幼き頃からのストーカー
「……やっぱり、誰かに見られてる気がする」
うちの残念な妹は、自意識過剰モードが絶賛継続中らしい。バイトから帰ってきてすぐに、そんなことをのたまい始めた。
だが、無碍(むげ)にもできないので、貴重な時間を少し割いて、尋問にチャレンジ。
「……この前からか? ずっと?」
「ん。学校でも、バイト帰りでも」
「気のせい、ってことはないのか」
「んー、違和感バリバリなの。そういうのなんとなくわかるし」
「…………うーむ」
残念な視線に慣れているこいつが言うのだ。ひょっとするとストーカーかもしれない。しかも、学校でも見られてるということは……うちの高校の生徒がずっと見ているのか、あるいは……
「ちょっと用心しなきゃ」
「心当たりはないのか?」
「なんとなくあるといえばあるけど……」
「具体的には?」
「うーん、バイト先で一緒にバイトしてる人や、お客さんにかるーく誘われたりして、きつーく断ったこととか」
「…………初耳だぞ」
「言うほどのことじゃないし。あと、よくわからないけど学校でかるーく勧誘を受けたこととか」
「勧誘?」
「ん。演劇部と、生徒会」
「演劇部はともかく……生徒会? なんでまた?」
「さあ? どっちみちそんな暇ないから、雑にお断りしました」
丁重じゃないのか。それで逆恨みは……ないな、今さらだ。
……いや、問題はそっちじゃない。バイト先でナンパだと? 危惧していたことが現実になったわけだが。――うん、兄として心配しすぎなのはわかっている。
「……まあ、命には気をつけろ」
「はーい、貞操には気をつけるよ」
「そっちじゃねえよ! いや、そっちも大事だけど、確かに」
「でしょ? 兄貴には特に」
「……どういう意味だ」
「んふふ。受験が終わったら、『がんばったご褒美はわ・た・し』なんてのを」
「いらねえ」
「即答!?」
「妹にやってもらって喜ぶ兄がどれだけいるんだ、それ」
「えー……そんなはずは……」
妹はアテが外れたようなわけのわからない嘆き方をしてきた。ほんとにこいつは、人が心配してるのにつけあがりやがって。
「じゃ、じゃあさ、兄貴はわたしに何かしてほしいことはない?」
「受験をじゃましないこと」
「……………………はい、ごめんなさい」
おお、久しぶりにこいつに勝った。――勝ったというより、至極当たり前なことを要求しただけなんだが。俺は受験追い込み真っ只中なんだぞ。
「まあ、腹減ったし、そろそろ晩飯にしようぜ」
おふくろは、仕事からまだ帰ってこない。遅番のときは、二人で先に食べることのほうが多い。話題転換もかねて提案してみる。
「そだねー。準備するよ」
「……バイトで疲れてるところ、すまないな」
これに関しては本心だ。――いや、俺が準備しようとすると、『いいから兄貴は勉強以外によけいな気を使わない!』と怒られるので、何もしなくなっただけなんだけど。
「気にしないでいいよ! 今日はささっと作れちゃうから!」
妹は冷蔵庫からうどんを二人分出してきて、鍋に水を張った。
「お、今日は讃岐(さぬき)うどんか」
「残念! 讃岐(さぬき)うどんじゃなく、手抜きうどんでしたー」
「………………おい」
出来上がったうどんは、薬味のネギが少し乗っているだけであった。せめて揚げ玉くらい乗せて、『たぬきうどん』にしようぜ……
感謝の気持ちが二割ほど減ったけど、胃に重くなく、勉強の邪魔にならない程度の満腹感。こいつなりにいろいろ考えてくれている…………と、思いたい。
―・―・―・―・―・―・―
午後十時。やっとおふくろが帰ってきた。本当にお疲れさまである。
俺は、あとは風呂に入って寝るだけなんだが、化学の問題集をやっているとつまづいた部分が出てきた。
もう少しやっておきたいので、頭をしゃっきりさせるためにコーヒーでも飲もうかと思い、リビングに来てみたら……コーヒーが空っぽだ。
「マジかよ……仕方ない、コンビニまで買いに行くか」
