海軍兵舎、殺人事件 上

 パーティの翌日。

 研究室に行くと、珍しくジニアスは、もう仕事を始めていた。

 帰りの馬車で離れたことについて謝罪をしたのに、よほどお嬢様方に言い寄られたのが嫌だったのか、終始無言だった。

「おはようございます」

 あいさつした私の声は聞こえていないかのように、ジニアスは実験に夢中だ。これはいつものことではあるが、なんだか今日は、『意図的に』無視されているように感じた。私の考えすぎなのかもしれないが、まだ怒っているのかもしれない。

 だからと言って。

 あの場所に、ずっといて、私に何が出来たというのだろう。

 ジニアスを取り巻いていたのは、良家のお嬢様ばかり。仕事の相手であれば、挨拶をし、世間話の一つも出来ようが、私が代わりにお嬢様がたの相手をしたところで、誰も喜ばないではないか。

 そして。美しい令嬢たちに見つめられるジニアスを見ると、どれほど私の胸が苦しいか、ジニアスは知らない。

 知らないからこそ。彼は、私をあの場に連れていったのだ。

 きっと、悪気はないのだ。義務のような女性との社交がわずらわしくて、気安い私をそばに置いておきたかったのだろう。

「ふう」

 私は深く息を吸い、いつものようにスケジュールを確認し、自分の仕事をすすめた。

 ジニアスの好きなものでも作ったら、許してもらえるかもしれないと、ぼんやり考える。

 が。

 その発想がすでに『魔術士の助手』ではない、と思いいたり、そんな自分に思わず苦笑する。

 いつか、ジニアスがそのことに気が付いたら……彼はもっと優秀な助手をそばに置くかもしれない。

 昼前になり、研究室の扉をノックする音がした。

「はい」

 今日は、来客の予定はなかったはず……と確認しながら扉を開けると、ワイズナーが立っていた。

 あいもかわらず、ピシッとした服装で、険しい表情である。

「事件だ」

 私は検視官を招き入れる。彼は、主席監察魔術士であるサネスの指名書を差し出した。

「ジニアスの腕がいる」

 その言葉に事件の深刻さがにじみ出る。本来、監察魔術士は当番制であるが、事件の内容によって担当する監察魔術士は、主席監察魔術士が指名することになっている。

 ジニアスが指名されるということは、かなり厄介な仕事であることが予想された。

「ジニアスさま、お仕事です」

 私は、ワイズナーから受け取った指名書をジニアスに差し出した。

 ジニアスは、嫌そうに顔をしかめたが、実験を中断して私に片づけるように言った。

 私は、言われたとおりに実験道具を片づけ、いつものようにワイズナーとジニアスの会話の内容をメモする。

「昨晩、海軍の兵舎で火事がおきて、人が死んだ」

 ワイズナーは、顔をしかめた。

「……どうやら、魔術が絡んでいる様だ」

「それで……俺が呼ばれるわけは?」

「出火の原因も死因も、魔術が絡んでいて、しかも、鑑識の魔術師では魔力の種類を断定できないほど、見事に隠蔽している。並大抵の相手ではない」

「しかし、軍なのだろう? 内部で調査するのが常で、奴ら、司法の介入を極度に嫌うじゃないか」

「兵舎で死んだのは、軍の関係者ではない。有名人で、しかも、元老院の役員の親戚だ」

 ワイズナーが首をすくめた。

 なかなか、複雑な背景が絡んでいるらしい。

「軍の方でも調査はしている。担当魔術士はブライアン・ラッセネク。エリート中のエリートだけど、食えない男でね」

「ブライアン?」

 私は思わずその名を呟く。昨日、声をかけてきた海軍の魔術師の名前は、そんな名前だったような気がした。

 ちらりと、ワイズナーと、ジニアスが私を見た。

「すみません。お気になさらず」

 ジニアスの片眉が少しだけあがる。話の腰を折られたことが気に入らなかったのかもしれない。

「……で、一般人が、なんで、兵舎で死んだ?」

「亡くなったのは若き女性でね。オリビア・ドルザークという、舞台女優だ」

 ワイズナーは資料をジニアスに差し出す。

