Banka1 俺の歌は、秘密の園で歌われる

第1話


「カイリー! 朝ごはんよー!」


 扉越しに、ほがらかな声が聞こえてきた。


 部屋の窓から外を覗けば、遠くに雄大な緑の山がゆったりと構えているのが見える。ぽつりぽつりと並ぶ木造の家や、さらさらと流れる川、そして緑豊かな広場はのんびりとしており、この村の緩やかな平和をうたっていた。


 ――今日も良い天気だ。


 窓の外を眺めていたカイリと呼ばれた少年は、黒い髪をがしがしきながら「ふあーい」と返事をした。一応着替えは終わっていたので、まだ夢見心地な足取りで下へと向かう。


「おはよう、父さん、母さん」

「あらあら、おはよう」

「おはよう、カイリ。眠いのか? 目が閉じかけているぞ」

「んー」


 実際まだ眠いので、生返事になってしまう。

 だが、てっきり呆れられると思ったのに、母は何故か頬に手を当てて笑っていた。


「ふふ、もうすぐ成人なのに……その寝ぼけまなこがとても愛らしいわ。手放したくないくらい♪」

「んー。……んー?」

「ああ。今日もカイリは可愛いな! 流石は俺たちの子供! 母さん、どうだ。もう一年、カイリの年齢を十五歳で過ごさせるというのは」

「まあ……!」


 はっはっは、とパンをくわえながら父親が豪快に笑う。カイリとしては冗談ではない話だが、両親にとってはすこぶる現実的な話の様だ。

 現に、たくましい腕を組んで胸を張る父を見て、「あなた、ワイルドで素敵な提案……」と母親が心臓を射抜かれた様に頬を染めていた。線が細く年齢より遥かに若く見える母は、既に少女と化していた。

 毎度毎度カイリの両親は、朝っぱらから二人の世界に突入するのがお好きだ。彼らは本当に自由だと思わずにはいられない。目の毒である。


 ――でも、平和だよな。


 前世の両親をかえりみて、カイリはこれはこれで良いかと苦笑せざるを得なかった。

 家族仲が良いと、随分ずいぶんと心が安らかになる。それが、この世に生を受けて一番勉強になった部分だった。



 カイリには、前世の記憶がはっきり残っている。



 ところどころは曖昧あいまいだが、それなりに印象の強い部分はかなりの確率で残っていた。

 覚えているのは家族構成、学校生活。

 そして、友人――はほぼいなくて幼馴染が一人、しかも男子という華の無い生活だった。返す返すももったいない人生を送っていたと落胆せざるを得ない。


 転生する前の両親とも、ひどく乾いた関係だった。


 別に愛情が無かったとは思わない。

 ただ、二人共口数が少なかったし、息子とも必要最低限の会話しかしない様な家庭だった。先程の様に気の抜けた返事など夢のまた夢だったのだ。

 だからこそ、この世界に生まれてきたばかりの頃は、構い倒してくるこの両親にどう返事をしたものかと戸惑いも多かった。

 だが。


「はい、あなた。コーヒーよ」

「おお、ティアナお手製か! 美味いんだよなあ。一日は、これが無いと始まらん」

「まあ、嬉しい。もちろん、あなたの顔を思い浮かべながら豆からいたのよ。おかげで、テーブルが粉まみれになったわ」

「はっはっは、おっちょこちょいだな、相変わらず。そんなお前が可愛いぞ」

「そんな大らかなカーティス、今日も変わらずカッコ良くて好きよ」

「ティアナ……」

「カーティス……」


 放っておけば一日中こんな風に甘ったるい空気をかもし出されるので、もう何でも良いなと一歳の頃にはもう悟りを開いていた。人間、悟りを開けば大概たいがい何とかなるものである。

