第五話 いちじくの花が実になるころ

NOTE1

 塾から帰ってきた祥子は五階の通路を歩いて、立ち止まる。

 通路の向こうにはミリオンダラーズに遠くおよばない、ワンダラーの夜景がみえた。

 変動相場制で日毎夜景の価値はかわる。

 今日は紅茶缶一本分。高いんだか安いんだか。

 祥子は手すりに寄りかかるように夜の街をみる。

 三年生の夏は特別な時期かもしれない。

 今まで過ごした夏とはどこか違う、初めて経験する時季。

 同時代、同世代のみんなが異常なまでに情報を、知識を詰め込もうと賢明になる。

 自分の価値、自分のユメ、自分の願い、ヒトの言葉、両親の意見、大人の立場、やっきになるのは時代の必要性から。

 誰かに後押しされて転びかけるから。

 ……なにをそんなに慌ててるの、わたし。

 後ろで扉が開く音がした。振り向くとTシャツ姿の秋人が顔を出している。

「久しぶり、アッキー」

 顔がゆるみ、祥子は笑う。

 部活に出ていない祥子にとって、登校日に逢って以来の久しぶりだ。

 隣に住んでるのだから会いそうな気もするんだけど。

 サンダルを履いて通路に出てくる秋人をみながら、少し背が伸びてる気がした。

「男の子は本当に成長が早いね」

「祥子さん、つかれてます?」

 すこしね。

 そう言うと、彼はあんまり無理しない方がいいですよとドアを閉め、コンビニで牛乳を買いに行くとこなんですけどと、訊いていないことを話しながら隣にくる。

 気遣ってくれるんだから。

 わたしは誰かに癒してほしいなんて甘えたことを言うような人間じゃないよと、祥子は思いながら少しうれしかった。

 みんなは元気に活動しているらしく、雲と太陽黒点観測は当番制で続けてるし、週イチでみんな集まって天体観測もしてます、用事がない限り、みんな出席してるからね、秋人は話してくれた。

