第36話 星空の下で


『覚醒シークエンス実行中。身体に異常ありません。血圧・脈拍ともに正常まで上昇中』


 コンピュータの声がどこか遠くに聞こえて、リョウは重いまぶたをゆっくりと開いた。

 まだ朦朧としている意識の中で、最初に目に入ってきたのは満天の星空だった。いくつもの星が美しくきらめいて見える。


(きれいな星空だな……)

(そういえば、これと同じことが前にもあった……)


 星空の下でコールドスリープから目覚めたのは、これが初めてではなかったはずだ。心の何処かで感じる既視感。だが、それはいつのことだっただろうか。まだ、目覚めたばかりで、頭が回っていないのか、記憶がぼんやりしている。


(あの時もこんなふうに囲まれていた……)


 ふと、カプセルを取り囲むようにして自分を見下ろしている人たちに気がついた。

 当時、目覚めた直後は、まだ事情がのみ込めておらず、うろたえていたことが思い出される。

 そして、その中で自分が最初に話しかけたのは、こうやって隣にいた女性ではなかったか。


(えっ……?)


 ようやく、リョウの意識もはっきりしてきた。それに伴い、これまでのこと、そして現状の様子、そして、自分の周りにいる人たちのことが、一気に意識に流れ込んできた。あわてて身体を起こす。

 その突然の動きに、周りにいた者は驚いた声を上げた。

 何もかも前回目覚めたときと同じだった。満天の星空、カプセルを取り囲む人々。辺りを橙色に照らす篝火。だが、一つだけ大きく異なる点があることがあった。それに気がつき、リョウはうれしさで笑顔がこぼれてきた。


「アリシア! それにみんな……」

「ああ、リョウ、気がついたのね! よかった……」

「無事で何よりだよ」

「リョウさん」

「小僧!」


 あの時と違うこと。それは、周りを取り囲んでいたのが、自分の仲間たちだということだ。

 アリシア、そして、アルバートを始め発掘隊の全員がカプセルを囲んで、リョウの帰還を口々に喜んでいた。相変わらず、後ろに控えていた村人たちが、「ははーっ」と土下座したり、ひざまずいて自分に祈りを捧げているのも見える。

 

「俺は……助かったのか……」

「ああ、私、私……」


 アリシアが、カプセルの中で半身を起こしたままのリョウに飛びつく。


「おっと」


 リョウは、しっかりとアリシアを受け止め、抱きしめた。


「心配かけちまったな」

「……ホントよ。不安でどうにかなりそうだったんだから」


 もう離したくないとばかりにしがみついてくるアリシアの背中をさすってやる。彼女の声が心地よくリョウの心に染み込んで来る。


(ああ、俺は、帰ってきたんだ)


 元いた世界から一万年も未来。そこで二度目にコールドスリープから目覚め、「帰ってきた」という感触を初めて感じたとき、リョウは、本当に自分がこの時代の人間になったのだと感じたのだった。


「おかえりなさい」


 その気持ちを汲み取ってくれたかのように、アリシアの声が聞こえてくる。


「……ただいま」


 リョウは、いっそう強く彼女を抱きしめたのだった。




■■■■




「ホントに、よく助けてくれたよな」


 目覚めて一息ついたあと、リョウはアリシアと二人で中腹の崖まで来ていた。ここはアリシアのお気に入りの場所であり、彼女をテレポートさせた場所でもある。

 当初、発掘隊はこの場に避難していたらしい。だが、リョウの捜索にヴェルテ騎士団が呼ばれたため大所帯となり、もう少し麓近くの広い場所に移っていた。今ここには二人しかおらず、月明かりの中ひっそりとしていた。


 崖から見下ろすと、岸近くで篝火が焚かれていて、湖面が赤や橙色に染まって揺らめいている。満天の星空と相まって極めて幻想的な風景だった。


「あれからどれくらいたったんだ?」


 リョウは、しばらく湖を眺めたあと、隣に立つアリシアに尋ねた。


「今日で11日目よ」

「え、そんなに?」

「ええ。水中の発掘作業に時間がかかったのよ」

「そうだったのか。俺はてっきり昨日今日の話かと……、相変わらず、寝てる間に時間が経っても分からんものだな。……ん、何を笑ってるんだ?」


 アリシアが何か愉快なことを思い出したのか、含み笑いをしていたのに気がついた。


「ごめんなさい。実は、リズがあなたの眠っている正確な場所を教えてくれたんだけど、そのやり方が面白くて。ちょっと思い出しちゃった」


 そう言って、またクスクスと笑う。


「へっ? あいつ、何をやったんだ?」

「湖面の上にね、ここからでも見えるくらい大きくてピンク色に光る矢印を立てたのよ。確か、ホログラムっていう呪文だったかしら。それも『ココ!』っていう文字付きでね」


 リョウは、その光景を頭に浮かべて思わず吹いた。


「ぶっ。それはなかなかシュールな光景だな」

「でしょ。おかげで正確な位置が分かって助かったんだけど、ただ棺がちょっと深い所に埋まってたのよ」

「ほう」

「だけど、ガイウスさんが、リョウには恩義がある。なんとしても掘り起こせっていって、アルティアからヴェルテ騎士団を千人呼び寄せて、あと、水の中で息ができるようにって、呪文が使える高位の魔道士をつれてきてくれたの。かなり大掛かりな規模だったのよ」