 しかも、この両親は息子であるカイリに物凄く甘かった。

 そう。赤ん坊の頃から、砂糖を砂漠の様に吐けるほどに劇的に甘かった。

 例えば。


「とー、とー!」

「おお! 聞いたかい、ティアナ! 今、この子、しゃべったぞ!」

「まあ! 聞いたわ! きっとあなたのことよ!」

「な、なにー!? ……よし。これから一週間たいを釣ってこよう。お祝いだ!」

「素敵! そうね、なら私は街に下りて、小豆あずきを一トン買ってくるわ」

「なるほど! 邪気を払い、よぼよぼのおじいさんになるまで生きてもらわなければ困るからな! 賢いぞ、ティアナ!」

「まあ、カーティスったら♪」


 この世界にまで鯛や小豆があるとは、随分異世界とかけ離れているなと思ったが、本当に小豆を一トン買い占めてきた時に突っ込むのは諦めた。

 それから。


「とー! かー!」

「まあ! 見て、カーティス! カイリが、……立ったわ!」

「なにー!? 奇跡だ! これは奇跡に違いない! すごいぞカイリ! つかまらずにいきなり立てるとは……天才か!?」

「ああ、神よ……あなた様の加護に感謝致します……」

「こうしてはいられない! 俺は村中にこのことを知らせてくる! 今夜は宴だ! 海であらゆる魚を釣ってくるぞ!」

「行ってらっしゃい! 私は街に下りて根こそぎお酒を買い占めてくるわね」

「ああ、頼んだぞ!」


 お前ら金は大丈夫か。


 ぶっ飛んだお金の使い方をする両親に、まだ立ったばかりのカイリは本気で心配したが、その夜本当に父が海からあらゆる種類の魚を、次の日に母が背中に大量のお酒を背負って帰ってきたのを見て、悟りを開くことにした。

 この両親は、恐らく規格外の人種なのだと納得するのが最良の道だ。そう、悟ったのだ。

 他にも。


「父さん、この文章なんだけど……」

「なん、だと……! カイリがついに読書まで……!」


 読書で分からないことを聞けば、涙をぶわっと流して万歳され。


「うん。このケーキ、美味しい」

「まあ! カイリの大好物になったのね。覚えておくわ」


 一言美味しいと言えば、それから二週間ほど同じ食べ物が立て続けに出てくる様になり。


「父さん、今度釣りに行ってみたいんだけど」

「任せろ! 最新式の道具をあらゆる裏の手を使ってでもそろえるからな!」


 父と同じ趣味をやってみたいと言っただけで、闇のルートにまで手を染めようとする父を全力で止めなければならず。


「母さん、食器洗うの手伝うよ」

「任せなさい……。昔は家事のアサシンとまで言われた母の実力、あなたに全てを伝授するわ」


 たかだか片付けの手伝いをするだけで、裏ワザの全てを披露しようとする母に遠い目をした。



 ――この両親、別の意味で迂闊うかつなことが言えん。



 十五になるまで、あらゆる悟りを開かなければならなかったのは、果たしてどんな因果だったのか。

 ともあれ、カイリはこの両親のおかげで、前世とは比べ物にならないほどの愛情を受けて育ち、ついでに別の意味での配慮を覚え、今日まで生きてきた。

 両親は今では昔よりも落ち着いているが、何が発火の元になるか分からない。いつでも対処できるよう、無駄に臨機応変の極意が身に付いた。


 遠い目をしながら、目の前のパンをカイリは平らげる。

 ふんわりした生地は甘く、焼き加減も丁度良い。相変わらず母の手料理は最高だと舌鼓を打った。これで二人が普通だったらと、思わずにはいられない。


「あ、そうだ。朝食食べたら、俺、剣の稽古けいこに行ってくるね」

「分かったわ。ちゃーんとお弁当も用意してあるわよ!」


 カイリが予定を告げれば、どーん、と布に包まれた巨大なお弁当箱を母は得意気に目の前に置いた。弁当ではない、もはやお重である。

 過ごしてみて分かったが、この世界は言語は前の世界のどの国とも違うものを使っているのに、食材や使われている用具は驚くほど日本、否、前世の世界と酷似こくじしていた。単位まで一緒で習慣も似ている。

