第7話


 真っ黒な幕が会場全体に下りる中、しめやかに葬儀は行われていた。



 ――ああ、またこの夢か。



 思いながら、カイリは繰り返される悪夢の一つと対面する。

 カイリの幼馴染のケントが、目の前で死んだ。

 事故だったので色々警察が行き来してごたごたしていたが、葬儀は普通に執り行われた。

 声を殺して泣く親戚や、まだ信じられないと写真を見ながら疑う同級生、何故彼がと嘆く教師に、魂が抜けた様に座り込む人々。

 その中で焼香を上げながら、カイリは重い足取りで輪を外れた。顔を突き合わせて泣く仲の良い同級生もいないし、どんな顔をして良いか分からなかったからだ。



 自分をかばって、彼は死んだ。



 どうして自分を、というやり切れなさと、何故自分では無かったのかという罪悪感。あの日から、ずっと自分をさいなみ続ける葛藤だった。

 カイリにとって、ケントは鬱陶うっとうしい幼馴染だった。

 勉強に集中しているのに、しょっちゅう話しかけてくるし、くだらない話題で笑うし、食事も静かに取りたいのに誘ってくるし、辟易へきえきもしていた。

 だが。



 それでも彼と過ごす時間は、カイリにとっては悪くないものだった。



 彼が聞いたら「本当かい?」と笑うだろうが、カイリは邪険にしながらも本気で追い払おうとする気はなかった。

 それを彼も分かっていたのだろう。

 気付いていなければ、彼は自分に話しかけるのをやめていたはずだ。彼は他の者達には、来る者拒まず去る者追わずだったから、それくらいカイリも気付いていた。


 大切な幼馴染を、亡くしてしまった。


 せめて安らかに眠れる様にと願うが、今、彼はあの世でどう思っているのだろうか。

 後悔はしていないだろうか。恨んではいないだろうか。



 自分には、助けられるほどの価値があっただろうか。



 ぐるぐる問答しながら、不意に目の奥が熱くなる。

 慌てて頭を振って、湿った気持ちを振り払った。自分は今は泣きたくない。泣くならば、一人になってからが良い。

 かと言って会場に戻る気にもなれない。既に葬儀は終わった。お経は頭の中を清々しく通り過ぎていってしまったが、ずっと彼の眠りを祈っていた。それで許して欲しい。

 両親も来たいと言っていたが、緊急の仕事が入ってしまい放り出すことは出来なかった様だ。後日家にお参りに行くと伝えて欲しいと、伝言を頼まれていたのを思い出す。


「……仕方がないな」


 両親もケントには感謝をしていたらしい。何でも、無愛想なカイリを構ってくれたからだとか。

 いつも寒々しい会話しか出来ず、自分を放り出している彼らが言える義理かとも思ったが、彼らはケントを気に入っていた様だ。伝言をふいにするわけにもいかない。つくづく自分も人が良い。

