アル・スハイル 1

 いつ、私は家に帰ったのだろう。

 柔らかなベッドの感触に私は、ぼんやりと考える。

 いつもより、ずっと柔らかに感じる。

 部屋は、昼間のように明るい……この光は魔道灯の明かりだ。

 ぼんやりしたまま、ベッドサイドに目をやると、見知らぬ女性と目が合った。

「お気づきになられましたか?」

 女性は柔らかな声でそう言った。

「まだ、起き上がらない方がよろしいですわ。熱が下がるまでは安静に、とのことです」

「熱?」

 そういえば、体がだるく、節々が痛む。

「私……?」

 孤児院の跡地に行った後、家に帰ろうとしたのは間違いない。

 ……記憶をたどりかけ、私は頭痛を覚えた。

「ご無理なさらないで。今、ジニアスさまをお呼びしてまいりますから」

 女性はそう言って、部屋を出て行った。


「ジニアスさまをお呼びしてまいりますから」


 その言葉の意味がわからず、私は首を傾げ……自分がジニアスと会った後、記憶が消えていることを思い出した。

 私は、無意識に首元に手をのばし、ペンダントがそこにないことに気が付く。

 ふと手を見ると、見慣れない袖だ。柔らかくて着心地の良い、上等な寝巻を着ている。

 トントン

「コゼットさま、入りますよ」

 先ほどの女性の声がして、扉が開いた。

 彼女の後ろから、カジュアルな服を着たジニアスが入ってきて、ベッドの傍らまでやってきた。

「コゼット」

 ジニアスは、ほっとしたような表情を浮かべ、私の頬に手を置いた。

「まだ、熱があるな」

「ジニアスさま……私?」

 ジニアスは、そのブラウンの瞳に私を映しながら頬を撫でる。

「ここは、うちの屋敷だ。医者の話では、そもそも、疲労をためすぎらしいぞ。俺がたまたま通りかかったから良かったけど、あのまま倒れていたら大変なことになるところだった」

 どうして、私は道を間違えてしまったのだろう。いくら、ぼうっとしたにしろ、知らない場所でもないのに、マヌケすぎる。

「ご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ございません」

「……迷惑とか言うな。そもそも俺が、コゼットに頼りすぎているから」

 ジニアスは申し訳なさそうに告げる。

 そんなことはない。私は、本来すべき助手の仕事をしていない。私の方こそ、ジニアスの優秀さに頼り、甘えていたのだ。もっと早くに、この仕事を辞めるべきだったのかもしれない。

「良くなるまでは、ここにいろ。コゼットは一人暮らしだろう?」

 ジニアスはベッドサイドに腰を掛けた。一緒に入ってきた女性が、そっと部屋から出て行く。

 彼女は扉をわずかに開けていった。部屋にジニアスと二人きりになって、私は戸惑ったが、よく考えたら、いつも研究室では二人きりなのだ。深く考えすぎなのかもしれない。

 ジニアスは私を妹のように思っていてくれるのだから、かいがいしく世話を焼くのも当然のことなのだろう。

「頭は痛くはないか?」

 ジニアスが心配そうに私の額にふれた。

「今は。それほど」

 ジニアスは私の言葉に顔をしかめた。

「古い魔術の影響だと思う。『緩和』しておく」

 『緩和』とは、黒魔術に痛めつけられた身体に、術者の『生気』を分け与える術だ。劇的な効果はないが、それなりの効果が報告されている……もっとも、使える人間はそうはいないらしいが。

