21 Day 3

 水平線と朝焼けを眺めながら、とある商社に勤めるサラリーマンの今井は深い溜息を吐いた。


 神奈川と千葉県を繋ぐ東京湾アクアライン、その中間に位置する海ほたるパーキングエリアは大量の人と車で溢れ返っていた。首都圏からの脱出を目論む多くの市民たちによって引き起こされた終わりの無い渋滞にはまってしまった今井は、何とかしてこのパーキングエリアに入り込んでつかの間の休息を得ていた。

 今年で34になる彼は、妻と小学生の娘の2人を連れていた。一家揃って、あのゾンビ騒ぎのあった首都圏から脱出する事を考えていたのだ。会社からの出勤命令を無視した逃避行は途中までは順調だったが、この海ほたるで止まってしまった。お陰で車中泊をする羽目になってしまい、さらに不運な事に渋滞はまだ続いていた。


 車から外に出て、あたりを見回してみると、どこも同じようだった。家族、夫婦、恋人といった人たちが不安の中で肩を寄せ合いながら朝日を迎えている。人々の姿は着の身着のままの人もいれば、まるでどこかへキャンプへ出かけるかのように整えられている人もいる。車も、セダンや4WDから、ワゴン車、軽自動車、軽トラック、果ては引越し用の運送トラックまで見受けられていた。


 太平洋の潮風が当たる屋上の駐車場から、今井は対岸を見渡していた。晴れていてよく見える都会からは、何本もの黒煙の筋が立ち上っている。上空を忙しなく飛び交っているヘリコプターも見えたし、何より東京湾上に数え切れないほどの船が浮かんでいるのも目にした。

 ――なるほど、海路か。

 今井は納得すると同時に、羨望を感じた。陸路での避難を行った彼にとって、今の状態は地獄と言ってもよかった。あの海の上の船に、妻子と共に居たのならばどれだけ幸運な事だっただろうか。


 それと同時、今井は木更津の方面を見た。相変わらずの渋滞であったが、様子が変だった。

「ありゃ何だ……?」

 思わず声が出ていた。橋の上、埋め尽くされた車が何台も炎上していた。炎と黒煙が橋の上を覆いつくしているが、もう誰も悲鳴も怒号も上げていない。周りの人々も、その光景をただ呆然と眺めていた。

「何が起きてるんだ?」

「タンクローリーが燃えてんだよ、どっかのアホがガソリンを奪おうとバカをやらかしたんだ」

 今井の言葉に答えるかのように、隣の車で、カーラジオでニュースを聞いていた中年男性――中学生くらいの子供と妻を連れた――が答えた。

「消防は機能してねえし、ここにいる警官だけじゃどうする事も出来ん。海ほたるに閉じ込められたんだ」

 中年男性は溜息を吐いた。今井は動揺しながらも、まだ寝ている妻子を起こそうとした。しかし、中年男性はそれを制止させた。

「いや、今は寝かせておけ。あれを見せなくて済む」

「あれって?」

 男性はある方向を指差す、その先には一台の車が止まっていた。2人の警察官がブルーシートを被せようとしている。がたんと時折揺れるその車内には、シートベルトで繋がれたゾンビの女と、運転席に座る首が千切れかかった男の死体があった。

 ぎょっとした今井だったが、その車はすぐにブルーシートで覆い隠された。

「安心しろよ、ゾンビだから車のドアは開けられない。シートベルトで繋がれてる合間は安心だ」

「くそっ!」

 今井は思わず悪態を付いた。そこら中ゾンビだらけではないのか?もしや、自分の選択は間違ってしまったのではないか?後悔と恐怖で不安になる今井だったが、当の男性は笑っていた。

「落ち着けよ、悪い事ばかりじゃないさ」

「良いニュースでもあるのか?」

 男性は海を指差した。

「海上保安庁と自衛隊――それにアメリカ軍も、続々と東京湾に入ってきてる。警官の話じゃ、自衛隊がここに取り残されてる連中を救出するそうだ、あと2時間後に」

 今井は、ほっと一息吐いたが、男性は車の中から何かを取り出した。それは金属バットだった、所々に血がついているそれを見て、今井はぎょっとした。

「それから悪いニュースもあるぞ、川崎方面からゾンビどもの群れが来てる。ここにいる警官じゃ弾も人も足りないそうだ……武器は持ってるか?」

 今井は首を左右に振った。男性は車から頑丈そうなバールを取り出すと、車から降りた。不安な顔を浮かべる妻と子供に、大丈夫だ、と言い聞かせる。

「戦う準備をしとけ、助けが来るまで時間を稼ぐの俺たちの仕事だ」

 そういって、バールを今井に手渡した。すでに彼の周りには、警官らと共にハンマーや棒切れ、鉄パイプなどで武装した男たちが集まり始め、作戦を立て始めていた。

「男を見せる時だぞ、やるか?」

 その問いに、今井は覚悟を決めると、力強く頷いた。

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