 本当に異世界かと最初の頃は山の様にツッコミたかったが、それは二歳の頃に諦めた。恐らく、日本に似た異世界なのだろう。


「ありがとう、母さん。お弁当、楽しみだ」

「もちろんよ! 愛する貴方のためなら、街を一つ買い占めても良いもの」

「いや、それは止めようよ」

「ふふ。ほら、ちゃんと朝ご飯を食べて。今日こそ一本取れるといいわね」

「うぐっ」


 用意されたパンを食べていると、母からさっくりと鋭い一撃を食らう。

 心臓を一突きされた様な衝撃だったが、母には他意は無い。純粋に応援されているのも分かっているので何も言えなかった。


「しかし、カイリは荒事は苦手なんじゃないのか? 剣も無理なら続けなくても良いんだぞ?」

「うーん、でも、一応自衛手段は何とかしたいし」


 父が心配そうに告げてくるが、カイリとしても引けない事情がある。

 前世の記憶があったと知った瞬間、カイリは赤ん坊の頃から期待していたことがあった。



 それは、『チートな能力』というやつだ。



 前世では異世界転生を遂げた人間は、チート能力を大量に授かり、バラ色の人生が送れるという小説が発売されていた。

 常人に気取られないほどのいかさまを自在に操り、素晴らしい能力を披露ひろうする。手品師の様に華麗なる手さばきや足捌き、はたまた剣捌きなどを自在に操る。

 そんな自分を夢見ていた。

 だが、一年、二年が経ち。

 三年、五年、十年と経過していくにつれ、想像とかけ離れた事態に陥った。



 まず、勉強をしないと知識が増えない。



 そもそもおかしい。

 カイリは異世界から転生を果たした存在だ。ならば、いかさまやズルを使って能力を発揮するはずだ。

 つまり、単語を一つ見れば、紐解かれる様に全体像が見える。そんな世界を期待していた。

 だから。


 新しい『畑』を作ろう。


 ある時大人からそう言われて、カイリは畑づくりの極意というものがぶわっと頭の中に羅列られつされるのを期待した。本も読まず、畑を作るにはまず何をするべきか、何が効率良いか、何が一番良いのか、それら全てが辞書の様に頭の中で開かれていくのを待った。

 だが、一向にそんな奇跡の様な時間は来なかった。夜も明け、畑づくり当日になっても、カイリの知識は何も増えなかった。

 おかげで何も勉強しなかったカイリは、一から村長や大人達に教えてもらい、泥まみれになって地面に転がったのだ。人生の汚点だ。


 そして、次に運動だ。


 カイリは、何もしなくても最初から運動神経は抜群で万能だと思い込んでいた。異世界転生の小説でも、ずば抜けた身体能力を発揮できる様になると、同級生達が声高に吹聴ふいちょうしていたからだ。

