6


「奥に行こう」と、ギーはおだやかに言った。


 カウンターから離れ、一番奥のボックス席にすわると、店主は何も言わずに極力薄めにいれたコーヒーを二杯もってきた。


 ギーは遠慮なく口をつけた。


 もう、喧嘩をすることはなかった。

 セブンスは静かで、朝靄のように柔らかくてぼんやりした空気が漂っている。

 一年前はまだギーも本気だったかもしれない。

 でも最近は声色に諦めの感情が含まれていることが多かった。

 それがここの住人のコミュニケーションなのだと、段々わかってきたのだ。

 それと、住民たちがギーをなかなか認めようとしないのは、新入りに染みついている外の世界の空気のせいだということも。


「おはよう、ギー」

「おはよう、相棒」

「さっきは余計なことを言ってしまったよね」

「いいんだよ、ミモリ」


 僕は声をひそめた。


「みんな、きみがうらやましいんだ」

「いいジョークだ」


 ジョークではないけれど、ギーが笑ってくれたので少しだけほっとした。

 彼がミルドタウンを離れれば、僕は寂しい。


「さっそくだけど、きみに相談したいことがあるんだ、いろいろと。人手が必要そうなんだ、落書きを消したり……」


 言いかけると、ギーは申し訳なさそうな顔をした。


「そのつもりだったなら本当に悪い。今日は先約があるんだ、夜に話を聞くよ」


 うながされて窓の外に目をやった。

 革製のジャンパーを着た大柄な男が、通りのむこうに立って煙草をふかしていた。そばに控えめな大きさのトラックが停まってる。


「……仕方がないね」

「本当に、話を聞くよ、ミモリ」

「ああ、うん……」

「だから、その話は取っておいてくれ」


 青色のブルゾンの両ポケットに手を突っ込み、彼が大男と行ってしまうと、客たちは納得できない、という表情をそれぞれの顔に浮かべた。






 コーヒーを飲んでから、店の外に出た。

 ギーが知らない奴と行ってしまって、十分くらい経った頃あいだ。

 トラックが停まっていたあたりに煙草の吸殻が落ちていた。


 タバコなんて何がいいんだろう。

 体に悪いし、汚した空気を吸ってるだけだ。

 煙が吸いたいなら、落ち葉でも集めて火をつければいいのに。


 いつまでも未練がましくそれを眺めていると、近くでクラクションが鳴った。

 ふり返るとそこに、赤いランプをくっつけた保安官事務所の車があった。

 ずいぶんぼうっとしていたのか、車がもともとそこにいたことにも気がつかなかったか、どちらかだ。


 これは、散歩中に轢かれる日も近いな。


 おっとりとした窓がやや勿体つけながら開いて、保安官のバルガドが片手を大きく上げて合図をしてくる。


「ふられたのかい」と、大きな声で言う。


 あまり大きな声でそういうことを言わないでほしい、と思う。

 そういうことがなんなのか、自分でもよくわからないけれど。


「残念ながら……」

「ギーを連れてったあいつは西ブロックのチンピラだ。付き合うにはあまりよろしくない手合いだな。まあ、心配はない。あいつもチンピラのようなものだしな」

「心配なんかはしていないけれど」


 もちろんがっかりはしたけれど、僕が探偵であるようにギーにも仕事がある。

 彼は正式な仕事の斡旋は受けずに、何でも屋のようなことをしていた。

 掃除とか、重いものを運ぶとか、機械を修理するとか、そんなことだ。


「保安官、病院で火事があったって聞きました」


 話題をかえると、バルはめずらしく疲れた表情を浮かべた。


「誰からきいた?」

「ニュースで」

「ああ、もう報道されたのか。昨日は消火活動の手伝い、今日の午後からは関係者に話を聞きにいかなくちゃならん。おまけに西ブロックで死体が見つかったから、めずらしく大忙しだよ」

「死体? 物騒ですね」

「気になるなら保安官事務所にいってくれ。リドが相手をする。お前さんが来るかもしれないって朝から戦々恐々としていた」

「もしかして嫌われているのかな」

「うーん……どうだろうな。誰にも来てほしくないんじゃないかと思うよ」


 バルガドは悪戯っぽく笑っている。


「ちょうど寄って行こうと思っていたところです。ギーに断られたから……」

「病院に行きなよ、ミモリ」


 バルはそう、釘をさした。

 ケントルム病院の近くにいるからだろう。


「今日は日記帳を持ってきていないから、きっと怒られるだろうな」


 家を出るときに、迷ったんだ。でも持って出なかった。

 なぜなら、僕のポケットはハーブキャンディと届いた紙切れのことでいっぱいだったからだ。

 少し居心地の悪さを感じたが、そういうことにしておこう……。


 これから病院に行くというバルと別れ、僕は保安官事務所のほうへと足を向けた。

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