第13話 ノーマン

 祖父母と兄弟、それに、農場で働く人たちと、その家族が集まって、手を降って見送ってくれた。僕を荷台に載せたトラックは砂利道をゴトゴト走り、農場のある丘がだんだん遠くになっていった。

 丘に広がるブドウ畑は、ぼくの祖父の祖父が拓いた農場。母国に畑を持てなかった祖先の一家は、100年近く前に英国から渡ってきた。この地でカンガルーやディンゴがうろつく野山に柵を作り、開拓者にワインを振る舞おうとブドウの苗を植えた。

 トラックは2時間ほど走ってアデレードの町に出て、やがて駅に着いた。

「英軍で出世して、本家筋の鼻をあかしてやれ!」

 父はそう言ってぼくの背中を強く叩き、ぼくはちょっとよろけた。

「身体に気をつけるんだよ。手紙をちょうだいね」

 シドニーに向かう列車のドアで両親と別れの挨拶を交わし、空席を見つけて座りながら発車の時間を待った。

 やがて汽車は動きだし、窓から身を乗り出してぼくは両親に手を降った。駅はほどなく見えなくなり、ぼくは初めて家を出て、新しい暮らしに旅立った。英国に渡りパイロットになるんだ。

 オーストラリアの荒れ野をひた走る列車で、ぼくは本を読んで過ごした。農場でもよくこうやって時間を過ごした。ぼくのような農民はそうそう都会には出られない。まして、外国に渡るなんてめったにできない。だから、せめて本を読んで広い世界を知ろうとした。さいわい、農場では本を読む時間をわりと多く都合できた。

 そんなぼくだったけれど、欧州の状況が思わしくなく、英国を支援するために戦う若者がオーストラリアからも集められた。ぼくは一度乗ったことがある飛行機のことが気になり、パイロットを志願して空軍に応募した。

 小さいころ、二人乗りの複葉機で曲技飛行や遊覧飛行を行い、日々の糧を得ているパイロットがふらっとやって来た。うちの農場の間の直線道路に突然着陸した彼は、家族に遊覧飛行をサービスする代わりに2、3日飛行機を置かせてくれ、あとできれば納屋に寝泊まりさせてくれと言ってきた。散弾銃を手に応対した父は、母や姉が不安そうに見守る中彼と交渉し、飛行機の後席に乗り込み、一通り一緒に飛び、ニコニコして降りてきた。

 父は母の手に預けていた銃はそのままに、隣で見ていたぼくの脇を抱えて、なんの迷いもなく飛行機の後席に乗せた。ぼくが状況を理解したときは、飛行機はもう空の上だった。小さいぼくには座席が低くてあまり周りがよく見えなかった。だけど、飛行機が旋回すると、遠くの雲や海、それに、オーストラリアの広い大地が見えた。彼は週末の間農場で過ごし、アデレードからやって来た好事家達を相手に何度か飛んで、ある朝、手を降って別れを告げ飛び去った。

 ぼくは、自分の家に届いた合格通知を見て、何か運命めいたものを感じた。ぼくがあんなさすらいの生活をすることはないだろう。だけど、農場を継ぐ前にいくらかでも空を飛べるなら、ぼくにもいっぱしの青春があるかもしれないと思えてきた。

 ブリスベンまで鉄道で移動し、そこで各地から集まった若者と合流して、空軍の基地の片隅で入隊式と初歩的な訓練を受けた。そうして駆け出しの兵隊になったぼくらは、船で英国に出発した。船は常夏の太平洋を渡り、パナマ運河を経て大西洋に出た。アメリカの東海岸から北大西洋を渡り、いくつかの氷山の脇を通って英国に着いた。

 そして、ぼくのパイロット候補生としての生活が始まった。


 9月6日。金曜の夜。基地司令がメスに荷物をかかえてやって来た。テーブルにその荷物を広げると、近くの学校から届けられた手紙や絵だと言って紹介した。

 ぼくらはビールを片手に子供たちの屈託のない文字や絵を長め、皆でこの絵はどうか、この手紙は何とあるかと話し合い、おおいにはしゃいだ。男の子の多くは思い思いに鉛筆や絵の具で飛行機を描いていた。女の子は丁寧な手紙を書いていたり、あるいはスラッとしたタッチで飛行機や兵隊を描いたりしていた。

