第28話 夢現は終わりにしました(夕霧談)
レイラは布袋からまず紙を取り出すと、政吉と夕霧の前に差し出した。
「
夕霧は顔を近付かせて紙を見ると吹き出した。
「内容が本物と全然違うじゃない。『美男美女の二人を夫婦と認める』しか書いてないわよ。この字はお兄様ね」
夕霧の言葉に政吉も目尻を下げると床に手を付いた。
「夢芽殿。現実に戻って来て私の妻になってくれ。私はすぐに逝くだろうから、
頭を下げる政吉をすぐに起こすと、夕霧も床に手を置いて頭を下げた。
「ふ ふふ ふ不束者ですが、宜しくお願い致します」
夕霧の声は震え言葉尻にしたがって小さくなっていった。
「なんじゃ。夕霧……じゃないのう、夢芽は緊張しておるのか? 」
夕霧は頭を上げるとキッとレイラを睨み付けた。
「胡蝶……じゃなかった。レイラ、煩いわよ」
「目が見えておると分かると、余計に目力が凄く感じるのじゃ」
レイラは慌てて夕霧から視線を外し、布袋から
「酒は神棚から拝借しよう」
レイラは一番小さな杯を政吉に渡しお銚子を三度傾け三度目で注いだ。
「琴や横笛があれば、なお良かろうが、わらわの唄でも良いかのう? 」
「止めとけ。唄が下手なお前では雰囲気が壊れる」
レイラに睨まれると市蔵は付け加えた。
「普段の鼻唄で上手いか下手かが分かる」
市蔵の言葉に腑に落ちない表情をレイラはしながらも、
「むろん。何も書いてないのじゃから、即興で誓いの言葉でも読むが良かろう」
夕霧は白扇を持ったまま固まり出した。
「まだ緊張しておるのか? 夕霧太夫ともあろうものが」
「ちょっと。今は夢芽だわ。『夕霧太夫』何て知らない」
レイラは溜め息を吐くと声を上げて笑った。
「前は『夢芽』何て知らない。と、言っておったではないか」
「ちょ。レイラ、止めてよ」
夕霧は頬を膨らませ横を向いてしまった。
二人の言葉のやり取りに政吉は豪快に笑い出した。
「懐かしい。政吉様の笑い方だわ」
「こんなに笑ったのは久方ぶりだ。刀宗がおったら余計に面白いだろうな」
夕霧はピクッと肩を震わせた。政吉は隣に座る夕霧に顔を向けた。
「この祝言も刀宗が考えた事だろう。俺たちの祝言は刀宗に見守って貰いたい」
政吉の言葉に夕霧は笑みを浮かべ頷いた。
「分かったのじゃ! しばらく待っておれ。イチよ、道休は何処におる? 今から、わらわが連れ戻して来るのじゃ」
「ここに戻ってくるのに半刻から一刻はかかるぞ」
「構わん。道休にこそ見てもらえねばじゃ。イチよ付いてくるのじゃ」
レイラは駆け出しながら長屋を出ていくと、市蔵は頭をかきながら呟くと、政吉と夕霧に述べた。
「『付いてくるのじゃ』って、お前は場所が分からんだろ……すまないが半刻は絶対に俺たちは戻らないから、お前たちだけだ。半刻だぞ半刻」
市蔵は式台を下りると、残された二人に向けて再度叫んだ。
「半刻だけだぞ!」
残された政吉と夕霧は顔を見合せ笑い合うと、どちらからともなく唇を重ね、そのまま布団へとなだれ込んだ。
「これは夢現ではなく現実だ。お帰り夢芽」
「夢芽は現実へと戻って参りました。夢現の世界は忘れておりますゆえ、丁重にお願い致します」
夕霧は恥ずかしさのあまり顔を政吉の胸に
「夢芽は誰にも抱かれてなどおりません。夢現の世界で心を閉ざし、夢現の世界で見えてた物、してきた事は全部まやかしで御座います」
「大丈夫だ、分かっているから。ここ、奥州藩に夢芽と刀宗が行く前に一晩だけ夢芽を預かっただろ? その際は言えなかったが……やっと言える」
