第33話 禁則


 私の部屋にはテレビがない。たまにケータイから音楽や動画を垂れ流すことはあるけれど基本的にここは静かな空間だ。ユウがいなかったらこの部屋で声を出すことすらしなかったかもしれない。終始無言かあ、でも一人暮らしはそんなものか。

 ユウとおふざけをするのをやめてベッドに寝転がると、それに続くようにユウも覆いかぶさってきた。無言のまま、しばし見つめ合う。


 最初のうちはじっと見られることに耐えられなくてすぐ目を反らしてしまっていた。けれど、今はその逆で目が反らせない。金縛りされているわけでもないのに、まばたきすら忘れてしまうのはなんでだろう。

 それと霊体だからなのかは分からないけど、ユウの瞳はいつも瞳孔が開いている。人より小さな黒目が人より黒く見えるのはそのせいだ。ずっと見つめているとその暗闇に引きずり込まれてしまいそうな感覚になる。


 静寂が苦しい。

 静かなことは嫌いではなかったはずなのに、こんなふうにユウと対峙している時の静寂は緊張して呼吸がしづらくなる。まるで猛獣の前に放り出された獲物エサのように萎縮してしまう。


「そんな不安そうな顔をされると……ふふ」

「喜ぶところじゃないと思うんだけど」

「強がるのもいいですね」


 ユウは満足そうににやけた後、私の首筋に顔をうずめるようにして抱きしめてきた。感覚はないが、体が鉛のように重く感じる。


「ねえユウ」

「なんですかあ?」


 耳のすぐ近くで聞こえた気だるげで甘ったるい声がくすぐったくて少し身震いしてしまった。案の定ユウに面白がられた。やってしまった。後悔してももう遅い。


「その、今週末は予定いれないから。でも」

「会うんですか? やっぱり」

「う、うん」


 ユウは私の思考を読んでいるかのようだ。私が悩んでいること、気にしていることをいつも的確に言い当てる。

 それは今回もだった。先日の弟の話――弟の彼女が私に会ってみたいという話――を私が言う前に言い当てたのだ。


「気になってしまうんですか」

「断る理由もないし、それに」


 それに、の続きを言おうとして言葉を飲み込んだ。言っていいのか分からない。


 以前ユウは弟の彼女に謎の反応を示していた。そして先日ユウが怒ったのも「最近予定が多いから構ってくれない」からではなく、「彼女に何かある」から会わせたくなかったんじゃないだろうか。

 ユウは何か隠しているんじゃないか、そんな疑念が頭の片隅から離れない。杞憂ならいいんだけど。


「それに、将来弟の奥さんになるなら仲良くしてみたいし」


 結局思っている事とは違うことが口から出た。これも本心なのだけど。

 ユウは「そうですか」とため息交じりに答えた後、何か考えているのかしばらくうなっていた。顔が見えないから怖い。


「そうですねえ。奈々子さんには断る理由も、仲良くしない理由もないですもんねえ」

「う、うん」

「そうですか、会いたい……ねえ」


 しばしの沈黙。ユウははたしてどう出るのか、少し心配になってきた。そわそわする私とは反対にユウは落ち着いているようだった。


「分かりました。仕方ないですね」

「あっ。そっか、良かった」


 もっとごねられるかと思っていたのに案外あっさりと承諾したので驚いた。ユウも仕方ないと思ったのだろう。大人になってくれたようで安心した。思わず小さく息を吐いた。

 その後、ふと何か思いついたようにユウが顔を上げて私の顔を上目遣いで覗き込んできた。ためらいがちに見つめてくる瞳が少し潤んで揺れた。まさか男相手に“あざとい”という表現を使う日が来るとは。


「ねえ奈々子さん、本当に僕の事が好きですか?」

「うん、まあ好きだよ」

「本当に? 無理して言ってないですか?」

「正直に言うと始めは穏便に済ませたかった。けど、今は違うよ。なんだかんだ憎めないし」


 それに、ユウの扱いも分かってきたし。すぐ機嫌を悪くするけど直るのも早いため、前より恐ろしくは思わなくなった。そのせいでたまに地雷を踏んで肝を冷やすこともあるけど。


「ほんとに好きだよ」

「そうですか……よかった」


 ユウは心から嬉しそうにふにゃりと笑った。それにつられて私の頬も緩む。なんだ、悪意のない可愛い笑顔もやればできるんじゃないか。感心感心。


「僕も貴女を愛してますよ」

「もう知ってる」

「おや、言うようになりましたね」

「ふふふ」


 ユウが額を私の額にくっつけてきたので、それをまばたきしながら笑って受け入れた。こういうのをバタフライキスというらしい。

 それにしても今日はやけに平和に一日が終わったなあ。いつもこんなだと安心できていいんだけど。


 ……なんて、思っていた。私はバカだ。

 この時私は気づけなかったのだ。これが恐怖の始まりだということに。


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