3章

第1話 飾られた大きな絵

 カロリーヌは目の前に飾られた大きな絵の出来映えに満足げに微笑んだ。

 聞いた話をもとに描かせた絵だ。いつもの肖像画や風景画とは違う。城に、王子の為この部屋に宗教画を飾りたいのだと言っただけで、壁一面の大きな絵が仕上がってきたのだ。絵師にはそれなりの報酬を用意しなくてはいけないだろう。

 彼女は表情のない顔で、なにも知らずに眠っているリュカを一瞥する。王城を出ていった時の輝くような金色の髪が、今では真っ黒だ。その黒い髪で眠っている姿は父親のフランシスそっくりで嫌になる。

 彼女にとって唯一の救いといえば、リュカにマリーの面影がないことだろう。そんなものがあれば彼女は狂ってっしまっていたかもしれないと思うのだ。


「リュカ、あの絵はあなたのために描かせたのよ。早く起きて見てくださらないと」


 彼女がリュカを見下ろす姿は傍から見れば継子を心配する母の姿だ。誰がリュカを疎んでいると思うのだろか。

 側に控える侍女の声にカロリーヌはいつもの穏やかな声で応える。

 再び絵に視線を移し、リュカを見下ろす。その瞳は忌々しいと言わんとばかりだった。


 カレンデュラの街であった古代竜との戦いで傷つき眠りについたリュカは、生家でもあるアンテリナム王国の王城に戻らされていた。戻らされたというのも、あれからリュカは一度も目を覚ましていないのだ。

 王子という立場もあり、国王であるフランシスの一言で療養は王城で行われることになった。

 勿論ダミアンたち近侍は反対した。カロリーヌから逃れる為に王城を出たのだ。フランシスがそれを知らないはずがないが、彼は『傀儡の王』と揶揄されるような人物である。王子が地方都市で療養などあり得ないと言いだし、カロリーヌがそれに一言足せば誰もその決定に反対することなど出来なかった。


 あの日カレンデュラの街に現われた『金色の竜』が吐き出した光は王都まで照らし、リュカは眠り続けている。

 カレンデュラの街は壊滅に近い状態で、トーチリリー山のドラゴンの集落に気を向けていられない。いつの間にかドラゴンの集落はなくなっていたことも街の人々は気が付いてもいなかった。そっちにまで気を回す余裕がないのだ。


 眠り続けるリュカの側で黒い女の影が蠢いていた。禍々しく妖気ただよう気配に部屋の空気は重く感じる。影が動く度にリュカは苦しそうに顔を歪めていた。

 黒い女の影がリュカに触れようと手を伸ばすと、小さな黒い焔が弾き返し邪魔をする。

 黒い焔は女の影を追い払うように燃えた。女は忌々しいといった様子で黒い焔から距離をとる。実体のない黒い女の影はこの黒い焔に触れられない。仮に触れてしまえば彼女は跡形もなく消え去ってしまうのではないだろうか。


 彼女がリュカに触れようとする度にこの黒い焔は現われるのだ。忌々しいと黒い女の影は黒い焔を睨み付ける。焔にそんな事をしてなんの意味があるのだろうか。いつもならば根負けした黒い女の影が先に消えた。

 だけど、この日は違った。カロリーヌの飾った絵を気に入ったかのように見入り、留まり続けた。


 「あの女の描かせたこの絵は……なんと趣味の悪いものでしょう

 貴方もそう思うでしょ?

 ああ、でもこの金色の竜はいいわね。この竜は貴方なんですって

 この竜だけはよく描けているわ

 いつまでも寝ていないで起きてご覧になりなさい


 ねぇ、私の憎い子


 あの人の愛し子


 あの女の恨みの子


 ご覧になればどれだけこの絵が素晴らしく、趣味が悪いかわかるものよ

 あの女みたいに……ね?


 貴方にはまだしてもらいたいことも、してあげたいことも沢山あるのよ


 これじゃあまだ、あの人は理解しない

 これじゃあまだ、あの女は苦しまない

 これじゃあまだ、この国は無くならない


 ……あの人に似た姿に戻ってなにをしようというの?

 本当に憎い子。

 貴方は私の憎しみをここへ返すためにいるのよ」


 誰にも聞こえないはずの黒い女の影の呟きは部屋の中でこだまするように響き渡る。その声にリュカの顔は益々苦しそうだ。

 黒い焔も警戒を強めるかのように強く燃える。燃え上がった黒い焔は収束していき爆ぜ、黒い焔の鬣を誇る立派な獅子へと変わる。


――去れ――


 獅子の言葉に黒い女の影は揺らめく。


――ここから去れ――


 黒い女の影は後ろ髪を引かれるような様子で絵の中へと消えていく。女の影が消えた部屋は、禍々しく重苦しかったなど嘘のように何事もない空間へと戻った。苦しげに歪んでいたリュカの顔も今では穏やかだ。

 獅子はリュカの様子に安心したかのようにかき消えた。


 眠り続けるリュカの部屋には魔法の暴走を押えるための護符に、魔法陣が敷かれ、聖竜教会の魔法の叡智全てが施されていた。王城で魔法の暴走が起こっては一大事だ。リュカが王城を離れる前よりも護符も魔法陣も増えている。それはリュカを恐れてのものだ。

 髪が黒く変わってからリュカは魔法の暴走を起してはいない。だからといって、これから先も魔法の暴走がないという保証はどこにもない。

 意識無く眠り続けているのだ。リュカの魔法の暴走の影響がどこにあらわれるのか、わからない。

 用がなければ誰もこの部屋に近づかず、誰も彼もがリュカを恐れ、疎んでいた。


 入れ違いのように部屋へ入ってきたのは、カロリーヌの姿をそのまま青年にしたように育ったシャルルだ。カロリーヌの目を盗んではリュカに見舞いすることが日課となっていた。

 今も幼かった頃から変わらず、シャルルはリュカを兄と慕っている。意識なく眠ったまま帰ってきたリュカを、心底心配したのはシャルルだけなのではないだろうか。

 毎日のように見舞いに来るのは彼だけだ。フランシスは一番最初に見舞っただけだ。カロリーヌはリュカが苦しんでいる様子を見るためだけに部屋へ訪れるのだ。


 リュカの寝顔はいつもと変わりがない。このまま寝たままでいる方がリュは幸せなのではないかと考えることもある。

 だけどやっぱり、元気な姿を見たいと思っていた。彼の心から笑った顔を見たことがないのではないだろうか。

 弟でありながらリュカに心を許して貰えないと、凍りついた表情に寂しと思っていた。


 シャルルはカロリーヌの飾った絵に目を丸くする。

 彼女がなにを思ってこの絵を用意したのか、すぐに気が付いてしまった。

 あまりにも趣味が悪い。

 カレンデュラの街に現れたドラゴンの絵だ。なにも知らなければ素晴らしい絵だと褒められるだろう。だけど、この絵は違う。リュカを傷つけるためだけに飾られた絵だ。

 すぐに外すようにと命令を出すが、カロリーヌの気に入った絵を簡単には外せないと、誰もシャルルの言うことを聞かなかった。

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