13

「あ、千寿…何か落としたわよ」


 学校から帰ってきた千寿が、ハンカチを洗濯カゴの中に入れようとしてポケットから、何かを落とした。


 つい先週、13歳になったばかり。

 中学一年生の千寿は、最近…あの人に似てまっすぐな瞳をするようになった。

 人見知りは相変わらずだけど、依然より自分の意見をハッキリ言うようになったし…何よりお茶に対する姿勢や腕は、口うるさい親戚を黙らせるものがある。



「あら…これ…」


 千寿の落としたそれを手に取って…眺める。


 …音叉…


「あ…あ、ありがと」


 千寿は慌てたようにそれをあたしから取った。


「…音楽の時間に使うの?」


 あたしがさりげなく問いかけると。


「…よく知ってるね。これが音楽に使うものだって」


 千寿は、あたしの顔をじっと見て…言った。

 あたしは、しばらく千寿の顔を見つめて…そして、少しだけ笑う。


「音叉でしょう?」


「…習った?」


「ええ」


「……」



 結った髪の毛に差し込まれた。

『かんざしの代わり。けど、それがないと俺はライヴできひんから』

 …無茶言って。

 おかげであたしは、お茶会をすっぽかした。

 いくら文化祭のそれだったからと言って…あたしは早乙女の一人娘。

 お茶会をすっぽかした事は母さんの耳にも入り、後に随分と叱られた。

 だけど…

 あの時髪の毛に差し込まれた音叉。

 あれのおかげで、あたしは彼と…



「…母さん」


 千寿の声にハッとする。


「なあに?」


 一瞬…昔に戻りかけていた自分を現実に引き戻す。

 さりげない笑顔を見せると、千寿は…


「……ううん、何でもない」


 何か言いたそうにしたものの、それを諦めた風に俯いて階段を上がって行った。


「……」


 その後ろ姿を見送って、あたしは縁側に座る。

 そして、沓脱石のそばに残る…花火の跡を眺めた。



 先週の七夕、千寿は誕生日を迎えた。

 今年も政則さんが笹を用意して、みんなで短冊に願い事を書いた。

 あたしと政則さんが家族の健康を願う中、母さんは早乙女の繁栄を願い、千寿は『成績が上がりますように』と無難な事を書いていた。

 七歳の宝智は一枚では足りない、と…折り紙で短冊を増やし、『おばあさま、げんきでながいき』『ととさま、かかさま、なかよし』『おにいさま、ともちかだけのおにいさま』と、愛くるしい言葉を書き綴った。


 七夕の夜はとても良い天気で、天の川を見上げながら花火をした。

 浴衣を着て、縁側で涼みながら…千寿の誕生日を祝ってケーキを食べたり、珍しく母さんと政則さんがお酒に酔って赤い顔をしたり…と、本当に平和で穏やかな夜だった。


 線香花火を落とさないように声を潜める宝智に笑いながら、ヤエさんや庭師さん、運転手さんの短冊も飾られて賑やかになっているその中に、ふと…小さな文字で書かれた物を見付けた。


『夢が叶いますように』


 それは…千寿の字だった。

 だけど飾り付けた昨日の段階ではなかった物。

 もしかして…見られたくなくて、今夜こっそり…?


「おにいちゃん、しー…しーだよ…おちちゃうよ…」


「ふふ…っ…」


「あ…っ…ゆらしちゃ…」


「宝智が笑わせてるんだよ?」


「とも…わらわせ…て…ないよぅ…」


 仲睦まじい兄弟。

 千寿は…宝智には笑顔を見せる。


 あたしは、その短冊を見なかった事にして…お揃いの浴衣を着た二人の微笑ましい姿を見つめた。




「…あの短冊は、千寿が?」


 ぼんやりと花火の跡を見ている所に、突然隣に座った母さんに驚いて肩を揺らせる。


「はっ…お…驚いた……どうして…?」


 母さん…短冊の事、気付いてたんだ…


「そこを見ながら感傷にふけっていれば、七夕の夜の事でも考えているのではと分かりますよ」


 そう言って、母さんは花火の跡に視線を向けた。

 あたしは首をすくめて空を見上げる。


「…千寿の夢って…何なんのかしらね…」


 今も千寿は時々コソコソと出掛けている。

 きっと…引き出しはエアメールでいっぱいだろう。

 本当ならお互いの存在すら知らないはずの二人が…どんな会話を繰り広げているのか。

 …知りたいけれど、あたしにはその資格がない。


 いつか千寿が、彼の事を聞いて来るまで。

 あたしから…話す事は何もない。


 だけど。


 あたしは…その日が来るのを、楽しみにしているのかもしれない。

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