 重く溜息を吐き、カイリが彼の両親を探そうとしたその時。



「――でも、良かったわよね」

「――――」



 廊下の曲がり角から、声が聞こえた。

 確か彼の母親だ。カイリは思わず足を止めてしまう。


「姉さん、ここでそんなこと言ったら駄目よ」

「でも、本当だもの。あんな子、死んでくれてせいせいしたわ」

「――っ」


 冷や水を心臓に浴びせられた様な衝撃を覚えた。

 どくどくと、燃える様に鼓動が暴れるのに反して、心ごと体が指先まで冷え切っていく。


 彼女は――彼女達は何を言い出したのだ。


 漏れそうになる荒い息を押し殺し、カイリは黙って立ち尽くす。


「だってあの子、お医者様になるんだって言って聞かなかったのよ? 大学だって学費が高くなるし、そんなお金、どこにも無いのに」

「で、でも自分でお金を稼ぐって言っていたんでしょう? 迷惑はかけないって」

「冗談じゃないわっ。いざとなったら夫に泣き付くつもりだったのよ。夫はあの子に甘かったもの。連れ子のくせして、……生意気なっ!」


 がん、と何かを殴り付ける音がする。

 ひっと一緒に話している女性が悲鳴を上げたが、カイリにはそれどころではなかった。

 連れ子。死んで良かった。学費。生意気。

 それらの単語がばらばらに、けれど一つ一つが意味を成す様に頭の中でうごめいて、カイリの手先が震えた。思わず出そうになる声をこらえ、口元を押さえる。


「私の子供たちのことまで懐柔してっ! 弟や妹にきたない手で触るのよっ。あの子たちも注意しても仲良くするし。それこそあいつの思う壺よ!」

「ね、姉さん」

「死んでせいせいしたわ。あの子に一銭でも使うのは惜しかったし。この葬儀だって夫を説得してずいぶん安くできたわ」

「……っ! ね、ねえさ……」


 ふと、女性とカイリの目が合う。

 血の気が引いた様に、姉と呼ぶ者の口を塞ごうとしたがもう遅い。勢い付いた彼女の罵倒が止まることは無かった。


「あー、明日の告別式なんてやりたくないのに。何でやらなきゃならないのかしら」

「ね、姉さん! ちょっと待って。あの子……」

「私、明日休もうかしら。あの子が死んで悲しすぎて立っていられないって理由をつけたら、夫だって――」

「――こんばんは、おばさん」

「――っ」


 息を呑む音が鋭く上がった。愕然がくぜんと振り返ってくる女性の顔がやけに醜く歪んでいて、吐き気がする。

 元々カイリは愛想があるわけではない。無表情でいれば、感情も読み取られずにすむだろう。


「あ、あら。えっと。確か、あなたは」

「ケントの幼馴染です。両親から伝言があったので」

「そ、そうなの。……あの子のために、ありがとう。嬉しいわ」


 取り繕う様に笑顔を振り撒くその顔が悪魔に見えた。


 視界に入れるのもおぞましい。ひどく冷えた指先が、今にも相手の顔を引っ掻きそうに動くのを必死に堪える。

 決して彼の名前を言わない。この母親と顔を合わせたのは数えるほどしかなかったが、他人に興味の無いカイリは気付けなかった。


 彼は、この母と一緒にいる時はどんな顔をしていたのだろうか。

 彼は、この母に名前を呼ばれたことはあったのだろうか。

 彼は、この母と暮らしながら何を思っていたのだろうか。


 何一つ気付けなかった。

 いつもへらへらと何でも無さそうに笑っているから、家庭が複雑だということも知らなかった。カイリ以外に来る者拒まず去る者追わずだったのは、この理由も関係していたのだろうか。

