妹がいた夏
今日は、七夕祭りの日だ。快晴である。
普通、七夕は7月7日にやるのだろうが、うちの地元では旧暦の七夕にやるということだろうか、8月7日にやるのが慣例である。
「さーさーのーは、さーらさらー、のーきーばーに、ゆーれーるー♪」
紺色の浴衣姿の妹が、いつも通り脳天気に歌いながら、俺と並んで歩いている。俺は甚平など着てはいないが。
「お祭り、久しぶりだよー。楽しいなー」
「……そら、よござんした」
妹が下駄のため、あまり早足では歩かない。しかし、まだ何もせず歩いているだけなのに、なんでこいつはこんなに楽しそうなのだろうか。
「ねーねー、浴衣、似合ってる?」
「……それを俺に聞いてくるのは、何回目だか数えてるか?」
「いいじゃない。何度でも聞きたいんだもん」
ちなみにこれで七回目だ。七夕だ、キリがいいな。
「……ああ。似合ってるよ」
「えへ、えへへ」
そんなに褒められたいのか。俺が褒めるたびに、だらしない顔になってるぞ、妹よ。
何の花かはわからんが、朝顔みたいな花が描かれている紺の浴衣。
ついでに、おふくろにセットしてもらった髪。アップにしているこいつは確かに珍しいが、きれいなうなじを振り返って眺める人間も多数。
うーむ、何を着ても目立つなこいつ。
「この浴衣は、勝負浴衣なのです! とっておきです!」
「勝負じゃない浴衣も持ってるのかよ」
「そういう意味じゃなくて。……兄貴って、ひょっとして浴衣にグッとこない人種?」
「……ん?」
「兄貴が喜ぶかなー、と思って着てきたんだけど」
……実の妹が浴衣を着てきたからといって、手放しで喜ぶ兄がどのくらいいるんだろうな。
「……いや、まあ……」
体裁を保つため、ぼかして返答することにする。
「はっきりしないのはダメだよ、兄貴」
「うっ」
なんで妹にダメ出しされなきゃならないのだろう。……単に俺が認めたくないだけといえばそれまでなのはわかってる。
「ほらほらー。勝負浴衣の下には、ナニかが眠ってるんだよー?」
「このおバカがぁ!」
びたん。
妹の背中の帯に手が当たった。
「いたい」
「あ、ああ、すまん。だが……おまえはもっとTPOを考えろ」
「……? 浴衣を喜ぶ、喜ばないの話じゃないの?」
「……話がかみ合わない」
こいつと話を合わせるのは無理だ。俺はあきらめて足下を見つつ歩く。
「あ、ねーねー兄貴、とりあえずわたあめ買おうよー」
すぐに妹に強制的に横を向かされる羽目になった。意図的にやってるのかこいつは。
「はいはい、好きなのどうぞ」
「? 兄貴は食べないの?」
「俺は虫歯になりたくないから遠慮しとくわ」
ぶっちゃけると、わたあめなんて原価いくらだよ、とツッコミ入れたくなるから買わない。
「んー。あまー! さすが100%砂糖!」
「口のまわりベトベトだぞ」
「……兄貴、舐めてきれいにして?」
ポカッ。
反射的に妹の頭を軽く叩く。
「いたい」
「おまえ、最近やたらと挑発的だな」
「数少ない妹エキスの供給場なのにー」
「……まだ妹エキスは切れてないから良いわ」
「味わったことないでしょ」
あってたまるかバカモノ。俺はまだ常識人でいたいんだ。
「あ、次はチョコバナナいこう」
「……好きに食え」
食うか挑発するかしかねえのかこいつは。本能で生きてるな。ケモノだ。
「兄貴は食べないの?おいしいのに」
「おまえが食うところ見てるだけでいいや。それでお腹いっぱい」
「じゃあ遠慮なく。おじさーん、チョコバナナひとつー! …………え、ほんと? わーい、ありがとー!」
なぜか妹が両手にチョコバナナを持って戻ってきた。
「チョコバナナ売ってたおじさんがねー、『お嬢ちゃん美人だから、一本おまけしてやるよ』だってー! 兄貴もどーぞ」
「…………おう。ありがとうな」
テキ屋までたぶらかすとは、わが妹ながら恐ろしい。だがな、それを一本おまけしても儲かるくらいの商売なんだぞ、それは。
「いただきまーす。……んく、んく」
「……? バナナ口に入れてなにやってんだおまえは」
「んく……ぷはーっ。見てみて兄貴、バナナの先っちょだけチョコが溶けたー。あはは」
「ぶはっ!」
「先っちょだけ、先っちょだけー」
「バカやってないで普通に食えよおまえは!!」
……もうこいつに悪意しか感じない。俺は一気にチョコバナナを食べ尽くした。
「さーて、次はりんご飴だよー」
「まだ食うのかおまえは……」
「当たり前じゃん。この機会を逃したら、しばらく食べられないものは全部制覇するつもりだよ」
「……お腹壊さない程度におさえとけよ」
こいつはもう食い物しか眼中にないな。金が尽きるまで好きにさせとこう。
……………………………………
「はーっ、食べた食べた! 余は満足じゃ」
「……さいですか」
あのあと、カルメ焼きにべっこう飴に焼きそばにたこ焼き。どんだけ食ってんだこいつ。
「……でも、締めはやっぱりアレだよね」
「まだ食うのかよ!」
下駄の音を響かせ、妹が何かを買いに行った。……あれは。
「はい、兄貴も一緒に。やっぱ締めはこれだよね!」