黒のダウンジャケットをラフに羽織ってコンビニまで行こうとすると、妹が風呂の準備をして階段を降りてきた。
「あれ? 兄貴、どこ行くの?」
「ん、シルバーブレンドコーヒーが切れてたから、コンビニ行って買ってくるわ」
俺はそう答えて靴を履いたのだが、妹が風呂後に着る予定らしい着替えを浴室前に放り投げて、慌てて駆け寄ってきた。
「兄貴、わたしも行くよ! ちょっと待ってて」
「……あん?」
妹はそう言うやいなや、上に羽織るコートでも取りに行ったのだろうか、バタバタと階段を駆け足で上がっていった。
……着替えの下着が散乱してるぞ、こら。
「お待たせ! さー、いこー! レッツゴーコンビニ!」
「………………」
夜なのになぜかハイテンションな妹と並んで玄関を出る。妹は赤いピーコートを着ており、目に優しくない。
「おまえ、コンビニになんか用事あったのか?」
「ん。夜食のペ〇ングが切れてたから、買いたかったんだけど……ほら、ね」
「……ああ」
ストーカーのことがあるから、夜一人で出歩くのが憚(はばか)られる、ということだろうか。
「コンビニまでなら危険は少ないだろうが……おまえにしてはいい判断だ」
「でしょ? 兄貴と一緒なら安心」
そう言いながら隣を歩いている妹が、すり寄ってきた。ストーカーに見せつけてるつもりなんだろうか……
「まあ、これだけ寒いなら、ストーカーも帰宅してるだろ」
「そうかな? ここにもストーカーがいるよ」
「どこだ」
「隣」
「最近のストーカーは、隣を歩くのか……」
「生まれてからずっとストーカーをしてきて、やっと最近並んで歩けるようになりましたっ!」
「あっそ」
そこで胸を張るなよ。偉そうに言うことじゃないだろ。
腰に両手をあてながらドヤ顔で立ち止まる妹をほっといて、俺はひとりで先に歩いていく。
「ちょ、ちょっと、なにも言うことはないの?」
「おまえがなにを言ってほしいのか、さっぱりわからない。いいから先行くぞ」
「むー……いっつもそうやって先に行っちゃうから、小さい頃から必死であとを追っかけてきたのに……」
小走りで後ろをついてくる妹は、そう言ってむくれた。
「まだ追いつかれたくはないな」
俺は、苦笑いまじりで牽制する。兄としてのプライドとでもいうのだろうか。一応、二年分くらいは先に行っていないとならないわけで。
実際はそんなに差は開いてないのだろうとは思うのだが、こいつは二年の差に結構配慮してるのだろう――と、思える答えを返してくる妹。
「追いつくまでずっと、後ろから同じ道を歩いていくから、いいよ」
「ずっとかよ」
「うん。ストーカー妹だもん」
「おまえにはおまえの道があるだろうに」
「それは追いついてから考えるのだ!」
思わず吹き出しそうになるのをこらえる。お気楽極楽にもほどがある――と、言いたいところだが、俺はその時ふと、つまらないことを考えてしまった。
子供で許されるうちは、兄妹で同じ道を歩んでこれたけども。
お互い大人になって、追いつかれたときは……俺たちはどうなるんだろう。こいつにあっさり抜かされるか、お互い別の道に分岐するのか、あるいは……
「すぐ追いつかれるだろ、たぶん」
そんな考えを振り払うかのように、自分に言い聞かせるつもりでそうつぶやくと、バッチリ妹の耳にも聞こえてしまったようだ。
「そしたら一緒に進もうよ、同じ道を」
「……同じ道?」
「そ。お兄ちゃんの進むべき道は、わたしの進むべき道でもあるから」
そう言った直後に、妹がまた隣に並んで身を寄せてきた。長い黒髪がはねて俺の肩に当たるのを、俺はなにも言わず眺める。
子供以上、大人未満な道。並んでコンビニまでたどり着いた瞬間に俺が想像した未来は――――幸せと言えるのだろうか。
センター試験まで、あと1ヶ月だ……
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