アリィ・スナイパー

のんぐら

1章 砕けたコンクリートの海で

第1話

 一年の半分は雨が降る。

 いつからだろう、晴れている日が楽しみではなくなったのは。

 いや、晴れている日が楽しみだったことがあったのだろうか。


 雨が身体を激しく叩く。雨粒が大きい。崩れかけた鉄筋コンクリートのビルの屋上で、一人の人間が身体が濡れるのも厭わず伏せている。足首まで覆うようなレインコートをかぶり、肘をついて単眼鏡を覗いている。レンズによる光の屈折を使った遠距離を見るための道具だが、もはやこの二〇年で使う人間はゼロに等しい。だが、電気消費による限界があるコンタクトスコープよりも確実性という点で信頼できた。

「今日は一人か。あの野郎、どういう基準で動き回ってるんだ」

 人間が呟いた。ぼやくような調子。視界に映る男は、傘も差さずに道路を進んでいく。時折瓦礫を飛び越えながら、一定のペースで歩を進める。

『調子はどうだタヌキ』

「いまは偵察中。話なら後にしろ」

『頼むぞ、お前だけが頼りだ』

 タヌキというのはこの覗き魔の名前だ。もちろん本名ではない。身体的特徴がタヌキに酷似しているわけでもない。いつのまにかタヌキと呼ばれはじめ、今では本人もタヌキで通している。

 薄っぺらな信頼の言葉。シンクの水垢のような、輝きを邪魔する存在でしかないスラム出身のタヌキは、そんな言葉を死ぬほどかけられてきていた。だが薄っぺらでも、無いよりマシだ。

「いま出掛けて行った。帰り道でも一人ならやる」

 ジャンクをかき集めて作ったイヤーギアから伸びるマイクに返事をする。依頼人にはトランシーバーを渡してあるが、周波数がランダムで変わるため、タヌキのイヤーギア以外には盗聴もされない。ブツ切れに届く相手の声をコンタクト経由で補正して使っている。

 どうしても依頼人に好感が持てず、いらついているのが自分でもわかった。

 タヌキが起き上がる。片膝をついて、右手を持ち上げた。タヌキの視界に地図が映る。左手を振り、地図を小さくする。ちょうど視界の左隅に映るように配置して、ビル階段を駆け下りる。

(もう少し北で捉えたい…)

 標的を捉える位置を模索する。といっても、もう九割方決めてある。経験と土地勘が、タヌキの狙撃ポイントを割り出す。レインコートを雨粒が伝う。グレーのレインコートは、コンクリートだらけのこのスラムでは非常に効果的な迷彩になる。裏路地を走り、目的のビルを目指す。高所から、あるいは背後から。相手の警戒が濃ければ濃いほど、シンプルに。目的のビルの、割れ落ちた窓部分から侵入し、13階まで上がった。屋上の手前のフロアだ。狙撃の鉄則は「てっぺんを避けろ」。タヌキはそれを忠実に守っている。レインコートを着たまま、狙撃ポイントを確認していく。

 タヌキの身長は140㎝ほどしかない。それでもなお、「狙撃手」として依頼が来るのには当然、いくつも理由がある。ひとつはこの周到さ。タヌキがこの依頼を受けたのは7日前の事だったが、6日間の間、標的を観察することに終始していた。当然、その6日間の動向を見るのだが、それ以外に、過去のデータをOCEAN(コンタクトにより接続できる情報集積システム)経由で探るなどして人となりを丁寧に摘み取った。

(目標は「シュウイチ・オノダ」。通称『ソーン』。66歳。男。身長177㎝。体重79㎏。左前腕部が機械化。左足に障害。外装歩行補助器具を常に使用している)

 相手のプロフィールを思い浮かべる。油断はあまりしないタイプだが、過剰に警戒もしないタイプ。気まぐれが非常に多い。裕福な環境に育ち、自身も非常に金銭にゆとりがある。武器や人身の売買で財を築きあげた男。

(両親は互いに存命いまは絶縁状態11歳の時に交通事故に遭い左腕を切断左足のアキレス腱断裂以後学校生活にもあまり参加しなくなる21歳で武器売買を始め世界の紛争地域を相手に多額の利益を出す46歳で被災地域の支援と称した人材派遣を行い親を失った子を攫っては売り巨財を成す57歳で現場から引退するもその財力と私兵は巨大街抗争の際も武器をチラつかせ自分の地位を保障してもらうなど暗躍して関東壊滅の一助を担う現在は所在不明とされている)

 タヌキの思考がソーンの人生をなぞる。今日のソーンの気分にシンクロしようと全神経を集中させる。

 そうしてしばらくのち。タヌキはレインコートの下、背負った愛銃を取り出した。単発式で、1発撃つごとに排莢と装填を手動で行う必要がある。時代錯誤なんてものではない、化石のような機構。だが、それ以上の強みを抱えている。

 タヌキは右手にグリップを持つと、ストック部分を脇に抱え込んだ。本来は拳銃よりやや大きい程度のサイズだが、タヌキが持つとライフルのようなサイズ感になる。そうして銃を固定すると、腰にぶら下げたバッテリーとストック部分をケーブルで接続。給電を開始。愛銃に組み込まれたシステムの数々が起動する。視界に浮かんできた「ABAS」の文字。タヌキは「アーバス」と呼んでいるが、正式名称を知る人間に会ったことはない。

(システム良好、接続状態良好、銃内チェック終了、問題無し)

 アーバスによる銃の状態確認が終わる。同時に、視界の中心、遥か遠くに標的であるソーンの姿が見えた。

(ひとり。殺る)

 タヌキは右ひざをついて、右腰に銃を構えている。重心に添えられた左手の中指が、近くのスイッチを押した。小さな空気の抜ける音がして、銃身が上に跳ね上がった。単発式の中折れ式のハンドガン。左手が素早く動き、ベルトのポーチから弾丸を取り出した。50口径、とてもハンドガンでは扱えない大口径の弾丸。それを無駄のない動きで装填すると、銃身を元の位置に叩き込んだ。

(照準開始)

 愛銃にはスコープなど無い。引き金を引く。半分ほど押し込まれたところで止まる。視界内にインジケータが浮かび、ソーンの頭を捉える。インジケータ脇の数字が3300となっている。

(…)

 思考がクリアになる。呼吸音が聞こえる。血管の中を走る血液が五月蠅い。

(…)

 ソーンが一度立ち止まった。きょろきょろとあたりを見回す。ふらふらと心臓の位置もずれる。それに伴って、愛銃の銃口が細かく動いて調整する。

(…)

 再び歩き出した。数字が減っていく。この数字がソーンの死へのカウントダウン。

(…)

 3001、3000。

 カチリ。引き金が引ききられた。タヌキは微動だにしない。ソーンの心臓に弾丸が吸い込まれ、地面に倒れ込むまでを凝視していた。その映像データと遺体の座標を依頼人に送信した。

「…、帰るか」

 愛銃を背中にしまいこみ、立ち上がる。雨は激しさを増し、タヌキの足音もかき消した。

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