「メタファーとアナロジー」

近頃、夜はすっかり冷え込んで、澄んだ空気が星の光を運んでくれる。


「星が綺麗だなあ」


私は文学少女ではないのだが、されて嬉しい告白ランキングでは不動の一位を誇っているのが夏目漱石の「月が綺麗ですね」と言う殺し文句だ。


私はそれが"I love you."の意訳であると知っている。知っているから告白として機能するのだが、知らない人にはなんのこっちゃと言う感じだろう。



私たちの考え方の一つに"類推(アナロジー)"と言うものがある。簡単に言えば連想ゲームだ。知っているものを当てはめていき、知らないものにたどり着く考え方。緑色の水を見て、「藻類が繁殖しているのかな?」と思えるのは、ある種のアナロジー、連想ゲームの結果と言えるだろう。



これと似たものに"隠喩(メタファー)"というものがある。こちらは「〜のようだ」と口にしないで、目当てのものを表現する、いわば概念の暗号だ。双葉のマークが新人を表すことや、水が生命を表すような表現がメタファーと言える。


これはどちらも受け取り手の持っている知識に大きく依存してしまう。


例えば、私が遠距離恋愛している日本の彼氏と電話をしていて、今日と同じように


「星が綺麗だね」


と言ったとき、彼が夏目漱石を知らなければ、先ず「月が綺麗ですね」を類推させることができない。その上で、星は月よりも遠く、手が届かないものであると理解していなければ、これが寂しさを表す"I miss you."の隠喩だとは気づくこともなく、彼はついぞ私の本心を知ることがないのである。そして破局、なんちゃって。貶してごめんね架空の彼氏。



世の中にはこういった「伝えたかったことと伝わったこと」がまるで噛み合わない出来事で溢れている。「そんなつもりで言ったんじゃないのに」とか「冗談を本気にしたの?」というのは、その最たる例だ。



「気持ちが伝わらないのは寂しいなあ」



気持ちを伝える相手もいない私だが、この寂しさは本物だ。夜空は全て吸い込んでしまいそうで、私のこの行き場のない感情全てを攫っていくようだ。ダメだよ、行き場がなくともこれは私の心なんだから。



きっと世の中には行き場を失った感情が溢れている。伝える人が表現できなかった気持ち、受け取る人が受け止めきれなかった気持ち。そういうものを直接やりとりするには、言葉というのは不便極まりない。人類がイメージで対話をできるようになるのは遠い未来の話かな。それならギャル語というのは未来なのかしら、ともすれば、今ならスタンプがそれに近いのかも。



曖昧であるのは可能性を多く残しているということだ。



ロールシャッハという心理テストがある。無造作なインクのシミが何に見えるかを表現させることで、その人の考え方を推測する方法。


これも受け取り手が、どれだけの表現のタネを持っているかで、何に見えるかが全く変わってくる。さながら月とウサギのようだ。


彼にはウサギに見える月の模様も、私にはカニに見えるし、他の誰かには人の横顔に見えているかもしれない。物事を理解するには、より多くの表現のタネが必要なのだ。月の模様が本当は宇宙のとある惑星の知的生命体に見えたとしても、それを知らなければ、そう表現する日は永遠に来ない。


表現というのは、書き手の一方的な知識では完成せず、あらゆる表現は受け取る側にもそれなりの素養を必要とする。インクのシミを見て「これはオリヌントロボッサ星のトリニコスタヌホーンがロホリスを食べているところに見える」と大真面目に言ったところで、それがなんなのか知らない人には宇宙語にしか聞こえない。実際に宇宙語かもしれないけれど、それにしたって理解するのは受け取る側だ。


あんまり長く夜空を眺めていたので、少し寒くなってしまったな。部屋に戻ってココアでも飲もう。


ココアパウダーの缶にはマグカップから湯気が登るイラストが描かれている。これも、マグカップを使っている私と、温かいものがか湯気が登ることを知っている私がいなければ、まるで理解できないイメージだなあ、と思う。



電話のアイコンが受話器だったり、保存のピクトグラムがフロッピーディスクだったりするのも、私は理解できるけれど、今の小学生はひょっとすると理解できないのかもしれない。これも大いに知識に依存しているのだ。



でもちょっと待てよ、再生ボタンは三角形だけれど、私は再生という概念を見たことがない。これはきっと再生ボタンを使ううちに、後から手にいれた知識なんだ。



それならば、今の子供たちが電話のアイコンで電話をして、フロッピーディスクのピクトグラムで保存をするのであれば、それが何かを知らなくとも「電話のイメージ」と「保存のイメージ」として機能するのではないだろうか?



うーん。世の中は難しいけれど、うまく回っているんだなあ。

こう思うのはきっと、私の中に丁度良い表現のタネが存在しないからだ。



それならそれでもいいのかな、わからないことについては黙って、私はのんびりココアを飲んで夜と戯れよう。美しい夜空に乾杯だ。甘い考えに甘いココア。これはこれで素敵な生き方じゃないかしら。


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