 だから、カイリ自身もそうだと思っていた。当時村には子供はカイリしかいなかったが、大人の指導で運動の時間があったので、そこで一躍有名人になるつもりだった。

 だが、ここでも問題が起きた。



 走らないと、走れない。



 おかしい。

 確か、チート能力という中には、魔法とやらで足を動かさなくても移動できるという便利な手段があったはずだ。

 しかし、走れない。「走れー!」と念じても、実際に叫んでも、動かそうとしない足はうんともすんとも反応してはくれなかった。

 故に、仕方なく走ることにした。もしかしたら弾丸の様に速いかもしれない。

 一縷いちるの望みを託し、カイリは走った。

 だが。



 普通だった。



 遅くも速くも無い。普通の、本当に平凡な走りしか出来なかった。

 おかしい。

 ならば、自分のチート能力というのは一体何だというのか。

 やけくそ気味に、次の剣の稽古の時間に思い切り木刀を振るってみた。

 だが。



「カイリ、弱いのう。向いてないのう」



 初日で村長に死刑宣告を突き付けられた。



 勉強も普通、足も普通、剣に至っては最弱。

 ならば、自分のチート能力とは一体何なのか。

 いきなり頭を抱えてうなるカイリを村の者達は心配したが、それどころではなかった。何か無いかと、必死になって色々なことに手を出してみた。


 狩猟。血を見ただけで卒倒する。

 畑仕事。突出した能力は無い。

 体力。そこそこ。

 釣り。いつも釣果ちょうか無し。

 踊り。よく相手の足を踏む。

 料理。何故か爆発。

 ――。


 あらゆる分野に手を付け、カイリは一つの結論に至った。



 ――俺、才能何も無い。



 十を超え、そろそろ大人の段階へと上り始めてきた難しい年齢の頃。

 カイリはようやく、己の凡人を泣く泣く悟らざるを得なかった。

 しかも歳を重ねていく内に気付いたが、己の外見は前世と同じ様な出で立ちに育っていっている。

 親から受け継いだ黒髪と、若干つり目だが大きな黒曜の瞳。

 全体的に童顔で年齢より幼く、前世で秘かに悩んだ姿と同じ道を辿っている。



 それは、前世と同じ能力しか無いだろう。



 残酷なまでにトドメを刺された気分だった。

 神などいない。残酷だ。

 ふて腐れて道を踏み外そうかとも思ったが、そんな自分に父も母も、いつも優しかった。

 何も出来なくて、落ち込んでいると。


「何を言ってるんだ。カイリの才能は健康だろ」

「元気で生きるのが人生では一番よ」

「生きていれば、どうにだってなるからな」


 はっはっは、と笑って背中を叩いてくれた。最初は慰めかとも思ったが、心の底から言っているのだと何となく気付けた。


〝お前は、本当にあの大学を受ける気があるのか?〟


 前の父の様に、この父は冷たく切り捨てたりはしない。


〝今日も塾へ行くの?〟


 無駄だと言わんばかりに聞いてきた前の母と違って、この母は冷めた目にはならない。


 それに気付いてから、カイリは道を踏み外すのをやめた。そんなことをしても自分のためにはならないし、何よりこの両親を悲しませるのは嫌だった。

 それなら、前世でも唯一の道だった勉強に集中しようかと思ったのだが。



〝カイリはさ。やりたいことって何かあるの?〟



 かつて、一度だけ幼馴染と夢について話した時。

 自分は咄嗟とっさに答えることが出来なかった。

 彼は、医者になりたいと言っていた。それにも明確な理由があった。

 だが、カイリには無かった。何のために勉強をしているのかと聞かれれば、医者か裁判官になるためだとしか言えなかったのだ。

 せっかく第二の人生を歩んでいるのだ。


 ならば、勉強だけに人生を捧げなくても良いのではないだろうか。


 幼馴染の彼は勉強は飛びぬけて出来たが、勉強だけではなく色んな本を読んだり遊んだり、いつ勉強しているんだと悪態を吐きたくなるほど様々なことをしていた気がする。

 だから、色々やってみよう。



 才能は無くとも、勉強以外のことも学んでみようとカイリは考えた。



 剣についても、才能は無かったが続けてみた。

 畑仕事も随分身に付いた。今は、良い土と悪い土を見分けることも可能だ。

 釣りは、一匹だけだが釣れる日も出てきた。

 踊りはいつも誰かの足を踏んでしまうが、走りは女性よりも速くなった。

 狩猟や料理は相変わらず駄目だが、食事の後片付けくらいは出来る様になった。

 それに――。


「ねえ、カイリ。また、今日も歌を歌ってくれないかしら」

「……、え」


 ある日、歌を歌う様になってから。


 こうして、歌をねだられるようになった。ごくん、とパンの最後の一欠片を飲み込んで、少し気恥ずかしくなる。

 カイリは、特段歌が上手いわけではない。他の者達にも、その時によって出来が違うと指摘されるくらいだ。

 だが、そう言いながらも村の者達は歌って欲しいと言ってくる。

 不思議ではあったが、求められるのは悪くない気分だった。気恥ずかしいから、毎回頬は少し熱くなるが。


「……別にいいけど。じゃあ、うさぎとかめのやつにする?」

「んー、父さんはあれがいいなあ。故郷のことを歌っているやつ!」

「ああ……」


 なるほど、『故郷ふるさと』か。


 両親は何故かこの歌が好きだ。高確率でリクエストをしてくる。

 カイリは前世で小学校に上がる前、よく母親に童謡や唱歌を聞かせてもらっていた。曲や歌と言えばそれかクラシックしか知らず、流行りのポップスとか洋楽とかは全くと言って良いほど無知だった。

