋の肉を噛み千切られ、血があふれ出した。薄れ行く意識の中、視界の端に娘を抱えて逃げていく妻の姿が映った。

 せめて、2人だけは助かりますように。そう感じながらも、笹部は身体をゾンビに貪られながら、息絶えた。

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