「彼女は、ひと月ほど前に、海軍の記念パーティで公演している。それ以降、複数の兵士と交流があったようだ」

「複数ね」

 ジニアスが苦い顔をした。

「ま。現在わかっているのはそれだけだ。交流と言っても、深い仲だったかどうかは、定かじゃない」

 ワイズナーは両肩を軽く上げた。

「遺体は?」

「軍の霊安室にまだ保管されている。現場も、まだ、保存してある」

 ワイズナーにジニアスは頷き、立ち上がった。私はペンを置く。

「バーバニアン君」

 突然、ワイズナーが私の方を見る。

「くれぐれも、我々から離れないように」

「え?」

「軍というのは、女っけがないところでね」

「はあ」

 何を言われたのかよくわからず、首を傾げる。女が少ないと私が迷子にでもなるのだろうか。

「デビット。随分、親切だな」

 ジニアスが、不服そうに顔を歪めたのをみて、ワイズナーはため息をついた。

「私から、と言い換えてもいいのか?」

 ジニアスは無言でワイズナーを睨みつけ、襟を正し私の方を見る。

「何の話ですか?」

「コゼットは、俺から離れるな、という話だ」

 ジニアスの眼差しが真剣な光を帯びている。急に胸がドキリとして、私は慌てて目をそらした。

「……独占欲だけは、一人前だな」

 ワイズナーは呆れたように「先に行く」と言って、背を向けた。

「話が見えません」

 私が首を傾げると、ジニアスは大きくため息をついたのだった。



 海軍の兵舎は、港から奥まった場所にある。海に近いが、海から直接は見えない位置だ。

 私達は、ワイズナーとともに、兵舎の門をくぐった。

 現在は、訓練時間中らしく、門のそばにある事務局には、たいして人がいないようだ。

 事務局にはいっていくと、男が立っていた。どうやら、私たちを待っていたらしい。ワイズナーの姿を認め、ゆっくりと歩み寄ってきた男は、やはり、昨日、パーティで会った男であった。

 男は、私の顔を見ると目を見開いて、それからにっこりと笑った。

 その様子を見た、ワイズナーは問うような目で私を見たが、すぐに仕事の顔に戻る。

「こちらは、監察魔術士の、ジニアス・フェラン。ジニアス、軍の調査担当の」

「ブライアン・ラッセネクです」

 ラッセネクは、そういって、頭を下げる。

 私は、ジニアスの背のうしろで頭を下げた。

「現場も、遺体もそのままにしてありますが、どちらからご覧になりますか?」

「遺体から見せてもらおう」

 ジニアスの言葉に、ラッセネクは頷いた。「こちらです」と、先導する。

「死因は、おそらく魔術による『絞殺』です。火事により多少焼けたようですが、『火』の魔術の痕跡はありませんでした」

「ふむ」

 ジニアスの顔が険しい。『絞殺』となると、使われる魔術の種類も多い。断定が難しいのだ。

 私達は、地下へと降り、しんとした薄暗い部屋へと通された。

 窓はない。ラッセネクは、魔道灯に灯りをともした。

 部屋はそれほど広くはない。部屋の中央に大きな台の上に、布のかかった遺体がひとつ置かれている。

 申し訳程度に、花が遺体のそばに飾られていた。

「女の方は、ご覧にならない方が良いのでは?」

 ラッセネクは私を見て、そう言った。遺体の状態が良くないのであろう。

「お気遣い、ありがとうございます。なれておりますので、ご心配には及びません」

 ラッセネクは、ふむ、と首を傾げた。

 監察魔術士の助手をしていると、酷い状態の遺体をみることなんて珍しいことではない。もちろん、そういったものを見たいわけではないが、それは、誰だって同じことである。

「外すぞ」

 ジニアスが遺体に掛けられた布に手をかけた。

 まだ若い女性だった。美しかったであろう髪は、焦げてちぢれている。

 火の中にあったというのに、損傷は少ないほうだ。手足にただれたような跡はあるものの、顔は火の損傷を受けてはいない。ただ、目はぎょろりと宙を睨み苦悶の表情をうかべている。