 ほぉ~、しっかりしてる。

 感心すると、彼は照れていた。

 別にきみが照れることではないんだぞ。

「明日ですけどおぼえてますか?」秋人が言った。

 明日。

 祥子は頭の中で反復しながら、そういえば明日だよね、左手で頬杖つきながら秋人をみた。

「星詠組の旅行、……どこいくんでしょう?」

 寺門先生からは一泊二日の準備を各自してくるようにとしか訊いていない。

 ついてからのお楽しみ、人を驚かすことがすきなんだろう。

 そういえば小さいころ、夏休みになるとミステリートレインなるものが走っていたのをみたことがある。

 あれはまだあるのだろうか。

 祥子はそんなことを考えながら、

「さ~て、楽しみね」

 くるり、夜景に背を向け応えた。

 気楽に人と話すのも久しぶりかもしれない。

 いつも気を張って、まわりの子達と愛想笑いと含み笑いを使い分け、平均台を歩くような毎日だから、こんな生活を続けてると下手な舞台俳優になりそうだ。

「ねぇ、洋子さんはどうしてる?」

 元気ですよ、秋人は気になるのかという顔をした。

「そうじゃなくて、大会。出たの? 生徒会の依頼で写真撮りに行ってみてきたでしょ」

 写真部ですから、秋人は当たり前だと言わんばかりの顔をして、ブランクがあったとはいえ速いですね、二位でしたけどと言った。

「写真ありますけど、みます?」と進められるが、祥子は首を振った。

 変わりに、「そのとき、あの子は」どんな顔をしてたかと言いきる前に秋人が、「笑ってました」そっけなく応えた。うれしそうでしたとも言った。

 そう、泣いてたの。

 祥子が呟くと、笑ってたんだけどと秋人は頭をかく。

 人の呟きにまで応えてほしくないなあ、胸の中で呟き祥子は、

「泣いてたの。アッキーに女の子の気持ちはわからない」

 と吐き捨てるように言ってやった。

 秋人は、「ぼくは、男だから……」ばつが悪そうに下を向いた。

「好きな子の気持ち、わかってあげなさい」

 まったくしょうがないんだから。

「その台詞はオレじゃなくてアイツに言ってくれない? 祥子さん」

「陽クンのこと?」

 秋人は無言でうなずいた。

「あのねー」祥子は一息ついて、「恋愛は百億のお金を積んでも、百万の軍隊を持ってても、結局は一人で挑まなきゃダメなの。誰も手を貸しちゃいけないの」言い切る。

「わかってるけど、みてるこっちがイヤになる」

「いーんじゃない、若いんだから」

「ひとつしか違わない人に言われても」

「いーの、いーの、若いんだから」

「そういうことにしときますか」

「そぉ~、そぉ~、若いんだから」

「おやすみなさい、祥子さん」

「はいはい、おやすみ。明日、声かけてね」

「わかってまーす」

 秋人は手を振って通路を歩き、階段を降りていった。

 それを観て祥子も自分の家に入った。

 塾から帰ってきた祥子は自分の部屋に入る。

 空気の抜けるタイヤのように、ため息がもれて力が抜ける。 

 カバンを机の上に置き、ベットの上に倒れ込む。

 壁に掛かる時計が今日を昨日に変えた。

 明日、正確には今日の九時に磐座駅前に行かなくてはいけない。

 八月十二日は星詠組の旅行の日。みんなが楽しみにしていた『星空散歩しよう会、野外編』(志水陽、命名)だ。

 寺門先生に「どこにいくのですか?」と訊ねても「どこに行くのかはついてからのお楽しみ」としか教えてくれなかった。

 集合場所と時間だけは二日前に連絡があった。

 転んでもいいような格好で来るようにと注意つきで。

 一体どこに星を観に行くのだろう。

 やはり山だろうか。

 秋人に声をかけてもらうよう頼んだのは、自分で起きられる自信が祥子にはないからだ。

 毎日のように朝から夏期講習を受け、ない日は図書館か塾におこもり。

 家に帰るのは空に砂粒のような小さな星が二つ三つ観える時だ。

 砂時計をひっくり返すみたいに落ちては戻し落ちては戻しのくりかえす日々。

 夏ということさえ感じる間もない。

 やがて眠気が瞳を閉じさす。

 このまま寝ては汗をかく。

 このまま寝ては風邪をひく。このまま寝ては……。

 祥子は目を閉じた。



 翌日、みんなが時間通り駅に集まると、白いワゴンに乗って寺門先生がやってきた。

「これは先生の車ですか?」涼がペタペタさわりながら訊く。

「レンタカーだ」寺門先生はにこりと笑いながら車から降りた。「おはよう、みんないるかね?」

 陽はおはようごさいますと頭を下げ、

「みんないます」

 目で一人ひとり、確認した。

「それでどこに向かうんです?」

 秋人はいい加減に教えて下さいよという感じで言い、

「さてどこじゃろう」寺門先生はうれしそうにしゃべりながら、「早く乗りなさい」ドアを開けた。

 助手席に和樹、その後ろの席に陽と秋人、一番奥の席は女子三人、という具合に決めてみんな荷物を抱えて車内に乗り込む。

 最後に陽が乗り込んでドアを閉めようとしたとき、

「やっぱり前にする」

 そういって涼は秋人の隣に座った。

 陽は、失礼しますと、軽く頭を下げて祥子の隣に座った。

 車は走り出す。

 ほかの車と同じように道路の川を流れ始める。

「それでどちらへ」秋人が言った。

「山かな?」涼は秋人の顔を見、

「海ですか?」和樹が先生にたずねる。

 さて、どうかな。

 寺門先生は呟いてハンドルを切った。

「海だったら困る」涼は強く言う。「だって水着持ってきてないしー」

「そうそう、海はちょっとね」祥子はうなずいて、「どう思う? 海、それとも山?」洋子をみた。

 窓にもたれる感じで頬杖つく洋子は海はいやだといった。

 どうしてなのと訊くと「海の家のカレーとラーメンはきらいだから」返ってきた。

 彼女らしい意見に「そうね」祥子はわらった。

「別に、どこだっていいんですけどね」ぽつりさびしく洋子が言う。

 元気がない、どうしたのかな。

 祥子は少し心配そうに彼女をみながら、まだ車に乗って五分ぐらいしか経っていないから車に酔ったとは思えない、どこか具合が悪いのだろうか、そう胸の中で考えていると、

「大丈夫?」

 陽が不安げに、洋子に声をかけた。

「大丈夫」

 めんどくさそうに応え、

「夏バテ気味なの」

 洋子は吐く息に言葉をのせた。

 彼女の様子をみて、夏バテというのはウソだろうと祥子は思った。

 スポーツをしている人は、自分の体調、自己管理に気を使うものだろう。 怠れば即、結果に響くからだ。

 陸上部にいたことがあり、また数日前にも出場している。

 なにより走ることが好きな彼女、夏バテになるとは思えない。

 なにか原因があるにちがいない、たとえば……洋子さんなら、おいしいものを食べ過ぎたとか、食い合わせがまずかったとか……食べ過ぎかな。祥子は心の中で言った。

 でも、それはあり得ないだろう、そうも思った。

 誰もが共通に持ってしまっている悩み、疲れてるだけかもしれない。



 午前十時過ぎ。

 名神高速道路をひた走り、大垣インターから二十分、養老の滝(飲み屋ではなくて)で知られる養老町、養老公園に着いた。

 今夜は園内のキャンプ場、バンガローに泊まるのだと寺門先生は話すも、利用時間は午後一時からとなっていた。

 一時までどうするのだろう、みんなが同じことを考えていると、「今のぼってきた道の途中に、おもしろいところがあるんだが行ってみるか」寺門先生はうれしそうに言った。

 はじめからそこに連れてきたかったんだ。

 やれやれ。

 まわりくどい先生だと祥子は思いながら、窓の外を何気にみる。

 日の光を受け輝く木々の中にみつけた立て札、そこに養老天命反転地と書いてあった。

 車は来た道を下りながら、駐車場に入っていった。

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