第2話

 かつて117番と呼ばれていた少女。

 自分の過去を思い出しながら、タヌキは歩いている。

 朝の9時過ぎ、朝の冷え切った空気に徐々に熱が通される。

(あのときもそうだった)

 左腰のイタチを撫でながら思い出すのは、収容施設から脱出した翌日のことだった。ちょうどこの時期、この天気。

(弱い風が吹いていた。視線を向けた方に欲しいものがあった)

 あの日欲しかったのは、水・屋根・服。

 今の私がほしいもの。

 視界の隅の通知を見つけたタヌキは、右手を持ち上げ、該当のメッセージを開いた。着信から3時間が経過している、1通のメッセージ。


For:タヌキ

私はスミス・・・。

イタチからの要請で君を支援することになった。とりあえず、現時点でキミに教えられることだけ教えておく。

君が追う「カシミヤ」は、かつて派遣防衛支援軍DDSAの中で最強の部隊を率いていた。いや、最強の兵士だったとも言えるだろう。派遣先は大陸。大陸戦争を終わらせるターニングポイントだった最大の戦地・ウランバートルの戦いにおいて殊勲の活躍をした。

あまりこのような情報に意味はないだろう。だが、キミに価値ある部分が少しでもあれば嬉しい。


 タヌキは震えた。

 自分が7日かけても集まらなかった情報が、たった1通のメッセージでこれほど集まるとは。

(イタチには感謝しないとな)

 スミスからの情報を精査していく。ワードごとにその記述の意味を考える。

(派遣防衛支援軍…この国が大戦の時に派兵した部隊だ)

 タヌキはそのDDSAの訓練学校に進むことも真剣に考えていた時期もあった。ちょうど14歳から入学の許可が下りる訓練学校は、学費がかからず、兵士として訓練に励むだけで衣食住が保障されたためだ。

(訓練学校制度は残っても、防衛軍の人員過多を招いて現状は少数の人間しか入れない上に実費がかかるようになっちまったからなぁ。カシミヤは幸運なやつなんだな)

 戦争が終わり、DDSA(国内では「ボウシ」と呼ばれる)の制度は「緊急時対外防衛措置」という区分に設定され、常設の部隊ではなくなった。訓練学校の制度もそれに伴い常設の防衛軍人を育成する施設となったが、30万人とも言われるボウシの7割が防衛軍として籍を残したため、新規での防衛軍人への門戸は狭くなっている。

(過去のことはとりあえず置いておくとして、このメッセージからは現在のカシミヤの状況はわからない…よな…。いや、まて、ひとつわかった。「最強の兵士だった」ということは、いまは兵士ではないんじゃないか?軍属から脱退している可能性は非常に高い)

 ひとつ、カシミヤ像が浮き上がった。

(軍にいれば最強の人間が脱退する理由はあまりないだろう。給料の払いもすごく良い。傷痍軍人になったんじゃないか)

 カシミヤは軍属につくには深刻な怪我を負っている、という可能性にたどり着く。謎の標的の輪郭が、少しだけ見えてきた。

 しかし、カシミヤの足取りは重い。目前に旧タチカワ郊外に形成された『街』が見える。この向こう側に、旧学術集積都市がある。迂回するにしても、『街』の東西をクレーターが塞ぐように空いており、かなり近くを通らなくてはならない。

(「タチカワ新街」…。俺はあんまり得意じゃないんだよな…)

 タチカワ新街は、かつて旧首都西部に存在した大規模な集合住宅の住民が集まり出来上がった『街』だ。社会の中心にあるのはタチカワ商工会。ごく限られた地域の人間による社会が形成されており、外部からの人間を極端に嫌う文化があった。20年の時を経て作られたその文化は、3世代に渡り浸透しており、それを隠れ蓑にした若者が通りがかる人間に対して恫喝や強請、強盗を働いて小遣いを稼いでいた。

(『街』の人間を殺すと後で面倒なことになる、ってのは聞いたことがある。なるべく見つからないように…)

