第1章‐18

 昨日今日と、すっかり話し合いの場と化している福禄屋の裏長屋にて、いつもの面々と幸七郎とが額を突き合わせていた。


「……という訳での、おれたちはその寺の話しか聞けなんだ。だが寺と墓があるとなれば、見に行こうとは思うておる」


 玉子稲荷へ行き、帰って来た火白と千次、それに小狐たちは今日一日の話をそう締めくくった。


わたくしは、ずっとお店を手伝っていました。怪しい影もなくて、何事もありませんでした」

「うん。久しぶりに、何事もなく一日中店を開けていられたよ。芯太が寝付いている間は、開けていても落ち着かなくってね」


 火白の隣に膝を揃えて座っているのは久那で、その向かいに座っている幸七郎は変わらない柔和な表情でそう答えた。福禄屋は何事もなく今日の商いを終えたのである。


「そうかぁ。で、私たちのほうだが、香を買った怪しい奴を見つけられたよ」

「誠か!?」

「本当かい、姉さん!」


 身を乗り出したのは、火白と幸七郎である。


「ああ。まあ、晴秋の姐さんの交渉術ってのを見せてもらったぜ。いやぁ、見事なもんだったわ」


 本気なのか冗談なのかわからぬ口調でそういうのは、晴秋と共に行動していた雪トであった。彼らは一日店を周って、刀についていた香りと同じ匂いのする香がないか、聞いて回ったのである。

 結果、三人が退魔の刀に焚き染められていた香と、同じものを買っていたことがわかった。というより、その香そのものが退魔の力を刀に宿らせる儀式に必要なものだったそうだ。


「三人中二人は私の知り合いだったから、雪トくんに頼んで運んでもらってね。江戸に散らばって住んでいる連中を探して、直に聞いてみたのさ」

「運んだって……あの、めっちゃくちゃな動きで晴秋を運んだのか?」


 昨日、到底人間技でない機動で捕り物に付き合わされた千次である。だが、晴秋は軽く頷いた。


「ああ。何せ彼らはあちこちに住んでいるからねぇ。急いだのだよ。いやぁ、それにしても鬼の脚力というのは凄いね!屋根とか蹴って私の脚なら、二刻かかるところを四半時で行けるのだから!」

「姉さん、なんでちょっと楽しそうなんだ……」


 自分より背の低い少年に負ぶわれて、ほとんど空中散歩のような勢いで動き回ったというのに、晴秋は極めて元気である。納得いかなそうに、千次が眉にしわを寄せた。


「それで、その知り合い二人に会ってどうだったのだ?」


 火白がそう言うと、晴秋は答える。


「うん、残念ながら空振り。狐の臭いなんて欠片も無かったよ。そもそもあいつら、妖の仕事はここしばらく引き受けてもいないってさ」


 蟲毒の術を使った気配もなく、彼ら二人は今回とまったく関わりなさそうだった。


「では、最後のひとりが?」


 久那が呟くように言うと、晴秋は表情を引き締めて頷いた。


「そう。最後のひとりだけは、誰かわからなかった。香を売った店の者も、見たことがなかったと言っていたよ。ただねぇ、江戸はほら、人の出入りだって激しいから、新しい余所者がやって来たと思っただけだったようだ」


 火白たち三人とて故郷を離れて新しい暮らしを始めるべく、江戸の外から流れて来た者だが、人間も同様である。

 食い詰めた農家の次男三男などが、とにかく江戸に来さえすれば職にありつけると踏んで移り住んで来る。そんなふうだから、江戸では男女の数がまったくつり合っていなかったりもするのだ。


「人相はわからなかったのかい?」

「それがねぇ、不思議なくらい印象に残っていないんだと。男で、なにやら特徴のない顔をしていたってことくらいしか、記憶にないと来たもんだ。まったく、客商売で、しかも新しい客なら、覚えていたってよそうなものなんだけど」


 御上の眼を掻い潜って、怪しげなものを取り扱う店だから、客はかなり限定されるのだ。故に、見覚えのない新参が訪れれば目立つ。だというのに、店主は香を買った見知らぬ客について、何も覚えていなかったという。それこそ、誰かに記憶を拭い去れでもしたように。


「却って不自然だのう。何か術でも使ったか?」

「だろうねぇ。それにしても、こうも振り回されている感があると腹が立ってくるね!」


 鬼まで動いて東奔西走しているのに、犯人が男か女かも定かでない。恐らく人間ではあるのだろうが、それすらも疑いたくなってくる。

 晴秋の叫びは全員の代弁で、皆苦笑するしかない。


「それは勿論そうなんだけど、どうしてうちが狙われたのかもわからないね」


その中、静かな声で言ったのは、幸七郎である。穏やかな顔こそしているが、彼の中に怒気が動いているのをなんとなく感じて、火白は眼を細めた。 

 何せ、二度も大切な己の子が狙われているのだ。火白は誰かの親でもなく、心中を察するしかできないが、もしも己に子がいて、その子に何か謂われない悪意が向けられたとするなら、やはり自分も激怒するだろうと思った。