 分からない。今となっては、真相は全て闇の中だ。



 そんな愚かな自分が。気付こうともしなかった自分が。ひどく腹立たしくて悲しくて、堪らなかった。



「ケントには俺もかなりお世話になったので。医者の父と裁判官の母が、是非とも後日お焼香に伺いたいと」

「っ! そ、そう。光栄ですわ……」


 わざと両親の職業を強調したが、この女性は意地汚い。何故この期に及んで「光栄」なのか。反吐へどが出る。

 本当は、彼の両親に頭を下げたかった。大事な息子の命を、自分のために台無しにしてしまった。申し訳ないという謝罪と、助けてくれた感謝を告げたかった。

 けれど。



 ――誰が、こんな奴に頭なんか下げてやるものか。



 父親は彼に甘かったらしいが、こんな女性を妻にしたことが間違いだ。若いと言われようと、カイリには許しがたい存在だ。

 許せない。――そう、許せない。


「では、失礼します。――また、『明日の』告別式で」

「――っ」


 女性があっという間に青褪あおざめたが、知ったことではない。そのままきびすを返してカイリは大股で立ち去る。一秒でも彼女と同じ空気を吸いたくはなかった。

 どうして、彼が亡くなってしまったのだろう。彼女を喜ばせることになってしまった。

 彼は、生きるべきだった。生きて、夢を叶えて、彼女の鼻を明かしてやるべきだった。

 なのに。



 助かったのは、何もかも中途半端な自分だ。



 目指す大学も受かる確率が低い。夢だって無い。他人に興味もなく、ただ無為に生きる日々。

 彼の方が、よっぽど日々を一生懸命生きていた。

 カイリよりも遥かに幅広い知識を持ち、明るく笑い、夢に向かって走り続ける。そんな彼を、カイリは秘かに嫉妬しながらも尊敬していた。

 それなのに。


「……ケント……っ」


 ああ、叶うのならば。彼に、生きていて欲しかった。

 自分の命など構わないから、彼にこそ生き抜いて欲しかった。

 何故、彼がこんな目に遭わなければならなかったのか。何故、自分が生き残ってしまったのか。

 だから、どうか。もし間に合うのならば。



 ――どうか、彼を。








 ぱちっと、カイリは目を覚ます。

 薄暗い中、見慣れた天井が映った。少し視界が滲んでいるのは、確実に夢のせいだろう。


「……また、あの夢か」


 喉がひりついて痛い。泣いていたのだと気付いて恥ずかしくなる。誰も見てはいないのに顔を両手で覆ってしまった。

 いつまで経っても、あの頃の傷は癒えてはくれない。

 そして、同時に思い知らされる。



 自分にとって、彼は本当に大切な存在だったのだ。



 亡くしてから気付くなんて、本当に愚かだ。もう伝えることさえ叶わない。

 だから、せめてこの人生では、大切な気持ちは素直に伝えようと思っていた。両親や子供達の純粋な愛や気持ちは恥ずかしかったが、邪険にすることだけはしないように気を付けた。

 おかげで、彼らとは照れくさくも仲良く暮らせていると思う。最初は他人に疑心暗鬼になっていたが、随分ずいぶんと緩和された。

 この村の者達は、大切なことをたくさん教えてくれていると思う。


 心を開くには、まず自分から。


 別に悟りを開いたわけではないし、全ての人に通じるわけでは無いことも悲しいくらい知っているが、閉ざしてばかりでも駄目だと思い知らされた。

 こればっかりは、前世の記憶も絡まっているので伝えられないが。それでも感謝は尽きない。


「……水、飲もうかな」


 悪夢のせいで目もばっちり覚めてしまった。喉もひりつく様に乾いている。うるおして楽になりたい。

 身を起こして窓の外を見れば、まだ夜も深く眠っている。隣の部屋で寝ている両親を起こさない様に、居間に続く扉を開こうとカイリが忍び寄った時。



「――ら、単刀直入――――」

「――――」



 話し声が聞こえてきた。

 知っている声を耳にして、反射的にカイリは手を止める。


「……、村長?」


 ぽそっと呟いてカイリは扉に耳を寄せた。なるべく物音を立てない様にと細心の注意を払って寄りかかる。


「カイリに、剣をやめさせてはどうじゃろうか」

「――っ」


 ずん、と鉛を大量に胸に突っ込まれた様な重みが走った。

 いきなりの忠告に、しかもよりによってカイリ自身のことを指摘され、寒くもないのに指先が小刻みに震える。


 剣をやめさせる。


 やはり、村長達はカイリが剣の稽古をすることを良くは思っていなかった。

 薄々感付いてはいたが、改めて突き付けられて苦味が口の中にも心の中にも広がる。ぐっと、奥歯を噛み締めてしまった。


「村長……」

「だって、そうじゃろう? カイリは剣が苦手なはずだの。なのに、ラインが余計なことをしたせいで、最近はヴォルク相手にさえ少しずつ持つ様になってしまった。これはまずい」


