妹と腹痛
「おにゃか、いたい」
十一月に突入して最初の休日の朝。妹がそう言って朝からおなかをおさえていた。デリケートな問題かもしれないと思い、俺はつい無難な言葉を選ぶ。
「大丈夫か? 無理しないで、休めばいいんじゃないか?」
「……きのうのイチゴ大福がいけなかったんだ、きっと……」
全然、デリケートじゃなかった。
「出すもの、出してきます……」
バタン。
妹がそう言って個室に引きこもった。……たぶん、リビングにあった消費期限切れのイチゴ大福のことだよな。オヤジの供物だったやつだが、日付三日ほど過ぎていたはず……チャレンジャーめ。
仕方ないので、妹のために腹痛の薬を探してやろう……と思って薬箱をまさぐると、セーロガンの瓶が空っぽであった。
ジャー、ゴボゴボゴボ。
「ううう……水分がお尻から出てくるよ……」
「おい」
個室から出てきた妹が嘆いている。が、あまり生々しい実況は勘弁してもらいたいものだ。
「ねー兄貴、薬はない?」
「今見たんだが、セーロガンが空っぽだったな」
「えー…………」
絶望に包まれたような悲壮な表情をする妹を見て、俺はドラッグストアまで買い物に行くことを決意した。
「じゃ、ちょっと買ってきてやるから待ってろ」
決意の後に、ウインドブレーカーを羽織って出かける準備をし、玄関先へ向かうと……なぜか妹が靴を履いて待っていた。しかもいつの間にか着替えてやがる。
「わたしも行くよ。薬買いたいものあるし」
「……おなか、平気なのか?」
「出すものは出したから、たぶん」
「……漏らすなよ」
グーで殴られた。
―・―・―・―・―・―・―
「揃って買い物するのも、久しぶりだよね」
ドラッグストアまでの道中、妹が話しかけてくる。確かにいろいろとあったから、こんな余裕は最近なかった。
「……そうだな。必要に迫られないと、こんな機会はないだろうし」
「ん。ふんふふーん♪」
鼻歌を歌いつつ歩く妹は、なんとなく嬉しそうではある。おなかが心配だが、杞憂なのかね。
「おまえ、本当におなか大丈夫か? というよりだな、おまえが薬買うなら俺が来る必要は……」
俺が全部言い切る前に、妹は右腕を抱え込んできた。
「久しぶりに一緒にお出かけくらい、いいでしょ?」
「……おまえがいいなら」
「ん。……ふー」
抱きつく力が強くなって、思わず余計な心配をする言葉が出てしまう。
「……あまり身体を圧迫するなよ。漏れちゃうぞ」
直後、かかえこまれている腕に、関節技を極(き)められた。
―・―・―・―・―・―・―
「とうちゃーく。わー、混んでるね」
ドラッグストアの駐車場に停まっているたくさんの車をみて、妹が驚く。今日は売り出し日なんだろう。
「……本当だな。まあ、買うもの買ってさっさと帰ろうぜ」
「えー、少しくらい寄り道しても」
「何のためにここにきたか忘れるな愚か者。さ、行くぞ」
入り口のそばにに山積みになっているお菓子類に心引かれつつ、店内を歩く。
「……わー、なにこれ? TENKAって書いてあるけど……赤と銀のしましまが目立つねー」
「ブフォッ」
薬売場に向かう途中の通路で、好奇心旺盛な妹が、なにやら目立つデザインの、男性向け一人遊び専用補助具を見つけてしまった。大声で言うなバカモノ。
「……これはおまえには必要ないもの、というか、おまえには使えないものだから見るのはよせ」
そう言って手を引っ張る。しかし、妹は動こうとしない。……今はドラッグストアにTENKAが置いてあるんだな。
「えー? 変な形してるし、何に使うの? わたし、気になります!」
うーむ、我が妹が汚れてないことを喜ぶべきか、世間知らずなことを嘆くべきか。
とは言っても、さすがにいつまでもこいつをこのコーナーに置いてはおけないので、ひそひそ話で教えてやることにしよう。
「これはだな……男がひとりで……」
「…………!!」
とたんに妹が赤くなって飛び退いた。ひとつ大人になって良かったな。
「わかったか。さ、行くぞ」
そう言って妹の手を引き、場所移動をしようとしたら。
「……兄貴は、アレ、使ったことある?」
そう質問されて盛大にずっこけた。タブーな質問にもほどがあるぞ。
「んなわけねえだろ」
即座に否定。…………興味はある。あるが、買う度胸はない。
「……そっか」
「まあ、使った人の話だと、すごくいいらしいがな」
「……えっ。まさか……」
「まさか、なんだ?」
「使った人の話、って、兄貴本人のパターンだよねこれ……」
今度は、俺が妹に関節技を極(き)める番だった。
「いたいいたいやめて漏れちゃうー!」
―・―・―・―・―・―・―
「……すみません、セーロガンありますか?」
やっと薬レジまで来た。なんだろう、この大クエストみたいな疲労感。
「はい。大きさはどうします?」
白衣を着ている40代くらいの男性が応対してくれた。名札を見ると……「登録販売者」? 薬剤師ではないのか?