「楽にしていろ、コゼット」

「え?」

 ジニアスは屈みこみ、私の額に唇を押し付けた。

 突然のジニアスの行動に私の頭は真っ白になった。額から身体に脈打つように『力』が流れ込んでくる。

 唇が触れていたのは、僅かな時間だったと思うが、私は近すぎる距離に身体がこわばってしまった。

 ジニアスは、額から唇を外しても、しばらく屈んだままの体勢で、私を見つめた。長い指がゆっくりと伸びて、そっと私の唇をなぞった。

「顔が赤い……熱が上がってきたかもしれん。ゆっくり休め」

 ジニアスは立ち上がり、部屋を出て行った。

 緩和、か……。

 要するに治療である。頭痛は、消えた。でも、代わりに胸の鼓動が痛いほど激しい。

 私は、ジニアスの唇の触れた額に手をやる。

 特別な想いなどないとわかっているのに。

 顔が熱い。自分でもわかる。でも、これはジニアスが私に与えた熱だ。

「馬鹿」

 私は、そう呟いて目を閉じた。勘違いしてはいけないけれど、いまだけは、その熱に抱かれたままでいたい……そう思った。



 翌日になると、身体はだいぶ楽になったが、仕事に行くことはもちろん、家に帰ることもジニアスに禁じられた。

 午後になって、起き上がれるようになると、何人かの女中さんがぞろぞろとやってきて、私の採寸をしていき、あっという間に、私の為にと、ドレスを持ってきた。大きく胸のあいた挑発的なデザインの祭り用のドレスだ。なるほど、今の時期なら、簡単に手に入る服だ。きっと私のサイズに合わせて、慌てて用意したのであろう。

 もうすぐ、この国で一番有名な祭り『アル・スハイル』がある。船乗り「アル」が、恋人に求愛したことを起源とされている恋の祭りだ。

 この日に海の見える丘で、恋人たちがダンスすると幸せになれると言われている。

 もっとも、私は、祭りに参加したことはないし、たぶん、今年もしないだろう。

 開放的な特別な日のドレスは、普段、男性用のシャツを着ている私にとって、大きく開いた胸元が、どうにも恥ずかしく感じられたが、「これがいいんです」と女中さんに熱弁され、何も言えなくなってしまった。