 『街』の外側を慎重に進むしかない。『街』のなかを突っ切ることはできない。外周にめぐらされた無数のセンサーと自立防衛機構が、無許可侵入者を殺害・死体の処理を行い、この世にその人間がいた痕跡を抹殺してしまうためだ。

(頼むぜ、何事もなくたどり着いてくれ)

 タヌキの願いは空しくも叶わなかった。


「調子に乗る」という言葉がある。

 「調子」とは本来、音楽の音をあらわす言葉だった。それが転じ、自分や他人やモノの状態を指すようになった。

 そしてこの場合は、「図に乗っている」という意味で使われている。その者たちは調子に乗っていた。

「テメェ何考えてんだ、ここを通ろうなんて」

 6人の男がタヌキを囲むように立つ。各々が手に武器を持っていた。鈍器、銃器、刃物。さまざまだった。

「通らせてもらうだけでいいんです。お金は払います」

 ムズ痒い思いをしながらタヌキが答える。左手はさりげなくイタチの近くへ。6人の中で、野球帽をかぶった一際背の高い男が一歩前に出ながら言う。右手に警備員が持つような殴打用の棒を持っている。

「一人に20000ずつ払えば通してやるよ」

 彼らの行動の動機は実に簡単で、「人が困る様を眺めたい」という不純極まりないモノだった。彼らの行いはタチカワ新街内で容認されているわけではない。だが、たとえこの場で外地人アウターに暴行したとして、それを非人道的と責めるものはいないのだ。むしろ「この街に不用意に近づく方が悪い」という認識が、この『街』に蔓延する常識であり、一般的認識であり、人々の無意識だった。

 ここで1人20000ずつ支払うのは容易いことだが、カシミヤ討伐の必要経費に計上するのはタヌキにもためらいがあった。総額12000ともなれば、ソーン討伐の報酬のほとんどが出ていく。そんなことは許されない。

「わかりました。20000払います」

 タヌキが右手をあげる。人差し指が20000をダイヤルする。あとは弾くように手を動かせば20000を振り込める。ここでタヌキが動きを止めた。

「お前ら、ずっとここでこういう真似してるのか?」

 質問を投げかける。ニヤニヤとタヌキを見下していた6人がすこし困惑する。10代後半であろう彼らは、タヌキのことを完全に見下していた。通りがかるのが大の男ならば1人5000ほど徴収するのだが、タヌキには「払えませんごめんなさい」というやりとりを期待していたに違いなかった。動きを止めたタヌキの口から謝罪の言葉が出るはずだったのだ。

「あ?テメェに関係ないだろ?」

 野球帽がいきり立つ。となりで長髪の男も拳銃のスライドを引っ張った。

「舐めた態度とるんじゃねえよ、殺すぞガキ」

 眉間に銃を突きつけられてなお、タヌキは冷静だった。殺す前に予告してくれるのはありがたい。心の準備が出来る。さらにいえば、脱出する余裕もできる。

「ここを、顔に包帯を巻いた女が通らなかったか訊きたい。答えてくれればもう15000ずつ乗せる」

「バカ言ってんなよテメー」

 野球帽が前蹴りをタヌキの左肩を思い切り叩き込んだ。タヌキの体が大きくねじれる。バランスを崩したタヌキに野球帽は右手の棒をフルスイングした。先端の突起が左わき腹に食い込む。

「……ッ!!」

 息が詰まる。殴られた衝撃で横に飛ばされる。これだから知性と理性のないヤツの相手をするのは嫌なんだ。錐揉みするように地面に転がり、揺さぶられた頭は数秒間、現実を認識しなかった。

「痛えな…クソッタレ…」

 ゆらりと立ち上がる。

「あ?やんのかお前。いいからおとなしく金出せ」

 野球帽の見下した目。薄ら笑いを続ける口許。タヌキもつい笑ってしまった。なんて良い日なんだ。

 9年前に脱走したあの収容施設。そこの管理者たちが自分を見ていたあの目。あの笑み。それと同じ顔をした人間が目の前にいる。

「最高だな…はぁー…」

 呟く。男たちには聞こえていない。あの時、殺されかけた5歳の自分。死ねば作業の一環として焼かれて埋められるだけの無様な存在だった。こんなところで、その復讐が出来るなんて。

