お宮の龍がご子息つれて、夢にぬくもるときのこと

 龍の花デューラ・フッカが竹林いっぱいににおうので、ナーシアはかけ出しました。雪どけ水に渡りの鳥がさそわれるころ、村はずれの道はとうとい花であふれます。

 つゆが草のさきから、足くび、すはだをらすのもかまわずに、ナーシアは走りつづけました。

 浅い林はすぐに終わって、やせたこずえから月がぬけ出て見えました。その白さ、まるさは、むかし、天のお宮からわけられたという龍の花びらそのものです。


 ナーシアの頭には、ちょうど前の年、祭りリヤのしたくに、いくにんかの仲間と花つみをしたことが思い出されました。

 (それから、ちょうど今ごろだ。このような夜に、みんなと眠ったんだ。花餅はなもち牛酪バタがゆをめいっぱいに食べて。)

 年にいちどの龍の祭りデューラ・リヤの日、村のこどもたちは龍の神デューラ・ナータのつかいとなります。白いはなかんむりを頭に、古いめんを顔につけ、からだにはひもをとおした竹切れをまといます。そんな七人や八人が、うなりおどりながら家々をまわるのです。

 仲間の手でうち鳴るひょう太鼓だいことに、腹の底から声をのせるのは気持ちのよいことでした。ナーシアはとくに声をほめられましたし、動くたびにかんらかんらと音を立てる竹切れが、龍のうろこのかわりだということも気味よく思いました。

 どこの家でもあけはなたれた木戸をくぐると、もうかまを熱くして待っています。おとなたちはこのつかいを福としてもてなし、白い花をそえた食べものをたんと出してくれるのです。


 (けれども、きょうはそうでなかった。ぼくはひとり、はずれを歩いた。)

 ナーシアは、とうとう蓮池へと走り出ました。近くなった民家のかげに、ひとつふたつ明かりがともっているのは、祭りリヤを終えたおとなたちのつどいでしょう。

 それに背をむけて、ナーシアは池のおもてをだまって見つめました。風が寒さを手ばなさず、月あかりがしものまぼろしのように水面みなもに落ちました。

 いつか、蓮の花がくずれて小舟になったとき、ナーシアはここで仲間たちと遊んだのでした。いちばんしたっていたラィ兄さんに、はじめて名前を呼ばれたのも、この蓮池のほとりででした。

 (それでも、だれにも、ぼくが見えなかった。ラィ兄さんにさえも。)

 兄さんはナーシアよりもうんと年が上で、おさない仲間の面倒めんどうをよくみて歩きます。七つをすぎたナーシアも、ラィ兄さんのあとを追いかけていました。

 兄さんのほうもナーシアに目をかけて、いく度も名前を呼びました。遊びつかれて動けなくなると、おぶってくれることもありました。

 (それなのに忘れてしまった、兄さんは、)

 いつしか、残っていた家のも消えました。そそぐ月あかりは、まろやかな乳いろになり、ものの輪郭りんかくを浮かびあがらせています。

 と、ひととき、かすかに、たしかに水がさわぎました。ナーシアがふたたび、かけ出したのです。すばやく、つよく、地をったのです。

 ちいさなナーシアにはわかっていました。はじめから、そういう約束だったのです。ナーシアには人間の父母がいません。ほんとうの父さまと母さまは、祭りリヤを終えたいま、ほこらのむこうにいらっしゃるでしょう。

 (ぼくはかえらなければいけない。約束どおり、七年をひととして生きたのだから。)

 かたく息をとめて、ナーシアは深いねむりの村をかけ抜けました。


 踏みかためられた道はしだいに細く枝わかれしていきます。そのうちの、山へとつづく上がりの坂を、ナーシアは迷わずにすすみました。しげる木々はすこし湿しめって、竹がまとう軽やかさとはちがう夜かげを降らせます。

 そうして、そんな場所でいちだんと匂う龍の花デューラ・フッカが、ナーシアのちいさなからだを包むように、ふたたび数を多くしました。

 月のあかりは木々のあいまからこぼれるほどしかありませんでしたが、それを受けとめる花のむれが、山のうちがわをやわらかく照らしました。ナーシアはじぶんのほおがぼんやりとひかるのを感じながら、長い石段に足をかけました。

 このうえに、龍の神デューラ・ナータほこらがあるのです。

 (父さま、母さま、)

 ナーシアのくちからは息がはずみ出ました。足もとの石段は踏み鳴らされて、さらに、さらにとつづきます。

 (父さま、母さま、ナーシアが戻りました。けれども、ぼくはどうしたらよいのでしょう。)

 いま踏む石段は、仲間とのぼったことがありました。祭りリヤの明くる朝、こどもたちは、じぶんのなかに宿った龍を送りにくるのが習わしです。

 すがすがしい空気に仲間の笑いがひびくのがナーシアは好きでした。それでも、思い出すことがこんなにさみしく、切ないことならば、自分も忘れてしまったらいいのだ、とも思いました。

 そのとき、石段のうえから、つたいおりてくるものがありました。それは、声のような見えない波でした。

 ――ナーシアよ、よく戻った。

 それが父さまのものだとわかると、ナーシアの目に涙が盛りあがりました。

 七年まえ、村の守り神である父さまと母さまは、ちいさなわが子の願いを聞き、ひととして暮らせるようにしてやったのでした。七年など、龍にとっては、あるかなしかの短いものです。けれどもナーシアにとっては、もう、そうではなくなりました。

 (ぼくは、ひととして生きた七年のあいだに、こんな思いをしたことはありません。ぼくは、どうしてか、七年の約束をすっかり忘れてしまっていたのです。七年は永遠に七年のままのように思っていたのです。)

 ――よいのだ。それでよい。

 ナーシアが駆けのぼるたびに、その目から涙の粒が散りました。父さまはまた言いました。

 ――おまえが泣くのは、おまえが、ひとを愛したからだ。ひとの営みを。

 (けれども、父さま、ぼくはどうしたらよいのでしょう、)

 ――その愛をもって村を守るがよい。おまえのそのさみしさ、愛おしさはやがて、まどかな、なめらかな宝石いしとなる。川のながれが石をあらうように、時がそうさせるのだ。

 ナーシアの二本の足がちゅうをとらえて浮きました。そして一条の、波うつ尾になりました。かつて、にぎやかな竹切れをまとったからだにも、青い鱗がかがやきます。

 ――さあ、やすむがよい。夜が明ければ、おまえの友が石段をあがってくる。花冠と甘いぜんとを持ってくる。友はかならず、おまえの名を呼ぶだろう。

 (それは、ほんとうですか。ほんとうのことですか。)

 ――ほんとうだとも。たとえ見えなくなろうとも、七度の年を忘れようとも、友はもう、おまえのことをわかっているのだから。

 切りだされたばかりの愛は、まだ、するどく痛く、おさない胸を刺しました。それでもナーシアは、この夜に村から立ちのぼる、ひとの夢の数々が、ながく安らかであることを、こころから願いました。

 そうして、龍の子はいちど身をひるがえしたかと思うと、白いひかりをわずかに残して、祠のむこうの、かれらのお宮へとかえっていきました。山をしずかに、花あかりが照らしていました。


 (やすらぎが、とわにありますように。おしまい。)

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