第2話 欠落/4

 喫茶店を後にして目的の店に入った瞬間、フレイセルは居心地の悪さを覚えた。普段あまり服屋になど入らないから、妙な気恥ずかしさを覚えるのだ。ミルテも色とりどりの布を前に目移りし、入り口で立ち止まってしまっている。

「うわあ……服屋さんってやっぱり緊張しますね」

 ミルテもフレイセルと同じ感想を抱いていたようだ。ノフィは相変わらずすましている——が、若干そわそわとしているように見えなくもない。

「新しい装いを見て眺めるのは、悪くありません。私は好きです」

「そうなんですか」

 ノフィの言葉に、ミルテが嬉しそうに笑う。フレイセルも、てっきり彼女は勉学一辺倒だと思っていただけに、先ほどの喫茶店の件といい、人並みに余暇を楽しむ側面があることを知って認識を改めた。少なくとも今は、初めて出会った時のような冷たさは和らいでいるように思える。

「ノフィさん、ミルテさんに似合う服を見繕ってあげてくれませんか」

 私はそういうことは得意ではありませんから、とヴェイルがノフィに提案する。ノフィは肩をすくめて、そのためにいるようなものですからね、と恨めしそうに小さく呟いた。それに、ヴェイルはつけ加える。

「その代わりとは言ってはなんですけど、あなたも何か好きな服を一着選んでください。いつも私を助けてくれるお礼です」

 ノフィの肩がぴくりと跳ねた。ヴェイルを振り返った彼女は、困ったような、嬉しいような、複雑な表情を浮かべていた。

「遠慮なさらずに。休日も私に付き合って、おしゃれを楽しむ余裕もなかったでしょう」

 ヴェイルなりの気遣いを受け取るか受け取るまいか、ノフィは悩んでいるようだった。恥ずかしいのか、わずかに頬が赤い。

「……先生が、」

 やがて、もじもじとスカートの前で指を組んだり解いたりしていたノフィが、口を開いた。

「先生が選んでくださるのなら考えます」

「はい?」

 予想だにしない返答に、今度はヴェイルが固まる番だった。目を瞬いて、ノフィの言葉を胸中で反芻した後、慌てて首を横に降る。

「いえ、私はそういうのは得意ではないと……流行りも分かりません」

「先生もおっしゃったじゃないですか。流行りなどはよいので、私に似合いそうな服を見繕ってください」

「そんな無茶な……」

 たじろぐヴェイルは視線をさまよわせると、フレイセルに助けを求めた。フレイセルはそんなヴェイルの様子を一通り眺めて楽しんだ後、いいんじゃないですか、と意地悪を言ってみた。ヴェイルはますます困った顔をして、誤魔化すようにミルテとノフィの背中を押す。

「ほら、本来の目的を忘れてはいけませんよ」

「はぁい」

 くすくすと笑いながら陳列棚の向こうに二人の影が消えると、ヴェイルはほっと息をついた。

「フレイセルさんは、昔から私を困らせるのがお好きですよね」

 大の男がむくれるのをかわいいと思う趣味はないが、ヴェイルは例外だ。いつも穏やかに微笑んでいる表情が焦ったり慌てたりして、頬まで赤くしてころころと変わっていくのは、見ていて飽きないとフレイセルは思っていた。とはいえさすがに、それを伝えるとしばらく口をきいてもらえなくなりそうだったので、やめる。

「先生は優しい方ですから」

 二人を待つ間、手持ち無沙汰に男物のシャツや上着を物色しつつ、フレイセルは話題をそらした。

「私は……」

 フレイセルの言葉をどう受け取ったのか、ヴェイルは少女二人の様子を遠くから眺めながら、嬉しそうに目を細める。

「どんな人にも、幸せであって欲しいと思います。叶えられる手段があるならそれを選びたい」

 フレイセルは遅れて、ヴェイルの横顔をちらりと盗み見た。

 これが、ヴェイル=アールダインという魔術師の生き方なのだ。誰もが一度は願い、そして捨てていく夢を、彼は諦めようとしない。ヴェイルを否定する者と同じくらい慕う者が多いのは、そんな彼のひたむきさに憧れるからなのだろう。

