第25話 相愛
それは今から二年ほど前のことだ。ちなみに季節は忘れた。
私は今の部署に配属したてで仕事がうまくこなせずに連日残業をしていた。慣れない作業と環境に精神と肉体の疲労は溜まっていくばかり。
あの頃はその疲労とストレスを忘れるために会社帰りによく酒をドラッグストアで買っていたのだ。
心配するので家族には内緒で。
そして店で変わった人をしょちゅう見かけていた。ヒョロヒョロの身体に真っ黒な髪とヒゲが伸びきってもはや顔はおろか老人か中年かも分からない。けれど、風貌が仙人のそれだった。
真っ白な道士服を着て買い物かごを持つ謎の仙人。
見た目以外は普通の客なので不審者ではない、はずだ。接点も一度きりである。
塾の子供たちに「不審者~!」「変なやつ!」と絡まれていたときだ。あまりにもオロオロしていて可哀相だったので追い払ってあげたのだ。
あれ? それで最後はどうしたんだっけ?
まあいっか。
***
なんだか思い出しちゃったなあ。元気かなあ、あの仙人。
家に着いて一通りやるべきことがおわり、一日の終わりに紅茶を淹れる。飲酒を卒業した今はもっぱら紅茶党だ。
カフェインなどは気にしない。気にしていたら平日になんて飲めない。
「今日から違う茶葉ですね」
「アッサムの夏摘みだよ。寒い日はミルクティーが飲みたくて」
「へえ、色々種類があるんですね」
「私はそんな詳しくないけどね」
紅茶店の店員のオススメを買うことが多い私はまだまだ知識は浅い。まあ、そこまで真剣に知識を深めようとも思っていないのだけど。
少しだけ口に含む。ミルクたっぷりでも負けない茶葉の甘さと香りで幸せな気持ちになった。
無論、ユウがその様子を穴が空きそうなほど強烈な眼差しで見つめてくる。テーブルの向かい側に座って頬杖をつきながらニヤニヤしていた。もう慣れた。
「ユウも飲めたらいいのにね」
「その時は口移しでお願いします」
「却下」
すん、と一気に顔から表情が抜けていくのが自分で分かった。せっかくのティータイムが台無しである。
「ミルクティーなんかよりも味わいたいものがあるんですよねえ」
「もういい」
「はあ……貪りたい」
「分かったから」
「こうして口でセクハラするしかできない僕の気持ちなんて分からないでしょう」
「それは分かりたくないです」
ずいっとユウの腕がこちらに伸びてきて、その大きい手が私の唇をなぞった。それだけで顔が熱くなってしまう自分が憎い。
「貴女はどれほど柔らかいんでしょうねえ」
ユウが子首をかしげると前髪がサラリと流れた。ああ、キレイな顔立ちしてるなあ。
細められた目が寂しいと訴えている。目は口ほどにものを言うというが、ユウは目も口も激しくものを言う。痛いくらいに。
「せっかく貴女と想いが通じ合えたというのにあんまりです」
「通じ合えたって」
「だって。奈々子さんも僕のことが好きなんでしょう?」
「うっ」
違う。好きなんかじゃない。
そう言えない私がいる。そんなことを言ったらユウが暴れるから、とか最もらしいことを考えるけどそうじゃない。
私はもう気づいている。とっくに私はほだされてしまっていたのだ。
観念して、深呼吸をする。その間もずっとまばたきもしないで見つめられていた。
「うん。好き……なのかも」
「えっ」
「えっ?」
いや、なんだよその反応。鳩が豆鉄砲を食らったような、期待していた反応と違う。
「えっ、え?」
「いやだから好きだって」
「なんで?」
「なんでってあのねえ……」
「奈々子さんが? 僕を?」
さっきまで強引に攻めていた姿が嘘のようだ。なんで急に謙遜してるんだろう。やっぱりユウは理解不能だ。
「よくよく考えてみたらさ、好きじゃなかったらキスなんて許さないと思うんだ」
「あ、ああ……」
「好きだよ、ユウ」
間。
「うわあああああああ! 死んでもいい! うわあああああああ!」
いやいや死んでますってあなた。
ぐるんぐるんとのたうち回る変態に呆れながら、それでも笑えてくることを恐ろしく思う。なんでこんなのを微笑ましく見てるんだか。
まあいいや。今はそんなに成仏してほしいとも思っていない。むしろ静かになったら寂しいかもしれない。
「ほら、おいで」
「今すぐ! 行きます!」
手招きするとユウはためらいなく私の体に絡みついてきた。まるでヘビだ。両手両足でがっちりホールドされた。
なんとなく体がふわりと軽くなった気がする。
……おかしいな。初めてこれをやられた日は体調が最悪になったのに。たしか寒気と倦怠感で死にそうになったはずだ。
私がこの幽霊を受け入れてしまったからだろか。そうなると、私はこの世ではない世界に足を踏み入れてしまったのだろうか。
ちょっと怖くなった。
「ああ、今日はいい日でした……僕はこれから召されるのでしょうか」
「何を言ってるんだか」
「だってこんな……夢にまで見たことが」
「ユウは寝ないでしょ」
ミルクティーをもう一口。私の顔のすぐ横でユウが恨めしそうにしかめっ面をしているのが見えた。
「本当ですよ。貴女と出会って五十六日目にしてやっと」
「数えてたのか」
呆れた奴だなあ、と力ない笑顔を漏らしてから。
「ん?」
「どうかしました?」
引っかかる。その数字。
「なんでもない。そんなに経つんだなって」
「そうですか……?」
肝が急激に冷える。絶対零度レベルに凍てついている。ミルクティーの味が分からない。
でもこれは気づいてはいけなかった。幸せなムードのまま一日を終えたかった。
だから、気づかないふりをして忘れることにした。
……幽霊って四十九日を過ぎたらどうなるんだっけ?
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