 ラインを引き合いに出され、カイリは激しく息を呑んでしまった。ごほっとせてしまい、――血の気が引いていく。


「誰じゃ!?」


 厳しい詰問きつもんに、カイリは肩を跳ねさせた。

 だが、誤魔化すことなど出来はしない。観念して、そろそろと扉を開けて姿を見せた。


「……、カイリ。お主」

「すみません。立ち聞きするつもりじゃ……、その」


 悪夢を見て目が覚めましたと、正直に言うのも気が引ける。

 だが、テーブルを挟んで村長の前に座っていた両親には気付かれた様だ。少しだけ苦しそうに眉根を寄せて、おいでと手招きをしてきた。


「お水よ。飲みなさい」

「ありがとう、母さん」


 自分が羽織っていた綺麗な薄い若草色のショールを、カイリにかけてくれる。ふわっと香る温かさに、また胸の奥が痛くなった。


「あの、村長。……ラインのこと、怒らないで下さい。俺が頼んだんです。攻撃しなくても良い剣術があるなら教えて欲しいって」

「……、カイリ」

「だから、ラインは悪くありません。怒らないで下さい」


 頭を下げてカイリはう。両親が何か言いたそうにしていたが、気付かないフリをした。これは、カイリの問題だ。

 しかし、村長は是とも否とも言ってはこない。

 焦れったくなり、カイリが言葉を募ろうと顔を上げると。


「村長。俺は、カイリが剣を覚えることに反対はしませんよ」

「カーティス!」


 がたっと椅子を蹴り倒す様に立ち上がる村長に、父が穏やかに首を振る。

 他を圧する様な激しい村長の剣幕に、父は一歩も引かない。その父の背中を見つめ、泣きたくなるほど苦しくなった。


「父さん……」

「カーティス、分かっておるのか。ただでさえ『歌』が歌えるというのにっ。このままでは」

「それはもちろん。カイリが何事もなく村で一生を終えられたら、きっと一番良いのでしょう。父親としても、本当はそれを望んでいる」

「ならば」

「けれど、それは夢物語です、村長」


 静かに、だが断固たる現実を乗せて父は語る。

 波立たぬ水面の様に、けれどどこまでも清冽せいれつに響く気迫が父から部屋一帯に放たれ、村長は言葉を失くした。カイリも、口を挟めなくなる。


「もしこの村に何かが起こったら、どうするのです。カイリは身を守る術を覚えるべきだ」

「……、じゃが」

「それに、どれだけ隠し事をしてもいつか秘密はバレる。カイリが今、少しずつ疑問を持ち始めている様に」

「……っ」


 どきりと、カイリの心臓が小さく跳ねる。

 歌のこと。剣術のこと。外のこと。そもそもの世界のこと。

 様々なことに疑問を抱いていたことは、父にはうに筒抜けだった様だ。父は普段は快活で大胆なのに、他人の機微きびをよく見ている。


「聖地にいる親友に相談しました。カイリの誕生日に合わせて、来てくれるそうです」

「……お主、いつの間に」

「別に、カイリをその日に外に出すつもりじゃありません。外に出るかどうかは、カイリの意志で決めて欲しいですから」

「……」

「村長には、村の者には、本当に感謝しております。……だからこそ、……」


 にっこり笑って、父は結局言葉を切った。良い笑顔で脅す様なのに、その実笑顔の裏には抱えきれないほどの感謝と苦悩も見える。

 村長が、ぐぬっと唸った。脅迫だけではなく、感謝も苦悩も透けて見えたからだろう。言葉が無くなったらしい。

 普段は村長の方が上なのに、ここぞという時には父が強くなる。久々に見たなと思いながら、カイリはぼんやりと勝敗が決しそうだと感じた。

 村長はしばらく厳しい表情で黙っていたが。


「……まったく。好きにすれば良い」


 疲れた様に溜息を吐き、村長は玄関へと向かっていく。

 カイリは何か言おうと口を開いたが、それは彼が振り返ったことで中断されてしまった。


「カイリよ。……お主にとって、何が一番良いのか。わしにも本当は分からん」

「……、村長」

「じゃから、……よく考えなさい」


 諦めた様に笑い、村長は「ではな」と去って行く。

 ぱたん、と軽く閉じられた音がさみしそうに聞こえた。

 静寂が余韻の様に響くのを感じながら、カイリはぎこちなく両親の方へと振り返る。

 父は、穏やかにカイリに微笑みかけていた。まるで何かを覚悟したかの様な強い眼差しに、胸が押し潰されそうになる。


「……、父さん」


 歌を歌えるのに、ってどういうこと。

 剣を覚えない方が良いと思ったのはどうして。

 秘密って何。

 外の世界には一体何があるの。

 聖地って――。


 ぐるぐると聞きたい内容が頭の中を激しく渦巻く。

 だが、焦れば焦るだけ言葉が溶ける様に意味の無い音になって散っていった。その言葉を口にしたら最後、今まで築いてきた世界が砕けそうになる予感がして、喉に詰まってしまった。

 胸元からせり上がってくる熱が、焼け付く様に痛い。

 ぼろっと、何かが零れそうになるところで、父がぽんとカイリの肩を叩いた。


「今不安に思っていること、聞きたいこと、父さんの親友に相談するといい」

「……、しん、ゆう」

「ああ。フランツと言って、教会の総本山のある国……フュリーシアにいた時代の親友なんだ。教会騎士団の第十三位団長でもある」

「……、え? 十三? 団長?」


 唐突に重要な単語が一気に噴き出した気がする。

 とてつもない裏話を聞かされた気分だ。カイリが臆すると、強く父に引き寄せられた。



 ――逃げるな。



 態度でそう発破をかけられ、カイリはぐっと踏み止まった。揺れながらも、父の瞳を真っ直ぐ見つめる。


「カイリ。……父さんも母さんも、お前が歌を歌えると知った時、どこまでを教え、どこまでを秘密にすれば良いか分からなかったんだ。……だが、本当は最初から教えておかなければならなかったのかもしれないな」