 部屋から出ることは禁じられていたので、私は、ドレスをまとったまま、ソファに腰をかけ、ジニアスの帰りを待った。

 着なれない服もそうだが、フェラン家の使用人たちに貴婦人のように扱われて、どうにも居心地が悪い。

 もう熱も下がったし、家に帰ろうかと思った時、ジニアスが帰ってきたらしい。広い庭に馬車が入ってきたのが開けた窓から見えた。

 そういえば、私の着ていた『制服』を返してもらわなければいけない。荷物も、それから……あのペンダント。

 ジニアスは、あの『想いの通じる石』の意味に気が付いただろうか。

 気がつかないでほしい。この思いをジニアスに知られたら……私は助手でいられなくなってしまう。

 でも。気がついてほしいとも思う。

 想いがグチャグチャになって、自分がどうしたいのかわからない。

「コゼット」

 ノックに気が付いて、頷くと、ジニアスが私の姿を見て、固まった。

 あまりにも見慣れない、私の『女装』に驚いたようだ。

「……すみません。女中さんが用意してくれまして」

 私は、申し訳ない気分になって、そういうと、ジニアスは「ああそうか」と頷いた。

「調子はどうだ?」

 どこかぎこちない感じで、ジニアスは口を開く。なんとなく視線が、落ち着かない。

「もう大丈夫です。本当にありがとうございます」

 私が頭を下げると、ジニアスは、なぜか私に背を向けながら、自分のシャツを脱いで、私の肩にかけた。

「そんなに露出して、また、熱が出るといけない」

「すみません」

 私は私には大きすぎるジニアスのシャツを羽織った。まだぬくもりがのこっていて、まるでジニアスに抱かれたかのような錯覚に、私はクラリとする。

「あの……私の制服は?」

「医者が大丈夫と言うまで、俺が預かる」

 ジニアスは私にソファに座るように促し、自分もすぐ横に座った。

 気のせいか、距離が近くてドキリとする。広い二人掛けのソファなのに、どうして腕が触れあうのか、私は戸惑う。

「何があった?」

 ジニアスは静かな声で、私の顔を覗きこむ。

「疲労もあっただろうが、それだけじゃないだろう?」

 その言葉に、私は首を振った。

「古い記憶を思い出しました……たぶん、そのせいです」

 私は目を閉じた。

「昔……孤児院に慰問に来てくれたかたが持ってきた飴玉に、魔術がかけられていて」

 私は大きく息をした。

「この前、自分が買ったペンダントに同じ人物が魔術をかけていたことに気がつきました」

「孤児院の慰問?」

 ジニアスは顔をしかめた。

「ちょっと待て。飴玉に魔術?」

「はい。当時は、それがなんなのかよくわかりませんでしたが」

 私の答えに、ジニアスの顔が険しくなる。

「ペンダントというのは、コゼットがかけていたやつだな」

 ジニアスの手がやや震えている。

「同じ人物で間違いないのか?」

「はい。たぶん。かけられていたものが何の魔術かまではわかりませんが、同じ人間のいろだと思います」

 ジニアスは、急に立ち上がり、家令を呼んだ。

 顔がいつになく厳しく、こわばっている。

「サネス先生に至急連絡だ。『彼奴きゃつ』が生きている」

 ジニアスの言葉に、私は初めて事の重大さに気が付いて、身体が震えた。



「コゼットを見つけた時、いやな魔術がコゼットにまとわりついていた。新しいものじゃなく、古いものです。おそらく記憶が引き金になったのだろうとは思われましたが」

 ほどなくして。サネスは、ワイズナーを伴ってやってきた。大きなリビングに通されて、ジニアスが説明を始める。私は、ソファに座り、サネスはその正面に。ワイズナーとジニアスは立ったままだ。

 ちなみに、私は、女中さんが持ってきたガウンを羽織っている。ジニアスのシャツを着ていた私を見て、あわてて用意してくれたのだ。「所有権を家の中で主張しないでください」とジニアスに告げていたが、なんのことだかわからなかった。

「古い魔術?」

 サネスが顔を曇らせた。

「生気を奪う黒魔術の方法にはいくつか説があるが、あらかじめ『術者』の『魔力』を対象になじませておくと、効率が良い、とされています」

「聞いたことがあるな」

 ワイズナーが顔をしかめた。

「コゼットが思い出したところによれば、孤児院に慰問に来ていた連中が差し入れた飴に魔術が施されていたらしい」

「なるほど。つまり、コゼットの記憶が曖昧なのは、そのなじんだ『魔力』が原因ということか」

 サネスが渋い顔をした。

「もともとが人を殺傷するだけの魔術をコゼットは受けています。体内に残っている『魔力』が、記憶によって放出されるたびに、コゼットの体調が崩れる」

 ジニアスが私の肩に軽く触れた。

「それはそれで重要な問題なのだが」

 ジニアスは大きく息をついた。

「コゼットが言うには、その魔術と同一人物と思われる人間の魔術の品を最近購入したということだ」

 ジニアスは、首を振った。

 控えていた侍女が、トレイに例のペンダントをのせて前に出る。

「これは恋愛成就の呪い屋で売っているやつだな」

 ワイズナーがボソリと呟き、私は、ひやりとした。

「あの……なんか、懐かしい気がして」

 私は小さく呟く。本当にそうなのだが、なんとなく嘘をついている気分になる。

「どこで、買ったのかね?」

 ワイズナーの目が鋭い。

「市場の……屋台です。黒いベールをかぶった女性が売っていました。女性にとても人気の店のようで……みんな並んでいました」

 私は、ゆっくりと記憶をたどる。

「これと同じ術者のものは、他にはなかったとは思います。魔力はさまざまなものを感じましたので、職人さんはひとりじゃない、そう思いましたから」

私の言葉に、ワイズナーの顔が険しくなった。

「バーバニアン君、無理をしなくてもいいのだが……『飴』にかけられた魔術は、すべて同じ人間だったかどうか、覚えているかね?」

「え?」

 私は、ワイズナーの言葉の意味を悟り、記憶をたどる。

 

 私が手にした赤い飴。仲の良かった男の子が持っていたのは、緑の飴。

 私にいつもまとわりついていた小さな女の子は黄色の飴だ。

 かすむ景色の中で、私はどの飴もキラキラしているものがまとわりついていることに気が付いている。

 でも、他の子供は誰も気が付かない。

 ああそうだ。このキラキラ、いくつもの種類があるのだな、と思う。飴の色が変わるように、キラキラした光も違うのだろうと、私は結論付けて……。


「コゼット!」

 ジニアスが叫び、私の額に手を押し当てた。

 頭が割れそうな痛みが、ゆっくりと和らいでいく。

 ジニアスはそのまま私の隣に座り、私の肩を支えるように抱く。

 私は、ジニアスに支えられながら、大きく息をした。

「おそらく……複数です。間違いない、と思います」

 私の言葉に、皆が息をのんだ。

「まずいな」

 サネスが口を開いた。

「飴のように直接ではないにしろ、若い娘に相当数、魔力をなじませているな。もっとも、買った人間を簡単に特定できない以上、生気を奪うことは難しいだろうが」

「あては、ある、と思います」

 ワイズナーが苦い顔になった。

「アル・スハイルですよ」

 私を支えているジニアスの手に、ギュッと力がこもる。

 アル・スハイルまで、あと十日。

 寝ている場合じゃないのに、私の身体がゾクリと震えた。

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