 歌のことをふと思い出した時に、思ったのだ。


 この世界に生を受けてから、歌を何故か聞いたことがないと。


 だから、何となく口遊くちずさんでしまって。



 そうして、今、歌をせがまれるに至っている。



「……俺、やっぱり恥ずかしいんだけど」

「えー。父さんはカイリの歌が聞きたいなー」

「母さんも。聞きたいわー。だって、カイリの歌だもの」


 にこにこと両手を組んで寄り添う両親に、「あーはいはい」とカイリは早々に降参した。こうしてラブラブな空気を出された上に注文された場合、全く覆せた試しが無い。


 ごほん、と一度喉を鳴らし、「あー」とか「うー」とか声を出し。

 そして軽く、息を吸い、言葉を辺りの空気に乗せた。



「――うさぎ追いし、かの山

 こぶな釣りし、かの川」



 初めて子供達の前で歌った時は、兎を食べるのかとお約束の様な誤解をされたな、と懐かしくなる。短い歌だが、想い出の詰まった歌だ。

 微笑みながら聞き入っている両親をなるべく見ない様に、カイリは旋律に言葉を乗せた。


「夢は今も、巡りて」

「――忘れがたき、ふるさと」


 いつの間にか一緒に小さく口遊くちずさむ母親に頬が緩む。

 歌詞を覚えてからは、時折こうして一緒に歌ってくれる。それがカイリには少しくすぐったくて、けれど胸がじわりと嬉しさでにじむ時間だった。


「……いかにいます、父母ちちはは


 のびやかに、遠くに届く様に、遥かなる雄大な自然を思いながら紡ぐ。

 同時に、瞳を閉じて目の前にいる両親を思い描いた。流石にこの曲の二番を、直視しながらは恥ずかしすぎて歌えない。

 この歌は前世では一番が最も有名だったが、カイリは二番や三番も好きだった。

 両親や友人のこと、そして最後に心が故郷に帰っていくこの空気が好きだったのだ。



 ――死ぬ直前くらいには、もうそんな気持ちも忘れていたけれど。



「山はあおき、ふるさと」

「水は清き、ふるさと」



 歌い終えて、一息吐く。

 すると、ほどなくして明るい拍手が届いてきた。当然、目の前にいる両親である。


「んー、やっぱりいいな! ……父さん、この歌が一番好きだな」

「カイリが作った歌だもの、当たり前よ」

「い、いや、ちが、……これ、う、ぐ」


 まさか、前世の日本での歌なんですとは口が裂けても言えず。

 かと言って、どこで覚えたのだと問われればもちろん答えることも出来ず。

 故に、両親にはカイリが作ったのだと誤解されたままだった。実際に曲や歌詞を作った人に平謝りしたい心地である。


「何と言うか、のんびりゆったりしていて、この村に合ってるのがまたいいな」

「ふふ、カイリってば、この村が大好きなのね」

「えー、と。うん! そうそう。ははははは」


 にこにこと知らない内に追い詰めてくる両親に、乾いた笑いしか出てこない。

 確かにカイリとしても、この『故郷』の歌はこの村の雰囲気に合っていると思ってはいるが、何度でも言う、作ったわけではない。良心がかなりとがめられる。

 だが、両親をはじめ、村の者達はカイリの国に広まっていた童謡唱歌がいたくお気に召したらしい。割と毎日歌って欲しいとせがまれる。

 それだけ、歌に飢えた村だったということだろう。二十人に満たないこの村は、外に出て行った村人も多いほど田舎だった。娯楽が少ないこの村で、歌は格好のものだったのだろう。


 この世界は――少なくともこの村は、習慣も単位も用具も様々な部分が日本と似通っているが。

 一つだけ、決定的に違うことがある。


「じゃあね、カイリ。気を付けて」

「うん、お弁当ありがとう。みんなで食べるね」


 もはやピクニックで食べるお重の様な弁当を掲げて、カイリは笑う。

 そして。



「カイリ。……村の外の者が来たら、な」



 父の念押しに、カイリも笑って頷いた。

 もう耳にタコが出来るほど聞かされた忠告である。忘れるはずがない。


「もちろん、分かってるよ。行ってきます」


 手を振って、扉を開ける。

 開いた先では、優しい日差しが自分を迎えてくれた。さあっと駆け抜けて行く風が、今日の村の空気と一緒に笑っている気がした。

 そう。日本にいた頃と違うのは。



 この村以外の者には、



 それが、カイリが生まれて新しくこの村に出来た、絶対のおきてだった。


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