「晴秋さん、お聞きしたいのですが、その見知らぬ客が訪れた店というのは、どこにあるのでしょうか?」


 不意に久那がそう言う。晴秋はちょっと虚を突かれたようだった。


「うん、ここからだと不忍池に最も近い……あ、そうか。火白くんたちが聞いて来た怪しい寺も不忍池の近くという話だったね」


 途中まで言いかけて、思い至ったように晴秋が手を打った。


「香を買った者と、寺に居座って妖を術で追い払った者は、同じってことか?」

「結論を出すのも性急だ……と言いたいところだがのう。おれたちには、今それ以外に手がかりも何もない」


 刀についていた香、着物の切れ端についていた墓土の臭い、久那とお夏が描いた人相書き、小狐たちが覚えていた方相氏の面貌と、妖たちの話に、店主の証言。

得た手がかりはこれだけである。

 繋ぎ合わせて考えて、確かにひとつ怪しい場所は浮かび上がって来たものの、確かな証があるとはとても言えたものではない。むしろ、何とか怪しいと思えるところをやたらとほじくり返して見つけ出して来たと言う印象だった。

 それがわかってか、指を折ってこれまでの証拠を数えてみた千次が、肩を落とした。


「そう落ち込むな。まだやれることはあろうが」

「わかってるよ。寺に行くんだろ?……でもさ、妖が行って、平気なのか?結界があるんだろ?」


 江戸には妖を祓うと評判の寺や神社は、いくつもある。

 無論、すべての坊主や神職が妖を見ることができる訳もないが、元々仏や神の領域である場に、妖は入れなかったり、弾かれてしまったりといったことがあるのだ。

 久那の父である山神や玉子稲荷の稲荷神などのように、妖を眷属として迎え入れる神もいるが、闇に通じる生きものとして、厭う神もいるのだ。なにせ日の本には八百万も神々がおわすのだから、神による違いとて多くなるのが当然だ。

 ちなみにこれが仏となると、妖とみれば人を惑わす輩として神よりも容赦がない。

 人を喰う、喰わないに関係なく、妖すべてをひっくるめて、魔の一派とでも思われているのかもしれない。少なくとも、火白はそう聞いて育って来た。

そういうことのすべてを飲み込みつつ、火白はふむ、と考え込むような仕草をした。


「うむ、ま、何とかなるだろう」


 その横で、雪トが呆れたようにかぶりを振った。


「というより、主の場合は何とかなるっつうより、何とかするんだろ。どうせ」

「どうせとはなんだ、どうせとは。だが、真面目な話をしてもなぁ。結局力業で斬ったほうが早いと思うのだ。……寺は、壊れるかもしれんがのう」

「いやいや、ちょっと待とうよ。力業前提で話してるよね、君たち!」


 それがどうかしたのか、と鬼の二人は、声を上げた晴秋にきょとんとした顔を向けた。

 少年の顔の妖たちに向けて、晴秋は言い聞かせるように人差し指を一本立てた。


「勘違いしないでほしいんだけれど、その寺にいる奴が一番怪しいと私も思うよ。でもさ、いきなり鬼の君たちが結界をぶち壊して、もし全然関係ない御仁だったら大惨事じゃないか」


 せめて最初に晴秋が一緒に行き、話をつけてみようというのだ。


「江戸は妖も多いけど、人だって多い。目立つことをして、それこそ御上のお墨付きの陰陽師とか由緒正しいお寺とかに眼をつけられるのは、君たちだって御免だろう」


 この先ずっと火白と久那と雪トが、江戸に住むというのなら、武家の屋敷も由緒ある仏閣も多い不忍の池の端で、打ち捨てられているとはいえ、いきなり寺ひとつ倒壊させるような荒事を引き起こすのはまずいと晴秋は言ったのである。下手をすれば、祓い屋どころか十手持ちが退去してやって来かねない。

 それに、今の火白たちは福禄屋に世話になっているのである。客商売の小間物屋に迷惑のかかるような話になるのは、無論のこと御免であった。


「ああ、そりゃ盲点だなぁ。やっぱり山と江戸は違うねぇ」


 己も昔は人間だったが、確かにいきなり結界を壊すことから考え始めるのは、血の気の多い鬼の所業だわな、と雪トは肩をすくめた。


「確かにの」


 前世が人間だった火白も、苦笑するしかない。

 氷上の鬼というのは、強いほうが正しいし勝ちという至極単純な論法の下に、好き勝手に生きるような輩ばかりなのだ。彼らの中にも、鬼の誇りや矜持など、守るべきものもきっちりとあるのだが、それも戦いの中でこそ成立するようなものがほとんどだ。

 何せ里長からして、長男を勘当するために、三日三晩屋敷を引っ繰り返し、山の一部を打ち崩しかねないような大喧嘩を繰り広げて、里の者全員に異変を知らしめてしまうようなところなのだ。波風立てぬよう事を収めるというやり方に、基本的に疎いのである。

 己は彼らほど荒っぽくはないと思っていただけに、晴秋の指摘はかなり火白には堪えた。

 共に口を閉ざした鬼の二人の前で、晴秋は腕組みをして胸を張った。


「決まりだね。明日はすぐ、その寺に行こう。あ、でもほら、私ひとりはやっぱり怖いから、君たちにはついてきてほしいけどね!」

「心得たが、やはりそうなると、おれたちは、最初はどこかに隠れていたほうがいいだろうかの?」

「そうだね。相手が怪しそうだったり、全然話を聞いてくれそうになかったりしたら、君たちに結界でもなんでもぶち破ってもらおうか。……あ、なるたけ静かにしてもらうとありがたいけどね」


 屈託なく、しかし笑っていない意気込みを感じさせる瞳で、そう言い切った晴秋であった。


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