 外地人としてのプライド?そんなものは持ち合わせちゃいない。これは、私をバカにするものに下す鉄槌だ。

 もうおしゃべりは止めだ。

 ローブの下から愛銃を取り出す。はためいたローブが形状記憶糸の作用で元に戻るころにはすでに装填を終えた愛銃が腰だめに構えられていた。セットアップ。AGAS起動。バックステップでタヌキは男たちとの距離を取ろうと図る。

 男たちのうち、タヌキの動きに反応できたのは拳銃を持っていた2人。彼らは銃を取り出し、構え、タヌキに銃口を向けることには成功していた。だが、タヌキが左手で引き抜いたイタチに2人とも肩を撃ち抜かれた。

 ここでやっと野球帽含めた4人がタヌキに攻撃しようと前に出る。電流棒や刀、各々が近接武器を持っている。ABESのセットアップが終わる。

 タヌキのコンタクトが男4人を捉える。太ももや脛、4人の脚にポインターがついている。

 発砲。装填。発砲。装填。発砲。装填。発砲。ABESの機能を最大限発揮した、通称「ABES・マルチ・バースト」。1発ごとの射程や精度は単発の時に比べ落ちるが、最大で6ヶ所までの動く標的をロックオンすることが出来る。使用用途はまさに今回のような制圧射撃。本来は散弾を用いることをが想定されているが、タヌキにそんなことを知る由もない。

 一発撃つごとに、男のうち1人の脚が短くなった。野球帽は右足の脛を撃たれ、膝から下がなくなっている。それ以外は太ももを撃ち抜かれ、弾丸の持つ威力に片脚を引きちぎられていた。肩を撃たれた二人はすでに逃げ、走る背中が見えた。

 タヌキは転がる4人の男に近づき、止血スプレーを傷口に噴きかけた。泡のようなクリームのような接着剤に似たそれは、血が流れ出るのを強制的に止める。片脚がもげた男3人は意識が飛んでいた。野球帽の男だけが悲鳴を上げている。

「いてえ…ああいてえ…ちくしょ…いてえ…」

 痛みでしかめた顔は、流れ出る涙と合わさり悲惨な状態だった。必死に流れ出る血を止めようと両手で右ひざを抑えている。

「オイ。俺の質問に答えるなら血を止めてや「わかった!何でも言う!協力する!!」

 食い気味に野球帽が答えた。息が上がり、冷や汗が流れている。

「顔に包帯を巻いた女が通ったことはなかったか?」

 端末の映写表示の起動をしながらタヌキが問う。カシミヤの顔写真がふわりと浮かび上がる。

「見たことある!月に1度はかならず見るぞ!行きと帰りで2回!早く血を止めてくれ!」

「まだ大丈夫だ。一番最近見かけたのは?」

 余裕のない野球帽と、冷徹なように見えるタヌキ。理不尽に蹴飛ばされた怒りはまだ収まっていなかった。

「10日くらいまえ!変な車に乗ってた!!はぁー!はぁー!」

 血の失われる感覚にパニックを起こし掛けている。脳から血の気が引く、独特の気持ち悪さに襲われているのだろう。

 タヌキはここでようやくスプレーをかけた。野球帽は意識が飛びかけていたが、止血が完了したのを見届けると電源が切られたように地面に伸びた。

 それを見届けたタヌキは、

「…ぷはぁっ!はぁ…はぁ…ふぅ…」

 肩で息をしている。彼女の中でも限界だった。

(近距離戦闘は向いてないんだ…勘弁してくれ…)

 よろよろと歩きながら、左手のイタチを仕舞う。愛銃の排莢ボタンを押すと、蓄えられていたガスが排出された。

 

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