「……、そんな」

「その証拠に、こんなにお前を不安にさせた」


 ぎゅっと力強く抱き締められる。

 その腕が泣いている様に震えていて、思わずカイリはすがる様に抱き付いた。母も背中から抱き締めてくれて、せき止めていた熱が知らず頬を伝っていた。


「父さん、母さん。……俺、知っても良いの? 歌のことも、剣のことも、……聞いても良いの?」

「ああ。……本当は、危険なのかもしれない。だが、ずっと隠し通すことも難しいのではと、最近よく思う様になったからな」

「カイリ……どうか、これだけは覚えておいてちょうだい。どんなことがあっても、どんな運命が待ち受けていても、あなたは私たちの大切な子供で、自慢の息子。何かあれば、すぐに駆け付けるからね」


 ぎゅうっと強く、苦しく、二人がカイリを抱き締めてくる。

 離したくない、けれど離さなければならない。そんな葛藤を如実に物語っていて、カイリも見えない未来にすがり付く様に腕を伸ばした。

 両親は、何を恐れているのか。



〝あんな子、死んでくれてせいせいしたわ〟



 不意に、あの日の女性の言葉が脳裏によみがえる。

 ぎゅっとカイリが手に力を込めれば、両親もあやす様に力を込めてくれた。

 何故、あんな夢を見てしまったのだろう。

 何故、こんなに怯えているのだろう。



 ――成人を迎える日。自分は、一体どうなってしまうのか。



 怯えながら、震えながら。

 それでも良い方向に進む様にと。薄暗い予感に抗うために、カイリ達はひたすら強く抱き合っていた。







「……、うーん。聞こえないわねー」


 山のふもとの茂みの中。

 真っ黒なローブをまとった女性は、弱り切った顔で村を見つめていた。

 その隣では、全く同じ服装で佇む強面の男性が腕を組んで女性の視線を追いかけている。彼はひどく無口だが、女性はさして気にしなかった。お喋りすぎる人間は、よほど口が上手くない限りボロを出す。人生の邪魔だ。


「歌を歌える人間がいるって聞いたのに。これじゃあ、歌ってもらえないじゃない」


 当てが外れたのだろうか。

 そんな不安が一瞬過ったが、情報元が嘘を吐くとは思えない。こちらに気を許し、懐柔させてからぽろっと口にした言葉だ。間違いはないだろう。

 だが、野盗に数日見回りさせたのに、結果は何も聞こえなかったという。しかも、村の者達が巡回していて村に近付くのも不可能だとか。面倒なことこの上無い。


「……あの行商人の情報が、古い可能性もある」


 男性が地鳴りの様な声で指摘をする。

 ここまで低い声を出す人間がいるのかと初めは女性も驚いたものだが、慣れれば割と楽しい声である。


「なるほどねえ。まあ、そろそろ接触して確かめるっていう手もあるかしら」

「……、聞いた話では、確かに素人ばかりの村らしいが」

「教会騎士がいないなら大丈夫よ。それに、都合が悪くなったら潰せば良いんだし」


 さらりと、歌う様に女性が宣告する。

 男性も特に驚くこともなく淡々と冷たい視線を村に注ぐだけだ。

 女性も男性も、この村がどうなろうと知ったことではない。

 ただ、自分達にとってとてつもない宝が眠っている。それだけ喉から手が出るほど欲しい逸材なのだ。


「ちゃんと手懐てなずけておいてよ? あいつら、金さえ大量にばら撒けば一応は言うこと聞くはずだから」

「……問題ない」


 短く返答した男性の声に、迷いも嘘も無い。ただ事実を事実として認定した断言に、女性は何よりも強い信頼を傾けた。

 ならば、後は確認をするだけ。


「私たちが先に行くのよ。幸福の世界へね」


 無論。


 そんな声なき肯定が聞こえた気がした。これも、付き合いが長いからだろうか。

 そうだ。最終的に目指すのは『幸せなる未来』。そこに辿り着き、新たなる世界へ手をかけるのは自分達だ。抜け駆けは個人の権利である。

 そのために。



「確保するわよ。――幸せなる未来のために」

「――未来のために」



 誓約を交わし、女性と男性が身をひるがえす。

 まるで闇に溶け込む様に、その姿は風が吹き抜けると同時に消え去った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る