「確かに、絞殺だな」

 ジニアスは彼女の首筋に目をやった。赤く締め上げたあとがある。ただし、『モノ』ではない。首の回りにキラキラとエーテルの残滓が煌めいている。

「風と、それから水の力が残っていますね」

 私は、ジニアスの横でそう呟いた。

「水? 水も感じるのか、バーバニアン君」

 ワイズナーが私の方を見る。

「おそらくは。重ねることで、魔力の特徴を消そうとしたのでしょう」

「……相変わらず、すごい『眼』だ」

 感心したワイズナーの横で、ラッセネクが目を見開いた。

「バーバニアン……サネス・バーバニアン氏の、秘蔵ッ子でしたか!」

「はい?」

 私は首を傾げた。

「お噂はうかがっております。あなたのようなお美しい方だったとは」

 ラッセネクはニコニコと微笑んで、私の手を取ろうとした……とはいえ、遺体のそばである。

 ジニアスが軽く咳払いをしたこともあり、さすがに、すぐに真顔に戻った。

「水はわかりませんでした。てっきり風かと」

 ジニアスはちらりとラッセネクを睨みつけ、さっと手をかざす。

「たぶん、風はあとからまとわりつけただけだな。ただ、風も複数の術をからませている。死因は間違いなく水縄の術だな。火事で燃やそうとしたのは、水のエーテルを少しでも散らすためかもしれない」

 ジニアスは眉を寄せた。

「術者は……複数だ。巧妙に、術を重ね合わせている……特定に時間がかかるな」

「お前でも、そうか」

 ワイズナーは首を振る。顔が険しい。

魔存器まぞんきを」

 ジニアスに言われて、私は鞄から、エーテルを保存するために開発されている瓶を取り出す。

 一見、ジャムでも入っていそうなこの瓶は、抽出した残存魔力を保管するための容器である。残存魔力を抽出するというのは、かなり高度な技術がいる。何より、自分の魔力が残らないようにしなければいけないので、かなりデリケートな技である。

「遺体から分離した瞬間に合図を」

 ジニアスの指示で、私は、遺体の首に残っている残存魔力を見つめる。

 ジニアスの詠唱が始まった。

 キラキラと僅かな魔力の欠片が光を放ち、浮き上がり始める。いくつもの魔術を重ねた証拠に、その欠片は様々な色を放っている。複雑な輝きだ。

「今です」

 私の合図で、ジニアスは、ふわりと欠片を自分の魔力でくるむと、魔存器へと放り込む。

「お見事」

 ラッセネクが、心底感心したように唸った。

 ジニアスは、それには答えず、遺体をもう一度丁寧に観察する。

「物理的に争ったような傷はないな。当然、物取りでも、乱暴を加えようとしたわけでもなさそうだ」

 ふうぅっと息を吐く。

「彼女、魔術は使えたのか?」

「いや、魔術の才能は全くなかった」

 この国では、子供が生まれると、一度は魔力があるかどうか、検査を受ける。

 魔力は『教育』が必要な能力で、暴走すると危険だからだ。

 ちなみに、私も受けたが『魔力はない』と判定された。実際、『魔術』は使用できないのだから、そうなのだろう。

「これは……ただの感想で推測ですらないが」

 ジニアスは思慮深げに口を開く。

「痴情のもつれではないと思う。愛憎の念が、まったく感じられない」

「そうか」

 ワイズナーの表情が厳しい。なんにせよ、事件はスカッと簡単に解決できそうもない。

ジニアスは、もう一度遺体に布をかけた。

「現場を見よう」

「こちらです」

 ジニアスにラッセネクが頷き、私達は霊安室を出た。


 事務所を出て、兵舎へと向かう。兵舎は、二階建てで、三棟ならんでいる。

一番北側の兵舎の壁が黒くすすけている。

「事件のあと、とりあえず立ち入り禁止にはしてあります」

 ラッセネクはそう言って、兵舎の入り口を開いた。

「ただ、この兵舎に住んでいる兵士たちをいつまでも入れない訳にはいかないので……」

「わかっている」

 ワイズナーは、苦々しく頷く。

「兵舎というと、どなたかの私室ですか?」

「いや、食堂だ」

 と、ワイズナーが答えた。

「食堂って、誰でも入れるのでは?」

 私の問いに、ラッセネクは苦笑した。

「そうですね……ただ、出火が発見された時間は、既に夕食は終わっており、料理人も仕込みが終わって部屋に戻っています。ある意味では、娯楽室より、人は来ません。鍵はかかっておりませんから、誰でも入れますけれど」