「そうだったのか……」


 リョウは、目覚めた後ガイウスに言われたことを思い出す。


『わしの命を助けてくれたことも感謝しておるのだが、我ら騎士団一同、最も感謝しておることは他にあるんだよ』

『ん? 他に何かしたか?』

『何を言うか、ラースたちの遺体もテレポートさせてくれただろう』

『ああ』

『おかげで、ちゃんと弔ってやれるし、家族も別れを告げることができた。この事だけでも我らは、お前に大きな恩義を受けたことになるんだよ。もうお前さんは、王国で最も勇敢と知られるヴェルテ騎士団を仲間に得たと思ってくれていいぞ』


 リョウは差し出されたガイウスの手を握り返した。


『そうか。そう言ってくれるのはありがたい。……が、あえて一言だけ言わせてくれ」


 リョウはニヤリと笑みを浮かべる。


『俺は、もともと処刑対象だったことを考えると、大層な出世じゃないか?』

『ははは、まあ、それはそれだよ』

『ちぇっ、しょうがねえなあ』


 そう言って、二人は笑い合ったのだった。


 そしてまた、カプセルがどこに出るかは完全に賭けだった。彼らの力を借りても掘り起こせない深さに埋まる可能性もあったのだ。リョウは、自分の幸運に感謝した。


「ホントにすごい爆発だったのよ」

「そのようだな。暗くてよく見えないが、山の形も変わってしまってる」


 二人は湖に視線を戻す。篝火の光では周囲の山々までは見渡せないが、確かに、自分が見慣れてしまった光景とは全く異なっていた。発掘現場もすでに水没してしまってここからは見えない。


(もう、基地は完全に破壊された。そして、キースも……)


 今までは強く意識していなかったが、基地の存在は自分にとって大きかったらしい。自分と元の世界をつなぐ唯一の証として、ある意味では自分の心の支えになっていたのだろう。基地の中でアリシアが言った通りだ。


(本当に一人になっちまったな……)


 カレンはすでに亡く、キースも死んだ。

 もう、元の世界と自分をつなぐものは何もない。急に孤独感が湧き上がり、押し流されそうになる。


 だが、それを察したのだろうか、アリシアがいたわるようにそっとリョウの腕に手を置き、体を寄せてきた。

 それだけで、リョウは心が満たされ、孤独感が消えていくのを感じた。


(そうだ、俺は一人じゃない。アリシアがいるじゃないか。アリシアさえいれば、俺は……)

(あれ、そういえば……)


 脱出間際に別れを告げた時、彼女に自分の気持ちを告げたことを思い出した。そして、まだ返事をもらっていないことも。


(……ちょっと待て。だいたい、『俺にはアリシアがいる』とかいって、振られたらどうすんだよ。お花畑か俺は)


 アリシアがずっと自分のそばにいるという前提で考えていた自分に、思わず自分でツッコミを入れる。

 リョウとて、そこまで鈍感ではないつもりだ。それなりに好意は持たれている自信はある。ただ、これほど自分に親身になってくれているのは、単にアリシアが慈悲深いだけという可能性も否定はできない。


(やっぱり、ちゃんと返事をもらってケリをつけるしかない)


 ちょうど今ここに二人しかいないということを、改めて気づく。

 リョウは覚悟を決めた。 

 急に鼓動が早くなるのを無視して、コホンと、咳払いをする。


「あ、えーと、そういえばさ」

「え、ええ、な、なに?」


 アリシアの様子が急にぎこちなくなった。彼女も同じことを思い出したのは間違いない。


「あ、あのさ……俺が生きて帰ったら、返事くれるって言ってたよな」

「そ、そうね」

「なら聞かせてくれないか、お前の気持ちを」

「……うん」


 横顔を見ると、月明かりでも彼女の頬が染まっているのが分かる。


「……」


 アリシアはしばらく黙ったまま悩んでいた。

 即答ではないところに不安がよぎる。もしかして、断る理由でも考えているのだろうかと思ったところで、彼女が顔を上げた。


「あの……ね。その前に……もう一度あなたの気持ちを聞かせてもらってもいい? ほら、あの時はあんな状態だったし、あなたの気の迷いとかだったら嫌だし、それに…… ちゃんと私を見て言ってほしいの」

