第13話 もう、無理

 先日の芽生さんの卒業セレモニーにおける演出について一部のファンの間では疑問や不満の声があがっているらしく、それらの声は私たちメンバーの耳にも少なからず入ってくるようになっていた。


 何のことかは言われなくてもわかる。


 それは私が思った通り、最後に芽生さんが一人ずつ声を掛けていった場面での、メンバーの呼ばれた順番が腑に落ちないということだった。


 そしてその大半は、グループ結成から苦楽を共にした一期生でもなければ、一説には芽生さんが卒業する原因を作った張本人とも言われている私が、終わりから二番目という大事な位置で呼ばれるのはおかしいという論調のようだ。


 当事者である私だって驚いたのだから、ファンの方々が違和感を持つのも当然だろう。その矛先が私である分には仕方がない。


 ところが次第に、話はその順番を決めたのは誰だという犯人探しにまで発展し、運営の人間のせいだというお決まりの運営批判とともに、キャプテンの藍子さんが悪いんじゃないかというような憶測や、しまいには主役であった芽生さんの責任だという暴論まで出てきていた。


 さらに残念なことに、そんな声に同調するような形で一部のメンバーから藍子さんを批判する意見が出ているということを、私は人づてに聞かされることとなった。


 柏木さんや芽生さんからセレモニーの内容について相談を受けていた藍子さんは事前に演出の中身を知っていたのだから、その気になれば変更を促すこともできたはずだというのが、そのメンバーたちの主張らしい。


 私に言わせれば、それはお角違いもいいところだ。責めるなら私であるべきだろう。少なくとも藍子さんや芽生さんが悪く言われる筋合いはどこにも無い。


 胸のなかにモヤモヤするものを抱えていた私は、ある日の仕事終わりに藍子さんが一人でいるところを狙って思いきって声を掛けてみた。


「藍子さん、今、ちょっとお話しできますか?」


「今?平気だけど、どうしたの。何かあった?」


 私から話し掛けるのが稀なことだからか、藍子さんは少し驚いた顔をしていた。


「あの・・・。私のせいで、すみません。藍子さんにも芽生さんにもご迷惑をお掛けして・・・」


 藍子さんはすぐに何の話か察し、微笑みながら答える。


「そんなの、奏が気にすることじゃないでしょ。ファンのなかにも色々な人がいるから、いちいち気にしていたらこっちの身がもたなくなるよ。それにこんなの、初期の頃に色々言われていたのに比べれば可愛いものだし」


 藍子さんたち一期生のくぐってきた修羅場はこんな生易しいものではない、ということだろう。それは当時、一人の麹町ファンであった私にもよくわかってはいる。


「でも藍子さんはそういう色んな声をちゃんと聞いて、私の芽生さんへのメッセージの件とか、色々と配慮してくださっていたのに。ファンの方はともかく、身内であるメンバーから悪く言われるのは納得できないです」


 藍子さんはそれでも穏やかな表情を崩さない。


「一期生、もしかしたら二期生もいるかもしれないけど、私に不満をぶつけて気が済むならそれでいいと思ってるんだ。私がそれを言っている子たちに、何もしてあげられていないのは事実だし。それに誰かが決めたキャプテンってだけで偉そうにされて、いつも光の当たる場所に立たせてもらっていて、自分が陽陰にいる立場なら文句の一つも言いたくなるでしょ?」


 偉そうにされたことなんか一度もないし、藍子さんがキャプテンだから選抜に入っていると思う人なんて、メンバーにもファンにも、一人もいるわけがないことを少なくとも私は確信している。


 そのことを本人に訴えるのも何か違う気がした私は、しばらく黙ってしまった。


「芽生も、そのくらいの批判が出ることは覚悟したうえでの判断だったと思うよ。もちろん私も同じだし。それはそうでしょう。グループの結成当初から芽生と一緒に頑張ってきた一期生からしたら面白くないだろうし、二期生でも奏が一人だけ特別扱いされているのを見るのは気分が悪い子も居ただろうし」


 私は、あらためてその時の自分が格別な計らいを受けていたことを実感した。


「すみません・・・」


 藍子さんが少し真面目な顔になった。


「ほら、謝らない。それにあなたのためっていうだけじゃなくて、あれは芽生のため、私のためでもあったんだから」


 私はすぐに合点がいかず、藍子さんの顔をジッと見続けていた。


「芽生は自分がああすることで、奏に対してある意味での後ろめたさを感じずに卒業できただろうし、私は芽生のその考えを尊重することが二人に対して誠実だって、自分でそう思ったからそうしただけ」


 私は二人の大人な考え方を知り、自分がどんどんちっぽけに思えてきた。


「後からこういうゴタゴタがあるであろうことは想像しつつ、それでもそうしたかったからそうしたの。誰に何を言われても、それ以上でもそれ以下でもないから」


 藍子さんが再び笑顔になって私の頭をポンポンと軽く二度叩いた。


「そういうことだから、この件はおしまい。奏も、もう気にしないで芽生のためにも一緒に頑張ろう」


 藍子さんにそう言われた私は、その日は黙って帰ったものの、やはり自分の胸のつかえを取り去ることは出来なかった。


 それは芽生さんのことも、藍子さんのことも。


 この世界では、私が正しいと思うことは正しくなく、私が間違えていると思うことが当たり前のように起こる。そんなことの連続だ。そんなところで成功することが本当に私の夢だったのだろうか。


 この日、私はしばらく眠りにつくことができず、ずっと天井を見ながら同じことを考え続けていた。


 そして翌日のレッスンが終わった後、私は意を決して柏木さんを訪ねた。


「お疲れさま。どうした?」


 私から柏木さんや他のマネージャーを含めた運営の方々を訪ねるのは珍しいため、少し戸惑っているようにも見えた。


 私は会議室に場所を移してもらい、真剣な眼差しで柏木さんに告げた。


「私、今の状況には感謝しています。有難いと思っていますし、ファンの方々が喜んでくれるのも嬉しいです。アンダーで活動していた頃は何度も心が折れそうになったし、もうやめようって同期の子と話したことも何度もありました」


 早口で話す私に少し柏木さんは驚いたようで、座り直して姿勢を正した。ただならぬ気配を察したのだろう。


「それでも、選抜に入って、色々なお仕事をさせていただくようになれば、きっと変わる、楽しめるようになるって思って今まで頑張ってきました。だけど・・・」


 柏木さんは私がどういう話をしたいのか理解した様子で、何か口を挟もうとしたのはわかったが、それを遮るように私は続けた。


「選抜に入ってテレビとかイベントとか、雑誌とかの仕事をたくさんさせてもらえるようになったら、楽しくなるどころか気持ち的にはもっと辛くなってしまって・・・。正直、これ以上は頑張れそうにないです。次のシングルで自分がどういうポジションになるのかわかりませんが、私・・・」


 あえて溜めたわけではないのだが、さすがに次の一言をそのまま一息で言うことはできなかった。それでも、この時の私は次の言葉を続けることに躊躇いはなかった。


「私、卒業しようと思ってます」


 最後まで言い切った私は、その重い発言をするために上げていたテンションをすぐには下げきれず、少し湯気が立っているような状態だった。


 柏木さんは返す言葉を間違えてはいけないと思ったのか、普段の彼からは考えられないくらいに反応が鈍く、口を開こうとはしているようだったがすぐには言葉が出てこない様子だ。


 少しの間、会議室は静寂に包まれた。

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