華奢な夢芽を壊れるほど抱き締めると政吉は囁いた。
「俺は目が見えなくなってからは真実が見えようになった……大人になったな夢芽。このまま強く抱き締めて、俺の心に閉まっておきたい……夢芽 夢芽……愛しているよ夢芽」
夢芽は黙って頷いた。
「すまない。わずかな命の俺に抱かれて、夢芽を残して逝くのがとてつもなく怖い。今が永遠に続けばいいのに」
夢芽は黙って首を横に振ると、モゾモゾと政吉と同じ目線まで上がり、今度は政吉を優しく引き寄せると胸に抱き締めた。
「政吉様。永遠に続く事などないですが、この時間は夢芽にとっての永遠とします。だから怖がらないで、今を……夢芽を愛して下さい」
二人にとっての永遠が流れ去っていく…………
※※※※
「イチよ。まだ着かんのか! いつもより走るのが遅いのじゃ」
市蔵は前を見据えたまま息を切らしながら走っていた。
「おい。人に背負われて言う奴の言葉じゃねぇな」
「ふん。仕方なかろう慌てて出てきたものだから、草履を忘れたのじゃ」
「なら、黙ってろ、もう少しで着く。ん? 雨が降ってきたのか? 」
市蔵が目線だけを上に向けると、お天道様の光と一緒に大粒の雨が落ちてきた。
天気雨の中をしばらく走ると寺町に入り、一つの寺の前で市蔵は立ち止まりレイラを降ろした。
「ここだな、女人禁制だろうから俺が行く」
「ぐぬぬ。女人禁制とは忌々しい」
レイラは思いっきり息を吸い始めた。嫌な予感がしたのか市蔵はレイラに声を掛けた。
「レ レイラ? 何をするおつもりで」
レイラは大きく口を開けると、山を三つ越えても届きそうな大声で叫んだ。
「破戒僧!!!! わらわを騙したなーー 早く戻ってこんかーー」
ズサッ ドンッ
「道休、落ちたな」
市蔵の呟きが終わるや否や、寺門に目にも止まらぬ早さで道休が駆け寄って来た。
「ちょっと! レイラ殿。何でここに? ってか、ここから早く移動しましょう」
三人は急いで道を戻ると道中で天気雨は止み、道休が立ち止まり腹をかかえ笑い出すと、市蔵に背負われたレイラは訝しげな顔をした。
「な なんじゃ? 道休よ。前からおかしいとは思っとったが、ここまでとは思わなかったのじゃ」
道休は目に涙を浮かべ、また歩き出しながら話し始めた。
「いやぁ~。びっくりもびっくりですよ。私はお天道様に嫌われてそうですね」
「どういうことじゃ? 」
「市蔵殿には協力して貰っていたのですが、あの寺は私の修行を積んでいた寺で、今の門主が妹を手篭めにした野郎でね。そいつの離れにある屋敷を放火しようとしてたんですよ」
背負われているレイラは顔だけを道休に向けた。
「な なんじゃと!? 」
「市蔵殿が忍び込んで前もって、油を屋敷の板葺き屋根に染み込ませていたのですよ。そして、まさに火を付けようとすると天気雨ですからね。小雨ならまだしも、ああも降られてしまうとは」
「狐の嫁入りじゃな」
道休は嬉しそうに、お天道様を見上げると笑みを浮かべた。
「そうですね。あの妹も嫁入りですか」
「なんじゃ。妹を取られて寂しいのではないのか? 」
「妹と親友の幸せを願わない兄などおりますまい。政吉と夢芽に会ったら殴られそうだな」
お天道様を見上げたまま話す道休の目には涙が溜まっていた。
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