「とりあえず、一番小さいので良いです」
「はい。糖衣錠もありますが、どうしましょうか?」
「とーいじょう?」
『糖衣錠』という言葉に、妹が素っ頓狂な反応をした。仕方ない、解説してやるか。
「糖衣錠ってのは、ニオイをごまかすためにコーティングしてあるやつだ」
「あー、でもセーロガンって、あのニオイがあるから効きそうな気がする! 普通の黒いのでいいよ」
「かしこまりました。では、百錠入りで1058円になります」
代金を支払い、買い物イベント終了。
退店しようと回れ右をすると……漢方コーナーが目の前に。
「……なあ、少し見ていって良いか?」
妹にお伺いを立ててみると……にっこり笑顔が返ってきた。
「もちのろん、だよ。わたしは鎮痛剤見てくるね。……ふふっ」
お許しも出たので、少し眺めていこう。漢方って、なんか漢字の羅列があって楽しい。
葛根湯(かっこんとう)、麻黄湯(まおうとう)、小青龍湯(しょうせいりゅうとう)、防風通聖散(ぼうふうつうしょうさん)、大柴胡湯(だいさいことう)、当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)、五苓散(ごれいさん)……これはなんて読むんだ? えーと、とうきしぎゃくかごしゅゆしょうきょうとう……? なんだこの長い名前は。
「……漢方に興味がおありですか?」
先ほどの店員さんに話しかけられた。
「はい。漢方薬って、見てて楽しいですよね」
「お客様、見たところ高校生くらいの年齢ですよね。ひょっとして、薬学部進学希望ですか?」
「あ、はい……いえ、実は悩んでます」
白衣を着た店員さんの物腰の穏やかさに、つい余計なことまで言ってしまう。
「……進学を、ですか?」
「……はい。経済的な事情などもありまして。でも、薬に関わる仕事はしたいんです」
店員さんは、穏やかに笑って、こんな見ず知らずの客の戯れ言に答えてくれた。
「そうでしたか。でも、薬学部を出て薬剤師になるだけが、薬販売の手段じゃありませんよ」
「……えっ?」
「処方箋(しょほうせん)の調剤とかはできませんが、少し勉強して試験に合格すれば、『登録販売者』という薬販売のできる資格が入手できますから」
「…………! それは、俺でも、受けられる資格試験なんですか?」
「年齢や学歴は関係ありませんよ。ただし、試験に合格しても、二年ほど実務経験を積まないとなりません」
「………………」
目から鱗だった。薬剤師以外にも道はあるんだな。しかも、働きながら、給料を稼ぎながら、資格も取れる……
「あ、店員さん、この『ルナルナ』くださーい!』
そんなことを考えていたときに、妹が鎮痛剤を選んでレジに戻ってきた。購入した様子を確認してから、帰るように誘う。
「ん? もう見学はいいの?」
「ああ。すぐさま調べたいことができたから」
「……わかった。わたしも買うもの買ったし、帰ろっか」
そう言って妹が購入した鎮痛剤をポケットに入れると、代わりにポケットから何かが落ちてきた。
……白い、小さな布切れ。これって……パン……
「……ポケットから、なんか落ちたぞ」
「!!!」
慌てて、妹が布切れをかっさらう。それを丸めて、反対側のポケットにしまい込んだ。そして駆け足で出口まで向かって行く。
「お、おい。……ありがとうございました、また来ます」
俺は白衣の店員さんにお礼をしてから、妹を追いかけた。
―・―・―・―・―・―・―
「……なんで突然走り出した」
「………………」
「……というより、なぜ……」
ポケットの中にパンツが、と言いかけてやめた。黙り込む妹と並んで歩きながら、尋問をするのも気が引ける。
「…………」
「……まあ、買うもんは買ったし、早く帰って薬を飲もう」
デリカシーがある兄貴って難しい。
だが、さっきの件に触れるのはやめておこうとせっかく方向転換したのに、妹は勝手に自白した。
「……万が一」
「ん?」
「万が一、も、漏らしたときのために、予備にと思って、出かける前に慌ててポケットに入れたの、忘れてた……」
「ぶっ」
またまた思わず吹き出した。
「……なんでそこまでして、一緒に買い物に来るんだよ」
「…………だって」
「無理すんな。おまえまで無理したら、俺のいる意味がない」
妹の頭をなでながらそう伝える。
……まったく、こいつはしっかりしてるのかしてないのかわからんくらい、残念で……
可愛い、妹だ。
「……だって、久しぶりに、お兄ちゃんと一緒にお出かけしたかったんだもん……」
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