 彼といると、到底無理だと思えることでも『なんとかなるだろう』と思えてしまうのだ。悲しいときも、不安なときも、彼は紅茶一杯で嵐のような心を鎮めてしまう。フレイセルの視線に気づいて、ヴェイルはフレイセルに笑いかけた。

「フレイセルさんは、今——」

「先生」

 しかし、その表情に急に追い詰められたような気持ちになって、フレイセルはヴェイルの言葉を遮った。微笑みかけられた瞬間、平穏の只中に自分がいることに、気味が悪いくらいの違和感を覚えてしまったのだ。

 幸せを享受する権利が自分にあるのかどうか、その問いの答えを、フレイセルは今だに得られていない。脳裏にこだまするのは、あの日、『夢を見るのはその辺りにしておけ』とフレイセルに忠告した青年衛士の言葉だった。

「……俺は、あなたのお側にいる時が、一番安心できます」

 それでも、ヴェイルを心配させないような言葉を絞り出すことはできた。それは偽りのない本心であったが、揺れる心を隠そうとした結果でもあった。

 ヴェイルはそんなフレイセルをじっと見つめていたが、踏み込んでくることはしなかった。

「そうですか。それはよかった……」

「ほら、先生。この色とか似合うと思いますよ」

 ヴェイルの顔を極力見ないようにして、フレイセルは広げたカーディガンをヴェイルに押し付ける。深みのある青は彼を連想させる色だ。季節柄ではないがよく似合う。

「あれ、先生も何か買うんですか。寒くなってきましたもんね」

 そこへ、服を数着抱えたミルテとノフィが戻ってきた。二人とも楽しそうな表情で、あれが似合うこれが似合うとヴェイルを巻き込んでいく。

「ヴァイラー少尉は、赤かな」

「赤? ああ、これの色か」

 緋色のセーターをかざすミルテに、フレイセルは衛士服の金刺繍の入った裾を軽くつまむ。確かに馴染んだ色だ。しかし、それにノフィが異を唱える。

「いいえ、象牙色アイヴォリーです。少尉の髪は赤茶に近いのですから、着ている服まで赤にする必要はありません。制服は仕方ありませんが」

「待て。俺は服を買いにきたわけじゃ……」

 意外にもノフィが乗り気なのに、フレイセルはたじろいだ。それを見て、ヴェイルが軽やかに笑い声をあげる。

「いいんじゃないですか、たまには」

「先生……」

 意趣返しのつもりらしい——しばらく、先生をからかうのは控えよう。

 少女たちの服選びに付き合っているうちに、いつの間にか日が傾きかけていた。それぞれ紙袋を両手に帰路を急ぐ。護衛というよりには荷物持ちになってしまっていたが、帰るまでが仕事だ。大講堂への階段を上りながら、上機嫌のミルテがひらひらとステップを踏む。

「転びますよ、ミルテ」

 それを諌めるノフィの声も若干浮ついている。約束通りヴェイルに服を見繕ってもらった彼女もまた、機嫌が良かった。その服が入った服を軽く持ち上げて、ややぎこちなく微笑む。

「……今日は楽しかったです」

「はい。課題は多くありますが、」

 ヴェイルは義肢の入った鞄を背負い直した。

「ヘディさんにも、同じように笑ってほしいと思います。どれだけ時間がかかっても」

「大丈夫ですよ」

 いつもヴェイルがそう励ましてくれるように、フレイセルは微笑んだ。うまく笑えているかはわからないが、孤児院の少女にもヴェイルの気持ちが届いてほしいと思った。

「あなたも、……」

 ヴェイルは何事かを言いかけて、そしてやめた。続きを曖昧に濁して、別れの挨拶を続ける。それではまた明日、という何気ない約束を交わして、フレイセルは任務を終えた。

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