「あ、ああ。それはもっともだな」


 リョウは、アリシアに向き直り、まっすぐに彼女の目を見つめた。

 月の光に照らされたアリシアは精霊の化身のように儚げで美しかった。

 

「アリシア、俺はお前が好きだ。ずっとお前と一緒にいたいんだ。俺と付き合ってくれないか?」

「ああ、リョウ……」


 アリシアは、感極まったかのように言葉を切って、そして続けた。


「私も、あなたのことが好きよ。私もずっとあなたのそばにいたいの」

「おお! そうか!」


 有頂天になって飛び上がりそうになったとき、彼女の表情が曇ったのが分かった。


「……でもね」

「で、でも?」

「本当に私なんかでいいの? 私、お母さんみたいに綺麗じゃないし、しっかりしてないし、それに跳ねっ返りでお淑やかじゃないし……。私じゃお母さんの代わりになれないわよ」


 少し不安げな表情でリョウを見上げる。その姿が、あまりにも健気でいじらしく、リョウは彼女に対する愛情が溢れかえるのを、もはや止められなかった。

 不意に彼女を引き寄せ、華奢な体を力強く抱きしめる。


「きゃっ」


 アリシアが戸惑ったような声を上げた。


「ど、どうしたのよ、急に?」


 リョウは彼女の両肩を掴んで体を離し、顔を覗き込むように見つめた。


「お前が馬鹿なことを言うからだ。いいか? お前は、俺にはもったいないほど可愛いと思ってるし、魔物と戦う凛としたお前も、いたずらっ子みたいな目で言い返してくるお前も、人の気持ちに寄り添える優しいお前も、みんな好きなんだぜ。この気持ちにカレンは関係ない。俺は、あいつの代わりが欲しいんじゃないんだ。もう、お前でないとだめなんだよ。跳ねっ返りだろうがなんだろうが、俺はそのままの、素のお前にべた惚れなんだよ!」

「リョウ……」


 アリシアは、想いがほとばしるようなリョウの告白に、心が動かされたようだった。

 彼女の表情から不安の色は消え、幸せと喜びに満ち溢れた顔になる。


「そこまで言ってもらえるなんて、幸せよ。……あなたの気持ちは分かったわ。それなら、私をあなたの……恋人にしてくれる?」

「ああ、もちろんだ」


 リョウは、改めて彼女の瞳を見つめた。

 アリシアも、眩しそうに見つめ返す。


「アリシア……好きだ」

「私も、好きよ。リョウ」


 二人は、まるで自分たち以外に世界が存在していないかのように見つめ合った。


「アリシア……」


 リョウは彼女の名前を呼んで、その顎に手を添えると、そのまま彼女の唇に顔を寄せていった。


「あ……」


 アリシアは小さく声を上げて体を震わせたが、抗いはしなかった。そして少し上を見上げて目を閉じる。

 リョウはそのままそっと唇を重ねた。柔らかな彼女の唇の感触が、まるで暖かい電気のように自分に伝わってくる。

 アリシアはリョウの唇を受け入れたままじっと動かない。だが、リョウが手を握ると、きゅっと握り返してきた。

 やがて、ゆっくりと顔を離す。アリシアの目は潤んでいた。


「す、すまん、嫌だったか?」

「ううん、違うの。嬉しかったの。あなたと、こうなれたらいいなって思ってたから」

「そうか……」

「ずっと一緒にいてね」

「ああ、これからはずっと一緒だ」

「……よかった」


 アリシアが甘えるように胸に寄りかかってくる。

 彼女の体を両手で抱きしめると、リョウは心が満たされ、深い幸福感が身体中に染み渡るのを感じた。


(一人じゃないって、幸せなんだな)


 きっと自分にとっては、いつの時代を生きるかではなく、誰と生きるかの方が重要なのだ。それに気づくと、急に心が軽くなるような気がした。


 彼は、体を離してアリシアの肩を抱く。

 そして、二人で湖に目をやった。湖面が相変わらず篝火に照らされて、幻想的な光景を映し出している。


「……ねえ、リョウ。調査が終わったら、お母さんに報告しに行きましょう」

「そうだな。あいつもきっと喜んでくれるだろう」


 リョウは夜空を見上げて、心の中でかつての恋人に語りかけた。


(カレン……)

(さよならだ。俺は、俺の人生を行くよ)


 彼女の声は聞こえてこない。だが、リョウには、どこかで彼女が微笑んでいるように感じられたのだった。




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