気持ちはいつもすれ違い

「ごめんなさい。わたし、どうかしてた」


 浴室から衝動的に出てきた俺を追いかけて、そう妹が謝罪をしてきた。


「本当にごめんなさい。……わたしが変なこと考えちゃったから。兄貴怒らせちゃって、ごめんなさい」

「……別に怒ってねえよ」

「ごめんなさい。ごめんなさい。何度謝ってもだめかもしれないけど、何度でも謝るから。ごめんなさい。だから……」

「………………」

「……わたしのこと、嫌いにならないで。お願い……」


 青ざめた顔で涙ぐみながら必死に謝ってくる妹。俺は、さっき感じたものの正体すら分からずにいた上に、さらに謝罪を受け混乱が増加していた。


「……嫌いになるわけねえだろ」

「…………本当に?……許してくれるの?」

「許すも許さないも、怒ってねえって。嫌いにもならねえよ。俺たちは、死ぬまで兄妹なんだからな」

「……うん、うん……ごめんなさい」

「だから謝るな。もう謝るのは禁止だ」

「……わかった。でも、ごめんなさい……」


 ………………ああもう、こいつは!


「…………あっ」


 仕方ないので、こいつの頭をわしゃわしゃする。俺の混乱より、こいつが落ち着く方が優先だ。


「……大丈夫だ。今まで通りだ」

「…………うん、うん…………」


 妹がやっと落ち着いたような、嬉しいような表情になる。それを見た俺は、つい反射的に手を止めてしまった。


「…………?」

「と、とにかく、もう着替えようぜ」

「あっ……そうだね」


 ……今まで通りか。どの口が言うのか。


 俺は………………





 あれから、俺は部屋に戻って、何をするでもなく過ごしていた。勉強などできるわけがない。

 俺は、あいつに何を感じたのか。普通の兄妹にはありえない、その感情……

 堂々巡りの思考を繰り返し、結論を出すことができないまま、いつの間にか五時間が過ぎていた。

 いや、結論を出せないんじゃない。それを認めたくないのだ。認めるのが怖いんだ。


 認めるのが怖くて、俺は考えるのをやめた。


 このままでは、妹にうまく接することはできない。そんな微妙な不安は、妹にもわかるのだろう。

 夕飯の時も、口をきくことができなかった。オヤジたちに心配されたくらいだ。

 だが、こればかりは相談などできない。夕飯が終わっても、俺はひとり部屋にこもっていた。


 コンコンコン。


 控えめなノック音が部屋に響いた。ノックの主が誰かわかった俺は、一瞬返事を躊躇してしまった。


「……どうぞ」


 ガチャ。


「夜にごめんね、兄貴」

「……気にするな」


 妹は俺の返事を聞いて、ベッドに座った。


「………………」

「………………」


 こいつ相手に、こんな気まずい沈黙をする時が来るとは思わなかった。何を話していいのかすら、まったく思い浮かばない。


「…………ね、兄貴」

「…………」

「……わたしは、どんなことがあっても、ずっと兄貴の妹、だよね……?」

「…………ああ」

「そして兄貴は、どんなことがあっても、ずっとわたしの兄貴だよね……?」

「…………ああ。当たり前だ。俺は何があっても、お前の兄だ。それは未来永劫変わらない」


 言葉にすることで、自分に言い聞かせられたのだろうか。少し落ち着いた気がする。


「……よかった。そう言ってもらえて」

「何でだ」

「だって兄貴は、いつもわたしを妹として大事にしてくれたのに、わたしはいつも自分の都合で兄貴をひっかき回してばっかりで……」

「……そんなことないだろ」


 こいつほど兄思いの妹もそうはいない。それだけは事実だ。おまえは俺には過ぎた妹なんだからな。


「そんなことあるよ。だから……反省したの。わたしも、兄貴のことを大事にしなきゃ、って」

「…………」

「……ね、だから、兄貴はわたしを、妹として、ずっと……」


 そう、こいつは妹だ。だからこそ俺は、こいつの兄でいられるのだ。


『…王女じゃなかったら、二人は出会わなかっただろうさ』


 あの時。妹の気持ちに翳りを感じていた時に投げた言葉が、自分に返ってくるとは。


『わたしが兄貴の妹じゃなかったら……わたしたちは知り合ってなかったのかな?』

『……さあ。だが、そうなったらおまえは俺なんかに気づかないと思うぞ』


 頭の中に、あのときの言葉がよみがえる。


 ……そうだ。何を悩む、俺は。妹は妹、いつまでも妹なんだ。

 俺の気持ちは、俺が決める。俺の行動も……俺が決める。


 そう思い直すと、腹は決まった。

 ならば、俺の翳りを、こいつに感じさせちゃいけない。


「……おう。これからもよろしくな、妹よ」


 少し優しく、妹の頭を撫でる。一瞬妹はビクッとしたようだが。


「………うん、うん………」


 そう頷きながら、泣いた。その涙はいったいどんな感情から出ているのかなど、俺にはわかるわけがない。

 やがて泣き止んだ妹は、いつも通りを装うように明るく笑い、部屋から出ていった。俺に、少しふっきれたような実感を残して。


 …妹じゃなければ、なんて、考えても無駄なことは、もう考えるのをやめよう。


 俺は一生、兄役を全うしてやる。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


 兄が、わたしを異性として、ほんの一瞬だけでも意識してくれた。

 嬉しくないはずがない。


 でも、わたしには同時にわかってしまった。あの兄が、それで自己嫌悪に陥ることが。

 悪いのは、自分のことしか考えてなかった、わたしなのに。


 受験のじゃまをすることはしたくない。


 何より…兄を悩ませたくない。苦しませたくない。

 兄を苦しませるくらいなら、わたしは妹でいい。ずっと。

 それでも、わたしは幸せなのだから。



「……わたしのせいで、お兄ちゃんが悩むなんて、絶対に嫌だよ……」

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