「随分、大胆な状況での犯行だな」

 ジニアスは眉をしかめた。

 私達は、食堂へ入っていく。壁がすすけていて、焼け焦げたテーブルやいすが転がっている。

「そこの床に被害者は倒れていました」

 ラッセネクが床の白い部分を指さした。すすに汚れた床の中で、そこだけがやけに綺麗だ。

「火の魔術は、ひとりだな。水のエーテルも感じるが、これは消火に使ったものだろう……遺体で感じたものとは違う……火の魔術を使ったのは若い男性だ。十代から二十代。女を燃やすつもりはないのか、それともコントロール能力が低いのか定かではないが、どうみても、火をつけたのはそのテーブルの方だし、発火させること以外目的を持っていないようだ」

 ジニアスは床やテーブルを調べながら首を振る。

「発見された状況は?」

「夜中に当直が見回りに来て発見しました。人影は見ておりません。この部屋全体に火は広がりつつありましたが、幸い、水の魔法で簡単に消火できたそうです」

「なるほどね」

 ジニアスはふうっと息を吐いた。

「騒ぎになっただろう?」

 ジニアスの言葉に、ラッセネクは頷いた。

「そうですね。大騒ぎになりました」

「火をつけたのは、それが目的なのだろう。もちろん、水の残存魔力を散らしたいという目的もあっただろうが」

 ジニアスはそれだけいうと、魔存器にまた、残存魔力を回収した。

「とりあえず、俺が今わかるのはそれくらいだな。あとは、研究室で調べてみないと……分離には数日かかりそうだ」

「しばらく、泊まり込みになりそうですか?」

 私の問いに、ジニアスは頷いた。私は、ふうっと息をついて、魔存器を丁寧に鞄に入れる。

「では、このあたりで俺たちは研究室に戻る」

 ジニアスは、ラッセネクに頭を下げ、ワイズナーにそう言った。

「わかった。聞き込みをしている奴のところへ顔を出してくるから、先に帰ってくれ」

「お見送り致しますよ」

 ラッセネクはそう言って、私の手にしようとした荷物をさっと手にした。

「すみません、持っていけますから、大丈夫です」

「女性に荷物を持たせるわけにはいけません」

 ラッセネクは笑った。ジニアスが嫌な顔をした。当然だ。これでは、ジニアスが酷い人間に見えてしまう。

 私は、慌てて首を振った。

「あの、私の仕事なので」

 ジニアスが紳士でないわけではない。私は、ジニアスの『助手』なのだ。荷物を持って運ぶことだって、立派な仕事なのだ。

「わかっております。けっして、フェラン氏を非難しているわけではありません。ただ、あなたに好かれたいだけです」

「え?」

 言われた意味がわからず、キョトンとすると、ジニアスは不機嫌そうに、私とラッセネクの間を割るようにして立ち、ラッセネクから荷物を奪い取るようにして持つ。

「うちの助手をナンパするのはやめてもらおうか」

「おや? おふたりは、恋人なのですか?」

 睨みつけるジニアスの視線をものともせず、ラッセネクは睨み返している。

 否定も肯定もしないジニアスに、私の胸は苦しくなった。

 私を守ろうとしてくれているのだろうが、いっそ、即座に否定してくれる方が割り切れるのに、と思う。

「ラッセネクさん。もう、やめてください。あなたが紳士だというのはわかりましたから」

 私は首を振る。

「勤務中です。仕事以外のお話は、勘弁してください」

「勤務以外の時間なら、よろしいのですね?」

 ラッセネクは微笑んだ。 

「見送りはいらない。勤務に戻ってくれ」

 返答に困っていると、ジニアスは私の腕をつかんで、手を引いた。ラッセネクはそれ以上何も言わず、私達は、そのまま一礼して別れた。

 馬車に乗っても、ジニアスは無言で、私の手を握りつづけていた。

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