 子供たちの贈り物が基地にもたらした効果を確認すると、司令は、全員に返事を出すつもりだと告げた。そして名指しされたスピットファイアとハリケーンの各飛行隊長が集まり、手紙の選定を始めた。夜中には誰が誰を担当するかがあらかた決まったようだった。


「トーマスはこの男の子の手紙に返事を頼む。ノーマンはこのお嬢さんをお願いしたい」

 翌朝、飛行隊長は目を細めて、口ひげをもそもそ動かしながらぼくらに手紙や絵を配った。朝食を進めながら、ぼくらはそれを改めて眺めた。

「『アリス』って、あの教会の?」

 トーマスがぼくの担当する手紙を覗き込んで話しかけてきた。

「そうみたいだね」

「いいな、あの娘。人形みたいだったよね」

「ぼくは君の担当の方がいいと思うな」

「じゃあ交換しようか」

 ぼくらが同意しかかったところに、飛行隊長が水をさした。

「おいおい、昨日じっくり考えたんだ。勝手に変えることは許さないよ」

 どうもぼくがアリスに返事を書くことは、飛行隊長の強い意向のようだった。ぼくの趣味が読書だからなのだろうか。本を読むことと文章を書くことは違う能力だと思うのだけど。でも、他の小僧たちより読み書きができそうだという評価は前向きに受け取っておこう。

 ぼくは改めてアリスの手紙を読み、返事をどうするか考えながら待機についた。

 そして、朝一のスクランブル発進から戻ると、昼食の後に便箋に文字を書き始めた。



親愛なるアリス様


 ぼくはノーマン。この基地の飛行隊の新人パイロットの一人です。

 手紙を送ってくれてありがとう。君の言葉を部隊のみんながとてもありがたがっています。君のような銃後の人々を悲しませることがないよう、ぼく達は強く心に誓いました。

 君の友達も、スピットファイアのペン画を送ってくれました。その絵は丁寧に、精密に描かれていて、額縁に入れてメスに飾ろうという話になっています。彼女への返事は飛行隊長から届くと思います。

 ぼくは君に返事を書くよう、飛行隊長から言われました。いつも本を読んでるからかな、君のような女の子にふさわしい返事が書けるだろうと期待されてるみたいなんだ。だけど、何を書いたらいいだろう。戦闘機の性能とか、パイロットの生活なんて女の子には興味がないよね。

 でも、君にこうして返事を出す係になれたのはとても光栄なことだと思います。手紙で返事を出すことになったこともちょっとほっとしいます。直接長々と話しをしたら、オーストラリア訛りが出て君をがっかりさせてしまうからね。

 君のことは、フレッドの葬式で初めて会ったときから覚えています。カミル小隊長の葬儀にも出てくれたね。本当にありがとう。二人も、君から花をもらってきっと喜んでいると思います。

 フレッドとトーマスはイングランドの出身。ぼくはこの通りオーストラリア。僕らの同期はこんな顔ぶれ。他に、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ、などなど。英連邦の国々から、続々と国王陛下の旗のもと若者が集まっています。これほどの英国の危機はないからね。大陸から逃れてきたパイロットも大勢います。英語が怪しい人もいるけど、彼らに会ったらどうか優しくしてあげてください。

 ぼくらは英国が誇るスピットファイア戦闘機に乗っています。レジナルド・ミッチェル氏が設計したこの戦闘機に乗るのは素晴らしい体験です。この翼があればぼくらは鳥のように、いや、鳥よりも速く、高く、そして自由に飛ぶことができます。

 そうだ、ぼくがなぜパイロットになろうと思ったかを書いてみます。まずは第一次世界大戦からかな。あのとき、ものすごく沢山の若者が飛行機に乗って戦いました。でも、戦争が終わると、軍人の仕事はごく限られたものになってしまいました。一方、飛行機も安く払い下げられたから、それを買い取って、あちこち飛んで旅する飛行機乗りが現れました。物好きな金持ちを遊覧飛行に乗せたり、曲芸飛行をやったり、そうやって彼らは旅して、飛行機を維持するお金を稼いでいました。

 おっと、緊急発進の合図だ。続きは着陸したら書くね。君の無事を祈ります。



 僕はペンを置くと、走り出した。地上員が準備をしてぼくの出撃を待っていた。9月の少し弱くなった太陽の光の中に、スピットファイアのくすんだ色の楕円翼が並んでいた。

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