「……アメリカンドッグか」
戻ってきた妹は、思い出の品であるアメリカンドッグを両手に握っていた。
「コンビニで食べるのとは別物だよね。やっぱり」
「……そうだな。最後くらいはつきあうか」
「えへ。じゃあ、食べようよ」
「ああ。今度は落とすなよ。三秒ルールも無しだぞ」
「五秒ルールならOK?」
「なわけあるか!」
「じゃあ、落とさないように、どこかに座らない?わたし、足が痛くなってきちゃったし」
ふむ。浴衣に合わせて、履き慣れない下駄を履いていたからな。それも仕方あるまい。と言っても、座るような場所は祭りの通りにはないな。……あ。
「……確か、こっちの路地の奥に公園があったはずだな。そこのベンチに座ろうか」
「異議なーし」
祭りの大通りから少し歩いて、公園にたどり着いてすぐ、ベンチに兄妹で腰かける。あたりはすでに真っ暗だ。
「祭りはあんなに賑わってるのに、ここは静かだねー。結構歩いたけど」
「俺は、人酔いしそうだったからちょうどいいな。じゃあ、いただきますか」
「うん、いただきまーす」
もきゅもきゅもきゅ。
人気のない公園のベンチに二人で座りながら、無言でアメリカンドッグをかじる光景は、端から見ると不気味だろうな。
公園内にひとつだけある電灯には虫が寄ってきていて、不気味さがさらに増幅する気もする。だが気にしない。
「……うまいな」
「うん! 二人の思い出の……味だよね」
「ははっ。あの頃は、祭りが楽しみで楽しみで仕方なかったな」
祭りが嫌いな子供なんて、そうはいないはずだ。小さい頃、こいつと二人で回った祭りのワクワク感を思い出す。
「……兄貴は、今日の祭り、楽しみじゃなかったの?」
俺のささいな一言を気にしたらしい。こいつが、不安そうに尋ねてきた。
「んなわきゃねえだろ。言い出したのは俺だぞ?」
ぽん。
妹の頭に軽く手を乗せ、否定する。こいつに振り回されるのも、楽しいもんだ。
「……えへ、よかった。……年に一度の祭りだもんね」
「ああ、そうだな。今日が終われば、来年までおあずけだ。織姫と彦星みたいにな」
「あの二人って、一年に一回しか会えないんだもんね。可哀想だなあ……」
「……確か、あの二人って、仕事そっちのけで毎日イチャイチャしてたから、罰として引き離されて一年に一回しか会えなくなったんじゃなかったっけか」
「え、そうなの?」
そんな話を聞いたことがあるようなないような。まあ、イチャイチャする事で他に支障が出るならば、それも致し方ない。
「……じゃあ、兄貴と毎日イチャイチャしてるわたしは、いずれ引き離されて、一年に一回しか会えなくなるのかな……?」
「おい。いつ毎日イチャイチャしたんだ、俺とおまえが」
「……えー?」
自分で言ってみてから、夏休みを振り返ると。……確かに、この夏休みはこいつと遊んだ記憶しかない。…………俺、ヤバくないか。いろいろ。
「……自分を省みる必要あるな、俺……。この夏休み、おまえと遊んでばっかりだったわ」
「別にいいんじゃない? だって……兄貴は来年からいなくなっちゃうんだし」
「……夏休みには帰省すると思うぞ」
「でも、毎日は会えないじゃん」
「まあ、そりゃ……」
「だから、今年くらいは、兄貴と遊び倒すの。もちろん、兄貴が嫌がらない程度に。許可も以前もらったしね」
「……嫌がらねえよ」
「ならいいんだ。……来年から、わたしは織姫! なんちゃって」
人魚姫になったり、アン王女になったり、女城主になったり、織姫になったり。忙しい奴だな。
「……ばかやろ」
「えへ。でも、小さい頃の祭りの感覚とは違うかな。昔、兄貴と一緒に行った祭りは、ワクワクが強かったけど」
「…………」
「今日の祭りは……ワクワクより、ドキドキしてるよ……」
「………………」
不意打ちはセーフ。セーフだ、誰がなんと言おうと。
さっきより、公園の電灯がやたら明るく感じられてしょうがない。他に俺たちを照らし出す何かが、空にあるせいだろうか。
祭りの喧噪もここまでは届かない。妙な気分になる。
「……また来年も来れるさ。二人でな」
「! ………………うん」
やっとの思いでひねり出した俺の言葉に、妹は頷いて、頭を俺の肩に寄せてきた。しばらくの静寂が訪れる。
「………………」
「……月が、綺麗だね……お兄ちゃん」
「……そうだな」
俺は相槌を打つ以外に何もできなかった。月なんか見ているわけがない。ただ、肩に感じる妹の体温が心地よかった。
月が、綺麗、か……
「月と天の川の光のせいで、わたし、欲張りになっちゃうよ」
「………………」
「絶対来年も再来年もその次も、またくる、二人でお祭りに! ……いいよね、言い出しっぺのひと?」
「……ああ」
今度は本当に月を見上げて、来年以降の約束をする。来年は、再来年は、そしてその次の年は……どうなっているんだろうな、俺たち。
……まあ、その時がこないとわからないことか。
そうして俺はいつもの通り、考えるのをやめた。
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